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小沢一郎氏裁判 第5回公判/「政治資金規正法を皆さん勘違い」=安田弁護士

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小沢一郎氏裁判 第5回公判
問題の土地は「新聞チラシで」 担当秘書に「ず〜っと」一任と強調
産経ニュース2011.11.30 12:11
(10:20〜10:40)
 《資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる虚偽記載事件で、政治資金規正法違反罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第5回公判は、大久保隆規元公設第1秘書(50)に対する検察官役の指定弁護士による証人尋問が続いている》
 《指定弁護士は、平成16年分の収支報告書について、大久保元秘書の署名・押印がある宣誓書をモニターに示し、質問を続ける》
 指定弁護士「誰が実際に署名・押印したんですか」
 証人「当時の担当秘書が、私に代わり名前を書いて押印した、と思っていました」
 指定弁護士「例えば石川(知裕衆院議員)さん、池田(光智元秘書)さんですか」
 証人「はい、そうです」
 指定弁護士「自分の代わりに名前を書いて押印することを、認めていたんですか」
 証人「毎年確認のやりとりがあったわけではありません。はじめのころ石川氏から『宣誓書を出しておきます』という話があり『そういうのもあるんだな』と知っていたくらいでした」
 《指定弁護士は会計責任者としての職務を果たしていなかった点について繰り返し質問するが、大久保元秘書は落ち着いた様子で淡々と返答を続ける》
 指定弁護士「署名・押印を行う責任があるとは考えませんでしたか」
 証人「会計責任者ではあるので『責任があるのだろう』とは思っていました」
 指定弁護士「東京事務所の責任者として、下がきちんとやっているかをチェックしようとは思いませんでしたか」
 証人「私は会計担当をしたことがなく、慣例として会計責任者に就任したと思っていました。担当がしっかりやるものと、ず〜っと思っていました」
 指定弁護士「陸山会で会計を担当する人が責任者になれば、中身も分かっていて責任もとれますよね」
 証人「そこまで考えたことはありませんでした」
 指定弁護士「あなたが会計を扱わない、というのは誰かが決めたことですか」
 証人「議員会館の仕事に集中しており、特段そこまでやれとは小沢先生からも言われていませんでした。担当がしっかりやるものと、ず〜っと思っていました」
 《会計業務について、一貫して担当秘書に一任していたことを「ず〜っと」という言葉で強調する大久保元秘書。16年7月から大久保元秘書が公設秘書となったことから、指定弁護士は「法令順守の意識が強まっていたはずだ」と強調したが、大久保被告の返答は変わらず、打ち消していく》
 指定弁護士「会計責任者の職務として、よく確認しようとは思わなかったんですか」
 証人「うちは優秀な秘書がやっているので、そういう問題が起こるはずはないと、ず〜っと思っていました」
 《指定弁護士はここから、問題となった東京・世田谷の土地購入の経緯について尋ねていく》
 指定弁護士「土地はどういう経緯で探したんですか」
 証人「だいぶ前のことではっきりとは覚えていませんが、チラシか何か、新聞広告で見つけたような、そういう認識です」
 指定弁護士「もともと土地を探していたんですか」
 証人「はい。秘書からそろそろ結婚する、という話を持ちかけられるようになり、住む場所がないということで、土地購入の必要性があると考えていました」
 指定弁護士「今回の土地を見つけるまで、どのくらいかかりましたか」
 証人「だいたい1カ月以内くらいだったと思います」
 指定弁護士「見つける前に、小沢さんに相談はしましたか」
 《指定弁護士側の冒頭陳述によると、小沢被告は世田谷区の土地について「散歩のついでに見てきたが、あそこだったらいいところだな。あれでいいんじゃないか」と気に入り、大久保元秘書に一括購入を指示したという》
 証人「相談したかどうかまでは覚えていません」
 指定弁護士「安い買い物ではありませんよね。代表に相談せず、あなた限りで探すんですか」
 証人「実際のものがないと説明のしようがありません。私の一存で探し始めました」
 指定弁護士「具体的に、どのように土地を探したんですか」
 証人「不動産屋さんの店頭の物件を見たり、道すがら空き地がないかな、と探したり、せいぜいその程度です」
 指定弁護士「探すつもりなら、不動産の店に入って話を聞こうとはしなかったんですか」
 証人「店に行くと、自分の立場をきちんと明かさなければいけません。いい物件がなくて断ったりした場合に、いい加減な話が広がるのは嫌でした。慎重に考えていました」
 指定弁護士「条件が合わなくて売買が成立しない、というのは別にいい加減な話ではないと思いますが」
 証人「私の名前が出て相手に嫌な印象を与え、先生に迷惑をかけるのが嫌でした」
 指定弁護士「秘書の家が必要なら、賃貸で借りればよかったんじゃないですか。不要になれば立ち退くだけで、費用対効果は高いですが」
 証人「必要な物は購入した方が、掛け捨てになりませんし。盛岡や仙台でも、マンションを購入した経緯がありました」
 《さらに、想定していた土地の広さについて問われ大久保被告は「4人ほどがやがて結婚するので4世帯以上は必要になると考えていた」と返答。476m2という広大な土地を取得した理由について、指定弁護士はさらに細かく経緯を尋ねていく。》
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小沢一郎氏裁判 第5回公判
小沢元代表、法廷:「報告書作成に関与せず」 元第1秘書・大久保被告が証人出廷
 資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第5回公判が30日、東京地裁(大善文男裁判長)であり、同会元会計責任者で元公設第1秘書の大久保隆規被告(50)=1審有罪、控訴中=が証人出廷した。大久保元秘書は「会計責任者が政治資金収支報告書を作成し(総務相に)提出するとの認識はなかった。事務担当秘書がきちんと処理していると思った」と述べ、虚偽記載への関与を否定した。
 公判では、大久保元秘書が、事務担当者として報告書を作成した衆院議員、石川知裕被告(38)=同=や、元秘書、池田光智被告(34)=同=から虚偽記載の報告を受け、了承していたかどうかが焦点の一つ。大久保元秘書は「報告書について(2人から)報告や説明を受けていない」とも述べた。
 また、04年9月に見つけた東京都世田谷区の土地を「秘書寮新築用地が必要と考え、自分の一存で探した」と説明。購入に伴い元代表から4億円提供を約束されたことを認めた上で「石川氏から『(民主党の)代表選もあり、土地代金の決済を先延ばしした方がいい』と言われ、仲介業者に決済を来年に延期するよう打診した」と述べた。だが、その後の経緯については「知らない」と強調した。【和田武士】毎日新聞 2011年11月30日 東京夕刊
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政治資金規正法を皆さん勘違い。小沢さんがいなくなることはプロの政治家がいなくなること=安田弁護士2011-01-08 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 7/19緊急シンポジウム!! ''ニッポン''は何を守ろうとしているのか!H.22-06-08 
 「唯一はっきりしている条文があるんです。政治資金規正法で処罰されるのは、会計責任者だけなんです。政治家は処罰されないんです。政治家は処罰の対象から外れているんです。始めから、そういう法律なんです。そもそも法律の目的というのは、会計責任者が責任を持って会計の結果について報告する、ということが義務付けられているんです。ところが皆さん、勘違いしている。小沢さんが秘書と一蓮托生で処罰されるべきだと。これほど法律違反、法律の主旨に反することは、ないんです。つまり、どこかで法律が歪められて、トリッキー歪められて、つまり、政治資金規正法は政治家取締法なんだというふうに完全に勘違いしている。この勘違い、実は検察審査会も、まったく同じ評決をしているわけですね。小沢さんは、これだけ権力を持っている人間が、小沢さんの指示なしに物事が行われるはずがない、と。しかし法律の枠組みは、およそそんなことは無いんです。もし小沢さんが有罪になるとすればですね、責任者との共犯なんです、あくまでも。単に、知っていたとか、報告受けていたとか、そんなことでは共犯になるはずありませんね。これは、税理士さんが「これで申告しますよ」と言って「ああ、はい、どうぞ」って言ったら共犯になるか、といえば、そんなことはないわけなんです。ですからもし小沢さんが共犯になるとすれば「おい、石川、こうやれ」という形ですね。「こうやらんと許さんぞ」と、指示・命令、絶対的に服従させたと、そういう場合に初めて共犯として存在する。それを皆さん、完全に誤解している。大変な誤解(笑)。それで、皆さん、恐らくテレビなどで論評していらっしゃる。
 次の問題です。政治資金規正法の中に、何を記載せよとか、どのような会計原則に則れとか、何一つ書いてないんです。ですからたとえば、ちょっとお金を借りましたとか、立て替えて貰いましたとか、或いは、今日帳簿に載せるよりは来年のほうに載せとこうか、というような話は、本当に虚偽記載になるのかどうか、或いはそれを載せなければならないのかどうか、それさえもあの法律の中には書いてないんですよ。つまり、虚偽を記載してはいかん、という話だけなんですよ。何が虚偽なのか、さえ書いていない。しかしそれを検察が勝手に解釈してですね、例えば今回の場合の、今年載せずに来年載せたということが犯罪だと、虚偽だと、やったわけです。或いはAという政治団体からお金貰った、それを実はこうだった、違う人だった、と言って、それは虚偽だというわけですね。しかしAという政治団体を通して貰ったんだから、それを記載するのは当たり前の話でして、それを虚偽といえるかどうか、それこそ大変大きな問題なわけです。ですから小沢さんの一昨年の問題、或いは今年の問題、いずれも法律の解釈を彼らがやって初めて有罪に出来るだけの話でして。ですから立法者の条文とは違うんですね。
 ですからこの間(かん)も法律が守られずにどんどんどんどんきている。今回典型的なことはですね、石川さんが逮捕されました。しかしその2日後、3日後ですかね、3日後には国会が開かれるわけです。国会が開かれた場合、国会議員を逮捕するためには国会の議員の議決の承諾がないといけないわけなんです。それを抜き打ち的に、先達する形で石川さんを逮捕する。これは立法権に対する侵害じゃないですか。つまり憲法違反の事を彼ら、やっているわけです。つまり憲法に違反している行為に対する批判がどこにもない。これは、私ももう、大変びっくりしたわけです。
 検察はしっかりと政治をやっている、というふうに私は理解しているんです。例えば今回、石川さんの弁護をやっていて3日目か4日目ですかね、あ、検察はこれを狙っているな、というのは大体、私も、石川さんが検察にどういうことを言われているかというのを聞いて分かるんです。
 つまり検察は小沢さんを逮捕することは恐らく不可能だろうと最初から思った。しかし検察審査会で勝負をかける、ということを彼らは考えている。彼らのやり方はこうだな、と。検察審査会で起訴相当を取ることによって小沢さんの政治生命を奪う、と。そのシナリオ通りに見事に小沢さんの政治生命はなくなってしまった。ま、これが今回のシナリオでですね。小沢さんを直接起訴すれば当然全面戦争になってしまうわけでして。むしろ国民を総動員して、或いは市民という名を、怒れる11人の市民を使って小沢さんの政治生命を奪うという戦術に彼ら、でてきた。
 で検察審査会も、トリック、ま、検察審査会には助言者といってですね、弁護士がその場に同席していろんな助言をするわけです。法律の解釈とかそういうものを。恐らくその助言者がとんでもない助言をしたんだろうと思うんです。どういうことかというと、政治資金規正法は政治家の犯罪、取締法なんだという解説をしたんだと思うんです。
 ですからとんでもない、検察でさえ起訴しなかったものを検察審査会が起訴相当という結論をだしたんだろうと、そしてそのことを検察は最初から予想、予定していたんだろうと、そう思うわけです。
 先に、情緒的な風潮の中で有罪無罪が決まっていくと、そういう話がありましたけど、私は思うんですね。弁護士は弁護士として、政治家は政治家として、メディアの人間はメディアの人間として、それぞれの人間がプロ的な精神を持ってそれぞれの職責を全面的に発揮すれば、おそらくこんな体たらくな状態にはならんだろうと思うんです。法廷でも、捜査段階から弁護士が弁護人として責任をしっかりと果たせば、恐らく情緒的な社会の動きに対してたえることが出来る、或いは十分に弁護して勝つことが出来るだろうと思うんですね。
 プロ性がどんどん抜けていく、今回の政権交代でも、ま、アマチュアの集団というか、益々プロがなくなる。小沢さんがいなくなることは、プロがいなくなる、そういうことだろうな、と。崩壊の社会が来たな、と。プロが居なくなるということは、結局情緒的なものに流されるし、或いは、世間の風潮に流される、とこういう時代に益々突入したな、と思っているんです。
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検察は行政の一部である。次の法務大臣は、冤罪の構図を徹底的に検証すべきである2010-09-15
 2010年9月15日(水) 鈴 木 宗 男
 民主党大会終了後、小沢先生から電話があった。弾んだ声で元気いっぱいだった。まだまだ期するものがあるという気迫が感じられた。その声に安堵したものである。
 10時から「取調べの全面可視化を実現する議員連盟」の第13回会合に出席。
 10日に判決のあった村木厚子元厚労省局長の弁護人を務めた弘中惇一郎先生が、検察の調書の取り方、暴走について話す。
 続いて私が、「取調べの全面可視化を是非とも実現して戴きたい。私の活動はもう何日かしかない」と、出席議員の皆さんに心からの魂の訴えをさせて戴く。
 発言の機会をつくってくれた川内博史会長、辻恵事務局長はじめ、役員の皆さんに心から感謝したい。
 新聞を整理していると、9月12日付東京新聞「こちら特報部」の「本音のコラム」に、山口二郎先生の記事を見つける。多くの人の声を代弁していると思うので、読者の皆さんにお知らせしたい。
...  ...  ....  ....  ....
本音のコラム 裁判と政治
 9月8日、最高裁判所は鈴木宗男議員の上告を棄却し、実刑判決が確定した。9月10日、大阪地裁は郵便不正事件で起訴された厚労省の村木厚子氏に無罪を言い渡した。二つの裁判に直接のつながりはない。それにしても、鈴木氏の上告棄却のタイミングがきわめて作為的だと感じるのは、勘ぐりだろうか。
 検察がしばしば事件を捏造し、無実の人の罪に陥れることは、近年明らかになった冤罪事件が物語っている。村木氏の事件も、検察の歴史に汚点を加えることになるのだろう。鈴木氏の事件についても、検察の主張が事実なのかどうか、裁判の場で徹底した審理を行うべきであった。
 鈴木氏に連座する形で背任罪に問われ、有罪が確定した佐藤優氏の書物を読むと、検察が事実に基づいて適正な捜査を行ったとは、私には思えない。
 民主党代表選挙で小沢一郎氏が勝てば、検察や裁判所に対する政治からの風当たりが強くなることが予想される。最高裁はそれを察知して、厄介な案件を片づけたのではないか。鈴木氏の有罪確定は、裁判所が本来果たすべき役割を放棄した結果だと、私は思う。 裁判所に政府が介入することはできない。しかし、検察は行政の一部である。次の法務大臣は、冤罪の構図を徹底的に検証すべきである。(9月12日付東京新聞25面)
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来年民主党大会前日(2011/01/12)小沢氏起訴との情報(=官邸の党大会対策) 平成ファシズム2010-12-17 |政治/検察/メディア/小沢一郎
小沢氏起訴議決検察審査会=11人の愚か者が下衆(げす)の感覚によって国民生活の足を引っ張る判断をした「痴呆国家」田中良紹Infoseek 内憂外患 2010年10月07日 
大林宏検事総長「小沢氏を有罪とする証拠はない」/検察審に知ってほしい小沢土地取引の真実2010-10-01


中国に抜き去られた日本/ゴルフほど国家の経済力と国民の豊かさに直結、表すスポーツはない

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2年ぶりの訪中でほぼ確信 中国に抜き去られた日本
Diamond online 2011年12月1日 週刊・上杉隆
 オメガ・ミッションヒルズW杯の取材で中国に行ってきた。
 オリンピック年に重ならないよう、隔年で開催されているゴルフの国別世界大会である。
 今回で56回目を数える伝統的な大会は、中国本土では4回目の開催となる。
 一回目を除いて、そのすべてに参加している筆者としては、この国の変貌ぶりに毎回驚かされている。
 それは今回も例外ではなかった。その思いは、大会を主催しているスイスの時計メーカーであるオメガの幹部も同様だったようだ。
*バブル期日本をも凌ぐゴルフ場建設ラッシュ
 「回を重ねるごとにずいぶんとよくなってきた。とりわけ、中国人ギャラリーのマナーの向上が著しい。中国国内では、スポーツとしてのゴルフが定着し始めているのだろう。前回大会までは中国全土で200弱だったゴルフコースも、現在では600に迫る勢いだという。近い将来、それが1000にも、2000にもなることも『夢』ではないだろう」
 自身もゴルフ好きのステファン・ウルクハート本社社長は、最近お気に入りだというオレンジ色の靴紐を軽く揺らしながら、目を輝かせてこう語った。
 実際、中国のゴルフ熱は凄まじい。バブル期の日本を凌ぐような勢いでゴルフ場が建設されている。北京空港から大会の開かれている海南島に飛び立つ飛行機の窓からは、2年前までは存在しなかったゴルフコースがいくつも見えた。
 「前回までは深センだったが、今年からは海南島に会場を移した。現時点で20コースを持つ、世界最大のゴルフリゾートだ。そこに世界中からトッププロたちが集まってくる。もっと盛り上がってもいいはずだ」
 ウルクハート氏の不満は、このW杯大会が思ったよりも盛り上がっていないことだという。2016年のリオデジャネイロ・オリンピックの正式競技にも決まっているゴルフだが、確かに、英国、米国、豪州、日本を除けば、それほど一般化されているスポーツとは言えないのかもしれない。
 だが、比較的富裕層でしか楽しまれていないという点を除けば、サッカーと並んでゴルフは、圧倒的に世界スポーツであることは間違いない。
 「オメガは、PGA・オブ・アメリカの権利を買い、来年からはライダーカップのスポンサーにもなったんだ。アジア軽視だって? とんでもない。ゴルフはオリンピック競技でもある。世界中に健全なゴルフ文化を広めるためにこれからもチャレンジを続けていく予定だ。だからこそ、こうやって中国で世界大会を開いている。中国はきっとゴルフ大国になる。いまはその過程といえるだろう」
 確かに中国の急成長は、このW杯にやってくる度に肌感覚で思い知らされる。
*たった2年前との比較でも観戦マナーは急成長
 わずか2年前までは、試合中にもかかわらず、ギャラリーの携帯電話が鳴りまくっていた。選手が打とうとする度に、コースのあちこちで騒々しい呼び出し音が鳴り響いたものだった。しかも、彼らはそうなったとしてもまったく動じることはない。驚いたことに、みな平気な表情で携帯電話に出て、大声で通話を始めるのだった。
 最終日、とうとう我慢の限界に達したイワン・ポールター(イングランド代表)は、放送禁止用語を連発して、ギャラリーを怒鳴りつけたほどだった。
 ところが、今回はそうしたマナー面でも明らかに様子が一変していた。ポールターがラウンドしている最中、携帯電話の音に悩まされることはなかった。もちろんギャラリーのマナー違反もない。最終日の最終ホール、ポールターは上機嫌でボールを中国人ギャラリーの方に投げ入れると、満面の笑みでコースを去ったのだった。
 中国人ギャラリーでいえば、明らかな変化がもうひとつあった。それは服装である。
 前回までは明らかに動員されて、ゴルフのルールも知らないのにコースにやってきているような人々が多く散見された。そうした人々は大抵、草臥れた作業服か、あるいは安物のジャージに身を包んで、好き勝手に芝の上を歩いていたものだった。なかには人民服のようなものを着ているギャラリーもいた。
 ところが、今回は少なくともそうした姿のギャラリーは皆無だった。より洗練された、というよりも、日本人ですら少しばかり躊躇するような高級ブランドに身を包んだ富裕層が大量にコースに押しかけていたのだ。
 そして彼らの大半はゴルフという完全に競技を理解し、マナーのよいゴルファーとして観戦しているのだった。
*滞在したホテルの質もハード面だけなら日本を圧倒
 そうした変化は、滞在したホテルリゾートでも感じられた。日本では考えられないような超大型ホテルが全室、ラグジュアリー仕様なのである。客室内の居住性、豊富なアメニティグッズ、シャワーやトイレなどの水回りの快適さ、どれをとっても日本の高級ホテルに引けを取らない。いや、ハード面だけを考えれば、むしろ圧倒的に勝っているのである。
 中国のホテルビジネスは、早くもその成長の過程で、ハリボテを連想させるような表面的な豪華さだけを追求するような時期からは脱却したようだ。もはや資金力や潜在力からも、日本のホテルビジネスが追い抜かれたのではないかと思わせるほどの変化である。
 ただ、ソフト面での課題はやはり残る。だが、それもすぐに変わることだろう。
 少なくとも、前回、中国を訪れた際に閉口した過剰なチップ要求が影を潜めるばかりか、今回の滞在中、ただの一度もチップを求められたことはなかった。それはホテルでも、空港でも、ゴルフ場でも同様だった。
 そうした発展はメディアでも同様のことが言えよう。ホテルのテレビは軽く70チャンネルを超え、インターネット接続はすべて無料、しかも2年前までは難しかったツイッターやフェイスブックにも簡単にアクセスできるのだった。
*10年後には中国人プロゴルファーが世界で活躍
 「もはや日本は中国に抜かれたのではないか?」
 ここ数年来の筆者のこの疑問は、今回の訪中を経て、ほとんど確信に変わった。
 私たち日本人は現実を直視しなくてはならない。中国を潜在的に敵視している間にも、当の中国自身が大きく変化し、少しばかり先を歩みだしたようだ。
 原発事故で足踏みを強いられ、これから放射能との長い戦いを余儀なくされている日本と、圧倒的な国力を背景に未来に向けて急成長を遂げようとしている中国。
 歴史的にも、文化的にも、地政学的にも両国の関係は不可分だ。だからこそ、日本は中国とともに歩まなければならない。
 ゴルフにおいては、あと10年もすれば中国人選手が世界のトップで活躍している日々がくるだろう。そうした雰囲気は世界中を飛び回っているプロゴルファーたちが誰よりも敏感に察しているようだ。
 すでに欧州ツアーは中国ツアーを組み込んで連携を果たしているし、米国のトッププロたちも、日本よりもむしろ中国での試合を優先するようになっている。
 マルマンの販売している18金製のゴルフクラブセットは中国で飛ぶように売れている。また、同社の最高級ブランド「マジェスティ」も中国からの注文がもっとも多いという。
 世界のゴルフ地図が変わろうとしている。それは他の国の例をみれば、容易に推測が可能だ。
 その善悪は別として、ゴルフほど、国家の経済力と国民の豊かさに直結するスポーツはないのだ。ゴルフの普及は、一国の経済発展と国民の豊かさに密接な関係があるというレポートもあるくらいだ。
 いよいよ、中国が目覚めたようだ。ゴルフというスポーツがはっきりとその未来を教えてくれる。
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中国元の時代はやって来るか/ IMF、報告書発表「中国が今後5年以内に世界一の経済大国になる」2011-10-26 | 国際/中国
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IMF、報告書発表「中国が今後5年以内に世界一の経済大国になる」/民主主義と経済的成功の関係2011-06-11 | 国際/中国
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中国、原子炉新規稼働へ/原発を持つ国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができる/原発保有国の本音2011-05-11 | 中国
ニッポンを買い漁っていた成金たちの大混乱2011-04-23 | 中国
「BRICS」を政治利用する中国2011-04-23 | 国際
中国の戦略的意図は米軍を沖縄から追い出し、この地域の軍事的主導権を握ること2011-04-01 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
自分の国は自分で守る決意/境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存2011-01-12
一触即発の中国・朝鮮半島情勢。米・韓・中、そして北朝鮮とどう渡り合えばいいのか2011-01-12
経済発展によるカネで軍拡を続ける中国 2010年度の国防予算は日本円で6兆292億円2011-01-10

小沢一郎氏裁判 第6回公判/弁護側反対尋問

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小沢元代表、法廷:「先生の手わずらわせず」 大久保元秘書、自身の役割説明
 資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡り、政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第6回公判が1日、東京地裁(大善文男裁判長)であり、前日に続いて証人出廷した元公設第1秘書の大久保隆規被告(50)=1審有罪、控訴中=に弁護側が反対尋問を行った。
 東京の秘書のまとめ役だったという大久保元秘書は「小沢先生の手をわずらわせることなくすることが本分だと思っていた」と自身の役割を説明。「事務的なことを小沢さんに報告していたのか」との質問には「全くなかった。事務担当秘書が報告すれば済むことだった」と述べ、自身の関与を否定した。
 西松建設の違法献金事件で逮捕された09年3月時点で既に会計責任者ではなかったが、供述調書に「陸山会の会計責任者」と記述されたことも問われた。大久保元秘書は「その時は忘れていた。交代を気にとめていなかった」と述べ、形式的な責任者だったことを強調した。【和田武士】毎日新聞 2011年12月1日 東京夕刊
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小沢一郎氏裁判 第6回公判
2011.12.1 産経ニュース
(10:00〜) 《弁護側反対尋問》証人:会計責任者だった、大久保隆規元秘書
 弁護人「大久保さんの現在の職業は?」
 証人「会社役員です」
 〈中略〉
 弁護人「その後、大久保さんは議員会館の責任者になっていますよね。いつですか」
 証人「平成12年の6月とか7月だったと思います」
 弁護人「小沢さんのところに来て半年ほどで、議員会館の事務所責任者になっていますね。どうしてですか」
 証人「東京事務所の責任者の先輩と、サポートしていた先輩ら3人が選挙に出ましたので」
 弁護人「残った人から大久保さんに決まったのはどうしてですか」
 証人「私が年齢が上だったということと、事務所に入って浅かったですが、自身の地方政治の若干の経験を買われたと思います」
 弁護人「秘書の取りまとめ役と議員会館の事務所責任者はイコールですか」
 証人「(東京の事務所には議員会館の事務所のほかに)赤坂の個人事務所もありますが、(秘書は)どちらかに配属されます。(取りまとめ役の秘書は)議員会館はもちろん、赤坂の秘書を含めて、仕事上ではなく、人間関係をまとめているようなものです」
 《大久保元秘書は、仕事の取りまとめはしていないことを強調する》
 弁護人「では、取りまとめ役はどのような仕事がありますか」
 証人「週末の(秘書の)休みを決めることや、年末年始、お盆の長期の各人の休みの取り方の調整がひとつあります。あとは、各地で選挙がある際、派遣する秘書の人選を決め、指示を出します」
 弁護人「人事業務をまとめることですね」
 証人「はい」
 弁護人「(前任から)会計責任者の業務に関する引き継ぎはありましたか」
 証人「それは特にありませんでした」
 弁護人「会計責任者に就任して、業務内容に変化はありましたか」
 証人「特別ありませんでした」
 弁護人「では、陸山会の会計事務はだれが担当していましたか」
 証人「(赤坂の)個人事務所で働いている秘書がおこなっていました」
 弁護人「盛岡に異動後も会計責任者を続けておられますね。どうしてですか」
 証人「特別、気にもとめていなかったと思います。(前任の)会計責任者は選挙に出馬し、事務所を離れられましたが、私は辞めたわけではない。あまり気にしなかったです」
 弁護人「平成21年3月、いわゆる西松事件で、大久保さんは取り調べを受けていますね。平成21年3月6日付の調書では、大久保さんは、自身のことを『陸山会の会計責任者です』と説明しています。こう述べたのですか」
 証人「はい」
 弁護人「この時期、本当に会計責任者だったのですか」
 証人「いいえ。その調書のときは忘れていましたが、(別の秘書に)代わっていたことを後で思いだしました」
 弁護人「(会計責任者では)なくなっているのに、会計責任者と答えたのはどうしてですか」
 証人「(代わっていたことも)気にもとめていないほどの認識しか(会計責任者には)なかった。うっかり忘れて対応してしまいました」
 《弁護側はこの場のやり取りに大久保元秘書、小沢被告が関与していなかったことを強調していく構えだ》
 弁護人「顔合わせには誰が出席していましたか」
 証人「東京勤務の秘書です。集合して顔を合わせあいさつし、出かけていきます」
 弁護人「時間はいかがですか」
 証人「何もなければすぐに出ていきます。短ければ1、2分のことも。ミーティングというものでもないので、長くても5分から10分くらいです」
 弁護人「大久保さんにとって、小沢さんと直接話をする機会はほかになかったんですか」
 証人「何かあれば打ち合わせしますが、それ以外にもお諮りすることがあれば先生の随行の人に連絡をつないでもらったり、先生が赤坂の個人事務所に入るとき、空き時間に訪ねたり。朝だけでもありません」
 証人「スケジュールの確認です。議員会館担当の女性秘書がスケジュール表を持って『今日はこう』と先生に確認していただいたり、後日の予定について出欠の確認をとったり、というのがメーンです」
 弁護人「陳情について、小沢さんに報告していましたか」
 証人「いえ、私の裁量で判断していました。よほどのことであれば報告しなければならないが、例えば地元自治体の陳情であれば、『なるべく地元の要望に応えるように』と先生から言われていたので、それに基づいて自分なりに工夫していました」
 弁護人「朝の集まりで、大久保さんが政治資金団体に関する事務的な事柄を報告することはありましたか」
 証人「そのようなことは全くありませんでした」
 弁護人「なぜですか」
 証人「その担当ではないので。(会計)担当秘書の石川氏、池田氏が、先生が個人事務所に行った折にやれば済む、その程度の話です」
 弁護人「当時、政治家の小沢先生は何に関心がありましたか」
 証人「自由党と民主党の交流(合併問題)があり、“小泉劇場”も続いていて、何とか本当の改革を実現しなければと。大きな仕事に集中して取り組み、日本の時間の間に合ううちに大きな改革を成し遂げることを念じていた」
 弁護人「収支報告書にはどの程度関心を払われるべきでしたか」
 証人「私の認識では、担当(石川議員、池田元秘書)が間違えているわけがない、粛々と滞りなく作業が進んでいるんだろうな、と思っていました」
 弁護人「4区画も取得した理由はなんですか」
 証人「その広さがあれば、結婚した秘書だけでなく、独身用の寮もさらに建てられます。先々のことも考えました」
 弁護人「秘書が増えるかもしれないという考えがあったんですか」
 証人「個人的には、小沢先生を慕い政治を志してくる若者が、事務所を巣立って国会議員になれば、小沢先生を支えるようになる、と。“直系”が増えることが小沢先生の政治力を安定させる。さらに巣立っていく優秀な若者を増やしていければいい、と考えていました」
 弁護人「小沢さんの秘書が自宅近くに住むメリットは?」
 証人「『大きな家族』というか、バラバラに住むより、何かあればすぐ先生に会える、事務所全員が心をひとつにして、というのがいいな、と感じていました」
 弁護人「(秘書らの)家族ぐるみということか」
 証人「仕事のメリットではないが、私も夏休みなど、家族を小沢先生にご紹介、お会いしてもらい、記念写真を撮ったりしました。中堅どころ(の秘書)が結婚して子供が生まれ、先生に名前をつけてもらったり、記念写真を撮ってもらって、それを子供が宝物にするとか。とてもうれしいことですから」
 弁護人「秘書寮について何か問題はありましたか」
 証人「女性秘書2人で共同生活をしていましたので、プライバシーが確保されない。往々にして人間関係のあまりよくない者同士でも住まないといけないとなると生活しにくい」
 弁護人「3つの秘書寮は1号邸、2号邸、3号邸と呼んでいた?」
 証人「はい」
 弁護人「小沢さんの奥様の所有する物件と知っていましたか」
 証人「はい」
 弁護人「陸山会が有料で借りて住んでいると認識していた?」
 証人「わかりませんでした」
 弁護人「どのように認識していましたか」
 証人「奥様の建物を先生の活動のために使っていると思っていました」
 弁護人「(平成16年ごろ)一般の人から小沢先生の秘書になりたいという申し出がありましたね」
 証人「はい」
 弁護人「申し出があった場合に、どうしましたか」
 証人「私が秘書が必要であるか、適性があるかどうか、受け入れが可能であるかどうかを考えました」
 弁護人「石川さんから『(世田谷区深沢の)売買契約を延期したい』と聞いたとき、どのように思いましたか」
 証人「具体的なことをはっきり覚えているわけではありませんが、民主党代表選挙が来年あるとか、解散総選挙が近いとか、どちらかの選挙を想定していたと思っていました」
 弁護人「石川さんをどのように評価していますか」
 証人「私は地方議員の経験はありますし、多少の知識もあります。石川は先に入門して小沢先生の薫陶を受けていましたし、国政を目指していて国政にかかわる知識は私が全く太刀打ちできない。本当に勉強になるなと思っていましたし、その一面を評価していました」
 弁護人「昨日は石川さんに事務的仕事を任せていると言っていたが、上司と部下(の関係)とは違うのですか」
 証人「上司、部下ではない。同志というか、お互いに事務所の仕事を頑張って、小沢先生に大きな仕事をしてもらいたいと思っていました」
 弁護人「(平成16年の)収支報告書について、昨日は宣誓書に署名、捺印するのが『うっすらとわかっていた』と発言したのはどういうことか」
 証人「明確に宣誓書があって、会計責任者が署名、捺印するというのが全くわからなかった。署名、捺印するところがあるんだろうなとは思っていました」 
 弁護人「西松事件の際に、平成21年3月6日の検察官調書では宣誓書について『自分で署名、押印したのは間違いない』とありますが、覚えていますか」
 証人「はい」
 弁護人「しかし21年3月15日の検察官調書では『代書してもらったこともあったかもしれない』となっています。なぜですか」
 証人「3月に任意の事情聴取のために出頭したら、ほどなく逮捕されてしまった。この先いったいどんなことになるのだろうと考え、この事件を広げたくないと。自分のところだけで終わらせたいと。会計責任者らしく振る舞うようにした」
 弁護人「最初の逮捕はいつですか」
 証人「平成21年3月3日のことでした」
 弁護人「どのような事件で逮捕されましたか」
 証人「いわゆる西松事件です」
 弁護人「逮捕したのは東京地検特捜部ですか」
 証人「はい」
 弁護人「どんな事件ですか」
 証人「西松建設から政治献金を受けたのに、記載をしなかったという罪に問われました」
 弁護人「西松建設から受けたとされたものはどこから受けたものですか」
 証人「新政治問題研究会と未来産業研究会という政治団体からいただいたご寄付でしたが、それが西松建設からの献金という疑いを受けました」
 弁護人「大久保さんは、自分が捜査対象だと予測していましたか」
 証人「何のものか分からないから行って聞いてみようという軽い気持ちでした」
 弁護人「逮捕され、どう感じましたか」
 証人「何のことか、どうして逮捕されるのか、憤りを感じました」
 弁護人「否認しましたか」
 証人「否認しました」
 弁護人「当時の小沢さんの役職は何でしたか」
 証人「民主党の代表でした」
 弁護人「当時の政治情勢はいかがでしたか」
 証人「民主党の代表として、いよいよ政権交代が現実となる期待感と、当時の政権への不信感が高まっていました。コツコツやっていけば、いずれ政権交代が実現し、小沢先生の政治改革が実現するのを楽しみにしておりました」
 弁護人「このタイミングでの逮捕はどう思いましたか」
 証人「謀略だと思いました」
 証人「その時に、そういった罪で逮捕されたのは、あなただけでしたか」
 弁護人「同じようなことをしている議員もいるということでしたが、私だけ逮捕されました」
《東京拘置所の独居房で》
 弁護人「どういう様子でしたか」
 証人「畳が3枚あって、奥に板の間1枚、トイレと簡単な洗面所コーナーがありました」
 弁護人「入ってみてどうでしたか」
 証人「トイレと手洗いが狭い空間にあって、息苦しい感じを覚えました。トイレと一緒に生活や就寝することは日常にはないことなので、気持ちの上で慣れるのがしんどかったです」
 弁護人「食事は?」
 証人「独居房の中でしました」
 弁護人「どういう気持ちでしたか」
 証人「情けない。外の景色も見えない。非常に抑圧された気持ちで、早く外に出たいと毎日思っていました」 《5月26日に保釈された》
 弁護人「どんな気持ちでしたか」
 証人「たぶん外に出たら出たで大変だろうと想像したが、それでも太陽の下で暮らせるのでホッとしました」
 弁護人「陸山会事件について呼び出しを受けたのはいつですか」
 証人「12月に裁判が始まって、裁判に集中していたときです。年の瀬も迫ってきたときに事情聴取の話が来ました。裁判で手いっぱいだったのですぐ応じなくて(翌年の)1月になってから応じました」
 弁護人「この事件が、いずれこのような裁判になるとは思っていましたか」 
 証人「いわゆる期ずれの問題と報道でもあったので、最悪でも略式起訴、選挙管理委員会に訂正を求められるくらいで、まったく逮捕や事件になるとは思いませんでした」
 弁護人「例えば、本件の土地について、あなたが見つけてきたなどの話を(検事に)したのですか」
 証人「なぜ(土地が)必要だったのかなど、私がかかわった部分の話をしました」
 弁護人「収支報告書の記載については、どうでしたか」
 証人「(収支報告書の記載については)実はまったく分かっていませんでした」
 弁護人「検事にその話はしましたか」
 証人「何回もしました」
 弁護人「それについて、検事はどんな様子でしたか」
 証人「困ったような表情をしていました」
 弁護人「あなたはそれをどう理解しました」
 証人「整合性が取れない調書を作ることになるので困ったという印象です」
 弁護人「調書はこの日は作られたのですか」
 証人「何らかのものは作らねばならないというので作成されました」
 弁護人「内容は?」
 証人「『(収支報告書の記載について)見逃したとしか言いようがありません』という表現になっているかと思います」
 弁護人「どうしてこういう内容の調書が作られたのですか」
 証人「取り調べの最後の方になり、いよいよ調書を作成せねばならない段階になっておもむろに『見落としたとしか言いようがない』。これでどうだ、と話をされて…。そういう表現であれば、実際のところと(検察側の作成した調書との)間を取るような表現になると思い、それであれば何とか自分の裁判にもつじつまがあわせられるのではと思い提案に乗りました」
 弁護人「その時点で逮捕は予測していましたか」
 証人「まったく。これで自分はこのことから解放されたと思っていました」
 弁護人「なぜ?」
 証人「土地を探すということから先は、本当に知らないと繰り返し述べていたので、まさか逮捕にまで至るとは夢にも思いませんでした」
《陸山会事件で大久保元秘書が逮捕された平成22年1月16日前後》
 弁護人「この日は、どういうタイミングなのですか」
 証人「私の(西松建設事件の)裁判が、1月13日か14日にありました。それで検察側の証人として西松建設の担当部長が出廷され、やりとりの中で本当のことを話してくれました。検察にとっては大きく不利な証言でした。部長の勇気、正義を感じ入り、小躍りしながら新幹線に乗って自宅のある釜石市に戻りました」
 証人「ところが、家内が電話に出ないと思うと、裁判の後に私の自宅が家宅捜索されていたのです。何ということが起きているんだとびっくりしました。その日は家に戻れず、知人の家に泊まりました」
 証人「14日だったか、15日夜だったか、電話で私の逮捕状が出て特捜部が私の身柄確保に向かったと。衝撃的なことが起きたと。裁判でいい話が出たと思ったら、今度はこうかよと。強い憤りを感じました」
 弁護人「(検察関係者と)東京に移動する間はどんな様子でしたか」
 証人「自宅に大勢のマスコミが集まり、駅のホームなど長い間ずいぶんカメラに追いかけられました。何ともいえないやるせない気持ちでいっぱいでした。別の事件で、潜伏先から東京に連行される映像が流れることありますが、自分もそういうふうに映っているのかなと」
《再逮捕後の取り調べ》
 弁護人「否認しました?」
 証人「はい。(取り調べた)検事には『私には分からない』と話しました」
 弁護人「(逮捕直後の)検事の取り調べは1月21日午前までですが、取り調べの検事が変わるというような話はありましたか」
 証人「(検事が変わる)前日か前々日あたりからほのめかされたと思います。特捜部の見立てがあり、それに沿った形で取り調べを受けます。石川氏も池田氏も逮捕されていたので、私は真実を話しました」
 証人「検事の取り調べとは相いれないので、平行線のまま何日も過ごしました。すると、『もっと怖い検事がくるかもしれない』と話されました」
(13:30〜)
 弁護人「検事から『もっと怖い検事が来る』といわれ、どう思いましたか」
 証人「『なぜ検事が交代しなくてはいけないのか』と思いました」
 弁護人「なぜか検事に尋ねましたか」
 証人「はい。調書が全くできあがっていないからと言われました。私は真実を話すと気持ちを切り替えていたので。どなたが来ても真実は変わらないので不思議な気持ちになりました」
 弁護人「検事さんが交代したのはいつですか」
 証人「(平成22年1月)21日の午前中です」
 弁護人「新しく来た検事は誰ですか」
 証人「前田検事さんでした」
 弁護人「東京拘置所の取調室で初めて会いましたね」
 証人「はい、そうです」
 弁護人「前田元検事とどんなことを話しましたか」
 証人「『あなた事件をどうしたい』と聞かれました」
 弁護人「取り調べが前田元検事に変わったことをどう思いましたか」
 証人「大阪から来たことで何かあると感じた。『何が何でも立件するぞ』という意識を感じた」
 弁護人「色んな事件を担当している人をみてどう思いましたか」
 証人「大阪のキャップがわざわざ担当しているので『何かやられる』というのを強く感じた。ホリエモンを逮捕したのは捜査に非協力的だったと話したり、逆らうと何をされるかわからない恐怖を感じた」
 弁護人「取り調べで何か他にどんなことを言われましたか」
 証人「『会計責任者のあなたが話を認めないと、小沢先生がどうなるか分からないよ』といわれた。指示に従って協力しないとと思った」
 弁護人「大久保さんは身に覚えのないことで勾留されたのですね」
 証人「はい」
 弁護人「なのに小沢さんが大丈夫となぜ思わなかった」
 証人「ホリエモンもこうできるという話もされたし検事総長の指示で(取り調べに)来ていると言っているので、(検察上層部と)繋がっているのではと思った。そのような危機感を強く感じた」
 弁護人「(前田元検事は)弁護人について何か説明しましたか」
 証人「ヤメ検なので弁護士としての交渉は一切できない。弁護士として信頼するとあなたに不利になっていくというような発言もありました」
 弁護人「取り調べのときは検察事務官を同席してましたか」
 証人「だいたい2人でした」
 弁護人「事務官はいつ戻るのですか」
 証人「調べが終わるとき、署名、捺印するときに呼ばれていました」
 証人「それまでは検察官が話して、それを事務官が打つやり方でした。前田検事さんになってからは、自身のノートパソコンを持ち込み、自分で打ち込んでいきました」
 弁護人「打ち込み画面は見えましたか」
 証人「全く見えません」
 弁護人「印象に残っていることはありますか」
 証人「体も大きめの方で、ノートパソコンは比較的小さくて、窮屈そうな指先で打ち込んでいました。身ぶりをつけながら『ここで大久保さん登場!』とか言っていた。何かやっているな、と思いました」
 弁護人「前田検事が自分を『作家みたい』とも話していたんですか」
 証人「『まるで作家みたい』あるいは『作家の時間』と。うまく書けたときは、雑談で著作の話をしていたこともあって、『司馬遼太郎みたいなもんだ』と言っていました」
 弁護人「その間、どう思っていましたか」
 証人「調書がどうできあがるのかな、と。手持ちぶさたなので、深沢(寮)のレイアウトを書いてください、などといわれたり。前田検事は作成に没頭していて、こちらから話しかけたりできないようにするためだったのかな」
 弁護人「23日、『私の報告・了承があったから収支報告書が作成された』という内容の調書に署名していますね」
 証人「小沢先生への聴取が23日にありました。『その前に意思表示しないと家宅捜索、小沢先生自身への逮捕に広がっていく、あなたの決断一つだ』という話が(前田検事から)ありました」
 弁護人「署名に応じたのは何時ころですか」
 証人「朝に弁護士の接見があり、私は応じる、と弁護士に一方的に伝えた。先生の聴取は夕方、夜だったようなので、時間的に判断して午前中に応じました」
 証人「前田検事は『(小沢さんが)われわれを欺こうとしている』『小沢さんはどうなるかわからんよ』と。せめて自分が聴取に応じていくことで事件の広がりを食い止めなければ、という気持ちを強めました」
 弁護人「小沢さんは事件と関係ないから大丈夫、とは思わなかったんですか」
 証人「何が事件なのか。西松建設事件でもうちだけ、私だけやられた。何かの陰謀なのか、立件された。検察に何をされるかわからない、どんなことをされてもおかしくない、という思いを強めました」
 弁護人「23日、弁護士の接見はどのくらいの時間でしたか」
 証人「20分とか30分とか、短い時間でした」
 弁護人「やり取りは」
 証人「先生方はよく考えて本当のことを言い続けなければ、とその時に限らず励ましてくれました。しかし、そうは言っても中(取り調べ)の状況は外の先生には分からないし、細かく説明もできない。検事とのやり取りが圧倒的に多く、私はすでに“マインドコントロール”されているところもありました。弁護士の先生方の話だけ聞いて立ち向かっていけるのか。(弁護士を)信用しないというか、そうなっていました」
 弁護人「当時の精神状態はどうでしたか」
 証人「1度目の逮捕でも約3カ月勾留(こうりゅう)生活を送りました。頑張ることで3回、4回と逮捕されるのも嫌だった。(検察が)やりたい放題やるんだから、やらせてやれ、という気持ち。弁護士がなんと言おうと調書に応じることが小沢先生を守り、日本政治を守ることになる、という気負った感情がありました」
 弁護人「弁護士には落ち着いて話ができましたか」
 証人「精神的なストレスもあり、『(石川・池田両元秘書への事情聴取について)中ではもっと話が進んでいる』と思わず興奮気味に話しました」
 弁護人「調書に署名・押印することについては伝えましたか」
 証人「これ以上、3人以上逮捕者を広げないため、会計責任者として認めるようにしたい、と言いました」
 弁護人「弁護士からは、石川さん、池田さんの聴取の状況についても伝えられていたんですよね」
 証人「石川氏、池田氏がこう言っているという先生方の話は、どうも遅れているな、と感じました。ほとんど状況を知らないんじゃないか。石川氏、池田氏は、実際には弁護士に聴取状況の本当のことを話していないんじゃないか、と。全く当てにならないと思うようになりました」
 弁護人「なぜ石川さん、池田さんを信じられなくなったんですか」
 証人「私も受けていた圧力を想像しました。何しろ2週間、ずっと検事と過ごしている。マインドコントロールの中に入るというか、検事の話を信用するようになりました」
 弁護人「『潮目を変える』という言葉を使いましたか」
 証人「確かに私は港町出身ですが、船乗りではありません。前田検事が私の身上経歴について読み込むうちに思いついたのではないでしょうか」
 弁護人「(事実が)ないにもかかわらず作られたんですか」
 証人「前田検事さんがご自身で調書を作って、だいたいできたところで印刷をして、『これでどうだ』と聞いきた」
 証人「『(石川、池田両元秘書が取り調べで)本当にこんなこと言ってるんですか』と聞いても、『大久保さん、本当にこう言ってるんだから』といわれた」
 証人「石川氏や池田氏が厳しい取り調べをされたらいやだなと思って、石川氏がそういっているならいいかと(調書に署名した)」
 弁護人「疑いを持たなかったのですか」
 証人「きっとそうなっているんだろうと、前田さんからのお話を受け入れました」
 弁護人「どう思いましたか」
 証人「さすが大物検事だと思いました。実力があるからこういうことも通るんだなと思いました」
 《検察官役の指定弁護士の質問》
 《指定弁護士は、土地購入の目的など、これまでの大久保元秘書の証言について再度確認した》
 指定弁護士「昨日と今日のお話ですと、秘書寮を建設するのは、秘書の人数を増やす予定だったということですか」
 証人「はい。私自身の気持ちにありました」
 指定弁護士「(小沢)被告の秘書を増やすのはあなたの仕事ですか」
 証人「東京の取りまとめ役だったので有能な人材が入門を希望していれば、会って(採用するのが)、私の裁量だと思っていました」
 指定弁護士「先ほど、収支報告書をFAXで受け取るのは無理だと説明していましたが…」
 証人「はい。実際にやりとりした記憶はまったくありません」
 指定弁護士「裁判に至るまで収支報告書を見たことはないのですか」
 証人「見たことはありません」
 指定弁護士「裁判ではありますか」
 証人「裁判ではあります」
 指定弁護士「収支報告書の場合は表紙があり、2枚目に表があります。見ましたか」
 証人「よく注意してみたことはありませんでした」
 指定弁護士「1枚だけ送ってもらうこともできたのではないですか。送ってもらったことはありませんか」
 証人「まったくありません」
 指定弁護士「認めないと大変なことになると言われたとのことですが、どういう可能性があると思いましたか」
 証人「議員会館(の事務所)や先生の家の家宅捜索にも発展していくのかと危惧しました」
 指定弁護士「あなたは危険を避けるために認めたのですか」
 証人「はい、そうです」
 指定弁護士「1月23日に調書を作成したというわけですが、23日の夜に前田(元)検事は小沢さんの記者会見の様子を見ていて、あなたに何かいいましたか」
 証人「はい」
 指定弁護士「前田(元)検事は『小沢さんは嘘つきだ』といっていた?」
 証人「そのような印象でした」
 指定弁護士「これではもっと捜査をするということになりますが、どういうことを話されたか覚えていますか」
 証人「『この先どうなるのかなあ』と、状況が悪くなっていくような印象の言葉を話されたと思います」
 指定弁護士「あなた自身が認めることで事件を広がらぬようにしようと思ったといっていましたが、小沢さんにまで事件が広がるなら認める意味はなくなったのではないですか」
 証人「むしろ私が認めなければ、いっそう悪くなると感じました」
 指定弁護士「あなたは陸山会の年ごとの収支の状況を、(元秘書の)石川(知裕衆院議員議員=1審有罪、控訴中)氏や池田(光智元秘書=同)氏から報告を受けていましたか」
 証人「受けていません」
 指定弁護士「まったく?」
 証人「まったく受けていませんでした」
 指定弁護士「冒頭陳述で、あなたの弁護人があなた自身の公判で、石川氏から年ごとの概括的な報告を受けていたと指摘しているが、そうではないのですか」
 証人「覚えていません」
 指定弁護士「冒頭陳述書を出すときにご覧になられなかった?」
 証人「よく読んでいません」
 指定弁護士「確認した上でその表現を書いたわけではない?」
 証人「要するにほとんど報告を受けていないということです」
 指定弁護士「私は『まったく報告を受けていないのか』と聞いたのです」
 証人「今はほとんどと訂正しましたが、当時から私はまったくという認識で、報告を受けていなかったと判断しました」
 指定弁護士「平成21年3月6日、自分が報告書の内容をチェックするということを認めたといっていました。虚偽の記載であることを調書の上では認めていたのですね」
 証人「はい」
 指定弁護士「なぜ、うその調書を署名・押印したのですか」
 証人「自分だけで事件を終えたかったからです」
 指定弁護士「あなたが起訴された後、小沢さんは民主党代表の座を追われたのですね」
 証人「追われたというか、高度な政治的判断です。そういう陰謀が動いている」
 指定弁護士「陰謀に口実を与えたのは、あなたの起訴ではなかったのですか」
 証人「事件そのものが陰謀なのです」
 指定弁護士「取り調べで、16年の収支報告書に虚偽記載があることを認めましたね」
 証人「どの部分の話しなのか…。全文を記憶しているわけではないので」
 指定弁護士「小沢先生からの4億円を未記載だったことや、不動産のことについてです」
 証人「私は西松建設をめぐる裁判が始まり、そちらに集中していた時期でした。混乱もしていたので、早く取り調べを終わらせ、自分の裁判に集中したかった。記憶を呼び起こさないで、適当に対応してしまった」
 《大久保元秘書が再び逮捕された直前に作成された1月5日の調書》
 指定弁護士「あなたが収支報告書をチェックして見落としたという趣旨の話(供述)が出てきますね」
 証人「はい」
 指定弁護士「水谷建設からの献金と小沢氏の共謀について認めましたか」
 証人「(それは)認めていません」
 指定弁護士「前田検事の(威圧があったとされる)取り調べで、どうして認めないで済んだのですか」
 証人「…」
 指定弁護士「片方(虚偽記載)を認め、もう片方(水谷建設からの献金と小沢氏の関与)を認めなかった理由は?」
 証人「一切を認めると大変なことになると思いました。これ以上、影響の広がりを避けたいと判断しました」
 証人「さっきからいわれていますが、それらのことは今回の裁判で何ら争いの事実になっていない。これ以上の答えは差し控えさせてもらいます!」
 指定弁護士「この裁判の争点を学習してきたのですか」
 証人「学習と言うほどでは。どういう内容かは弁護人から聞いています」
 指定弁護士「陸山会は平成15年に仙台と盛岡でも物件を購入していますが、なぜこの時期に購入したのですか」
 証人「盛岡は岩手県北。自民党の基盤でした。何としても民主党の国会議員を誕生させたいということで活動の拠点として必要でした。仙台についても、小沢氏の支援団体のスペースが必要になったのです」
 指定弁護士「本件土地購入にあたり(秘書寮の)1、2号邸にあなた方、男性秘書が住んで、女性秘書が3号邸に住んでいた。ただ、女性は人間関係に問題があり、男性は結婚話があった。だから(秘書寮の用地として)購入したということですね」
 証人「はい」
 指定弁護士「男性4人はずっと秘書をされる予定だったのですか」
 証人「いつまでかは個人個人の考えです」
 指定弁護士「主たる目的は(国会議員などに当選して)自立することですよね」
 証人「そういう方が多くいらっしゃいます」
 指定弁護士「そうでない方は、どういう方がいますか」
 証人「地元で勤務をしている秘書などです」
 指定弁護士「ああ、(岩手県)水沢(市の事務所)ね。東京で勤務している人はどうですか」
 証人「そういう(政治家)志望を持っていると思います」
 指定弁護士「男性秘書4人のうち現在も残っている方はいますか」
 証人「1人います」
 指定弁護士「女性秘書が住んでいて人間関係に問題があった。男性秘書には結婚話があった。ただ、それだけで政治団体が4億円の物件を購入するのは費用に合わないのではないのですか」
 証人「当時はそういう考え方はなかった」
 指定弁護士「女性についてはワンルームマンションを借りようとかは考えませんでしたか」
 証人「その当時はそう思いませんでした」
 指定弁護士「陸山会で購入した不動産を将来的にどうしようと考えていたのですか」
 証人「将来は考えていませんでした」
 指定弁護士「3億5千万円で購入した土地も将来的には考えていない」
 証人「はい。私が(秘書の)束ね役をやっているときは、そういう認識はなかった」
 指定弁護士「一般的に政党が寄付をしたり資金を支出した場合、法に触れて罰せられることはご存じですよね」
 証人「はい」
 指定弁護士「陸山会で全く会計を知らなくていいと思ったというのは本当ですか」
 証人「担当の秘書がいましたので、そちらでやればいいと」
 《ここで弁護団から裁判長に異議申し立て》
 弁護人「反対尋問の再尋問の範囲を超えている。主尋問でも繰り返している」
 裁判長「すでに出ていることもあるので簡潔に。異議は棄却します」
 裁判官「平成11年に住み込みで秘書になってから会計の仕事をやったことはありますか」
 証人「ありませんでした」
 裁判官「12年に会計責任者を担当したときにはどうしましたか」
 証人「まとめ役ということでしたので」
 裁判官「昨日から今日まであなたは『与えられた職務を頑張りたい』と言っているが、会計責任者についてはどうなのか」
 証人「議員会館の仕事を頑張るということで、会計責任者を含めてということではない」
 裁判官「1月23日に調書に応じる前の、前田検事の言動を思い出せますか」
 証人「『小沢先生が事情聴取される前に認めないと、われわれの捜査の手が広がっていくと思う』という、そのようなニュアンスでした。その中に、議員会館事務所の家宅捜索の話もありました」
 裁判官「そういうあなたの解釈ですか? それとも前田検事の発言ですか」
 証人「『議員会館の家宅捜索』という言葉はありました」
 裁判官「逆に、認めれば捜査が広がらない、という話はありましたか」
 証人「前田検事は『あなたは事件をどうしたい』というところから聞いてきたので、認めれば広がらないという印象を持ちました」
 裁判官「約束ではない?」
 証人「明確にしあってはいません」
 裁判官「あなたが忖度した部分もありますか」
 証人「はい、そう思います」
 裁判官「細かく正確に覚えていないこともあって、『ニュアンス』『趣旨』という言葉になるんですかね」
 証人「はい、そうです」
 裁判官「会計責任者は法律で定められ、当然やるべき手続きがあることは漠然とは認識していたと思いますが…。違反があれば処罰の可能性もわかっていたはずですよね。前任や、他の事務所の会計責任者から聞くこともなかったのはどうしてですか」
 証人「私は東京の取りまとめ役で、会計責任者職は象徴的な存在と思っていた。実務はスタッフがやっているもので、処理に問題があるとは思いませんでした」
 裁判官「収支報告書の宣誓書について、内容も確認せず署名・押印を他人に任せていますが」
 証人「他人ではなく、実務に任せていました」
 裁判官「そのことを(小沢)被告人は認識していましたか」
 証人「わかりません」
 裁判官「被告人に尋ねられたこともありませんか」
 証人「なかったと思います」
 裁判官「決済を遅らせることについて、(元秘書で会計実務を担当していた)石川(衆院議員=1審有罪、控訴中)さんから相談を受けたということだが、石川さんは小沢被告人にも相談をしたと話していましたか」
 証人「聞いていません」
 裁判官「尋ねなかったですか」
 証人「何かあれば、石川氏がやっているかもしれないし、やっていないかもしれない。私は、石川氏から(登記を遅らせる提案を不動産仲介会社に)申し入れてほしいということだったので、取り次ぎました」
 裁判官「土地購入はあなたから出た話ですよね」
 証人「土地購入そのものは」
 裁判官「契約内容を変えることについて、被告人が了解しているかは気になりませんでしたか」
 証人「そのへんまでの思いはありませんでした」
 裁判長「結局登記がいつ済んだのか、認識はありましたか」
 証人「そこまでありませんでした。(石川議員から)問題なく終了した、と聞いていたので、気にも止めませんでした」
 裁判官「秘書寮を建てる目的で土地を探したんですよね。登記の時期に関心はありませんでしたか」
 証人「寮をすぐに建設する、という逼迫した状況ではありませんでした」
 裁判官「検察が言う石川さんの話は信用できるということだったんですね」
 証人「大物(前田検事)が私の担当についた。彼の力を信じた方がいいだろうと思いました」
 裁判官「信じた方がいいという判断?実際に信じたんですか」
 証人「信じるしかないと思いました」  《終了》

小沢一郎氏裁判 第5回公判/「政治資金規正法を皆さん勘違い」=安田弁護士2011-11-30  

鈴木宗男元議員 12月6日、仮釈放/新党大地の代表として北方領土の2島先行返還に取り組むつもり

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6日に仮釈放 模範囚鈴木宗男 気力充実獄中生活
日刊ゲンダイ2011年12月2日
 受託収賄など4つの罪で懲役2年の実刑が確定し、服役中の前衆院議員鈴木宗男受刑者(63)が6日に仮釈放されることになった。
  鈴木受刑者は昨年12月6日に収監され、栃木県の官民協働の刑務所「喜連川社会復帰促進センター」で服役中。収監から1年5カ月後の来年4月が出所予定だったから、随分と短縮されたことになる。
 「同センターは犯罪傾向の進んでいない男子が収容対象です。元防衛事務次官の守屋武昌受刑者もいる。文字通り社会復帰のためのセンターで、態度がよく、出所後の身元引受人や仕事がある場合、予定期間の7割ほどで仮釈放されるのです」(元刑務官の坂本敏夫氏)
  鈴木受刑者がいるのは4畳の独居房。日刊ゲンダイ本紙は鈴木受刑者が家族や友人らに宛てた手紙を見せてもらったが、そこから獄中の様子がうかがえる。
 〈はじめの1カ月は、紙袋作りなどを行っていましたが、1月からは本格的作業に従事しております。センター内にある病棟の衛生係りで、朝、昼、夕食の配食や食事後の回収作業などをしています。おかずを手際よく公平に皿へ分けるのですが、ここが気を遣うところです>
 〈起床は午前6時40分。朝食後、7時40分から刑務作業を行います。11時30分まで行い昼食を45分取った後、再び作業です。16時過ぎまで10分間の休憩を挟み、続きます。夕食は16時30分からで、17時から消灯の21時までは余暇時間です。読書や新聞を丹念に読んでいます>
 〈入浴は週2回で各15分間。夜はパジャマが支給されています。なんとパジャマは“シマウマ模様”です。北海道の熊がシマウマを着ている姿を想像してください>
 〈丸刈りにもなりました。高校生以来、44年振りの坊主頭です。昔と違うのは毛がないことです。食事は独居房で独りぼっちですが、家族・仲間の名前を呼びながら、“私は一人ではない、帰るところがあるんだ”と言い聞かせながら毎日を送っています>
 〈月〜金曜日までは30分間、祝休日は午前と午後に各15分間、室内体操ができます。15分駆け足、10分腕立て。腹筋、背筋をそれぞれ100回2〜3セット行い、残りはストレッチに充てている。限られた時間と場所でも工夫し、身体がなまらないように心がけて、この長期戦を乗り切る決意である>
  いやはや、スゴい気力の充実ぶりだ。公選法の規定で、刑期を終えてからも5年間は選挙に立候補できないが、新党大地の代表として引き続き北方領土の2島先行返還に取り組むつもりだという。
  新党結成を視野に入れているとの情報もある。出所後は“台風の目”になるかもしれない。
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鈴木宗男元議員 12月6日にも仮釈放へ2011-11-30 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
鈴木宗男氏収監?「これからも権力と闘う」/暴走する検察 東京地検特捜部の惨憺たる内情2010-12-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
鈴木宗男氏収監?/冤罪なのに選挙民が選んだ代議士をこんな簡単に失職させてよいのか2010-12-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 ムネオ日記 2010年12月4日(土) 鈴 木 宗 男
 収監までの限られた時間の中で種々打合せをする。
昨日昼は私の指南役ともいうべき佐藤優さんと様々なシュミレーションの中で戦略・戦術を話し合う。佐藤さんの分析・先見性にうなずきながら自信がわいてくる。
 夕方、札幌に向かい松山千春さんと私の居ない時・留守の間・選挙になった時を含めて新党大地の立ち位置・対応・細部にわたり相談する。
松山さんの考えと私の思いは一致し価値観を共有できることは有難いことである。松山さんの人間失ってはいけない「情」「心」「感性」を改めて感じながら凄い「心友」に心から感激した。
今日も松山さんから電話があり「ムネオさん堂々と胸を張って行って下さい。どんなことがあっても最後迄ムネオさんと一緒ですから。足寄がルーツの2人ですから。何も心配しないで何かあった時には先頭に立ってやりますから」と励ましを受ける。ただただ涙が流れてくる。電話の向でも千春の涙声が伝わってきてお互い言葉が繋がらない。足寄に生まれ育ち、故郷にこだわって生きてきた2人だけにしかわからない価値を確認でき幸せである。私にとって松山千春さんは特別の人である。
 10時から帯広・十勝管内、14時から網走管内、17時から釧路・根室管内の鈴木宗男後援会新党大地支部の拡大役員会。皆さん「待っていますよ。身体に気をつけて」「死ぬ迄鈴木宗男ですから心配しないで」「必ずカンバックして下さい。応援しますから」等々声をかけられる。
 厳しかった昭和58年最初の選挙。有罪判決を受けての平成17年9月、21年8月の選挙を乗り切ってくれた我が後援会は日本一の後援会である。
 人間関係に感謝しながら収監前にお詫びの挨拶が出来ホッとする。8年前逮捕の直前はマスコミにも追いかけられ選挙区に帰ることはままならなかった。
 今、世の中空気は変わり東京・北海道の事務所には激励の山である。判ってくれる人、理解してくれる人が圧倒的に多い。私は意を強くして6日に臨んで行く。
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ムネオ日記 2010年12月5日(日) 鈴 木 宗 男
 昨夜、釧路からの最終便で上京。家に着いたのは23時になった。限られた時間しかないので雑誌の校正とか残された仕事をしたら夜中の3時近くになってしまった。
 9時から日程が入っていたので予定通りこなしながら午後からは事務所で書類整理や留守の間の打合せを事務所の人達とする。9月15日異議申し立て棄却、10月7日食道ガンと言われ26日手術。あっという間の80日だった。
 8年前逮捕される時は検察のリークによるメディアスクラムともいうべきバッシングで身動きが取れなかったが今回は同情や激励ばかりで、メディアの皆さんも冷静に受け止めて下さり。北海道内の後援会はもとより全国の主要な処にも挨拶に行く事ができよかった。
 与えられた宿命の中でしっかり頑張って結果を出したいと改めて決意する。北海道はもとより全国の後援会、仲間、同志の皆さんしばらく留守を致しますがお許し下さい。
 東京も北海道の事務所も従前通り機能しておりますので宜しくお願いします。一日も早くお目にかかれる事を楽しみにしながら行って参ります。
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『暴走する検察』別冊宝島編集部 編)
p12〜「鈴木宗男」起訴で迷走 東京地検特捜部の惨憺たる内情! 阿部雅亮(ジャーナリスト)
検察の威信をかけた「宗男包囲網」
 2002年9月13日。元北海道・沖縄開発庁長官の鈴木宗男衆院議員を巡る疑惑を調査していた東京地方検察庁特捜部は、鈴木代議士を議院証言法違反(偽証)と政治資金規正法違反(虚偽記入)の罪で追起訴し、約7ヵ月に及ぶ一連の事件捜査を終えた。この日、居並ぶ検察担当記者を前に記者会見に臨んだ東京地検の佐渡賢一・次席検事は、こう言って胸を張った。
「起訴すべきものについては起訴を終えた。あとは公判で専従態勢をとって全力を挙げて立証する。従前から言っているとおり、立証については充分、自信を持っている」「相当、難しい事件だったと理解しているが、全力で取り組んで相応の成果を挙げたと考えている」
 翌日の新聞各紙は、いずれも鈴木宗男事件の捜査終了を大きく、しかも“特捜部の功績”として報じた。それはまるで、特捜部とマスコミとが一体化しているかのようでもあったが、なかには、自分たちが、“ムネオ疑惑”を解明したかのように報じたマスコミすらあった。
 しかし、こうしたなかで実は、検察内部や特捜検OBから、それまでの捜査手法やきたる公判に対する不安を指摘する声がいくつも上がっていた。こうした声は決して報道されることはなく、外部には伝わらなかったが、検察関係者の間では、特捜部が抱える“制度疲労”が、そうした不安材料の根源にあると受け止められていた。
 鈴木宗男事件の捜査を通して、特捜部が抱える諸問題を考える前に、まず鈴木代議士を巡る疑惑と特捜部の捜査を振り返ってみる。
 特捜部が、利益誘導型政治家の代名詞的存在だった鈴木代議士を捜査のターゲットにしたのは2002年2月に遡る。衆議院でアフガニスタン復興支援会議のNGO参加問題が取り上げられ、それを契機に鈴木代議士と外務省とを巡る疑惑が噴出した直後だった。
 国会の証人喚問などの場で、外務省との癒着が次々と明らかにされ、“疑惑の総合商社”“疑惑のデパート”などと鈴木代議士を糾弾する世論が形成されていった。そんななか、その世論に後押しされる形で同年4月30日、特捜部は、北方四島支援事業の1つである国後島の緊急避難所兼宿泊施設「友好の家」(通称・ムネオハウス)建設の入札を妨害したとして、公設第1秘書ら7人を偽計業務妨害容疑で逮捕に踏み切った。刑法は「偽計を用いて、人の業務を妨害した者は、3年以下の懲役に処する」として偽計業務妨害を定めているが、政治家の秘書が関係した業者間の調整行為に同罪が適用されたのは異例のことだった。
 さらにその2週間後には、鈴木代議士の“懐刀”といわれた外務省国際情報局の佐藤優・元主任分析官と、ロシア支援室の前島陽(あきら)・元課長補佐を、イスラエルで開かれた国際学会への派遣費用を外務省の関連団体「支援委員会」に不正支出させたとして背任容疑で逮捕。間髪を入れずに、鈴木代議士の政治団体「北海道開発研究会」の政治資金規正法違反容疑で、鈴木代議士の自宅などの家宅捜索に踏み切っている。
 特捜部の狙いは誰の目にも明らかだった。鈴木代議士の側近の身柄を拘束、外堀と内堀を埋めることで、同代議士の不正を暴こうとしたのだ。このとき特捜部の捜査態勢は、捜査検事の数を通常の31人から50人にまで増員、鈴木代議士の疑惑解明に「検察と特捜部の威信」(特捜部関係者)をかけていた。
特捜部が持ち出した「意外な容疑」
 ところが、特捜部が鈴木代議士に王手をかけたのは、疑惑が指摘されていた外務省絡みの案件ではなく、林野庁を舞台にしたあっせん収賄事件だった。特捜部は、98年に林野庁の行政処分を巡り、北海道帯広市の製材会社「やまりん」から同庁への不正な働きかけを依頼され、見返りとして現金500万円を受け取ったとして、2002年6月、鈴木代議士をあっせん収賄容疑で逮捕したのである。
 なお、このとき贈賄側の公訴時効(3年)が成立している「やまりん」側は不問となった。国会議員があっせん収賄罪に問われたのは、94年のゼネコン汚職事件の中村喜四郎・元建設相(1、2審有罪で、現在上告中)以来のことだ。
 特捜部はさらに、鈴木代議士が旧北海道・沖縄開発庁長官に就任した97年9月から98年8月までの間に、後援企業の「島田建設」(北海道網走市)から北海道開発局発注の9件の工事を受注できるよう口利きを依頼され、600万円の賄賂を受け取ったとして受託収賄容疑で再逮捕した。贈賄側は、特捜部の調べに対して事実関係を認めたが、この場合もあっせん収賄事件と同様、贈賄側の罪は公訴時効(3年)が成立しているため不問となった。
 特捜部はこのほか、北方四島支援事業の国後島「ディーゼル発電所」建設工事に関し、大手商社「三井物産」(東京都千代田区)の社員3人を、外務省の関連団体「支援委員会」が行った入札を妨害したとして偽計業務妨害容疑で逮捕。同時に、入札情報を漏らしたとして、外務省ロシア支援室の前島元課長補佐と国際情報局の佐藤元主任分析官を再逮捕した。
 そして、7ヵ月余りにわたって捜査を展開してきた特捜部は、2002年9月13日、鈴木代議士を、▽同年3月11日に行われた衆院予算委員会の証人喚問で、?受託収賄事件での贈賄企業「島田建設」から贈賄など800万円を受け取った。?島田建設に秘書給与を肩代わりさせていたことを認識していた。?鈴木代議士の圧力で水害救助の国際緊急救助隊のモザンビーク派遣が中止になった---という三つの事実を否定するような虚偽の証言をした(議院証言法違反、偽証)。さらに▽99年2月、資金管理団体「21世紀政策研究会」の10年分の政治資金収支報告書を作成した際、政策秘書らと共謀して、パーティー券収入約1億円と鈴木代議士の自宅購入費などにあてられた3600万円の支出を記載していなかった(政治資金規正法違反、虚偽記入)---以上、2つの罪で追起訴し、その捜査を終了した。
 なお、国会議員が偽証罪で起訴されたのは、95年の山口敏夫・元労相以来のことだった。
一貫性の無い捜査
 「見込み捜査がはなはだしい。だから、捜査がどこを向いているのかわからない」「行き当たりばったり。場当たり的で一貫性がない」
 特捜部が初めて鈴木宗男事件の強制捜査に踏み切った直後の5月中旬、検察外部だけでなく特捜部内部からも、捜査指揮に対する不満や、首を傾げる声が出始めた。
 複数の検察関係者と検察OBは、次のように証言する。
 「そもそも国後島『友好の家』建設の入札を妨害したとして、公設第1秘書ら7人を偽計業務妨害容疑で逮捕したことからして不自然だった。特捜部には、世論の流れから鈴木代議士を逮捕しなければいけないという焦りがあったが、鈴木代議士を引っ張るネタがなかった。そこで無理やり異例ともいえる容疑を探し出し、鈴木代議士の側近の身柄を取ろうとした。
 ところが、それでも鈴木代議士の犯罪につなげることはできなかった。そこで狙いをつけたのが、鈴木代議士の側近中の側近といわれた佐藤優氏だ。佐藤氏は最初は背任容疑で逮捕されたが、本当に背任罪の構成要件を満たしていたのかどうかはかなり疑問だ。しかも、特捜部はこの佐藤氏の線からも鈴木代議士を追い込めなかった」
 「特捜部が偽計業務妨害容疑で三井物産を狙ったのも、標的は鈴木代議士だった。北方事業は鈴木代議士の利権事業という見方をしていたのだ。特捜部が描いた絵は、三井物産から鈴木議士に金が渡り、鈴木代議士が三井物産に何か便宜を図っていたという構図だった。
 しかし、鈴木代議士は三井物産と2、3回、会ってはいるが、手土産一つもらっていない。当然、現金は出てこなかった。ここでも鈴木代議士の疑惑を事件化できなかった。明らかに事件の筋読みを間違えたわけだ。
 たしかに、特捜部が手がけた一連の事件を通してみると一貫性に欠ける。この疑問を、ある法務検察関係者はこう解説する。
「特捜部長だった伊藤鉄男さんは穏やかな性格で、本来、特捜部長の器ではなかった。次の部長につなぐまでの、いわゆるリリーフ的存在だった。
 特捜部の場合、事件の捜査指揮は特捜部長が執るが、同時に東京地検の検事正と次席検事、それに最高検の担当検事と相談しながら詰めていく。ところが今回の場合、検事正はどうしたわけか、捜査にほとんど口をはさまなかったようだ。当然、特捜部長と次席検事、最高検の間で話が進められたわけだが、この次席検事と最高検との間で捜査方針が食い違っていた。伊藤さんは次席検事と最高検との間で揺れ、強い捜査指揮権を出せないまま、最終的には次席検事の意向が優先されてしまったようだ。ところが、当時の東京地検首脳は大きな問題を抱えていた。冷静に事件捜査の見通しを立てられる人材が不足していたことだ」
外務省に敗れた
 捜査関係者らの声を集めると、まだまだ首を傾げたくなるような話が出てくる。背任罪と偽計業務妨害罪で起訴されたロシア支援室の前島元課長補佐に関してもそうだ。
「前島氏が取り調べのなかで、最終的にどうして容疑を認めてしまったのかわからない。彼こそ、捜査の“被害者”という見方が検察内部でも強かった。逮捕時から、容疑の確定にかなり無理をしていた。だから、もし前島氏が否認を貫き通していたなら、捜査はどうなっていたかわからない。特捜部はなんとしても認めさせようと、かなり厳しい取り調べを続けていたようだ。しかし、当初否認していた前島氏が、一転して認めた裏には、検察との取引があったという説も出ている」
 たしかに、特捜部の取り調べは厳しい。過去に取り調べを受けたことのある元会社役員は、「とにかく人格を全否定されるんです。罵倒されるのは序の口で、女房はもちろんだが、孫のことまで持ち出す。それまでいちおう社会的な地位があったので、それには耐えられなかった」「調書が知らないところでできあがっていて、しきりに署名するよう強要されたことを覚えている」と話す。
 前島氏の場合も、同様な取り調べが行われたのだろうか? それとも特捜部から何らかの形で取引を求められたのだろうか? いずれにせよ、前島氏に対する同諍論が検察内部にあることは事実だ。
 ところで、この背任事件については最初から、外務省の大物である東郷和彦・元欧亜局長の関与が指摘されていた。前述の前島氏らは国際学会への派遣費用などを外務省の関連団体「支援委員会」に不正に支出させていたとして背任罪に問われているが、東郷氏はこの支出に関し、東亜局長として前島氏が起案した決裁書にサインするなどしていた。新聞報道などによると、前島氏も特捜部の調べに対し、「東郷氏の指示で違法な決済書類を作成した」と供述したとされており、東郷氏に対する疑惑が深まっていた。
 ところが、東郷氏は疑惑が取り沙汰されて以来、日本を離れてヨーロッパに滞在。特捜部の参考人聴取も、病気療養を理由に出頭を引き延ばしていた。最終的に、検事がヨーロッパに出向いて参考人聴取したが、その結果、私的な流用はなかったとして立件は見送られた。
 しかし、捜査関係者はこう言う。
「どうして東郷氏の逮捕に踏み切らなかったのか? 佐藤、前島両氏を背任罪で起訴しておきながら、それを指揮した疑いの強い東郷氏の立件を見送ったことは理解できないし、公正さを欠く。失態といっても過言ではない」
 また、別の検察関係者はこう話す。
「今回の捜査では当初、『支援委員会』が、税法上不要な消費税分を事業費に上乗せして受注業者に支払っていた問題を狙っていた。消費税の上乗せ分は、2億6000万円を超える。当初、支援委員会による背任事件として立件を検討したこともある。もし、そのまま捜査を始めていればもっと違った展開になり、捜査もスムーズにいったかもしれない」
 外務省が、検察当局の本格的な捜査を受けたのは初めてのことだ。特捜部の事情聴取を受けた職員の数は100人を超える。
 しかし----。
 「そもそも、今回の鈴木宗男事件の発端は外務省との癒着問題だった。それが捜査を終えてみると、外務省の本丸には切り込めなかった。佐藤氏ら外務省を摘発はしたが、局長や課長クラスの刑事責任は追及できなかった。鈴木宗男疑惑の中心にあった外務省との癒着、疑惑はほとんど解明されなかったという結果を見ると、検察の敗北と言わざるをえない」(東京地検関係者)

水谷建設に保全管理命令/小沢一郎氏裁判 水谷功元会長の揺らぎ「1億円裏ガネ=ワケ分かりません」

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水谷建設に保全管理命令=陸山会事件にも関与―東京商工リサーチ
WSJ Japan Real Time 2011年12月2日20:12 JST
 民間信用調査機関の東京商工リサーチによると、中堅ゼネコンの水谷建設(三重県桑名市、水谷正之社長)は2日までに、債権者である元社長の水谷紀夫氏から大阪地裁に会社更生法の適用を申し立てられ、保全管理命令を受けた。債権者は約500人で負債総額は約353億円。
 同社は大手ゼネコンからの下請けを中心に、ダム、高速道路などの土木工事を得意にし、ピークの2003年8月期には約453億7800万円の売上高を計上。しかし、06年に元会長の水谷功氏が法人税法違反で逮捕されて以降、対外的な信用が低下。小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」へ約1億円の裏献金を渡したという疑惑でも注目を集めていた。関係者説明会は14日に三重県桑名市で開くほか、15日に福岡市、16日には東京で開催する予定。[時事通信社]
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小沢氏強制起訴 水谷元会長告白「1億円裏ガネ=ワケ分かりません。石川、大久保なんて会ったこともない」2011-02-02 | 政治/検察/メディア/小沢一郎



小沢強制起訴 「裏ガネ授受」疑惑のキーマン水谷建設元会長 激白
日刊ゲンダイ2011/2/2
 小沢疑惑のカギを握る「キーマン」が本紙に“衝撃”告白だ。その人物とは、7日に初公判が開かれる「陸山会」をめぐる政治資金規正法違反事件で、衆議院議員石川知裕被告や大久保隆規被告らに「裏ガネ1億円を渡したと証言した」と報じられた水谷功氏(65)である。
 「水谷建設側が04年10月と05年春の2回にわたって、小沢秘書に5000万円ずつ、計1億円を渡した。岩手の胆沢ダム関連工事を受注した謝礼だった」
 09年11月から、大新聞テレビで一斉報道が始まった「水谷建設裏ガネ疑惑」。大マスコミは「検リーク」に乗っかり、以来、このカネが「陸山会が購入した世田谷の土地資金の原資になった」と決め付け、「小沢悪者キャンペーン」を展開してきた。
 「脱税で三重刑務所に服役していた水谷元会長に、東京地検特捜部の検事が会いに行ったのは、09年夏ごろ。当時、西松建設をめぐるダミー団体献金事件で、小沢氏の第1秘書の大久保被告を逮捕・起訴したが、検察側のシナリオ通りに裁判が進まず、困り果て、すがったのが水谷元会長だったといわれています」(司法ジャーナリスト)
 「水谷証言」が本当なら、小沢氏は即、逮捕・起訴されていただろう。ところが、検察は1年以上、捜査したが何の証拠も見つけられず、結局は不起訴。
 現在、刑を終えて出所した水谷元会長を直撃した。
(1億円裏ガネ証言は)ワケ分かりません
記者「裏ガネ疑惑、証言内容は本当だったのか」
水谷氏「分かんないよ。知らないよ」
石川(議員)の『イ』の字も知りません 大久保(秘書)なんて会ったこともない
記者「04年と05年の2回、石川、大久保両被告に水谷建設がカネを渡したと報じられています」
水谷氏「石川、大久保なんて会ったこともない。石川被告の顔は報道でクローズアップされて知っているが、それまで石川のイの字も知らなかった」
記者「大新聞テレビでは、これまで、水谷氏が検事に『カネを渡したことを証言』などと報じられてきた。これは誤報ということですか」
水谷氏「何がどうなのか、ワケが分かんないよ」
記者「新聞テレビの記者は、証言の裏付け取材に来なかったのですか」
水谷氏「何人かは来たけど・・・。『こんな話、聞いたことがありますか』って言うから、『聞いたことぐらいはあるな』とは答えたたが・・・」
記者「“証言”の否定会見はしないのですか」
水谷氏「どうでもエエ。私には分からん。あんた方は私のことを勝手に書いて・・・」
 いやはや、仰天発言ではないか。検察が書いたシナリオに水谷氏はうなづいただけなのか。
 検察はなぜか水谷氏を証人申請していない。「裏ガネ疑惑」をどう立証するつもりなのか。もういい加減にした方がいい。
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「小沢事件」キーマン水谷功氏の揺らぎ、変質2011-03-10 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 小沢一郎公判"ねじれ"の原因となった「水谷兄弟」の骨肉の争い
「渡せと指示したが渡したかはわからない」と証言が揺れ始めた
現代ビジネス 伊藤博敏「ニュースの深層」2011年03月10日(木)
 特捜部は、大久保隆規秘書を09年3月に逮捕、さらに「小沢逮捕」に駆け上がろうと、当時、脱税事件で三重県の津刑務所に服役していた水谷氏のもとに日参、「小沢事務所に裏ガネ1億円を渡すように指示した」という証言を引き出した。
 09年10月以降、捜査を再開、10年1月の石川逮捕に至ったのは、功氏の「裏ガネ証言」があったからである
「四面楚歌」で孤立する水谷功氏
 ところが、今年に入って「秘書公判」が始まると、「水谷証言」が揺らぎだした。
「5000万円を2回、持って行くように指示したのは事実だが、それが確実に相手のところに渡ったかどうかは、わからんわなぁ」と、あいまいな発言を繰り返すようになった。しかも、検察側ではなく弁護側(小沢秘書サイド)証人となったのである。
 もともと、ぶれる人ではあった。佐藤栄佐久・前福島県知事の汚職事件では、「裏ガネを渡した」と証言、佐藤逮捕の決め手を検察に提供しながら、公判になると否認に転じた。 それにしても、大物政治家を権力の座から引きずり下ろすような証言をしながら、なぜ豹変するのか。
 水谷氏の知人によれば、「四面楚歌で孤立している功氏は、水谷建設社長を務める兄・紀夫氏とも、裏ガネを運んだ川村(尚)元社長とも対立、独自の道を歩かざるを得ない状況だ」という。
「脱税事件で服役の間に、川村氏は距離を置くようになったし、水谷建設は復帰を許さなかった。『会社の為にやってきたことなのに』と、怒り心頭。現在、愛西市の日起建設というところで再起を図っているが、会社も川村も許すつもりはない」
 渡せとはいったが、渡したかどうかは本人じゃないからわからない---。
 石川元秘書に5000万円、大久保秘書に5000万円を手渡ししたのは、当時、社長の川村氏である。「本人じゃないからわからない」のは事実だが、あえてそれを口にするあたりに、両者の深い溝がうかがえる。
 兄・紀夫氏との関係もそうだ。
 昨年9月、水谷氏の知人の女性経営者が、債権譲渡した男性と二人で、水谷建設を相手に「貸金返還請求訴訟」を起こしている。
 訴状では、8年前の03年8月、女性経営者は当時、会長だった水谷氏から頼まれて6000万円を融資したものの、現在に至るまで支払いがないので、元金に利息をつけて返還しろ、と訴えている。
 すでに、裁判は始まっており、水谷建設の借金だという女性経営者の訴えが正しいのか、当時、代表権のない副社長だった功氏の個人的借金だったと反論する会社側の主張が正しいかを論評する気はない。
 興味深いのは、提訴前に水谷氏が「陳述書」を提出、そのなかに「借入に際しては会社経理担当者と協議のうえで行い」、「借用目的は裏ガネ」で、「管理本部長に頼まれたから借り入れた」と、述べていることだ。
 「三行半」を叩きつけてきた会社=紀夫社長に対し、過去の精算を、裁判所を通じて迫っていると見ることもできる。
 水谷建設元会長と、今も表記されているため、一体と見られがちだが、実は、孤立無援、四面楚歌の状態にある。川村氏とも水谷建設ともケンカ状態。そこに小沢氏サイドが巧みに接近しているのだという。
「日起は小さなサブコンだが、功氏はここで食っていかなくてはならない。でも、事件続きで、みんな怖がって、なかなか完全復帰はできない。そこに小沢氏周辺が、『証言などで協力してくれれば悪いようにはしない』と、メッセージを送っているという話もある。弁護側証人を了解したのは、そんな"秋波"に応えているのでないか」(前述の知人)
 日本有数のサブコンのトップとして、ゼネコンの前捌き役として、政界を含む各方面との調整作業を行っていた頃の面影はそこにはない。あるのは、必死の生き残り策に追われ、利用できるものは何でも使おうとする孤独なひとりの経営者の姿である。
 だから弱く、でもしたたかに遊泳、それが傍目には"ゆらぎ"と映る。それは事実だがその背景まで考慮しなければ、「小沢事件」のキーマンの変質は理解できない。
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「10基もの原発を有する原発銀座 福島県〜佐藤栄佐久氏〜水谷建設〜検察」(〜小沢一郎氏)
マスコミは、なぜ小沢が怖いのか/日本の殆どのマスコミが、手段を選ばず「小沢抹殺」で狂奔している光景2011-02-02
小沢氏強制起訴/「4億円が汚い金というのは検察が勝手に言ってるだけ。証拠がない」と担当検事2011-02-02
国民は騙されている 小沢強制起訴の虚構 ?どこを探しても出てこない虚偽記載の事実2011-01-20
国民は騙されている 小沢「強制起訴」の虚構 ?1億円ウラ献金を証言した水谷建設元会長のいかがわしさ2011-01-28
石川知裕議員「検察は水谷建設に騙されている」/水谷建設元運転手の証言「現場へ送った記憶、ない」2011-09-28 | 政治/検察/メディア/小沢一郎

無期受刑者:1796人、戦後最多 受刑期間も長期に 「終身刑」化進む

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無期受刑者:1796人、戦後最多 受刑期間も長期に 「終身刑」化進む−−昨年末
 無期懲役刑の受刑者が昨年末段階で、戦後最多の1796人になったことが法務省のまとめで分かった。昨年1年間に初めて仮釈放された無期受刑者は7人で、その7人の平均受刑期間は35年3カ月と戦後最長だった。無期懲役刑の「終身刑」化が進んでいる実態が改めて浮かんだ。
 同省保護局によると、無期受刑者は昨年1年間で新たに50人が服役を開始。獄死者は21人で、仮釈放許可は9人にとどまった。うち2人は過去にいったん仮釈放されたものの、再犯や保護観察の順守事項違反で仮釈放を取り消され、再度の受刑を経て再び仮釈放されたケースだった。
 新たに仮釈放を許可された7人のうち、最短で刑務所を出たのは強盗致死傷罪で服役していた50代の受刑者で、受刑期間は27年3カ月間。最長は殺人罪で服役していた80代の受刑者で、服役期間は47年9カ月だった。
 一方で、強盗致死傷と放火の罪で服役している70代の受刑者は、受刑期間が60年10カ月に及んだが、仮釈放は許可されなかった。
 01〜10年の10年間では、新たに服役した無期受刑者は920人。138人が獄死し、仮釈放を許可されたのは83人だった。また、昨年末段階の無期受刑者のうち受刑期間が10年以上に及ぶケースは約46%。「10年経過」という仮釈放の法的要件を一つクリアしていても、半数近くは仮釈放されていない。年齢別では、60代以上が約38・5%を占めた。
 仮釈放するかどうかの判断対象となった「審理人数」は昨年1年間で69人。09年から始まった新しい制度運用で審理対象者は激増したが、許可人数が低調だったため、許可率は1割にとどまった。【伊藤一郎】
■ことば
 ◇無期受刑者と仮釈放
 仮釈放は通常、刑務所長の申し出を受けて全国8カ所の地方更生保護委員会が審理し、許可するかを決める。無期受刑者の場合、刑の執行開始から10年を経過▽改悛(かいしゅん)の状がある(更生の意欲があり、再犯の恐れがない)−−の2点が仮釈放の法的要件として定められている。09年4月以降は新しい制度運用として刑の執行開始日から30年を経過した無期受刑者は、必ず仮釈放の審理対象とされるようになった。
毎日新聞 2011年12月3日 東京朝刊
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仮釈放が認められにくくなり、事実上の終身刑化が進んでいる2008-06-02 | 死刑/重刑/生命犯 問題
心に刺さった母の言葉「名古屋アベック殺人事件」獄中21年の元少年2009-02-21 | 死刑/重刑/生命犯 問題

「死刑執行、教祖から」と江川紹子氏は云うが・・・/【63年法務省矯正局長通達】に見る行刑の苦難

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死刑執行「教祖から」ジャーナリスト・江川紹子さん
産経ニュース2011.11.27 19:26(抜粋)
 「死刑執行の順番を間違えちゃいけない」
 例外はあるが日本の死刑執行は、判決確定日が早い死刑囚から順に執行されるのが原則だ。
 裁判で死刑判決となった元幹部らは13人。罪を認めた元幹部ほど裁判の終結は早い。罪を認めようとしなかった者や、裁判に背を向けた者ほど、審理に時間がかかった。
 「反省して罪を認めた人から刑が執行されるようなことになれば、正義に反する。ましてや犯行を首謀した麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚(56)より先に、弟子が執行されるようであってはならない」
 審理については、麻原死刑囚が何も語らなかったことなどから「真相に十分は迫れなかった」という不満を訴える関係者らの声が少なからずある。
 だが江川さんは、「私は一連の裁判を、もっと肯定的にとらえたい」と話す。
 「確かに時間も費用もかかった。でも、それは法治国家として必要なもので、裁判から得るべきものも多かったのではないか」
 裁判から得るべき教訓をこう考える。「膨大な時間をかけた被告人質問や証人尋問からは、教団やカルト、マインドコントロールといった恐ろしさは、とてもよく出ていたし、十分に伝わってきたと思う。
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〈来栖の独白〉
 【死刑執行「教祖から」】との思い切った具体的なタイトルに驚いた。麻原彰晃(松本智津夫)氏の裁判終結に至った経緯に、江川氏は全く無関心である。「麻原死刑囚が何も語らなかった」と言って済まし、それでも「膨大な時間をかけた・・・恐ろしさは、とてもよく出ていた」と言う。
 なぜ麻原氏は語らなくなったのか、確定したのか、これらは拘置所行政や裁判(刑事弁護)の闇を露呈している。
獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました/拘禁反応によって昏迷状態に陥っている2011-11-30 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 加賀乙彦著『悪魔のささやき』集英社新書2006年8月17日第1刷発行
 p145〜
 *獄中の麻原彰晃に接見して
 2006年2月24日の午後1時、私は葛飾区小菅にある東京拘置所の接見室にいました。強化プラスチックの衝立をはさみ、私と向かい合う形で車椅子に座っていたのは、松本智津夫被告人、かつてオウム真理教の教祖として1万人を超える信者を率い、27人の死者と5千5百人以上の重軽傷者を出し、13の事件で罪を問われている男です。
p146〜
 04年2月に1審で死刑の判決がくだり、弁護側は即時、控訴。しかし、それから2年間、「被告と意思疎通ができず、趣意書が作成できない」と松本被告人の精神異常を理由に控訴趣意書を提出しなかったため、裁判はストップしたままでした。被告の控訴能力の有無を最大の争点と考える弁護団としては、趣意書を提出すれば訴訟能力があることを前提に手続きが進んでしまうと恐れたのです。それに対し東京高裁は、精神科医の西山詮に精神鑑定を依頼。その鑑定の結果を踏まえ、控訴を棄却して裁判を打ち切るか、審議を続行するかという判断を下す予定でした。2月20日、高裁に提出された精神状態鑑定書の見解は、被告は「偽痴呆性の無言状態」にあり、「訴訟能力は失っていない」というもの。24日に私が拘置所を訪れたのは、松本被告人の弁護団から、被告人に直接会ったうえで西山の鑑定結果について検証してほしいと依頼されたためです。
 逮捕されてから11年。目の前にいる男の姿は、麻原彰晃の名で知られていたころとはまるで違っていました。トレードマークだった蓬髪はスポーツ刈りになり、髭もすっかり剃ってあります。その顔は、表情が削ぎ落とされてしまったかのようで、目鼻がついているというだけの虚ろなものでした。灰色の作務衣のような囚衣のズボンがやけに膨らんでいるのは、おむつのせいでした。
「松本智津夫さん、今日はお医者さんを連れてきましたよ」
 私の左隣に座った弁護士が話しかけ、接見がはじまりましたが、相変わらず無表情。まったく反応がありません。視覚障害でほとんど見えないという右目は固く閉じられたままで、視力が残っている左目もときどき白目が見えるぐらいにしか開かない。口もとは力なくゆるみ、唇のあいだから下の前歯と歯茎が覗いています。
 重力に抵抗する力さえ失ったように見える顔とは対照的に、右手と左手はせわしなく動いていました。太腿、ふくらはぎ、胸、後頭部、腹、首・・・身体のあちこちを行ったり来たり、よく疲れないものだと呆れるぐらい接見のないだ中、ものすごい勢いでさすり続けているのです。
「あなたほどの宗教家が、後世に言葉を残さずにこのまま断罪されてしまうのは惜しいことだと思います」
「あなたは大きな教団の長になって、たくさんの弟子がいるのに、どうしてそういう子供っぽい態度をとっているんですか」
 何を話しかけても無反応なので、持ち上げてみたり、けなしてみたり、いろいろ試してみましたが、こちらの言うことが聞こえている様子すらありません。その一方で、ブツブツと何やらずっとつぶやいている。耳を澄ましてもはっきりとは聞こえませんでしたが、意味のある言葉でないのは確かです。表情が変わったのは、2度、ニタ〜という感じで笑ったときだけ。しかし、これも私が投げた言葉とは無関係で、面談の様子を筆記している看守に向かい、意味なく笑ってみせたものでした。
 接見を許された時間は、わずか30分。残り10分になったところで、私は相変わらず目をつぶっている松本被告人の顔の真ん前でいきなり、両手を思いっきり打ち鳴らしたのです。バーンという大きな音が8畳ほどのがらんとした接見室いっぱいに響き渡り、メモをとっていた看守と私の隣の弁護士がビクッと身体を震わせました。接見室の奥にあるドアの向こう側、廊下に立って警備をしていた看守までが、何事かと驚いてガラス窓から覗いたほどです。それでも松本被告人だけはビクリともせず、何事もなかったかのように平然としている。数分後にもう1度やってみましたが、やはり彼だけが無反応でした。これは間違いなく拘禁反応によって昏迷状態におちいっている。そう診断し、弁護団が高裁に提出する意見書には、さらに「現段階では訴訟能力なし。治療すべきである」と書き添えたのです。
 拘禁反応というのは、刑務所など強制的に自由を阻害された環境下で見られる反応で、ノイローゼの一種。プライバシーなどというものがいっさい認められず、狭い独房に閉じ込められている囚人たち、とくに死刑になるのではという不安を抱えた重罪犯は、そのストレスからしばしば心身に異常をきたします。
 たとえば、第1章で紹介したような爆発反応。ネズミを追いつめていくと、最後にキーッと飛びあがって暴れます。同じように、人間もどうにもならない状況に追い込まれると、原始反射といってエクスプロージョン(爆発)し、理性を麻痺させ動物的な状態に自分を変えてしまうことがあるのです。暴れまわって器物を壊したり、裸になって大便を顔や体に塗りつけ奇声をあげたり、ガラスの破片や爪で身体中をひっかいたり・・・。私が知っているなかで1番すさまじかったのは、自分の歯で自分の腕を剥いでいくものでした。血まみれになったその囚人は、その血を壁に塗りつけながら荒れ狂っていたのです。
 かと思うと、擬死反射といって死んだようになってしまう人もいます。蛙のなかには、触っているうちにまったく動かなくなるのがいるでしょう。突っつこうが何しようがビクともしないから、死んじゃったのかと思って放っておくと、またのそのそと動き出す。それと同じで、ぜんぜん動かなくなってしまうんです。たいていは短時間から数日で治りますが、まれに1年も2年も続くケースもありました。
 あるいはまた、仮性痴呆とも呼ばれるガンゼル症候群におちいって幼児のようになってしまい、こちらの質問にちょっとずれた答えを返し続ける者、ヒステリー性の麻痺発作を起こす者。そして松本被告人のように昏迷状態におちいる者もいます。
 昏迷というのは、昏睡の前段階にある状態。昏睡や擬死反射と違って起きて動きはするけれど、注射をしたとしても反応はありません。昏迷状態におちいったある死刑囚は、話すどころか食べることすらしませんでした。そこで鼻から胃にチューブを通して高カロリー剤を入れる鼻腔栄養を行ったところ、しばらくすると口からピューッと全部吐いてしまった。まるで噴水のように、吐いたものが天井に達するほどの勢いで、です。入れるたびに吐くので、しかたなく注射に切り替えましたが、注射だとどうしても栄養不足になる。結局、衰弱がひどくなったため、一時、執行停止処分とし、精神病院に入院させました。
 このように、昏迷状態におちいっても周囲に対して不愉快なことをしてしまう例が、しばしば見られます。ただ、それは無意識の行為であり、病気のふりをしている詐病ではありません。松本被告人も詐病ではない、と自信を持って断言します。たった30分の接見でわかるのかと疑う方もいらっしゃるでしょうが、かつて私は東京拘置所の医務部技官でした。拘置所に勤める精神科医の仕事の7割は、刑の執行停止や待遇のいい病舎入りを狙って病気のふりをする囚人の嘘や演技を見抜くことです。なかには、自分の大便を顔や身体に塗りたくって精神病を装う者もいますが、慣れてくれば本物かどうかきっちり見分けられる。詐病か拘禁反応か、それともより深刻な精神病なのかを、鑑別、診断するのが、私の専門だったのです。
 松本被告人に関しては、会ってすぐ詐病ではないとわかりました。拘禁反応におちいった囚人を、私はこれまで76人見てきましたが、そのうち4例が松本被告人とそっくりの症状を呈していた。サリン事件の前に彼が書いた文章や発言などから推理するに、松本被告人は、自分が空想したことが事実であると思いこんで区別がつかなくなる空想虚言タイプだと思います。最初は嘘で、口から出まかせを言うんだけれど、何度も同じことを話しているうちに、それを自分でも真実だと完全に信じてしまう。そういう偏りのある性格の人ほど拘禁反応を起こしやすいんです。
 まして松本被告人の場合、隔離された独房であるだけでなく、両隣の房にも誰も入っていない。また、私が勤めていたころと違って、改築された東京拘置所では窓から外を見ることができません。運動の時間に外に出られたとしても、空が見えないようになっている。そんな極度に密閉された空間に孤独のまま放置されているわけですから、拘禁反応が表れるのも当然ともいえます。接見中、松本被告人とはいっさいコミュニケーションをとれませんでしたが、それは彼が病気のふりをしていたからではありません。私と話したくなかったからでもない。人とコミュニケーションを取れるような状態にないからなのです。(〜p151)
 *「死刑にして終わり」にしないことが、次なる悪魔を防ぐ
 しかるに、前出の西山医師による鑑定書を読むと、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく、偽痴呆性の無言状態にある〉と書かれている。偽痴呆性というのは、脳の変化をともなわない知的レベルの低下のこと。言語は理解しており、言葉によるコミュニケーションが可能な状態です。西山医師は松本被告に3回接見していますが、3回とも意味のあるコミュニケーションは取れませんでした。それなのにどうして、偽痴呆性と判断したのでしょうか。また、拘禁反応と拘禁精神病は違うものであるにもかかわらず、〈拘禁反応の状態にあるが、拘禁精神病の水準にはなく〉と、あたかも同じ病気で片や病状が軽く、片や重いと受けとれるような書き方をしてしまっている。
 鑑定書には、さらに驚くべき記述がありました。松本被告人は独房内でみずからズボン、おむつカバー、おむつを下げ、頻繁にマスターベーションをするようになっていたというのです。05年4月には接見室でも自慰を行い、弁護人の前で射精にまで至っている。その後も接見室で同様の行為を繰り返し、8月には面会に来た自分の娘たちの前でもマスターベーションにふけったそうです。松本被告人と言葉によるコミュニケーションがまったく取れなかったと書き、このような奇行の数々が列挙してあるというのに、なぜか西山医師は唐突に〈訴訟をする能力は失っていない〉と結論づけており、そういう結論に至った根拠はいっさい示していない。失礼ながら私には、早く松本被告人を断罪したいという結論を急いでいる裁判官や検事に迎合し、その意に沿って書かれた鑑定書としか思えませんでした。
 地下鉄サリン事件から11年もの歳月が流れているのですから、結論を急ぎたい気持ちはわかります。被害者や遺族、関係者をはじめ、速やかな裁判の終結と松本被告人の断罪を望んでいる人も多いでしょう。死刑になれば、被害者にとっての報復にはなるかもしれません。しかし、20世紀末の日本を揺るがせた一連の事件の首謀者が、なぜ多くの若者をマインド・コントロールに引き込んだのかは不明のままになるでしょう。
 オウム真理教の事件については、私も非常に興味があったため裁判記録にはすべて目を通し、できるだけ傍聴にも行きました。松本被告人は、おそらく1審の途中から拘禁ノイローゼになっていたと思われます。もっと早い時期に治療していれば、これほど症状が悪化することはなかったはずだし、治療したうえで裁判を再開していたなら10年もの月日が無駄に流れることもなかったでしょう。それが残念でなりません。
 拘禁反応自体は、そのときの症状は激烈であっても、環境を変えればわりとすぐ治る病気です。先ほど紹介した高カロリー剤を天井まで吐いていた囚人も、精神病院に移ると1カ月で好転しました。ムシャムシャ食べるようになったという報告を受けて間もなく、今度は元気になりすぎて病院から逃げてしまった。すぐに捕まって、拘置所に戻ってきましたが。
 松本被告人の場合も、劇的に回復する可能性が高いと思います。彼の場合は逃亡されたらそれこそたいへんですから、病院の治療は難しいでしょうが、拘置所内でほかの拘留者たちと交流させるだけでもいい。そうして外部の空気にあててやれば、半年、いやもっと早く治るかもしれません。実際、大阪拘置所で死刑囚を集団で食事させるなどしたところ、拘禁反応がかなり消えたという前例もあるのです。(〜p153)

 タイトルのように、江川氏は、死刑執行「教祖から」と云われる。
 死刑執行の現場から考えてみたい。同じ一つの事件でも、死刑確定判決の時期によって執行の時期にズレはある。死刑囚がオウム真理教のように多勢になれば、全員同日執行は考えにくいだろう。
 日付をずらせばずらしたことにより、拘置所の管理運営は困難を極める。(たとえば、外部との交通を遮断したとしても)自分と同事件の死刑囚が執行されたことを耳に入れずに済ませることは、難しいだろう。そうなれば死刑囚は動揺する。心情の安静は保ちにくい。いずれしても、拘置所職員の苦労は、並大抵ではない。
◆【63年法務省矯正局長通達】
法務省矯正甲第96号
昭和38年3月15日
死刑確定者の接見及び信書の発受について
 接見及び信書に関する監獄法第9章の規定は、在監者一般につき接見及び信書の発受の許されることを認めているが、これは在監者の接見及び信書の発受を無制限に許すことを認めた趣旨ではなく、条理上各種の在監者につきそれぞれその拘禁の目的に応じてその制限の行われるべきことを基本的な趣旨としているものと解すべきである。
 ところで、死刑確定者には監獄法上被告人に関する特別の規定が存する場合、その準用があるものとされているものの接見又は信書の発受については、同法上被告人に関する特別の規定は存在せず、かつ、この点に関する限り、刑事訴訟法上、当事者たる地位を有する被告人とは全くその性格を異にするものというべきであるから、その制限は専らこれを監獄に拘置する目的に照らして行われるべきものと考えられる。
 いうまでもなく、死刑確定者は死刑判決の確定力の効果として、その執行を確保するために拘置され、一般社会とは厳に隔離されるべきものであり、拘置所等における身柄の確保及び社会不安の防止等の見地からする交通の制約は、その当然に受忍すべき義務であるとしなければならない。更に拘置中、死刑確定者が罪を自覚し、精神の安静裡に死刑の執行を受けることとなるよう配慮さるべきことは刑政上当然の要請であるから、その処遇に当たり、心情の安定を害するおそれのある交通も、また、制約されなければならないところである。
 よって、死刑確定者の接見及び信書の発受につきその許否を判断するに当たって、左記に該当する場合は、概ね許可を与えないことが相当と思料されるので、右趣旨に則り自今その取扱いに遺憾なきを期せられたい。
    記
一、本人の身柄の確保を阻害し又は社会一般に不安の念を抱かせるおそれのある場合
二、本人の心情の安定を害するおそれのある場合
三、その他施設の管理運営上支障を生ずる場合

 死刑囚の心情の安静に苦渋するのも刑務官なら、実際に手をかけねばならない(死刑執行する)のも、彼らである。職務とはいえ、人を、白昼、殺さねばならない。
 江川氏も含めて、数分でもよい。我々国民一人一人が、現場の人の心情を忖度してみてはどうだろう。
 そこのところを、井上達夫氏は、次のように言う。
論壇時評【「神的暴力」とは何か 死刑存置国で問うぎりぎり孤独な闘い】(抜粋)
 日本は、「先進国」の中で死刑制度を存置しているごく少数の国家の一つである。井上達夫は、「『死刑』を直視し、国民的欺瞞を克服せよ」(『論座』)で、鳩山邦夫法相の昨年の「ベルトコンベヤー」発言へのバッシングを取り上げ、そこで、死刑という過酷な暴力への責任は、執行命令に署名する大臣にではなく、この制度を選んだ立法府に、それゆえ最終的には主権者たる国民にこそある、という当然の事実が忘却されている、と批判する。井上は、国民に責任を再自覚させるために、「自ら手を汚す」機会を与える制度も、つまり国民の中からランダムに選ばれた者が執行命令に署名するという制度も構想可能と示唆する。この延長上には、くじ引きで選ばれた者が刑そのものを執行する、という制度すら構想可能だ。死刑に賛成であるとすれば、汚れ役を誰かに(法相や刑務官に)押し付けるのではなく、自らも引き受ける、このような制度を拒否してはなるまい。(大澤真幸 京都大学大学院教授)
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死刑とは何か〜刑場の周縁から

欧米人を魅了する仏教の秘密 信じる宗教から目覚める宗教へ

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欧米人を魅了する仏教の秘密 信じる宗教から目覚める宗教へ
2011年12月3日Sat.中日新聞夕刊 ケネス・田中
 十月に亡くなった、アップル社の創立者スティーブ・ジョブズ氏は、仏教に深くひかれていた。曹洞宗の知野弘文老師に師事し、長年座禅に取り組んでいた。老師に自分の結婚式の司祭を頼んだそうで、いかに仏教に魅了されていたかがうかがえる。
 氏にとどまらない。米国には、日本で衆知の有名人に仏教徒が多い。俳優リチャード・ギア、歌手ティーナ・ターナー、ゴルフ選手タイガー・ウッズの各氏らだ。(略)
 これに加え、「仏教に何らかの重要な影響を受けた」と答えた人が、07年調査で約2千5百万人いる。これらを合計すれば、米国人口の10%、約3千万人に及び、驚くべき数の人が仏教の影響を受けていることになる。
 もちろん、キリスト教徒と比べれば、仏教徒の数はまだマイナーだ。しかし、伸び率だけに注目するなら、キリスト教徒をはるかに上回る。(略)
 では、彼らが仏教に魅了される原因はどこにあるのか。ダライ・ラマの絶大なる世界的人気や、米国の場合、65年の移民法改正によりアジア諸国から多くの仏教指導者が渡米してきたことなどが挙げられる。
 だが、私は、最大の理由は仏教の本質にあるとみる。彼らは、仏教を「信じる宗教」(religion of faith)ではなく、「目覚める宗教」(religion of awakening)と、とらえているのだ。
 キリスト教から仏教へ改宗した人たちに尋ねると、キリストの復活を「信じる」ことより、煩悩による誤った見方を是正して自らが「目覚める」ことを究極の目的にする仏教の考え方の方が魅力的だと答える人が実に多い。キリスト教などには、立派な教義があるが、その教えを体験する方法が明確ではないのに対し、仏教は誰もが日々実践できる瞑想などを通して実際に教えを体験できることにひかれると話す。
 どの宗教でも経典を信じ指導者を信頼することは大事である。仏教徒にもこれは必須ではあるが、仏教徒の最終目的は信じた後の「目覚め」である。つまりブッダ(目覚めた者)になることこそが最重要なのだ。欧米ではジョブズ氏のように多くがこの「目覚める宗教」に魅了されている。ただ単に教えのみを信じ込む従来型の宗教形態が、欧米のような先進国では崩れ始めているといえる。
 この現象は、アジアの先進国、日本でも始まっている。スリランカ出身のスマナサーラ長老の下へ最近多くの日本の若者が瞑想指導を求めて集まっている。彼らは従来型のただ願ったり信じたりする宗教では満足が得られず、個人の「目覚め」に重きをおく仏教に魅入られるのである。
<筆者プロフィール>
けねす・たなか
 1947年、山口県生まれ。米国籍。58年、日系2世の両親と渡米。スタンフォード大卒。東京大学修士課程修了。哲学博士。98年から武蔵野大教授。専攻は仏教学・アメリカ仏教。日本語の主著『アメリカ仏教』『真宗入門』など。


「大阪母子殺害事件」森健充被告 差し戻し審 5日結審/検察=奇策ともいえる新証拠で巻き返し

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大阪母子殺害差し戻し審5日結審 新証拠も決め手欠くまま検察側は再び死刑求刑へ
産経ニュース2011.12.4 21:17
 大阪市平野区で平成14年に起きた母子殺害放火事件で、殺人などの罪に問われ、1審無期懲役、2審死刑の判決をいずれも最高裁が破棄した大阪刑務所刑務官、森健充(たけみつ)被告(54)=休職中=の差し戻し審は5日、大阪地裁(水島和男裁判長)で結審する。検察側は差し戻し前と同じ死刑を求刑する見通し。弁護側は「別人の犯行」と改めて無罪を主張する。戦後、最高裁が同様に死刑判決を破棄し、審理を差し戻した6件の事件ではいずれも無罪が確定。検察側は犬の毛のDNA鑑定など“奇策”ともいえる新証拠で巻き返しを図ったが、決め手を欠いた印象はぬぐえない。
■確率は8・7%
 「状況証拠だけで有罪認定するには、被告が犯人でなければ説明できない事実がいる」。10月20日に始まった差し戻し審の焦点は、1、2審判決を破棄する際に最高裁が課した高いハードルを、検察側が乗り越えられるかどうかだった。
 危機感を抱いた大阪府警は昨年4月の最高裁判決後、捜査1課に異例のプロジェクトチーム(PT)を設置。文字通り当時の捜査資料をあさり、大阪地検と公判対策を練ってきた。
 森被告の靴の中から採取された犬の毛のDNA鑑定も、PTの発案の一つ。麻布大学獣医学部の村上賢教授の鑑定で、被害者の飼い犬の毛と同じDNA型が検出され、「現場マンションに行ったことはない」とする森被告の供述を覆す新証拠とされた。
 ただ、公判に出廷した村上教授の証言によると、同じDNA型が出る確率は千匹中87匹に当たる8・7%。同じDNA鑑定でも、人間の場合(約4兆7千億人に1人)の正確さからはほど遠い。弁護側は「森被告のジャンパーの犬の毛からは飼い犬と違う型が検出された」と別の鑑定結果を証拠採用させ、反撃した。
■科学性に疑問も
 もともと1、2審が有罪認定の柱としたのは、現場マンションの踊り場の灰皿から採取され、森被告と同じDNA型が検出された1本の吸い殻だった。だが、最高裁はフィルターが茶色く変色していることを理由に、「事件よりかなり前に捨てられた可能性がある」と疑問を投げかけた。
 この疑問への「回答」を迫られた検察側は、PTによる「たばこ実験」に活路を求めた。大規模なものでは警察官約50人を動員。(1)普段通り(2)唾液多め−の条件で喫煙させ、「唾液が多いと、短時間でも変色はあり得る」との実況見分調書を公判に提出した。
 これに対し弁護側は、専門家や科捜研が実験を監修していないと指摘。PTメンバーの証人尋問では「唾液多めとは具体的にどの程度か」と追及し、科学性がないと切り捨てた。
■苦しい釈明
 弁護側が最も問題視したのは、踊り場で採取された吸い殻のうち、森被告と同じDNA型が検出された1本を除く71本を、府警が捜査終結前の14年12月の段階ですでに紛失していたことだ。この中には被害者が吸っていた銘柄が含まれており、新たに鑑定し被害者のDNA型が検出されれば、被害者自身がたまたま森被告と一緒にいるときに携帯灰皿を使ってたばこを吸い、森被告の吸い殻とともに捨てた可能性も浮上する。
 公判には捜査本部で現場責任者だった元警察官も出廷。71本の紛失理由について「吸い殻を保管していた段ボールを、ごみ箱と間違えて捨てた可能性が高い」と釈明したが、裁判官からは「そんなことがあり得るのか」と厳しい質問も出た。
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「大阪母子殺害事件」事実認定の点で抑制的と言われていた最高裁は変わっても、依然変わらぬ検察2011-01-28 | 死刑/重刑/生命犯 問題
 検察、有罪「決め手」実験で補強 大阪の母子殺害事件
 大阪の母子殺害放火事件で殺人と放火の罪に問われた大阪刑務所刑務官森健充被告(53)=休職中=の差し戻し審で、検察側が、有罪の決め手の証拠としていたたばこの吸い殻について「事件当日、現場に捨てられた可能性がある」とする実験結果を大阪地裁に証拠請求したことが28日、検察関係者への取材で分かった。
 昨年4月の最高裁判決は二審の死刑判決を「事実誤認の疑いがある」と破棄しており、差し戻し審は無罪となる可能性がある。検察側は実験結果を補強材料に、再び吸い殻を有罪立証の「柱」として巻き返しを図る方針だが、最高裁は、状況証拠での立証は困難としており、ハードルは高そうだ。
 検察側はこれまで、現場マンションの灰皿で見つかった吸い殻に付着した唾液のDNA型が森被告と一致したとして、「森被告が当日現場を訪れた」と主張。一、二審では認められたが、最高裁判決は「フィルターが茶色に変色し、かなり以前に捨てられた可能性がある。最も重要な証拠なのに審理が不十分」として退けた。
 このため検察側は、同種のたばこの吸い殻を自然に捨てる実験で変色の状況を調査。「当日でも同様に変色する」との結果を得て、公判前整理手続きで証拠請求した。2011/01/28 08:22 共同通信
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<大阪母子殺害>被告側「無罪判決に向け全力」 (毎日新聞 2010年4月27日)
 「『疑わしきは被告の利益に』という刑事裁判の原則にかなった判決。差し戻し審では無罪判決に向け全力で頑張りたい」。大阪市の母子殺害事件で殺人罪などに問われた刑務官、森健充(たけみつ)被告(52)の死刑判決を破棄した27日の最高裁判決について、弁護側は高く評価した。今後、大阪地裁で審理がやり直されるが、判決は改めて直接証拠がない事件捜査の難しさを示した。
 午後3時、最高裁第3小法廷。藤田宙靖(ときやす)裁判長の退官により、堀籠幸男裁判官が判決主文を代読すると、後藤貞人弁護士はじっと前を見つめ、弁護活動の実務を担った陳愛弁護士は、うっすらと涙を浮かべた。
 1、2審とも有罪とされた森被告だが、陳弁護士らの接見に、いつも「裁判所は分かってくれる」と語り、無罪判決しか頭にない様子だったという。後藤弁護士は法廷を出ると事務所に電話し、森被告に判決を伝える電報を打つよう指示した。
 その後、後藤弁護士は「最高裁はこれまで事実誤認の主張に扉を閉ざしてきたが、最近は痴漢冤罪(えんざい)や再審など変化が見られる。裁判員制度開始の影響が大きい」と興奮を隠せない様子で語った。大阪府警の捜査については「あまりに早い段階で容疑者を絞り、必要な捜査を怠った。無理な取り調べもあった」と批判。「検証のため取り調べの可視化が必要」と語気を強めた。【伊藤直孝】
◇事件の経緯◇
 02年4月14日夜、大阪市平野区のマンション一室から出火し、焼け跡から主婦の森まゆみさん(当時28歳)と長男瞳真(とうま)ちゃん(同1歳)の他殺体が見つかった。まゆみさんは森被告の妻の連れ子と結婚して暮らしており、検察側は、まゆみさんに恋愛感情を募らせた森被告が思いを拒まれるなどしたため憤って絞殺し、瞳真ちゃんを浴槽につけて水死させたうえ、室内に放火したとして、殺人、現住建造物等放火罪で起訴した。1審・大阪地裁は05年8月、状況証拠から有罪認定して無期懲役を言い渡し、2審・大阪高裁(06年12月)も有罪として「被告は反省しておらず、更生の可能性はない」と死刑を言い渡した。
◇解説…状況証拠評価、裁判官も割れる
 死刑判決を破棄した最高裁判決だが、裁判官5人の見解は割れた。小法廷の考え方となる多数意見は3人にとどまり、那須弘平裁判官は「有罪の余地あり」と意見を述べ、堀籠幸男裁判官は「被告の関与は十分立証されている」と反対意見で1、2審の有罪認定を支持した。裁判員制度導入で市民が死刑判決に関与するかもしれない中、状況証拠のみで有罪・無罪を判断する困難さが改めて浮き彫りになった。
 判決は「直接証拠がある事件でも、状況証拠のみの事件でも有罪認定の基準は変わらない」とした07年の最高裁判例を引用し、状況証拠のみの事件では「被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が必要」と基準を示した。そのうえで現場に残された吸い殻を立証の柱とした検察側の主張について、捜査の不十分さを指摘し「有罪認定のレベルに達していない」と批判した。裁判員制度を念頭に慎重な捜査、審理を促したと言える。
 しかし堀籠裁判官は、国民の健全な良識を刑事裁判に反映させることが裁判員制度の目的として「今回の基準は不明確。裁判官の認定手法を裁判員に求めることは避けるべきだ」と指摘した。一方、藤田宙靖裁判長は「手放しで『国民の健全な良識』を求めることが制度の趣旨と言えるかは疑問。基準を明示することは法律家の責務」と反論。基準に対する見解も分かれた。
 和歌山毒物カレー事件(98年)や仙台・筋弛緩(しかん)剤混入点滴事件(00年)でも状況証拠による立証が争われたが、被告の有罪が確定した。今後、直接証拠がないとされる埼玉・千葉と鳥取の連続不審死事件などが裁判員裁判で審理される。裁判員が判断に迷う場面が予想され、捜査当局は従来以上に十分な証拠集めと説得力のある立証活動が求められ、裁判官も評議の工夫を迫られている。【伊藤一郎】(毎日新聞 2010年4月27日 22時1分)
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『年報・死刑廃止2010』 /大阪母子殺害事件/堀籠幸男裁判官/後藤貞人弁護士2010-11-13
裁判員法=最高裁や法務省が言う「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない2010-11-27
 ◇生涯悩みを抱えるのでは−−元最高検検事・田辺信好氏
 死刑制度は存続させるべきだが、裁判員裁判については反対だ。死刑も裁判員が判断すべきではないと考える。
 被害者やその遺族は、犯人に対し応報できないから国が代わりをする。被害者の命が重いからこそ、加害者も命をもって償うしかない。もちろん冤罪はあってはならない。プロの裁判官、検察官、弁護人とも実力を磨いて冤罪防止に全力を注ぐべきだ。無実のものを死刑で殺してはならないのは当たり前のことだ。
 裁判員裁判は問題が多い。例えば、裁判は、被告が罪を認めている場合、自白を信用できるか、自白に身代わりの可能性がないかの判断が必要だ。否認の場合は、目撃者や指紋、DNA、いろんな証拠を総合して有罪と言えるのかを判断する。一般市民である裁判員には、有罪無罪だけではなく量刑について判断することも難しいと思う。中にはできる人もいるかもしれないが、今の裁判員は能力に関係なく無作為に抽出されている。裁判員が「疑わしきは無罪」に徹すれば、冤罪を防げるといわれるが、米国の陪審制では有罪判決後、無罪と分かったケースが多数ある。
 死刑も同じ理由で裁判員が判断すべきではない。横浜地裁で16日に出された死刑判決は、死刑選択の基準「永山基準」から見ても妥当といえるが、裁判長が「控訴を勧めたい」としたのは解せない。判決に自信がなかったのか、無期懲役の意見を出した裁判員に気を使ったのか。いずれにせよ、裁判員は今後「あれでよかったのか」と幾度も振り返り、守秘義務にも生涯悩まされるだろう。正常な精神を保てない人が出るかもしれない。
 死刑判決をめぐり、裁判官と裁判員の間で、意見が分かれたとも推測されるが裁判官と裁判員の多数決は、憲法76条第3項「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」の「裁判官の独立」を害する疑いがある。例えば、現行では裁判官3人のうち2人は死刑、1人は無期懲役で、裁判員6人のうち4人が無期の判断なら無期になる。つまり裁判官3人だけだと死刑だが、裁判員が加わると無期。裁判官3人で決めた場合と、裁判員が加わった場合では結論が異なるのでは憲法違反の疑いがある。
 裁判員裁判で死刑を求刑されて11月1日に無期懲役の判決を出した「耳かきエステ」の裁判員は、報道によると「永山基準は裁判官による裁判のもの」と述べていた。しかし似た事実、犯情、情状なのに、死刑と無期に分かれるならば、公平な裁判を受ける権利を保障している憲法37条第1項「すべての刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」にも反する。
 裁判員の目的は裁判員法1条で「国民の理解の増進と信頼の向上」と定めている。最高裁や法務省が言う「国民の常識を裁判に反映させる」とは書いていない。国民に裁判への深い関心を持たせた意味は認めるが、逆を言えば、制度の目的はすでに達成されたといえ、この際廃止すべきだ。

終末期の人工栄養補給、中止可能に…学会指針案

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終末期の人工栄養補給、中止可能に…学会指針案
2011年12月5日(月)01:29
 高齢者の終末期における胃ろうなどの人工的水分・栄養補給は、延命が期待できても、本人の生き方や価値観に沿わない場合は控えたり、中止したりできるとする医療・介護従事者向けの指針案が4日、東京大学(東京・文京区)で開かれた日本老年医学会のシンポジウムで発表された。
 近年、口で食べられない高齢者に胃に管で栄養を送る胃ろうが普及し、認知症末期の寝たきり患者でも何年も生きられる例が増えた反面、そのような延命が必ずしも本人のためになっていないとの声が介護現場を中心に増えている。
 そこで、同学会内の作業部会(代表・甲斐一郎東大教授)が試案を作成した。広く意見を募って修正し、来年夏までには同学会の指針としてまとめるという。
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〈来栖の独白〉
 とても良い動きだと思う。切実に考えさせられていた課題。

米中を両天秤にかけていく政策を明らかにしたミャンマー

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米中を両天秤にかけていく政策を明らかにしたミャンマーを巡り、米中の攻防が浮上
現代ビジネス2011年12月05日(月)近藤大介
 11月30日、ミャンマーの新首都・ネビトー空港に降り立ったヒラリー・クリントン米国務長官は、ド派手なピンクのジャケットに、迎えた人々が仰天する中、誇らしげに高々と右手を振り上げた。それはまるで、振り上げた手の先にある陸続きの中国を、制圧するかのような仕草だった。
 11月のハワイAPEC(アジア太平洋経済協力会議)、インドネシアEAS(東アジアサミット)では、G2(アメリカと中国)が立て続けに直接激突し、東アジア諸国は両大国の角逐に翻弄された。日本を含む東アジアの多くの国々が、軍事的にはアメリカに依存し、経済的には中国に依存している。このため、前世紀の米ソ冷戦の構造と違って、米中どちらかの傘下に入るというわけにはいかないのである。
 ハワイAPECを終えたオバマ大統領は、ダメを押すかのように11月16日、インドネシアからオーストラリアへ飛び、南太平洋に面した北部ダーウィンに、2500人の米軍部隊を駐留させると発表。中国をさらに刺激した。中国国防部は11月30日に緊急記者会見を開き、「南太平洋での米軍駐留は、地域の平和を脅かす愚行だ」とアメリカを非難した。
 そして今回、ついにミャンマーにまでクリントン国務長官が足を運んだというわけである。1988年にいまの軍事政権に移行して以降、アメリカはミャンマーと国交を断絶しており、クリントン政権、ブッシュ・ジュニア政権と、経済制裁を強化してきた。ミャンマーは昨年11月に、軍事政権下で「多党制民主選挙」を実施したが、クリントン国務長官は「軍事政権主導の傀儡選挙」と歯牙にもかけなかった。
 それが一転して、56年ぶりとなる米国務長官のミャンマー電撃訪問となったのである。クリントン国務長官は、ミャンマー入りする直前に、「(ミャンマーの)資源漁りにしか興味のない国(中国)に、国家建設を助ける資格などない」と述べ、中国への敵愾心を剥き出しにした。
 そして12月1日、ネピトーの大統領府謁見の間で行われたテイン・セイン大統領との首脳会談では、「最近のミャンマーの民主化の動きには勇気づけられた」と笑顔を見せ、両国の国交回復と経済制裁の解除、オバマ大統領が近く訪問する可能性にまで言及したのだった。クリントン長官は翌2日には南部の旧首都ヤンゴンへ飛び、20年以上軟禁が続いた「民主化の象徴」アウン・サン・スーチー女史を囲む盛大な宴会を開き、政治的後押しを約束したのだった。
 こうしたアメリカの突然のミャンマーへのラブコールの目的はズバリ、中国包囲網の構築に他ならない。
 中国の外交関係者が怒りを震わせて語る。
「アメリカは、わが国の『新旧二つの生命線』を断とうと目論んでいるのだ。『二つの生命線』とは、中東からの原油を調達するルートに他ならない。一つは南シナ海の延長線上にあるマラッカ海峡で、このわずか幅2・4kmの海域を、わが国へ輸入される原油の8割近くが通ってくる。アメリカ軍のオーストラリア駐留は、このマラッカ海峡を威圧しようという狙いだ。
 わが国のもう一つの生命線が、新たなミャンマー・ラインだ。リスクのあるマラッカ海峡を通らずに中東からの原油を運べるよう、わが国は2013年に、ミャンマーから直接、雲南省へ原油と天然ガスのパイプラインを通すべく、工事を開始している。今回のクリントン国務長官のミャンマー訪問は、これに楔を打ち込もうという意図だ。つまり『新旧二つの生命線』を同時に塞ごうというもので、絶対に看過できない」
 中国のエネルギー政策について見ておこう。「富煤、少気、欠油」(石炭が豊富=全エネルギーの7割、天然ガスが少ない、原油に欠ける)が中国のエネルギー資源の特徴で、2010年の原油輸入量は、2億3930万t(前年比17・5%増)に上り、対外依存度は52%と過半数に達した。中国国内の原油産出量は、年間約2億tで頭打ちなので、毎年2割増しの海外からの調達が「使命」となっている。つまり2015年には、年間3億t以上の原油の輸入が必要となる。
 2010年の原油輸入国の内訳は、以下の通りである。
 1. サウジアラビア 4464万t(前年比6・9%増)
 2. アンゴラ 3938万t(同22・4%増)
 3. イラン 2131万t(同7・9%減)
 4. オマーン 1586万t(同35・1%増)
 5. ロシア 1524万t(同0・4%減)
 6. スーダン 1259万t(同3・3%増)
 7. イラク 1123万t(同56・8%増)
 8. カザフスタン 1005万t(同67・3%増)
 9. クウェート 983万t(同38・9%増)
 10. ブラジル 804万t(同98・3%増)
 一般に原油や天然ガスの埋蔵国は、独裁国家や政情不安定な発展途上国が多いため、中国はエネルギーの安定確保に、恒常的に悩まされている。加えて、上記の1、2、3、4、6、7、9がマラッカ海峡に依存しているため、マラッカ海峡をアメリカに封鎖されれば、巨竜の息の根は止まるわけである。
 そこで中国は21世紀に入って、マラッカ海峡に依存しない4つの新ルートを開拓してきた。それは、隣国から石油・天然ガスのパイプラインを直接引いて、国内に送る方法である。
 具体的には、次の通りだ。
 1. ロシア・ルート
 2. カザフスタン・ルート
 3. 中央アジア・ルート(トルクメニスタン→ウズベキスタン→カザフスタン→中国)
 4. ミャンマー・ルート
 1は、2011年1月に開通し、年間3000万tの原油と300億立法メートルの天然ガスの輸入を目指している。2は2006年7月に開通し、年間2000万tの原油の確保を目指す。3は2009年末に開通し、年間650億立法メートルの輸入が目標だ。
 そして中国がいま一番期待をかけているのが、2013年に開通予定の、4のミャンマー・ルートというわけだ。
「ミャンマー・ルートからは、年間2200万tの原油と120億立法メートルの天然ガスの輸入を目指すが、他のルートと異なって、中東からの原油も、このルートに乗せて直接、中国へ運べる。起点となるミャンマーのキャウキュピュ港から昆明(雲南省の省都)まで、約1700kmが、マラッカ海峡に代わる新たな生命線となる。これまでミャンマーとの関係に腐心してきたのは、ひとえにこのラインの確保のためと言っても過言でない」(前出・中国の外交関係者)
 中国とミャンマーは、2210kmに及ぶ国境線を持ち、古代から幅広い交易を持ってきた。そんな中、中東からの原油をミャンマー経由で運ぶという構想は前世紀からあったが、本格的に中国とミャンマーで交渉に入ったのは、胡錦濤政権が発足した翌2004年のことだ。以後、中国はミャンマー最大の投資国に躍進し、2011年7月時点で、海外からの投資総額の44%を中国が占める。ミャンマーが2006年に、インド洋沿いのヤンゴンから中国との国境に近いネピドーに遷都した際にも、中国は首都建設に大きく貢献した。
 さらに2009年12月に、習近平副主席がミャンマーを訪問した際には、中国国境近くのミソン水力発電所の建設を、中国が受注した。2017年の完成を目指して、ミャンマー最大となる600万kwの巨大ダムを建設することになったのだ。
 2010年6月には、両国の国交正常化60周年を記念して、温家宝首相がミャンマーを訪問。前述のパイプラインを始めとするインフラ建設など、15項目の大型提携に合意したのだった。同年9月には、国家平和発展委員会のタン・トゥアン委員長(当時のミャンマー・トップ)が訪中し、胡錦濤主席と会談。中国を後ろ盾として同年11月にはミャンマー総選挙が行われ、政権党が圧勝した。この年の中国とミャンマーの貿易額は、前年比53・2%増の44・4億ドルに達した。
 2011年3月に、ミャンマーにテイン・セイン大統領を首班とする新政権が発足。テイン・セイン大統領は5月にまずは中国を訪問し、胡錦濤主席らに挨拶を済ませた。
 だが、この両国関係に楔を打ち込みたいアメリカは、水面下でこの新政権と接触を始める。9月には、オバマ大統領が新設したミッチェル・ミャンマー問題特使を5日間も派遣。同月29日には、アメリカとミャンマーの初の政府間高官協議をニューヨークで開催した。
 そしてその翌30日、テイン・セイン大統領が突如、「環境問題と、立ち退きに伴う少数民族の感情を考慮して、私の在任期間中は、ミソン水力発電所の計画を見合わせる」と発表したのだった。中国にとってはまったく寝耳に水の話だった。
 11月16日、衝撃の第二波が走った。ミャンマー大統領府のザウ・フタイ長官が、『ワシントン・ポスト』紙に、「東南アジアにおけるミャンマーとワシントンの新戦略の選択」と題した長文の論文を掲載したのだ。私も全文に目を通したが、そこには仰天の内容が書かれていた。
 〈 ワシントンは、アジア太平洋の重要性を十分認識すべきである。今日この地域で起こっている地理的政治的状況、特に中国の台頭に対処するには、ワシントンにはミャンマーが必要ではないのか。テイン・セイン大統領の先のミソン・ダムのキャンセルの発表は、今後われわれがどう世界に対処していくかを世界に示したものだ。アメリカがこのシグナルを無視するなら、ワシントンはインドシナ海域でのチャンスを逸するであろう。
 ミャンマーはこの間、多くの改革を行ってきており、昨年11月には多党制の総選挙を実施し、テイン・セイン大統領は改革派の旗手だ。中国が北京オリンピックを踏み台にして世界に羽ばたいていったように、ミャンマーも2014年のASEAN(東南アジア諸国連合)の議長国を踏み台にして世界に羽ばたいていく 〉
 ミャンマーはこのように、米中を両天秤にかけていく政策を明らかにしたのだった。
 これを受けて、11月20日のEASで、クリントン国務長官はミャンマー訪問を電撃発表したのである。アメリカはまた、ミャンマーの悲願である2014年のASEAN議長国についても、賛意を表した。
 逆に中国は、ついにミャンマーに対する堪忍袋の緒が切れた。11月28日、これまでミャンマー問題に深く関わってきた習近平副主席が、ミャンマー軍トップのミン・アウン・ライン国防軍総司令官を北京に呼びつけ、「事情聴取」に及んだのだった。ミン司令官は、「クリントン国務長官の訪問はあくまでも形式的なもので、中国との友好の伝統が揺らぐことはないし、パイプライン建設も継続する」と釈明した。
 パイプライン建設は、「第二のミソン・ダム」となるのか。ミャンマーを巡る米中の攻防は、今後の米中のアジア権益の雌雄を決する重要なポイントに浮上してきた。
*近藤 大介
 (こんどう・だいすけ) 1965年生まれ。埼玉県出身。東京大学卒業後、講談社入社。『月刊現代』副編集長、『週刊現代』副編集長などを経て、現在は講談社(北京)文化有限公司副総経理。2008年より2009年まで、明治大学講師(東アジア論)。『日・中・韓「準同盟」時代』、『東アジアノート』他、著書多数。

五木寛之著『親鸞』と「欧米人を魅了する仏教の秘密 信じる宗教から目覚める宗教へ」(ケネス・田中氏)

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五木寛之著『親鸞』328回 2011/12/03 Sat.
〈末尾のみ転写〉
「では、妻のスズが申していたことをお話しいたします。念仏をとなえるのは、自力の行ではない。念仏というのは阿弥陀如来からいただいたものであるといつも教わっているのだが、いまひとつ、その意味がわからない、と」
 平次郎の言葉に、親鸞は微笑してうなずいた。

五木寛之著『親鸞』329回 2011/12/04 Sun.
「もし嵐で船が難破したとする。逆巻く波の夜の海で、おぼれそうになっているときに、どこからか声がきこえた。すくいにきたぞ!おーい、どこにいるのだー、と、その声はよんでいる。さて、そなたならどうする、平次郎どの」
 親鸞にきかれて、平次郎はこたえた。
「ここにいるぞ!、おーい、ここだ、ここだ、助けてくれー、と声をあげるでしょう」
「そうだ。真っ暗な海にきこえてくるその声こそ、阿弥陀如来がわれらに呼びかける声。その声に応じて、ここにおります、阿弥陀さま! とこたえるよろこびの声が南無阿弥陀仏の念仏ではあるまいか。この末世にわれらが生きるということは、春の海をすいすいと渡るようにはいかない。わたし自身も、これまで何度となく荒れ狂う海の波間で、自分の信心を見失いそうになったことがある。(略)それが他力の念仏であろう。(略)いただいた念仏、というのは、そういうことではないだろうか」
「では、わたくしどもに呼びかけられる阿弥陀如来のその声は、いつでも、だれにでも、きこえるものなのでしょうか」
(略)
「いや」
 親鸞は首をふった。
「いつでも、だれにでも、というわけにはいくまい。波間にただようわれらをすくわんとしてあらわれたのが、阿弥陀如来という仏だと、一筋に固く信じられるかどうかにかかっているのだ。信じれば、その声がきこえる。信じなければきこえないだろう」
「では、まず、信があって、そして念仏が生まれるということでございますか」
 と、頼重房が鋭い声できいた。
「そう思う」
 と、親鸞はいった。
「しかし、目に見えないものを信じるということは、まことにむずかしい。しかも、いったん信をえても、それはしばしば揺らぐものだ。そのとき念仏が、見失いそうになった信を呼びもどしてくれるのではないか。信が念仏を生み、念仏が信をささえるのだ。いまのわたしには、それしかいえない」

五木寛之著『親鸞』330回 2011/12/05 Mon.
〈前段 略〉
「その、本当の信とやらを得るためには、どうすればいいのでございますか」
〈略〉
「いまのわたしに、わかっていることは、まことの信を得るために自分自身をみつめることの大事さだ。このわが身の愚かさ、弱さ、頼りなさ、それをとことんみつめて納得すること。それができれば、おのずと目に見えない大きな力に身をゆだねる気持ちもおきてくるのではあるまいか」
〈後半 略〉
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〈来栖の独白〉
 日々、愉しみにして読んできた『親鸞』。おそらく、今月で完結するのだろう。そんな気がする。一昨昨日(12月3日)、中日新聞でケネス・田中さんの「欧米人を魅了する仏教の秘密 信じる宗教から目覚める宗教へ」を読んだ。以下のような箇所があり、新鮮に映った。
 “キリスト教から仏教へ改宗した人たちに尋ねると、キリストの復活を「信じる」ことより、煩悩による誤った見方を是正して自らが「目覚める」ことを究極の目的にする仏教の考え方の方が魅力的だと答える人が実に多い。”
 正直なところ、私のような不信心なカトリック信徒には、イエスの復活は、なかなかに信じ難い。そのような私であるが、イエスに強く惹かれてきた。イエスの言葉(みことば)に支えられてきた。イエスのみことばに則って、進む道を決断したことも幾度もあった。
 親鸞(五木寛之氏)は云う、「いまのわたしに、わかっていることは、まことの信を得るために自分自身をみつめることの大事さだ」と。ケネス・田中氏によって、考えてみる。イエスも、私たちに「あなたは誰ですか。何を見て生きていますか」と問うているのではないかと。
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欧米人を魅了する仏教の秘密 信じる宗教から目覚める宗教へ2011-12-04 | 仏教・・・/親鸞/五木寛之
 2011年12月3日Sat.中日新聞夕刊 ケネス・田中
 十月に亡くなった、アップル社の創立者スティーブ・ジョブズ氏は、仏教に深くひかれていた。曹洞宗の知野弘文老師に師事し、長年座禅に取り組んでいた。老師に自分の結婚式の司祭を頼んだそうで、いかに仏教に魅了されていたかがうかがえる。
 氏にとどまらない。米国には、日本で衆知の有名人に仏教徒が多い。俳優リチャード・ギア、歌手ティーナ・ターナー、ゴルフ選手タイガー・ウッズの各氏らだ。2006年の選挙では、米国の国会議員として初めて2人の仏教徒が登場した。その1人は南部ジョージア州の黒人政治家である。
 有名人だけではない。現在、米国の仏教徒は約3百万人を数え、全米人口の1%に当たる。ヨーロッパでも約100万人いる。中でも最も多くの仏教徒があらゆる宗派の下に集まっているのがロサンゼルスで、百近い宗派が軒を並べ共存している。
 米国の仏教徒の内訳は、もともとのアジア系仏教徒と、成人して改宗した仏教徒が約半数ずつを占める。改宗者をさらに分類すると、約10万人が創価学会、残る約140万人が禅か、上座部(タイ、ミャンマー、カンボジアなどの仏教)か、チベット仏教に所属している。
 この他、自分が「仏教徒」と断言はせずに仏教に通じ、真摯にそれを実践する「仏教同調者」もかなりの数に上る。(略)
 これに加え、「仏教に何らかの重要な影響を受けた」と答えた人が、07年調査で約2千5百万人いる。これらを合計すれば、米国人口の10%、約3千万人に及び、驚くべき数の人が仏教の影響を受けていることになる。
 もちろん、キリスト教徒と比べれば、仏教徒の数はまだマイナーだ。しかし、伸び率だけに注目するなら、キリスト教徒をはるかに上回る。(略)この勢いでいけば、数十年後には、もっか米国第2位の座にいるユダヤ教徒を追い抜き、仏教が第2位の宗教となる可能性が高い。
 では、彼らが仏教に魅了される原因はどこにあるのか。ダライ・ラマの絶大なる世界的人気や、米国の場合、65年の移民法改正によりアジア諸国から多くの仏教指導者が渡米してきたことなどが挙げられる。
 だが、私は、最大の理由は仏教の本質にあるとみる。彼らは、仏教を「信じる宗教」(religion of faith)ではなく、「目覚める宗教」(religion of awakening)と、とらえているのだ。
 キリスト教から仏教へ改宗した人たちに尋ねると、キリストの復活を「信じる」ことより、煩悩による誤った見方を是正して自らが「目覚める」ことを究極の目的にする仏教の考え方の方が魅力的だと答える人が実に多い。キリスト教などには、立派な教義があるが、その教えを体験する方法が明確ではないのに対し、仏教は誰もが日々実践できる瞑想などを通して実際に教えを体験できることにひかれると話す。
 どの宗教でも経典を信じ指導者を信頼することは大事である。仏教徒にもこれは必須ではあるが、仏教徒の最終目的は信じた後の「目覚め」である。つまりブッダ(目覚めた者)になることこそが最重要なのだ。欧米ではジョブズ氏のように多くがこの「目覚める宗教」に魅了されている。ただ単に教えのみを信じ込む従来型の宗教形態が、欧米のような先進国では崩れ始めているといえる。
 この現象は、アジアの先進国、日本でも始まっている。スリランカ出身のスマナサーラ長老の下へ最近多くの日本の若者が瞑想指導を求めて集まっている。彼らは従来型のただ願ったり信じたりする宗教では満足が得られず、個人の「目覚め」に重きをおく仏教に魅入られるのである。
<筆者プロフィール>
けねす・たなか
 1947年、山口県生まれ。米国籍。58年、日系2世の両親と渡米。スタンフォード大卒。東京大学修士課程修了。哲学博士。98年から武蔵野大教授。専攻は仏教学・アメリカ仏教。日本語の主著『アメリカ仏教』『真宗入門』など。

「大阪母子殺害事件」森健充被告 差し戻し審結審 判決は2012年3月15日

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大阪母子殺害、差し戻し審判決は来年3月 無罪の可能性も
産経ニュース2011.12.5 17:24
 大阪市平野区で平成14年4月にマンション一室が全焼し、主婦=当時(28)=と長男=同(1)=の遺体が見つかった母子殺害放火事件で、殺人などの罪に問われ、1審無期懲役、2審死刑の判決をいずれも最高裁が破棄した大阪刑務所刑務官、森健(たけ)充(みつ)被告(54)=休職中=の差し戻し審第12回公判が5日、大阪地裁(水島和男裁判長)で開かれた。
 検察側は差し戻し前の1審と同様、死刑を求刑。これに対し弁護側は改めて無罪を主張し、結審した。判決は来年3月15日に言い渡される。
 森被告と犯行とを結びつける直接証拠はなく、最高裁は昨年4月、「事実誤認の可能性がある」と審理を地裁に差し戻した。戦後、最高裁が同様に死刑判決を破棄し、審理を差し戻した6件の事件ではいずれも無罪が確定しており、森被告にも無罪が言い渡される可能性がある。
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「大阪母子殺害事件」森健充被告 差し戻し審 5日結審/検察=決め手欠く新証拠2011-12-04 | 死刑/重刑/生命犯 問題

小沢一郎氏「民主党を立て直したい」/稲田朋美議員、小沢元代表と高橋元秘書の証人喚問を訴え

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小沢氏「民主党を立て直したい」
産経ニュース2011.12.5 23:00
 民主党の小沢一郎元代表は5日夜、都内の中華料理店で、自身に近い谷亮子氏ら参院議員9人と会食し、「国民の生活を守るために民主党を立て直したいと心の底から思っている」と述べた。野田佳彦首相が意欲を見せる消費税増税については「議論をせずに決めてしまう」と批判し、「マニフェスト(政権公約)を堅持していくことが重要だ」と持論を展開した。
 会合では、参院の小沢グループに所属する一川保夫防衛相の進退問題は話題に上らなかったという。
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小沢元代表「民主党立て直したい」
日本経済新聞2011/12/5 22:46
 民主党の小沢一郎元代表は5日夜、都内の中国料理店で自らに近い参院議員約10人と懇談した。出席者によると、元代表は「民主党を立て直したいと心から思っている」と力説。「政権交代の時に国民に約束したマニフェスト(政権公約)を堅持していくことが重要だ」などと訴えた。
 野田佳彦首相が意欲を示す消費増税については「議論や努力を重ねず、なんのために財源を作るのか、どのように財源を作っていくかが明確ではない」と批判した。
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天の声欲しさに競って小沢氏へ献金 稲田議員
サーチナ【政治ニュース】2011/12/05(月)20:56
 政治と金の問題が5日の衆議院予算委員会で取り上げられ、(自民党)が小沢一郎元民主党代表と小沢氏の元秘書・高橋嘉信氏を証人喚問するよう求めたのに対し、野田佳彦総理(民主党代表)は「小沢元民主党代表については現在、公判中であり、(小沢氏自身が)法廷の場できちっと説明されるべきだと思う。その動きを注視していきたい。高橋氏についても証人喚問の話が出ましたが、これは国会の方で議論いただければと思う」と述べるに留まった。
 稲田議員は「小沢元民主党代表の『天の声』欲しさに業者が競って献金していることが分かった」と小沢氏の証人喚問の必要を強く訴えた。
 中井洽予算委員長は稲田議員が小沢元民主党代表と高橋元秘書を証人喚問するよう求めたのに対し「小沢氏への証人喚問については議論を続けている。高橋氏については今回初めて出されたので、理事会で協議していく」と答えた。(編集担当:福角忠夫)
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〈来栖の独白2011/12/05〉
>稲田議員は・・・・「小沢元民主党代表の『天の声』欲しさに
>高橋元秘書を証人喚問するよう求めた
 とんだお笑い草。元秘書・高橋嘉信氏が「(検察にとって)有利なもの」を持っているなら、検察は石川知裕さんなどではなく、高橋氏をとっくに引っ張っていただろうし、検審やマスコミなどへ「お願い」せずに、自分たち(検察)で起訴できただろう。
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「小沢一郎氏を国会証人喚問」の愚劣2011-10-20 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 国会証人喚問の愚劣 田中良紹の「国会探検」  
 新聞が民主主義の破壊者である事を示す論説を読んだ。10月17日付朝日新聞の若宮啓文主筆による「検察批判は国会でこそ」という論説である。
 初公判を終えた小沢一郎氏が記者から国会の証人喚問に応ずるかと問われ、「公判が進んでいる時、立法府が色々議論するべきでない」と語った事を批判し、「公判で語った激しい検察批判は、国会で与野党の議員たちにこそ訴えるべき」と主張している。
 この主筆は、国会がこれまで繰り返してきた証人喚問の愚劣さ、それが日本の民主主義を損ねてきた現実に目をつむり、証人喚問を「議会制民主主義」を守る行為であると思い込んでいるようだ。政治の現実からかけ離れた論説を読まされる読者は哀れである。
 国会の証人喚問が脚光を浴びたのは1976年のロッキード事件である。テレビ中継の視聴率は30%を越えた。喚問された小佐野賢治国際興業社主は「記憶にございません」を連発してそれが流行語になった。3年後のグラマン事件では喚問された海部八郎日商岩井副社長の手が震えて宣誓書に署名できず、喚問を公開する事の是非が議論された。
 そもそも証人喚問は国政調査権に基づいて行なわれるが、行なうには全会一致の議決が原則である。それほど慎重にすべきものである。容易に証人喚問が出来るようになれば、多数党が野党議員を証人喚問し、場合によっては偽証罪で告発できる。国民から選ばれた議員を国会が政治的に潰す事になれば国民主権に反する。民主主義の破壊行為になる。 
 また証人とその関係者が刑事訴追を受けている場合、証人は証言を拒否する事が認められている。つまり司法の場で裁かれている者は証人喚問されても証言を拒否できるのである。従って司法の場で裁かれている証人を喚問しても真相解明にはならない。真相解明はあくまでも司法に委ねられる。
 それではなぜ刑事訴追された者まで証人喚問しようとするのか。大衆受けを狙う政党が支持率を上げるパフォーマンスに利用しようとするからである。これまで数多くの証人喚問を見てきたが、毎度真相解明とは無縁の単なるパフォーマンスを見せられてきた。しかし大衆にとっては、いわば「お白洲」に引き出された罪人に罵詈雑言を浴びせるようなうっぷん晴らしになる。かつて証人喚問された鈴木宗男議員や村上正邦議員は喚問には全く答えず、ひたすら野党とメディアによる批判の儀式に耐えているように見えた。
 証人喚問には海部八郎氏の例が示すように人権上の問題もある。日本が民主主義の国であるならば証人の人権を考慮するのは当然だ。リクルート事件で東京地検特捜部が捜査の本命としていたのは中曽根康弘氏だが、野党が国会で中曽根氏の証人喚問と予算とを絡ませ、審議拒否を延々と続けていた時、中曽根氏が頑として喚問に応じなかったのは人権問題であるという主張である。
 野党と中曽根氏の板ばさみとなった竹下総理は証人喚問のテレビ撮影を禁止する事にした。そのため証人喚問は静止画と音声のみのテレビ中継になった。その頃、アメリカ議会情報を日本に紹介する仕事をしていた私に、自民党議員からアメリカではどうなっているのかと聞かれた。調べてみると、アメリカでは証人の意志で公開か非公開かが決まる。真相究明が目的なら非公開でも全く問題はないはずである。しかし証人が自分を社会にアピールしたければ公開にする。なるほどと思わせる仕組みであった。
 ところが日本では「真相究明」は建前で「本音はパフォーマンス」である。非公開になると証人喚問を要求した政党も、ここぞとばかり証人を叩きたいメディアも、うっぷんを晴らしたい国民も納まらない。「何でオープンにしないのか」、「それでは民主主義じゃない」と、滅茶苦茶な論理で見世物にしようとする。いつもその先頭に立ってきたのが民主主義の破壊者たるメディアなのだ。
 中曽根氏の抵抗で国会の証人喚問は静止画放送となった。民主主義国でこんなグロテスクな放送をする国があるだろうかと呆れていると、あちこちから批判されて再びテレビ撮影は認められるようになった。しかしアメリカのようにはならない。違いは公開か非公開かを決めるのが証人ではなく委員会なのである。なぜ証人の意志が無視されるのか。人権的配慮と民主主義についての認識がアメリカ議会と日本の国会では全く違う。
 この違いをうまく利用してきたのが検察であり官僚機構である。本来ならば政治にコントロールされるべき存在が、コントロールされずに、国民と一体であるはずの政治を国民と対立させる事が出来た。リクルート事件が顕著な例だが、違法ではない「未公開株の譲渡」を、朝日新聞が「濡れ手で粟」と報道して大衆の妬みを刺激し、次いで譲渡された政治家の名前を小出しにして大衆の怒りを増幅し、そこで「国民が怒っているのに何もしない訳にはいかない」と捜査に乗り出したのが検察である。メディアと検察が一体となって政治を叩いた。まるでそれが民主主義であるかのように。
 『リクルート事件―江副浩正の真実』(中央公論新社)を読むと、江副氏は検察から嘘の供述を強要され、その供述によって次代の総理候補であった藤波孝生氏やNTT民営化の功労者である真藤恒氏などが訴追された。この事件がどれほど日本政治を混乱させ、弱体化させたかを、当時政治取材をしていた人間なら分かるはずである。
 政治の弱体化は相対的に官僚機構を強化させる。野党が「ええ格好」する証人喚問と法案審議を絡ませれば、法案を吟味する時間はなくなる。官僚機構が作った法案は厳しくチェックされることなく通過していく。そうした事をこの国の国会は延々と繰り返してきた。国政調査や真相解明は建前で、パフォーマンスで大衆に媚びる政治がどれほど議会制民主主義を損ねてきたか、国民は過去の証人喚問の惨憺たる事例を見直す必要がある。
 朝日新聞の主筆氏は「検察や法務省権力が議会制民主主義を踏みにじったというなら、小沢氏は証人喚問に応じてそこで国会議員に訴えるべきだ」と述べているが、その主張はこれもアメリカ議会の人権や民主主義の感覚とかけ離れている。小沢氏の一連の事件でまず国会に喚問されるべきは小沢氏ではなく検察当局である。国民主権の国ならばそう考えるのが常識である。
 国民の税金で仕事をさせている官僚を監視し監督をするのは国民の側である。それを国民の代表である政治家に託している。その政治家に対して捜査当局が捜査を行なうと言うのであれば捜査当局には「説明責任」が生ずる。だから前回も書いたが、クリントン大統領の「ホワイトウォーター疑獄」で議会に喚問されたのは大統領ではなく捜査に当った検察官なのである。適切な捜査をしているかどうかが議会から問われる。
 小沢事件で国会が喚問を行なうなら、検事総長を証人に、なぜ選挙直前に強制捜査をする必要があったのか、事前に「検察首脳会議」を開いて決めたのか、巷間「若手検事の暴走」と言われているのは何故か、容疑の妥当性はどうかなどを国会が問い質せば良い。実際、西松建設事件が起きた直後にアメリカ人政治学者は検察こそ国会で「説明責任」を果たすべきだと指摘した。
 民主主義政治を見てきた者ならばそれは当然の反応である。「説明責任」を果たすべきは政治家ではなく官僚なのである。ところがこの時に検察は「すべては裁判で明らかにする」と言って国会での「説明」を拒否した。
 それならば小沢氏も裁判で明らかにすれば良い。証人喚問を求められる事自体がおかしい。それをこの国のメディアも国会議員も理解できない。ともかくこれは極めて政治的な色彩の強い事件である。従ってこの事件に対する反応の仕方で民主主義政治に対する姿勢が分かる。つまりリトマス試験紙になる。今回の朝日新聞の論説はそれを見事に示してくれた。この新聞は官僚の手先で国民主権を冒涜するメディアなのである。
投稿者: 田中良紹 日時: 2011年10月19日 22:08 *リンクは来栖 
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小沢一郎裁判=「官僚支配に従う者」と「国民主権を打ち立てようとする者」とを見分けるリトマス紙である2011-10-10 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
 リトマス試験紙  田中良紹の「国会探検」日時:2011年10月9日
 小沢裁判は、明治以来の官僚支配に従う者と、日本に国民主権を打ち立てようとする者とを見分けるリトマス試験紙である。裁判の結果とは別に、誰が官僚の手先で民主主義を破壊する者かがあぶり出される
 初公判での小沢一郎氏の陳述は、私がこれまで書いてきた事と軌を一にするものであった。私が書いてきたのは以下の事である。事件は政権交代を見据えてその推進力である小沢氏の政治的排除を狙ったものである。しかし十分な材料がないため捜査は無理を重ねた。目的は有罪にする事ではなく小沢氏の排除であるから、メディアを使って無知な大衆を扇動する必要がある。大衆に迎合する愚かな政治家が小沢排除の声を挙げれば目的は達する。
 民主主義国家における検察は、国民の代表である国会議員の捜査には慎重の上にも慎重を期さなければならない。それが国民主権の国の常識である。国家機密を他国に売り渡すような政治家や、一部の利益のために国民に不利益を与えた政治家は摘発されなければならないが、その場合でも国民が主権を行使する選挙の前や、政治的バランスを欠いた捜査をやってはならない。民主主義の捜査機関にはそれが課せられる。
 ところが一昨年、小沢氏の秘書が突然逮捕された「西松建設事件」は、政権交代がかかる総選挙直前の強制捜査であった。しかも政治資金収支報告書の記載ミスと言えるのかどうか分からないような容疑での逮捕である。これで逮捕できるならほとんどの国会議員が摘発の対象になる。そんな権限を民主主義国家が捜査機関に与えて良い筈がない。
 しかも捜査のやり方が極めて異常であった。かつて私が東京地検特捜部を取材したロッキード事件も奇怪な事件で、事件の本筋とは言えない田中角栄氏が逮捕され、国民は「総理大臣の犯罪」と思い込まされたが、それでも当時は手順を踏んだ捜査が行なわれた。ところが今回は国会議員に関わる事件であるのに検察首脳会議を開かず、「若手検事の暴走」という前代未聞の形での着手である。
 それほどの異常な捜査を新聞もテレビも追及する側に回らず擁護する側に回った。平均給与が全産業を上回るほど利益追求に走った新聞とテレビは、国税や検察がその気になれば、脱税などの犯罪で摘発される可能性があり、財務省や検察を批判する事など恐ろしくて出来ないからだろう。
 そして案の定、愚かな政治家が「政治的道義的責任」などと騒ぎ出し、国民生活のために議論しなければならない国会の審議時間を削るような事を言い出した。「国会で国民に説明責任を果たせ」と言うのである。そんな馬鹿な事を言う政治家が世界中にいるだろうか。「説明責任(アカウンタビリティ)」とは会計用語であり、国民から預った税金の使い道について「官僚には説明する責任がある」という意味である。
 前にも書いたが、アメリカのクリントン大統領には「ホワイトウォーター疑惑」と呼ばれるスキャンダルがあった。アーカンソー州知事時代に不動産業者に便宜を図って違法な献金を受けた疑惑である。事件が発覚した後に自殺者も出た。特別検察官が選ばれて捜査が開始された。しかしクリントン大統領に「議会で国民に説明しろ」などという声は上がらない。議会が喚問したのは検察官である。議会は行政府をチェックするところであるからそれが当たり前だ。説明責任があるのは政治家ではなく検察官僚なのである。それが日本では逆転している。
 日本の捜査機関は国会に呼ばれてもろくに答弁しない。「捜査中につきお答えできない」で終わる。サリン事件が起きた時、日本の警察は国会でそう言って答弁を拒否したが、同じ頃にアメリカ議会ではFBI、CIAが議会に喚問され、アメリカ国内でのオウム真理教の活動について捜査内容を証言させられた。そのビデオテープを自民党議員に見せたら「うらやましい」と言った。日本の国会は行政府に舐められているのである。
 「ホワイトウォーター疑惑」に関わったとされるヒラリー夫人は大陪審に喚問されて証言した。しかし議会には喚問されない。司法が追及している時に、議会が同じ事をやる意味はないし、議会にはそんな暇もない。ところがこの国では不思議な事が続いてきた。何かと言えば「国会で証人喚問しろ」と言うのである。それがどれほど意味のないバカバカしいパフォーマンスであるかを、政治家はイヤというほど見てきた筈だ。
 ところが今回も野党の党首クラスが揃いも揃って「証人喚問」などと騒いでいる。全く学習効果のない哀れな連中である。ロッキード事件以来続けられてきた「政治とカネ」のスキャンダル追及ほど民主主義政治の足を引っ張ってきたものはない。国民の税金の使い道を徹底して議論しなければならない予算委員会で、日本の政治は肝心要の事をやらずに政治家のスキャンダル追及に力を入れてきた。大衆に気に入られたいためである。
 下衆(げす)な大衆は権力者の凋落を見るのが何より楽しい。それが自らの生活を貶める事になるとは思わずに「やれ、やれ」となる。直接民主制であった古代ギリシアでは有能な政治家ほど大衆から妬まれて追放された。偉大な哲学者ソクラテスは愚かな大衆から死刑判決を受けた。ギリシアの民主主義は長く続かなかった。民主主義は厄介なもので、大衆が政治や裁判を直接左右すると民主主義は潰れるのである。それが歴史の教訓である。
 明治以来の官僚支配の背景にも官僚勢力とメディアによる大衆の扇動があった。政党政治家の原敬が暗殺され、反軍演説をした斉藤隆夫が衆議院から追放され、田中角栄が「闇将軍」となった背景にもそうした事情がある。
 小沢陳述はそうした過去にも触れつつ、検察権力の横暴と議会制民主主義の危機を訴えた。しかしそれに対するメディアの反論は、「検察が不起訴としたのに検察を批判するのは筋が違う。起訴したのは検察審査会だ」とか、「4億円の出所を言わないのはおかしい」という瑣末なものである。
 すべての問題の発端を作ったのは検察で、目的は小沢氏の政治的排除にあるのだから、そもそも不起訴にして大衆の扇動を狙っていた。従って乗せられた方ではなく乗せた方を批判するのは当然である。また自分の財布の中身をいちいち説明しなければならない社会とはどういう社会なのか。それが違法だと言うなら、言う方が違法性を証明しなければならない。それが民主主義社会のルールである。「政治家は公人だから」と言ってあらゆる責めを負わせるのは、国民主権を嫌う官僚の昔からのやり口である。
 ともかく初公判後の記者会見で小沢氏は検察とメディアに対し闘争宣言を行なった。潰れるか潰されるかの戦いを宣したのである。検察もメディアも引けないだろうが、不起訴処分にした検察は既に一歩後ろに退いており、前面に立つのは司法とメディアである。
 行政権力の手先だと世界から見られている日本の司法とメディアがこの戦いにどう対抗するのか。小沢氏を潰そうとすればするほど、民主主義の敵に見えてくるのではないかと私には思える。

党内野党化する「小沢一郎氏」=メディアによって悪役のイメージが作られ、国民の頭にすり込まれた政治家

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記者の目:「党内野党」化する小沢元代表=葛西大博(政治部)
 ◇当事者として火中のクリ拾って
 この政治家はこれから先、日本をどうしようとしているのか。政権交代という目標を達成した今、民主党の小沢一郎元代表が次に目指しているものが見えない。政治資金規正法違反(虚偽記載)での公判を抱える元代表は、消費税率の引き上げや環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加を巡り、政権批判を繰り返している。日本の未来を左右する政策課題に対し、党の実力者でありながら、いつまでも「党内野党」のままでいいのか。
 12月1日夜、小沢元代表は東京都内であったグループ議員のパーティーに2件出席した後、都内の日本料理屋でグループ議員たちと飲食した。外で待っていた私たち番記者に対し、元代表は何も語らない。その後、いつものように側近議員が会合での元代表の発言を紹介した。いわく、「2年前に自分たちが掲げたマニフェスト(政権公約)は、今の野田政権がやろうとしていることではない」。
 元代表と私たちとのコミュニケーションは、ほとんどこうした「間接話法」で行われる。本人が語らず、周辺が「小沢先生はこう考えている」「小沢先生がこう話していた」と発信するのがいつものスタイルだ。そして、最近の元代表の発言のほとんどは政権批判であり、政権党である民主党が今なお「一枚岩」になり切れないことを国民に印象づけている。
 ◇政権交代目指し進退かけた迫力
 私が元代表の番記者につくのは2度目だ。最初は5年前の06年10月から1年間。当時はまだ野党だった民主党の代表だった。今でも忘れない元代表の一言がある。政権交代の足がかりとなった07年7月の参院選の直前だった。参院選で野党が過半数を取れなかった場合の政治責任を記者団に問われると、元代表はこう話した。
 「多くの皆さんが今の政治に批判をし、将来に不安を抱いている。万一、結果が出なかった場合は、私が政治の場で働く余地はもうない。そういう決意でこの選挙に臨んでいる」。政界引退まで示唆した発言に、政権交代にかける強い決意と迫力を感じた。
 しかし昨年10月、再び元代表担当になり、政権交代前との「落差」に驚いた。特に最近の発言は党代表経験者でありながら、まるで党内野党のようだ。若手議員を集めた会合で、次期衆院選への危機感をあおり、政権批判へと導く。国会議員として当選14回。勤続42年という経歴を持ちながら、党の政策決定にほとんど生かされていない。
 もちろん、政治資金規正法違反での強制起訴を受けて党員資格停止中であり、党中枢で十分、力を発揮できない側面はあるだろう。しかし、輿石東幹事長を筆頭に民主党執行部や閣僚に元代表と近い人物は何人もおり、自らの考えを政策に反映させることは可能なはずだ。持論の行財政改革による無駄削減のために、目立った行動を起こす様子がないのも寂しい。
 特に野田佳彦首相が掲げる消費増税は当面の最大の政策課題だが、元代表は反対の姿勢を鮮明にしている。11月19日のインターネット番組では、消費増税について「今やるということは反対だ。行財政の抜本的改革をやらないで、お金がないから消費税というのは国民に対する背信行為だ」と批判。消費増税を含めた税と社会保障の一体改革を巡り、消費税の引き上げ時期と税率について、年内の取りまとめを目指す野田首相を強くけん制した。
 93年出版の自著「日本改造計画」で、元代表は所得税・住民税は半分にして、3%(当時)の消費税を10%にすることを主張した。その後、94年の細川政権時代の「国民福祉税」構想が失敗し、増税発言は控えるようになった。しかし、将来的に消費増税が必要なことは、今でも元代表自身、認めている。
 ◇「行革で財源」の具体策提示を
 野田政権が消費増税に取り組むのは、このままでは年金や医療など社会保障サービスを維持できず、財政再建を先送りできないとの危機感からだ。元代表が言うように「行財政の抜本改革を本気になってやれば、一定の財源は出る」のなら、自ら取り組み、結果を示すべきだ。マスコミを通じて間接的に批判をするのではなく、直接、野田首相に会って、自らの財源捻出策を伝えればいい。
 現在69歳の元代表の政治生命は、それほど長くはないと思う。このまま負の印象が強いまま引退して、本人はいいのだろうか。批判だけを並べるのではなく、政府・与党内の議論をまとめる立場に立ってほしい。当事者として火中のクリを拾い、泥をかぶるべきだ。それこそが元代表の口癖である「最後のご奉公」につながると思う。
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ニコニコニュース 小沢一郎記者会見 一問一答2011-01-28 |


ニコニコニュース【速報】小沢一郎記者会見 一問一答 NCN 1月27日(木)18時13分配信
 近く強制起訴される見通しの小沢一郎・元民主党代表が、2011年1月27日、「フリーランス・雑誌・ネットメディア有志の会」の主催により記者会見を開いた。
司会・フリーランス 上杉隆(以下、上杉):小沢さんは1993年に自由党を立ち上げた時に会見をフルオープンにした。その後、新進党、自由党、民主党になってからも一貫してオープンで、フリーランス、海外メディア、雑誌、インターネットなどの媒体にもきちんとした形で色々な話しをしている。その中で93年の同じ時期、記者会見会見は「サービスだ」と言ったと報道されたが、その真意は。
小沢一郎(以下、小沢):その言葉が一人歩きしまして、長くマスコミの皆さんから批判されたのですが、我々の仕事も、政治家も、あるいは行政も、国民の皆さんに対するサービス。それをできるだけ国民の皆さんのためにやるということではないかと。そういう意味で、公共サービスは色々な使い方をされているけれど、それが、「してやってやる」というように捉えられたのが誤解の元ではないか。
上杉:記者会見というのは公的な機関で開かれており、当然国民の共有する情報である。公人の会見はどの国でも開かれているが、日本では「記者クラブ」という形でうまくいってない。小沢さんが言ったのは、公共、公財が記者会見だと。全員が公平に会見に入ろう、という意味が、20年間逆に伝わっていた。20年間心折れることはなかったか。
小沢:(笑って)気分はよくないですけどね。報道の中身が正しいか間違っているかは別にして、受け取る一般国民の皆さんが、特に最近はインターネットをはじめ色々な媒体が増えているので、少しでも国民の皆さんに、正確な、公正な情報が伝わるようにしなくてはいけない。そのためには我々もできるだけ、気分的には嫌々ながらでも、一生懸命勤めなきゃならないと思っている。
上杉:今日は、インターネット媒体がほとんど。ニコニコ動画、ビデオニュース・ドットコム、Ustreamなどで加工することが無い。多様な価値観のもと、多様な質問をさせて頂きたい。
 小沢さんが中国を訪れたときに習近平さんが「天皇陛下に会わせろ」と言ったことが、傲慢だというような報道がされている。対中政策のなかでそういうことが行われたのか、事実なのか。
小沢:中国は超大国ひとつでもあるが、大きい国であろうが小さい国であろうが、日本の事実上、憲法上の元首である天皇陛下、しかも世界で唯一の長い伝統・歴史のある天皇陛下に、外国の、しかも共産主義を国の国是としている中国の、次のボス、ヘッドと思われる人が何としても会いたい、拝謁を願い出ているということは、日本にとっていいことだし、誇らしいことだと思っている。両国の友好関係を推進するという意味に置いても、日本の天皇陛下に会いたいという熱い思いが、彼らにあるということは、日本にとってもいいことじゃないかなと思って、これは天皇陛下にお聞きすれば必ずお会いするというに決まっていると、一行政官僚が判断する話しではないだろうという話をして、内閣としてもそれはそうだということで実現した、というそれだけのこと。
フリーランス 岩上安身(以下、岩上):ウィキリークスが伝えたところの情報に関連したことを聞きたい。今年2月3日(発言ママ)、ソウルでカート・キャンベル米国務次官補が、韓国の大統領府の金星煥外交安保首席秘書官のと会見をして、民主党政権は、これまでの自民党政権と全く違うと、やりづらいと。この時は、鳩山政権で、岡田さんが幹事長時代だったが、当時の岡田克也外相、菅直人財務大臣ら次の世代のメンバーに働きかけをしようという話し合いが持たれた、という会談内容が暴露された。これは、次の世代、今の菅政権、それから岡田さんの鳩山政権時代と全く違うスタイルを見ていると、アメリカからの働きかけによって政策や政権運営のスタンスが変えたのか、という気がしてならない。この2月3日の前日2月2日、小沢さんはキャンベルと会談されている。もし、小沢さんに対しても働きかけがあり、小沢さんがアメリカの言い分を呑んでいることがあったら、アメリカは鳩山政権、小沢さんが支えていた鳩山政権を認めて存続を願ったかもしれない。しかし、それをひっくり返してでも、違う政権を望んだという推測も成り立つ。キャンベルとの話し合いはどういうものであったのか。明らかになった会談の内容で、アメリカの圧力はどんなものであったのか、結果として菅政権はどのように変化したのか、小沢さんの考えをお聞きしたい。
小沢:ウィキリークスの事実確認をしていないし、する術をもっていないので、本当かどうかわからない。論評することはできない。庁院内幹事長室で、確か、彼と大使と一緒においでになって、会いたいということで、外交に関することは担当していないので結構ですと言ったのだが、どうしても会いたいと言うので会った。アメリカから圧力という類のものは一切感じていない。もし、やりにくいやつという印象を、彼が本当に持ったとしたら、多分僕のことですからズケズケと色々なことを言いましたから、驚いたのかもしれません。僕の知ってるアメリカの友人、政府・民間移動が激しいのでどちらというわけではないが、少なくとも私の性格やら主張やら、きちんとわかってくれている人もいっぱいいるので、初めてだったので、こんなに生意気な日本人がいたと思ったのかもしれません。内容は、特別の二国間関係の話ではなかったと思う。訪米の話があって、いいですよと。そちらが来いというなら、行ってもいいですみたいなことを言ったような気がするが、その中で、若干アメリカ政府の対応について、厳しいことを言ったかもしれない、気がする。政策的な話でなくて、中国で国交回復35周年ということだったので、盛大にやろうと大勢人数で行っただけの話であって、僕は20年以上前からやってますし、自民党を出てからはずっと野党だった。野党であるにも関わらず、党首であれ、そうでないにも関わらず、中国では準国賓で迎えてくれたというような話をしましたね。アメリカにはそういうことは無いけれども、ということを言ったかもしれません。そこが中国というのは先を考えて、僕にどうこうするというわけでなく、日本との先を考えて、読んで、ちゃんときちんとやるし、それから個人的には中国との草の根活動をやってますし、そういう意味で彼らは信義を重んずるということは間違いないですから、私の正義を汲んでくれていたということは、裏打ちになったのかもしれない。そのような類のことは話した。日米関係では、僕はジョン万次郎の草の根交流をやっているし、その他の子どもたちを呼んだりもやっているし、そこの違いが若干あるという話しをしたかもしれません。
岩上:菅政権になってから、今の政権と前の政権と比べると、政策をどんどん変わっている。党運営のやり方もかなり変えている。挙党態勢とは言えない。明らかに我々が2009年に思っていた民主党と違う。小沢さんはどうかんがえるか。
小沢:おっしゃった点は、私も心配している。本来の民主党、初心を忘れず謙虚に、勇敢に、勇気を持って国民との約束の実現に向けて頑張るという姿勢が必要だなと思っている。その他のことについて、アメリカのそういった直接、間接の働きかけによって変わったということはないだろうと思う。現実に、この間、日米関係が基軸だと突然おっしゃられたが、菅さん自身のそうした方がいいという判断でやっているのではないか。
週刊金曜日 伊田浩之:以前「グランドキャニオンに柵は無い」という表現で、「新自由主義」を主張していると見られていた。今は、セーフティネットをしっかり張らねばならないと言われている。ということは、市場に、マーケットにすべてを任せるだけではうまくいかない、と変わったのか。変わったならなぜかわったのか。
小沢:「グランドキャニオンに柵は無い」ということは、危険であることは当たり前の話で、別に仕事で行ってるわけじゃなく、プライベートな観光で、九分九厘の人は行っている。欧米的な考え方で言えば、プライベートなことまで政府や公的な機関が責任を持ってやる必要はない。自己責任で、自分で危ないことわかって端っこの方や、谷間へ降りたり行っているのだから、どうなろうが自分の考え方でやって下さいと。私も自分自身のことは、自分で判断し責任をもつ、自立が必要だということは全く変わってない。政治、行政、金融、国民全体の生活と安定、平和そういうものを考えた場合には、好きなように勝手にやれ、という範疇のものではないし、それでは政治ではない。そこは弱いもの、強いもの能力に差があるし、そこを少なくとも憲法の条文でいえば、健康で文化的な生活を営む権利を有するという、そういうみんなが安定した生活が営めるようにと、その上での自由競争というのが、本当の意味での憲法の精神でもあり、自由主義というものの本来の、近代的な考え方だと思う。小泉改革なるものが、規制の撤廃だけバンバンその部分だけを推し進めたゆえに、格差社会というゆがんだ社会を作りだしてしまった。これは自由競争も野放しすれば弱肉強食ですから、当然、政治の立場としては、大部分の多くの人が安定した生活を送るようにきちんと作っていく、後は自分で行うというのが、近代自由主義、新自由主義の理念というものではないかと思う。
日本インターネット新聞社 田中龍作:小沢さんほど「記者クラブ」メディアによって悪役のイメージが作られ、国民の頭にすり込まれた政治家はこれまで史上例がない。記者クラブは百害あって一利なしだと思うが、小沢さんにとって記者クラブメディアの新聞、テレビ、通信社というのはどういう存在なのか。
小沢:あまり記者会見する意味がない。(会場から大笑い)いくら言っても、説明しても、全くわかってくれないし、報道してくれないし、なんのために記者会見するのかわからない。同じ記者会見でも、外国人特派員協会の記者会見は、その意味ではスッキリしていい。要するに意見が違ってても、自分の意見をきちんと言いさえすれば、あなたの意見はそうなったのねと、解ったと、となる。最近はあんまり行かない、また片言隻句を採り上げられて、余計なことになってはいけないから行きませんけど、そういうことなら記者会見はいいと思う。
フリーランス 畠山理仁:国民の税金の使途に対する目が厳しくなっている。首相官邸、各省庁には記者室と称する無料のオフィスがある。それは記者クラブの記者たちが独占的に使用している。現在、各記者クラブは「財政が厳しく増税をしなくちゃいけない」と一生懸命言っているのに、不思議なことに都心一等地の記者室の家賃を一円も払っていない。報道に携わるすべての人にオープンであれば、国民の知る権利の代行者として、記者室を無料で使うことは十分にありえるが、現在記者クラブは閉鎖的で、記者室の無料占有だけでなく、記者会見の場にもフリーの記者を入れずに排除して入れないようにして情報を独占にしている。総務省では記者クラブのために用意された職員が、記者室で使う枕を繕っている。こういった現状を小沢さんはご存知か。特権的、閉鎖的な記者クラブへの便宜供与について、仕分けをしたり、応分の負担を求めたりしていく考えはあるか。
小沢:そういう細かなことだけではなく、もっと大きな既得権が認められていると思う。その意味では、もっとフェアなお互いのメディア同士の、フェアな競争、そのためにはオープンで、そういう風にならなきゃいけないだろうと思っている。今の状況は、いわば政治家のほうに最終的には全責任あるわけだが、僕はそれはよろしくないと、もっとフェアに、そして誰にでも公平公正にするべきだと思っている。
フリーライター 村上隆保:厳しい質問だが、近いうちに小沢さんは強制起訴される見通しだが、その後の政治家としての活動はどのようにするつもりか。
小沢:国民の皆さまの要請に従って行う。変わりない。
ニコニコ動画 七尾功:今、(ニコニコ動画には)4万7,000人の方、若い視聴者がこの会見を見ている。小沢さんには初めて質問させて頂くが、視聴者から質問を募集していて、それを代読させて頂く。小沢元代表の政治理念についてお伺いしたい。小沢さんはよく議会制民主主義の重要性・定着について発言している。これは政治家小沢さんとしての基本理念のひとつだと思うが、小沢さんの言う「議会制民主主義」とは何なのか。なぜそれが我が国において重要なのか、改めて教えて欲しい。
小沢:政治は国民みんなのため。物事を決めるにはみんなで話し合って、最終的には多数決で決める以外ない。いずれにしてもみんなで話して決める。民主主義は直接民主主義と間接・代議制民主主義というのがある。スイスは直接民主主義をとっているが、小さい地域や小さい人数ならば全員参加して決めればいいことだが、大きくなると全員参加は物理的に不可能になり、代議制ということになる。結局、国民の代表選んで、物事を決めて政治を行うことになる。それが議会制民主主義。1億2,000万人全員が集まって議論して決めるというのは、物理的に、あらゆる意味で不可能なので、結局みんなの代表を選んで、代表を通じて物事を決めていく。それがごく当たり前の帰結なので、みんなの意見を交わしてみんなで決めていく。それが議会制民主主義。別な言葉では政党政治ともいえる。一人では出来ないので考え方が似た人が集まって政党を決める。議会制政治は政党政治ともいえる。いずれにしろ、基本は国民みんなが話し合って、結論を出そうということ。
七尾:今、議会制民主主義の定着に、問題があるということは。
小沢:日本は、まだそういう習慣、発想、風土が定着していない。特に明治以降の近代で、遅れを取り戻せということで、中央がものを決めて、みんなで一致団結して頑張ろうということでやってきましたから、みんなの意見を戦わせて、集約して、物事を決めるという民主主義の習慣が定着していないので、それを早く定着させたい。
ビデオニュース・ドットコム 神保哲生:具体的な政策について伺いたい。イギリスでイラク戦争の検証という作業が行われている。イラク戦争が結果的にアメリカが大義として掲げていた大量破壊兵器も見つからなかったし、アルカイダとのリンクも立証されなかった。要するに間違った戦争だったのではないかということを前提に、なぜイギリスはそれを支持してしまったのかを検証しており、先週、ブレア元首相が調査会に呼ばれて厳しい質問がされた。一方で、日本もイギリスと同時期に強い語調でイラク戦争を支持し特措法を定め、自衛隊も送っている。日本ではこれに対して検証しようとする動きが今のところまったくと見られない。以前、岡田幹事長に政権交代があったのだからこういう時こそ検証すべきではないかと申し上げたのだが、実は特措法は民主党も賛成しているからとお答えを頂いて、どうもそれをしようとする動きがなかった。小沢さん自身がこのような調査会で、あの戦争がなぜ日本は真に受けてイラク戦争を支持したのか、正しかったのか。まず、それが必要だったのかを一点。それが必要だということであれば、小沢さんがそのような調査を呼びかけて先導するつもりはないか。
小沢:英国は民主主義の最も先進国といわれ、それが定着している国でもある。色んな問題でそのような検証作業が行われているのではないかと思う。日本の場合では、私は参加すべきではないと思う。国連の活動ではないので、参加は憲法上許されないと思っている。その趣旨で発言してきた。イラク戦争そのものの善し悪しの検討、それと同時に日本の在り方としての、考え方としての、両面あるとおもう。例えイラク戦争が大量破壊兵器が現実に見つかって、アメリカの言う通りであっても、国際社会の合意を得ないものに、日本が軍事力を提供するというのは、憲法に違反している、という考え方だ。両面あるが、日本にとってはその1点だけの検証でいいと思う。僕一人ではそういうことだが、党なら党、政府なら政府の中で、きちっとした考え方を取りまとめる作業が必要だと思う。
大川興業 大川豊:金正日料理人の藤本健二さんと親しくしている。ずっと話をしてきたが、金正恩氏の性格からして、最初にまず哨戒艦の海軍で、次は陸軍か空軍に花を持たせるのだろうという風にお互い話をしておりまして、そうしたら延坪島砲撃の陸軍があった。次は空軍でないかと思う。中国との太いパイプを持っている小沢元代表に、北朝鮮にどう対応していくのがいいのか。2月16日が誕生日なので、何か大きな動きがあるかもしれないので、お伺いしたい。
小沢:北朝鮮全体の話としては、背景は中国ですから、中国が了承せずして戦争も始められませんし、何も実質的には大きな事はできないと思う。中国の朝鮮半島の基本政策は、「現状維持」だと思う。今の金王朝をいいと思ってるかどうかわからないが、良くても悪くてもこれを倒してどういう政権を作るか、現実には難しいから、現状維持だろうと思う。中国が今のままの中国である限りは、大動乱も起きないし、結果としては今のまま推移すると思う。中国の動向次第だろう。
NPJ 日隅一雄:議会制民主主義の定着の前提として、国民、有権者が必要な情報を入手できることが前提となっていると思う。情報公開の問題や機密費の問題、あるいは例えば捕まった人が自分自身の情報を得られるかなど、色々な場面で情報を得ることについて、日本は十分に機能していると考えているか。また、これまでどういう対応をしてきたか。
小沢:私はずっと以前から、日本をフリーで、フェアで、オープンにするべきだと主張してきた。あらゆる分野で、もっとオープンな社会にしなくてはいけない。そうしないと情報が国民に開示されないということになる。ただ、アメリカほど何でも出せばいいかはわからないが、欧州並くらいには社会としてオープンに、日本はしなくてはならない。日本とアメリカは、どっちかと言うと両極端。そのためには、国民自身が「情報が欲しい」とならないと、そしてその情報を咀嚼して判断する、という習慣が身につかないと意味がない。国民の側がもっと成長して、官庁も民間も情報を出せ、というようにならないと、現実的にはオープンになってこないんじゃないかと思う。要するに国民次第。
(不明):卵が先か鶏が先かに思うが。
小沢:それは国民が先だ。主権者だから。国民がきちっとしなければ。国民と同じレベルの政治家しか出ないとよく言う。それが民主主義の本質。国民がもっと自覚して賢明になることだと思う。
フリーランス 島田健弘:デフレについて伺いたい。今の日銀総裁の人事は、小沢さんが反対して白川さんに決定した。日銀の金融政策はまだまだ不十分。総裁の選出について、振り返ってどう思っているか。また、小沢さんなりのデフレの脱却の策があれば教えて下さい。
小沢:基本的に私は、天下りは全面禁止にすべきだと思っている。考えは変わらない。そのためには、役人だって食っていけなきゃいけないから、ちゃんとした身分保障も考えないといけない。その両方ができて、はじめて天下りは無くなると思う。英国の官吏の制度を勉強すればすぐわかると思う。今のデフレの景気、経済は、金融政策によって解決する余地は狭まっていると思う。ずっとゼロ金利をしてきた。そうなると、ひとつは財政の出動。もうひとつは個人消費を高めることを考えないといけない。アメリカではGDPの7割が個人消費、日本は6割。そのためには、やはり将来の先行きの見通しを、きちんと国民自身にわからせるような政治を行うこと。それから、富の配分をもう少し一般の人たちに手厚く配分すること。例えば、少し前に景気がいい、史上最高の景気だと言われることがあったが、そのときも株主配当と経営者の所得は大きく増えたが、一般勤労者は7〜8%所得が減っている。これでは、社会保障、年金も何か訳がわからない、所得も減る、個人消費が伸びるわけがない。私としては二本柱、個人消費が伸びる手立てをきちっと考えること、それから必要な財政出動をするべきだと思う。財政出動だと言うと、何でも国債をバンバン発行するイメージになるけど、そういう意味で言ってるわけではない。いくらでも有効なお金の活用がもっとあると思う。そういう意味の効果的な財政出動。この二本柱だと思う。(了)
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未曾有の大震災の直前に小沢一郎を排した、この国の不幸/小沢一郎の日本再造計画2011-05-05 |政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
この国が恐ろしいのは、総ての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ2011-10-03
小沢一郎を落ち目と見切った登石裁判長/財務省首領 勝栄二郎が、内閣に「大増税」へと舵を切らせている2011-09-30
  マスメディアがなぜか「増税」に反対できない事情と弱み
ロッキード事件以来のでっち上げ/西松建設事件 当時の官房副長官は「疑惑は自民党には及ばない」と断言2011-09-28
陸山会事件:午後判決/勝栄二郎 法務官僚と裁判官を使って小沢一郎を抑えつけ、財務省は好き放題やった2011-09-26


「被災者のため役立ちたい」仮釈放の鈴木宗男元議員/松木謙公・石川知裕両衆院議員などが駆けつけた

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「被災者のため役立ちたい」 仮釈放の鈴木宗男元議員が会見
産経ニュース2011.12.6 15:47
 受託収賄など4つの罪で服役し、仮釈放された新党大地代表・鈴木宗男元衆院議員が6日午後、国会内で記者会見を行い、今後の活動について「東日本大震災の被災者のために私の立場で少しでもやれることをやっていきたい」と述べた。
 服役中は「永田町の動きが気になった」と告白。刑期を終えてから5年間、選挙に出ることができないが、「政治は国民の気持ちを正直に体現するのが基本だ。政権交代で国民の理解を得られるように、私の経験を少しでもいかせることがあればと考えている」と述べ、新党大地代表として民主党政権に協力していく意向を示した。
 収監からちょうど1年の仮釈放について「1年ぶりに自由な空気を吸えた」と笑顔をみせたが、被災者について語るときは涙ぐむ場面もあった。会見には無所属の松木謙公、石川知裕両衆院議員や民主党議員も駆けつけた。
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仮釈放早々 永田町で「ムネオ節」鈴木元議員、首相政策を批判
産経ニュース2011.12.6 18:51
 受託収賄などの罪で服役していた新党大地代表の鈴木宗男元衆院議員が6日、仮釈放された。国会内で開いた記者会見で引き続き新党大地の代表にとどまり、政治活動を再開する意向を表明した。鈴木氏の「帰りを祝う会」も行われ、民主党の小沢一郎元代表や鳩山由紀夫元首相ら与野党から100人以上の国会議員が駆けつけた。
 収監からちょうど1年で仮釈放となった鈴木氏は会見冒頭、「1年ぶりに自由な空気を吸うことができました」と笑顔を見せた。だが、消費税増税に関し「政権交代で当時の鳩山代表は4年間は消費税の議論はしないと言った。約束を守るのが民主主義だ」と野田佳彦首相を批判。東日本大震災の話題では涙を見せるなど、100人以上の報道陣を前に約1時間、“ムネオ節”を炸裂させた。

「記者会見」抜粋
〈前段略〉
 −−原発の事故、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉参加、石川知裕代議士の裁判の判決もあった。政治家・鈴木宗男としてコメントをいただけないか
 「私は生涯政治家であるとの考えには変わりはありません。それは21歳で学生の時から中川一郎先生の秘書になって、35歳で国会に出て、49歳で大臣をやり、50歳で官房副長官、51歳で自民党総務局長等々やりながらですね、おかげさんで昨年の8月4日には本会議において衆議員の永年表彰。私から政治を取ったらなにも残ってませんから。生涯政治家であるという私自身の考え、あるいは姿勢は変わるものではありません。しっかり役割を果たし参りたい。私に与えられた環境、立場でやっていきたいと思います」
 「3月11日の大震災ですが、私自身もさくら市の社会復帰促進センターでちょうどあの時間、仕事を。仕事というのは私は病棟というところに配役になっていて、お年寄りの介護だとか体の不自由な人の介護、入浴だとかお世話なんですよ。あるいは食事の配当などやっておりまして、ちょうど私はその時お年寄りの世話でした。あの社会復帰促進センターは粘土質ですから地盤が固いんですが、それでもですね相当な揺れで、私はお年寄りの車いすを押してお風呂に入れる直前だったんですが、そこで地震にあったんですけどね、お年寄りを倒しちゃいけない。事故になりますしね、けがさしちゃいかんと思って必死になって押さえておりましてね、その後から大災害だということになってきて、私はやっぱり1番辛かったのは何もしてやれない自分がここにいるということ」
 「この点本当に申し訳ない。これが1番の苦痛というかですね、辛かったですね。私は何ができるかと思って、たまたまラジオから避難されている人たちが靴下足りないとかですね、下着が足りないということですから。私は事務所に電話してとりあえず私の持っていた靴下5足、それしか遅れるものなかったもんですから5足の靴下。あと事務所では毛布だかとか食料品を集めて出して東北のいろんな人間関係で送ることができまして。お礼の手紙なんかもきましたけどね。副代表が一生懸命ボランティア活動したりですね、頑張ってくれましたんでね、良かったかなという思いを持ってます」
 「原発については、残念ながら技術的なことは私もそんなに正しくは知りませんけども、1つ言えることは技術的には、間違いなく制御棒は降りて原発は止まったことは事実ですね。しかし残念ながらあの津波によってバックアップ体勢が全部破壊されたということ。想定がないと言っても、私はやっぱり想定するのが、この政治だとかあるいはこの責任ある立場だとか、さらには少なくとも原子力というのはリスクがあることも事実なわけですから、私のこの想定外という言葉で済まされる話でない」
 「これを思ったときですね、これまたあの福島原発周辺の皆様方にとっては大変な痛手だし申し訳ないしね、特にこれは自民党政権時代進めてきた話ですから、あの安全神話が本当にこのわれわれも、私自身も現職としてですよ、当時の通産省や科学技術庁の説明を聞きながら、正しかったのかどうかというのはこれもまた自問自答したときですね、これまた被害に遭われた人たち、故郷を離れざるを得なかった人たちには申し訳ないなという思いを持ちました」
 「ただ、その中でやっぱり少しでも放射能漏れを防ごうと思って頑張った人もいた。この人たちの体を張っての努力はこれまた私は東電関係者も技術屋さんの一部もそうでありますし、また消防士、自衛官、警察官もそうでありますけども、こういった人たちの努力もまた国難に立ち向かったわけですから高く評価するとき、改めてやっぱりこの政治の判断は重いもんだし、やっぱりしっかりしなくてはいけない。何があっても大丈夫だという態勢をとってやるのが責任ある政治の姿でないかなということを思いましたね」
 「TPPについては、私は反対です。なぜか。1つは、民主主義は手続きが1番です。次に中身です。私は、今の野田佳彦首相も前政権の菅直人さんの尻拭いといえば表現がどうか分かりませんが、何となく後を引いている。菅さんが言った話をですね、政権継承したという流れの中でですね、受け継いでいるような感じも持っております」
 「例えばオバマ米大統領はこのTPPで、110億ドルの輸出創出と7万人の雇用創出と言っております。アメリカはいいかもしれませが、日本は何のメリットがあるんでしょうか。野田首相は守るべきものは守ると言いますが、FTAなどですね、2国間交渉になれば、守るべき個別案件はありますよ。しかしTPPは、私は個別案件は該当しないと思いますね。すべて段階的関税撤廃ですよ。今、日本のおいしい米、評価の高い米にしたって、1000%の関税をかけているから生きているんですよ。小麦だとかミルクだとか大豆どうするんですか。300%、400%の関税で日本の農家は生きているんですよ」
 「同時に日本の農家は与えられた条件の中でこれ以上ないというぐらいの努力をしてます。その農家の皆さんに十分な説明もなく、これで行くんだというのは私は手続きからしても問題だ。急ぐ話ではない。同時にTPP加盟国でも日本とアメリカで9割貿易占めるんですよ。日本がこれだけのメリットがありますという具体的な数字を出せると思ったら大間違いですね。車が今約2兆4000億円ぐらいですが輸出量が。それに関する関税が部品など入れて850億円です。その850億円が無くなるんだと言って車業界が言いますけれども。850億円で3兆円の農業を無くしていいんですか。私はここら辺は堂々と出てもっと政治家も勉強して、きちっと納得のいく議論もして本当の国益は何かという観点に立って詰めるべきだとこう思っています。そういった意味で手続きもなく、中身も十分説明もなくてですね、ただTPPだ、消費税だというのは問題があると思っています」 「私は特に消費税の議論は、政権交代で当時の鳩山由紀夫代表は4年間は消費税の議論はしないと言ったんです。これによって国民も政権交代に舵を切った部分もあるんですから、約束は守る。これは民主主義の約束事だとこう思います」
(以下略)
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なぜ最高裁はこのタイミングで鈴木宗男衆議院議員 の上告を棄却したか?2010-09-09 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 眼光紙背2010年09月08日16時14分佐藤優の眼光紙背:第79回
 9月8日午後、7日付で最高裁判所第一小法廷が鈴木宗男衆議院外務委員長(新党大地代表)の上告を棄却した。鈴木氏の弁護人は異議を申し立る意向を表明しているが、過去の例でこの種の異議が認められたことはない。近く懲役2年の実刑が確定し、鈴木氏は刑務所に収監される。
 最高裁判所は最高政治裁判所でもある。それは、2002年に鈴木宗男追放キャンペーンの中心に立った竹内行夫外務事務次官(当時)が現在、最高裁判所裁判官をつとめている事実からも明白だ。所属する小法廷が異なるなどということは、本質的問題でない。司法試験にも合格していないので、法曹資格ももたず、かつ極めて政治的動きをする人物を行政機関である外務省から受けいれている最高裁判所という組織自体が、「司法権の独立」という名目からかけ離れた組織だということを筆者は指摘しているのだ。
 このタイミングで最高裁判所の司法官僚が鈴木氏の上告棄却を決定したことは、きわめて合理的だ。それには2つの理由がある。
 第1の理由は、9月10日に大阪地方裁判所で行われる村木厚子元厚生労働省局長の裁刑事判で、無罪判決が予想されているからだ。そうなれば特捜検察は正義の味方であるという神話が裁判所によって覆される。当然、世論の特捜検察の取り調べに対する疑念と批判がかつてなく強まる。そうなると、「国策捜査」によって事件が作られたという鈴木氏の主張を完全に無視することができなくなる。
 第2の理由は9月14日の民主党代表選挙で小沢一郎前幹事長が当選する可能性があるからだ。最高裁判所の司法官僚にとっては、これも頭痛の種だ。小沢氏は鈴木氏の政治的能力を高く評価している。そもそも鈴木氏を衆議院外務委員長に抜擢したのは小沢氏だ。小沢政権になれば鈴木氏が政府の要職に就くなど、政治的影響力が高まるのは必至だ。そうすれば排除が困難になる。
 この結果にいちばん喜んでいるのは外務官僚だ。鈴木氏が収監されることにより外交機密費(報償費)の不正使用や、外交秘密文書の破棄に対する責任を追及する政治家がいなくなると外務官僚はほっとしている。しかし安心するのはまだ早い。鈴木氏は小沢氏に外務官僚に関するヤバイ情報をすべて引き継いでいるはずだからだ。
 いずれにせよ、今回、最高裁判所が鈴木氏の上告を棄却したことは、普通の国民の目には見えにくいが、「誰が日本国家を支配するか」を巡って、資格試験に合格したエリート官僚と国民によって選ばれた国会議員の間で展開されている熾烈な権力闘争を反映したものだ。(2010年9月8日脱稿)
■プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・元外交官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
近著に「特捜神話の終焉」、「誰が日本を支配するのか!?検察と正義の巻」、「誰が日本を支配するのか!?政治とメディアの巻」、「誰が日本を支配するのか!?沖縄と国家統合の巻」など。
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鈴木宗男議員上告棄却/小沢一郎氏/石川知裕議員/安田好弘弁護士2010-09-08 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 最高裁の決定要旨
 衆院議員鈴木宗男被告の上告を7日付で棄却した最高裁の決定の要旨は次の通り。2010/09/08 13:53【共同通信】
 【結論】
 弁護人の上告趣意のうち、判例違反の点は事案を異にする判例を引用するもので適切でなく、その余は、憲法違反の点を含め、実質は事実誤認、単なる法令違反の主張で、刑事訴訟法405条の上告理由に当たらない。
 【職権判断】
 受託収賄罪の成否について職権で判断する。
 北海道開発庁長官だった被告が、港湾工事の受注に関し特定業者の便宜を図るように北海道開発局港湾部長に働き掛ける行為は、職員への服務統督権限を背景に、予算の実施計画作成事務を統括する職務権限を利用して、職員に対する指導の形を借りて行われた。
 被告には港湾工事の実施に関する指揮監督権限はないとしても、働き掛けた内容は、実施計画で概要が決定される港湾工事について、競争入札を待たずに工事業者を事実上決定するものだった。
 このような働き掛けが金銭を対価に行われることは、北海道開発庁長官の本来的職務として行われる予算の実施計画作成の公正、その公正に対する社会の信頼を損なうものである。従って働き掛けは、北海道開発庁長官の職務に密接な関係のある行為というべきだ。
 弁護人は、談合にかかわる行為は、正当な職務としておよそ行い得ない違法な類型であるから、職務に密接な関係のある行為とはなり得ないと主張するが、密接関係行為に当たるかは本来の職務との関係から判断されるべきだ。違法行為であることで、その判断は直ちには左右されないと解するのが相当である。
 また受注業者の指名が港湾部長の職務権限に属することを認定せずに、指名について港湾部長を指導することが北海道開発庁長官の職務権限に属するとした二審の判断が判例(1995年2月22日大法廷判決)に違反すると主張する。
 しかし収賄罪の構成要件である「職務に関し」は、収賄公務員の職務との関連性。他の公務員に働き掛けることの請託を受けて収賄した場合であっても、働き掛けを受ける公務員の職務との関連性は構成要件そのものではない。一般的には、その職務関連性をそれ自体として認定する必要はないというべきである。
 そうすると、働き掛けを行うよう請託を受け、その報酬として金銭の供与を受けた行為が受託収賄罪に当たるとした二審の判断は正当である。
 【金築誠志裁判官の補足意見】
 受託収賄罪における北海道開発庁長官の職務権限につき、意見を補足的に述べる。
 弁護人引用の判例は、内閣総理大臣の職務権限に関するもの。内閣総理大臣については、直接に行政事務を行うことを認めるのは相当ではないとする見解が有力で、指揮監督権限は行政全般にわたる反面、極めて一般性・抽象性が高い。働き掛けを受ける公務員の職務関連性を認定することで、職務権限を認定せざるを得ない面があり、一般化は相当でない。
 働き掛けた事項が相手先の公務員の職務と無関係であれば、働き掛けに職務関連性を認めることが困難となろうが、働き掛けを受ける公務員に収賄公務員の職務関連性以上のものが要求されると解すべきではない。少なくとも働き掛けを受ける事項と職務との間に密接な関係があれば足りると解すべきである。
 港湾部長は、港湾工事の計画作成・実施に関して職務権限を有し、慣行的、常態的に本命業者の指名を行っていた。組織的に事実上職務行為化した行為とも評価でき、港湾部長の職務と密接な関係を有する行為であることは明らかだ。
 官製談合での本命業者の指名は、収賄罪の職務にはなり得ないと主張するが、収賄罪での職務が適法なものに限られないことは加重収賄罪の存在からも明らか。慣行化した官製談合の違法性、それによる信頼棄損と、慣行を利用してわいろを収賄することの違法性、それによる職務の公正に対する信頼棄損とは、別個の評価が可能。今回のような行為に関するわいろ収受が、職務の公正に対する信頼を害する程度が低いとは到底いえない。職務密接関係性を否定することは相当ではない。
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『暴走する「検察」』(別冊宝島編集部 編)より抜粋
一貫性の無い捜査
「見込み捜査がはなはだしい。だから、捜査がどこを向いているのかわからない」「行き当たりばったり。場当たり的で一貫性がない」
 特捜部が初めて鈴木宗男事件の強制捜査に踏み切った直後の5月中旬、検察外部だけでなく特捜部内部からも、捜査指揮に対する不満や、首を傾げる声が出始めた。
 複数の検察関係者と検察OBは、次のように証言する。
「そもそも国後島『友好の家』建設の入札を妨害したとして、公設第1秘書ら7人を偽計業務妨害容疑で逮捕したことからして不自然だった。特捜部には、世論の流れから鈴木代議士を逮捕しなければいけないという焦りがあったが、鈴木代議士を引っ張るネタがなかった。そこで無理やり異例ともいえる容疑を探し出し、鈴木代議士の側近の身柄を取ろうとした。
 ところが、それでも鈴木代議士の犯罪につなげることはできなかった。そこで狙いをつけたのが、鈴木代議士の側近中の側近といわれた佐藤優氏だ。佐藤氏は最初は背任容疑で逮捕されたが、本当に背任罪の構成要件を満たしていたのかどうかはかなり疑問だ。しかも、特捜部はこの佐藤氏の線からも鈴木代議士を追い込めなかった」
「特捜部が偽計業務妨害容疑で三井物産を狙ったのも、標的は鈴木代議士だった。北方事業は鈴木代議士の利権事業という見方をしていたのだ。特捜部が描いた絵は、三井物産から鈴木代議士に金が渡り、鈴木代議士が三井物産に何か便宜を図っていたという構図だった。
 しかし、鈴木代議士は三井物産と2、3回、会ってはいるが、手土産一つもらっていない。当然、現金は出てこなかった。ここでも鈴木代議士の疑惑を事件化できなかった。明らかに事件の筋読みを間違えたわけだ。
 たしかに、特捜部が手がけた一連の事件を通してみると一貫性に欠ける。この疑問を、ある法務検察関係者はこう解説する。
「特捜部長だった伊藤鉄男さんは穏やかな性格で、本来、特捜部長の器ではなかった。次の部長につなぐまでの、いわゆるリリーフ的存在だった。
 特捜部の場合、事件の捜査指揮は特捜部長が執るが、同時に東京地検の検事正と次席検事、それに最高検の担当検事と相談しながら詰めていく。ところが今回の場合、検事正はどうしたわけか、捜査にほとんど口をはさまなかったようだ。当然、特捜部長と次席検事、最高検の間で話が進められたわけだが、この次席検事と最高検との間で捜査方針が食い違っていた。伊藤さんは次席検事と最高検との間で揺れ、強い捜査指揮権を出せないまま、最終的には次席検事の意向が優先されてしまったようだ。ところが、当時の東京地検首脳は大きな問題を抱えていた。冷静に事件捜査の見通しを立てられる人材が不足していたことだ」
外務省に敗れた
 捜査関係者らの声を集めると、まだまだ首を傾げたくなるような話が出てくる。背任罪と偽計業務妨害罪で起訴されたロシア支援室の前島元課長補佐に関してもそうだ。「前島氏が取り調べのなかで、最終的にどうして容疑を認めてしまったのかわからない。彼こそ、捜査の“被害者”という見方が検察内部でも強かった。逮捕時から、容疑の確定にかなり無理をしていた。だから、もし前島氏が否認を貫き通していたなら、捜査はどうなっていたかわからない。特捜部はなんとしても認めさせようと、かなり厳しい取り調べを続けていたようだ。しかし、当初否認していた前島氏が、一転して認めた裏には、検察との取引があったという説も出ている」
 たしかに、特捜部の取り調べは厳しい。過去に取り調べを受けたことのある元会社役員は、「とにかく人格を全否定されるんです。罵倒されるのは序の口で、女房はもちろんだが、孫のことまで持ち出す。それまでいちおう社会的な地位があったので、それには耐えられなかった」「調書が知らないところでできあがっていて、しきりに署名するよう強要されたことを覚えている」と話す。
 前島氏の場合も、同様な取り調べが行われたのだろうか? それとも特捜部から何らかの形で取引を求められたのだろうか? いずれにせよ、前島氏に対する同諍論が検察内部にあることは事実だ。
 ところで、この背任事件については最初から、外務省の大物である東郷和彦・元欧亜局長の関与が指摘されていた。前述の前島氏らは国際学会への派遣費用などを外務省の関連団体「支援委員会」に不正に支出させていたとして背任罪に問われているが、東郷氏はこの支出に関し、東亜局長として前島氏が起案した決裁書にサインするなどしていた。新聞報道などによると、前島氏も特捜部の調べに対し、「東郷氏の指示で違法な決済書類を作成した」と供述したとされており、東郷氏に対する疑惑が深まっていた。
 ところが、東郷氏は疑惑が取り沙汰されて以来、日本を離れてヨーロッパに滞在。特捜部の参考人聴取も、病気療養を理由に出頭を引き延ばしていた。最終的に、検事がヨーロッパに出向いて参考人聴取したが、その結果、私的な流用はなかったとして立件は見送られた。
 しかし、捜査関係者はこう言う。
「どうして東郷氏の逮捕に踏み切らなかったのか? 佐藤、前島両氏を背任罪で起訴しておきながら、それを指揮した疑いの強い東郷氏の立件を見送ったことは理解できないし、公正さを欠く。失態といっても過言ではない」
 また、別の検察関係者はこう話す。
「今回の捜査では当初、『支援委員会』が、税法上不要な消費税分を事業費に上乗せして受注業者に支払っていた問題を狙っていた。消費税の上乗せ分は、2億6000万円を超える。当初、支援委員会による背任事件として立件を検討したこともある。もし、そのまま捜査を始めていればもっと違った展開になり、捜査もスムーズにいったかもしれない」
 外務省が、検察当局の本格的な捜査を受けたのは初めてのことだ。特捜部の事情聴取を受けた職員の数は100人を超える。
 しかし----。
「そもそも、今回の鈴木宗男事件の発端は外務省との癒着問題だった。それが捜査を終えてみると、外務省の本丸には切り込めなかった。佐藤氏ら外務省を摘発はしたが、局長や課長クラスの刑事責任は追及できなかった。鈴木宗男疑惑の中心にあった外務省との癒着、疑惑はほとんど解明されなかったという結果を見ると、検察の敗北と言わざるをえない」(東京地検関係者)

鈴木宗男元衆院議員 仮釈放記者会見/「帰りを祝う会」に小沢一郎・鳩山由紀夫氏ら100人以上の国会議員

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仮釈放早々 永田町で「ムネオ節」鈴木元議員、首相政策を批判
産経ニュース2011.12.6 18:51
 受託収賄などの罪で服役していた新党大地代表の鈴木宗男元衆院議員が6日、仮釈放された。国会内で開いた記者会見で引き続き新党大地の代表にとどまり、政治活動を再開する意向を表明した。鈴木氏の「帰りを祝う会」も行われ、民主党の小沢一郎元代表や鳩山由紀夫元首相ら与野党から100人以上の国会議員が駆けつけた。
 収監からちょうど1年で仮釈放となった鈴木氏は会見冒頭、「1年ぶりに自由な空気を吸うことができました」と笑顔を見せた。だが、消費税増税に関し「政権交代で当時の鳩山代表は4年間は消費税の議論はしないと言った。約束を守るのが民主主義だ」と野田佳彦首相を批判。東日本大震災の話題では涙を見せるなど、100人以上の報道陣を前に約1時間、“ムネオ節”を炸裂させた。
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 「今朝8時に1年ぶりに自由な空気を吸うことができました。面白い巡り合わせで、昨年の12月6日に収監され、同じ日に仮釈放という巡り合わせですので、宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える鈴木宗男の生きざまはこの収監、仮釈放の日にもあっているのかなと、こんな思いをしながら朝8時、とても気持ちがいい、すがすがしい空気を外で吸うことができました」
 「万物に感謝しながら、ちょうど365日1年間の受刑生活、この経験を私は社会に生かしていきたいと思っております。もとより新党大地の代表ですが、これから東日本大災害に遭われた被災者の皆さん方のために私の立場で少しでも勇気や誇り。また希望や夢も与えられるように何ができるか被災者と一緒になってやれることをやっていきたいと思っています」
 「またこの1年の間に約1500通の多くの人からの激励の手紙やはがき等が入ってきました。1日に5通以上の通信があり、沖縄から鹿児島から全国各地からでした。全国に政治を必要としている人がいる。政治の重みや価値を求めている人がいるということを実感しましたので、そういった人たちの声もしっかり受け止めながらこれまた私の立場で精いっぱい汗を流していきたいと思っております」
 「今こうして話をしながらも3月11日、あの大地震、大津波で被害に遭われた皆さん方のことを思うと胸が痛みます。私以上に辛く苦しく悲しい思いで頑張っている人たちがいる。こう思ったときに逆に私自身が勇気や感激を、あの被災者の皆さんが大きく生きる姿を見たときに教えられた気が致します。このこともしっかり頭に入れて私なりにやっていきたいと思います」
 「この1年間、もとより私は政治家でしたから、この永田町の動きも気になりました。政治があったかなかったといわれると、政治はなかったのではないかと思いながら、国民や被災者に申し訳ないなと、私なりに現状を考えておりました」
 「この点も私なりにしっかり発信して、政治は普通の国民の気持ちを正直に体現する。これが私は政治の基本だと思っておりますが、その基本に立ち返るように、『国民生活第一』、その名の下に政権交代をしたせっかくの政権でありますから、私も新党大地として、今は浅野代議士が政権与党の一員でありますので、国民に信頼と理解を得れるように、これまた私のいくばくかの経験なり、今までの歩みを少しでも生かせることがあればと思って考えております」
 「おかげさまで今日、国会議員の先生方も来てくれておりますけれど、新党大地あるいは鈴木宗男と一緒に行動したいという多くの人からの励ましとお声掛けもありますので、これから時間をかけてしっかり話し合いをしながら、次のステージ、次の舞台も考えていきたいと思っております」
 「1年の間に私はさまざまな勉強をする中で、苦難を乗り越えるには3つ必要だと思いました。一つは自分の信念が大事だと思いました。筋を通す。確固たる責任を持ってぶれないでできる。こう考えました」
 「もう一つは一人では生きていけない。家族、知人、友人、仲間が必要だと思いました。幸い、家族は意を強くして『体には気をつけて、天の配剤だと思って、神様が与えてくれた時間だと思って、体に気をつけて頑張れ』と家内や娘や息子が言ってくれまして、これは安心しました。同時に松山千春さんはじめ、多くの後援者からも『信じているから頑張れ』、こういう言葉をいただきまして。『疾風に勁草を知る』。後漢の光武帝が自分の配下である王覇をたたえた歌でありますけれど、わが後援会は、私の友人や知人や支持者はこの言葉にふさわしいなあと思ってですね、これまた意を強くしたものです」
 「3つ目は私は目に見えないものの力があると思いました。目に見えないものといえば、ご先祖さまの加護、亡き両親の加護があるなと思いました。こういった万物に支えられてもいるなと、こんな思いをしての365日でありました。このことをしっかりこれからも胸に刻んで頑張って参る決意であります」
 「娘から再三、『検察は事件を作り上げ、裁判所は真実を明らかにできなかった。お父さん、帰るところがあるんだから安心して。体が一番です』。こんな再三のメッセージをいただきながらこれまた何よりも私にとっては励みになる、便りだったなと思って今改めて思いをするところであります」
 「昨日の夜、明日が仮釈放だというものですから、寝ようと思ってもなかなか寝付けられませんでした。やはり鈴木宗男は気が弱いなと自分で思いながら、この気の弱さが検察に乗じられたのかなと思いながら、これからはもっと気を強くしてしっかりやらなくてはいけない。その気を強くするのは自分より大変な人がいる。自分より辛い人がいる。自分よりもっともっと苦労している人がいる。その目線を忘れないで、もう私自身、権力闘争や前を見る必要はないと思いますから、前を見るのではなくてしっかり後ろを見ながら、声なき声を受け止めて、これまた鈴木宗男なりの生きざまをしたい。こんなふうに考えております」
 「今日、朝、眠れない夜でありましたけれども、それでも気分は爽快でした。63年の人生で寝れなかった日が今日で2回目であります。1回目は昭和58年の12月18日の夜でした。これは第1回目の私の選挙で、開票日でした。即日開票で4万2500票しかでなくてですね。順位は2番目でしたけども当選確実が出なかったんです。一晩を明かしたことを思い出しました」
 「それ以来2回目の寝れない夜を過ごさせていただきましたが、1回目も2回目も希望のある寝れない日でありましたから、必ず1度つくった奇跡のあの1回目の戦いです。平成14年に逮捕されて、437日の拘留期間を経て出てきて、平成17年再びカムバックしたのが2回目の奇跡のカムバックとも言われてましたけども、3回目があるかどうかは、私自身が判断するもんではありませんけれども、とにかく少しでも人様のために政治は弱い人のためにあるという新党大地の原点だけは忘れないで自分のできることをその務めを果たして参りたいと思っております。今日皆さん方にお越し頂きましたことに、お礼申し上げて仮釈放された日の鈴木宗男のあいさつとさせていただきます。ありがとうございました」
 −−原発の事故、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の交渉参加、石川知裕代議士の裁判の判決もあった。政治家・鈴木宗男としてコメントをいただけないか
 「私は生涯政治家であるとの考えには変わりはありません。それは21歳で学生の時から中川一郎先生の秘書になって、35歳で国会に出て、49歳で大臣をやり、50歳で官房副長官、51歳で自民党総務局長等々やりながらですね、おかげさんで昨年の8月4日には本会議において衆議員の永年表彰。私から政治を取ったらなにも残ってませんから。生涯政治家であるという私自身の考え、あるいは姿勢は変わるものではありません。しっかり役割を果たし参りたい。私に与えられた環境、立場でやっていきたいと思います」
 「3月11日の大震災ですが、私自身もさくら市の社会復帰促進センターでちょうどあの時間、仕事を。仕事というのは私は病棟というところに配役になっていて、お年寄りの介護だとか体の不自由な人の介護、入浴だとかお世話なんですよ。あるいは食事の配当などやっておりまして、ちょうど私はその時お年寄りの世話でした。あの社会復帰促進センターは粘土質ですから地盤が固いんですが、それでもですね相当な揺れで、私はお年寄りの車いすを押してお風呂に入れる直前だったんですが、そこで地震にあったんですけどね、お年寄りを倒しちゃいけない。事故になりますしね、けがさしちゃいかんと思って必死になって押さえておりましてね、その後から大災害だということになってきて、私はやっぱり1番辛かったのは何もしてやれない自分がここにいるということ」
 「この点本当に申し訳ない。これが1番の苦痛というかですね、辛かったですね。私は何ができるかと思って、たまたまラジオから避難されている人たちが靴下足りないとかですね、下着が足りないということですから。私は事務所に電話してとりあえず私の持っていた靴下5足、それしか遅れるものなかったもんですから5足の靴下。あと事務所では毛布だかとか食料品を集めて出して東北のいろんな人間関係で送ることができまして。お礼の手紙なんかもきましたけどね。副代表が一生懸命ボランティア活動したりですね、頑張ってくれましたんでね、良かったかなという思いを持ってます」
 「原発については、残念ながら技術的なことは私もそんなに正しくは知りませんけども、1つ言えることは技術的には、間違いなく制御棒は降りて原発は止まったことは事実ですね。しかし残念ながらあの津波によってバックアップ体勢が全部破壊されたということ。想定がないと言っても、私はやっぱり想定するのが、この政治だとかあるいはこの責任ある立場だとか、さらには少なくとも原子力というのはリスクがあることも事実なわけですから、私のこの想定外という言葉で済まされる話でない」
 「これを思ったときですね、これまたあの福島原発周辺の皆様方にとっては大変な痛手だし申し訳ないしね、特にこれは自民党政権時代進めてきた話ですから、あの安全神話が本当にこのわれわれも、私自身も現職としてですよ、当時の通産省や科学技術庁の説明を聞きながら、正しかったのかどうかというのはこれもまた自問自答したときですね、これまた被害に遭われた人たち、故郷を離れざるを得なかった人たちには申し訳ないなという思いを持ちました」
 「ただ、その中でやっぱり少しでも放射能漏れを防ごうと思って頑張った人もいた。この人たちの体を張っての努力はこれまた私は東電関係者も技術屋さんの一部もそうでありますし、また消防士、自衛官、警察官もそうでありますけども、こういった人たちの努力もまた国難に立ち向かったわけですから高く評価するとき、改めてやっぱりこの政治の判断は重いもんだし、やっぱりしっかりしなくてはいけない。何があっても大丈夫だという態勢をとってやるのが責任ある政治の姿でないかなということを思いましたね」
 「TPPについては、私は反対です。なぜか。1つは、民主主義は手続きが1番です。次に中身です。私は、今の野田佳彦首相も前政権の菅直人さんの尻拭いといえば表現がどうか分かりませんが、何となく後を引いている。菅さんが言った話をですね、政権継承したという流れの中でですね、受け継いでいるような感じも持っております」
 「例えばオバマ米大統領はこのTPPで、110億ドルの輸出創出と7万人の雇用創出と言っております。アメリカはいいかもしれませが、日本は何のメリットがあるんでしょうか。野田首相は守るべきものは守ると言いますが、FTAなどですね、2国間交渉になれば、守るべき個別案件はありますよ。しかしTPPは、私は個別案件は該当しないと思いますね。すべて段階的関税撤廃ですよ。今、日本のおいしい米、評価の高い米にしたって、1000%の関税をかけているから生きているんですよ。小麦だとかミルクだとか大豆どうするんですか。300%、400%の関税で日本の農家は生きているんですよ」
 「同時に日本の農家は与えられた条件の中でこれ以上ないというぐらいの努力をしてます。その農家の皆さんに十分な説明もなく、これで行くんだというのは私は手続きからしても問題だ。急ぐ話ではない。同時にTPP加盟国でも日本とアメリカで9割貿易占めるんですよ。日本がこれだけのメリットがありますという具体的な数字を出せると思ったら大間違いですね。車が今約2兆4000億円ぐらいですが輸出量が。それに関する関税が部品など入れて850億円です。その850億円が無くなるんだと言って車業界が言いますけれども。850億円で3兆円の農業を無くしていいんですか。私はここら辺は堂々と出てもっと政治家も勉強して、きちっと納得のいく議論もして本当の国益は何かという観点に立って詰めるべきだとこう思っています。そういった意味で手続きもなく、中身も十分説明もなくてですね、ただTPPだ、消費税だというのは問題があると思っています」 「私は特に消費税の議論は、政権交代で当時の鳩山由紀夫代表は4年間は消費税の議論はしないと言ったんです。これによって国民も政権交代に舵を切った部分もあるんですから、約束は守る。これは民主主義の約束事だとこう思います」
 「合わせて、消費税の議論をする前に、国会議員の定数を衆議院は100人。参議院人口100人で1人。きちっとした政治家としての姿勢を示しながら同時に公務員の給料削減だと。7・8%なんて言ってます。そんなことする前にまず大事なのは、国会議員給料3分の2カットですよ。500万円のボーナスももらわない。復興が明らかになるまでは返上します。これやっただけで、ボーナスだけで35億円浮きます。給料だけで35億円浮きますよ。10年間で700億円できるんじゃないですか」
 「公務員は給料は担保した方がいいと思います。生活がかかってますから。ボーナスです。国家公務員のボーナス今約8500億円です。国民の税金使っているのは。これみなさん3分の1カットしただけでも約3000億円浮くんじゃないですか。10年間で3兆円出ますよ。あるいは公務員宿舎4分の1。この都内廃止だとか出てますけども、全部無くすべきですよ。緊急なものだけ残したって何が緊急なんですか。何とでも手打ちますよ、官邸もあればですね、衆議院の宿舎もあるんですから」
 「首相が記者会見で『私はこう思っている。国民のみなさん協力してください。国民の皆さんが選んだ国会議員ですから、皆さん方から国会議員にも言ってください』といえば、国会議員反対できますか。選挙区抱えているんですから。私は、やはり政治家のリーダーシップ、特に首相なり要、要の人がしっかり発言してリーダーシップをとれば、国民もそこまで血を流し身を削りやっているか、それならばわれわれも、年金をもらう場合でも財源が必要だ、よし協力しよう、こんなことになると思うんですよ。この点も新党大地の代表としてしっかり発信していきたいし、やることはやる、またすぐできることだというメッセージを堂々と訴えていきたい」
 「あと、石川さんの裁判についてですけども、私もあそこにいて新聞は1紙、全国紙1紙とスポーツ紙1紙です。あとラジオはNHKの夜の7時のニュースしか入らない。面会、あと事務所、浅野貴博代議士などからの情報などできて一番驚いたのは推認という話が出てきたり。推認でやられたら鈴木宗男はもっと重い罰を受けたのではないかなと思うぐらい動転しました」
 「私は石川代議士。ご両親もよく知っているし同郷です。石川代議士の人間性もよく知っています。少なくとも水谷建設から石川さんが5000万円もらっていないことは、私もそれなりの裏付け、私自身、直接聞いた話ですから、グレーゾーンというか分からない部分がある水谷建設さん側でも。本当に真実を明らかにする法廷が真相解明だとかに十分な期間としての人を裁く場所としての役割を果たしているかというとちょっと疑問に思いました」
 「私は石川さんを信じておりますから、石川さんに堂々と最後まで戦っていただきたい。このことは小沢一郎先生にも言えます。法律の専門家、法律に詳しい検察が立件しようと思ってもできなかった事件を、また何となく興味本位で論調している人が多いんですけれども、それはこれまで本当に公正公平かというのが私自身はちょっと首をかしげます」
 「しかし、これは今裁判進行中でありますから、必ず私は裁判の進行の中でだんだんと真実が出てくると、こう思っていますし。同時に私は小沢先生の裁判でも私自身ひとつ感じることがあるんです。私も中川一郎先生の秘書をやっていました、年間大きなお金を私自身預かっていました。田中角栄先生が逮捕されたとき、中川一郎先生はこう言いました。『おれは角さんのようにはならない。俺に何かあったら鈴木が捕まってくれる』と。こう中川先生が言うぐらい私は信頼されてました」
 「私は秘書としてどんなことがあっても親方、中川先生には迷惑をかけない。これが秘書の考えなんです。そしたら、大きなお金は個別に分けてもらったようにするだとか、相手の了解も得ながら、いろいろですね、立場を考えて法律も考えながらその範囲の中で最大の許容量と言いますか、許容限と言いますかですね、許容範囲を考えてやっていくものが秘書の務めなんですよ」
 「私は政治資金の虚偽記載についても、絶対中川先生には迷惑をかけないという思いの中で、その中で精いっぱいのこれならば理解されるんではないか、これならば許されるんではないかという中で書類整理などはやってたわけでありますから。この点もちょっと私は実態、その国会議員の秘書さんが全部書類をつけている話です。直接、議員さんが名簿つけている人が何人いるかと言った場合、いないと思いますけどね。それでも議員が胸に手を当てて、俺は100%間違いない、そう言える議員が何人いるか。逆に私はお目にかかりたいと思うぐらいの気持ちで、あわせて秘書を信頼をしてやっていることも私は事実だと受け止めています」
 −−今後、北方領土問題に対してどのように取り組んでいくか
 「北方領土問題は私のライフワークです。日本でライフワークといえば緩やかに聞こえますが、米国でライフワークといえば命をかける仕事と受け止められています。私も結果的には逮捕されて、直接事件はなかったんですけども、当初皆さん方も外務省や検察のリークで流されたのが北方領土の人道支援だとか、アフリカの人道支援(に関する事件の容疑)で捕まると言われたわけですから。結果はなかったわけでありますけれども」
 「私自身、命をかけた仕事で逆に逮捕ということもあったかなとは思いますけども、私は死ぬまで領土問題とは鈴木宗男は切っても切り離せないと思っているし、私はやはり、元島民の皆さん方も平均年齢が80歳に近くなっています。人生としてこれからを考えるとき、なんとか皆さん方が元気なうちに解決に向けての道筋はぜひとも責任ある地位にある政治家はがんばっていただきたいなと思って。私なりに私の経験や人脈なんかも最大限生かしながらですね、協力できるものは協力していきたいと思ってます」
 「特に私は、ロシアは世界一の資源大国です。日本は世界一の応用技術を持った国です。世界一の資源大国・ロシアと応用技術世界一の日本が組めば、私は世界に貢献できると思っていますから。この点、これは原発、震災とも関係しますが、液化天然ガスはこれからの二酸化炭素の排出問題なんかも考えたときに、重要なエネルギーの大きな要素になってくると思います」
 「じゃあ、そのガスはどこかといえばロシアでありますから。私はロシアとのダイナミックな協力関係、まずはロシアとの信頼関係というか、大きな経済協力等を進めていけば、おのずからロシアも日本も良かったという流れができて、あわせて領土問題も動いていくのではないかと考えています」
 −−米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で野田政権は名護市辺野古の現行埋め立て案で推進しようとしているが
 「少なくともこの普天間移設の辺野古沖合案は自民党政権が決めた話なんですね。政権交代してですね、鳩山さんが選挙前も海外、もしくは国外と言ってきたんですから。沖縄の皆さんはそれは期待した。この期待に応えるのが約束事だと思います」
 「あわせて皆さま方も検証してほしいが、普天間の移設をやったのは橋本首相の時でした。そして私が沖縄開発庁長官の時に、あの名護移設を決めたんです。当時は比嘉市長さん。比嘉市長さんは職を賭して受け入れを決めてくれたんです。そのときは沖合じゃないんです。あそこにはキャンプハンセンからキャンプシュワブから基地がありますから、その基地の中でなんとか対応できんかなあという思いがあって、まずは名護市だったんですよ」
 「それがだんだんと辺野古なんていう方に話が行ってしまった。これも私から言わせれば、小泉政権まではですね、橋本さん、そして小渕首相、森さんまでは沖縄と人間関係等もありましたけども、小泉政権になってからまったく沖縄との人間関係がなくなった人が地位についたり、ポストについてですね、役人主導でしたね。これなんかも私は沖縄の皆さん方は、なんだ、と。ちょっとおかしいなという感じになったと思うんですよ」
 「それとやっぱり、これも考えてほしいんです。なぜ沖縄で受けてくれたか、名護で受けてくれたかというのは、やっぱり環境整備をしたんですよ。あの少女、痛ましいですね、少女暴行事件があってですね、当時の橋本首相は、清水の舞台から降りるといってモンデール駐日米大使とやったもんですよ。私も一生懸命協力しました」
 「で、平成8年。私はあの県道104号線の実射訓練をですね、私の選挙区の矢臼別で受けたもんですよ。この実射訓練は本来、村山富市さんがクリントンさんとの会談で決めた約束なんです。沖縄3事案といって、那覇軍港の浦添移転。もう一つは読谷のパラシュート降下訓練の廃止ですよ。一番厄介だったのは、この155ミリ砲の実弾訓練を県道104号線の上を砲弾が飛ぶんですよ。道路を止めちゃう。沖縄県民が一番反発受けていたんです」
 「村山さんは(地元・大分県の)日出生台に立派な訓練場をもっているから、私は当然、クリントンさんとの会談で、そこが一つの受け入れだと思って、決めたのかと思ったら、村山さんも何もやらなかったですよ。そして1月4日に辞めて、急遽(きゅうきょ)橋本さんになった。橋本さんだって動かない。橋本さんが非常に深刻な顔をしたんですよ。そこで私は別海の町長さんにお願いしてですね、ここは国益のために頼むといって、私は平成8年12月です。私が別海町長を連れて、町長が私とやりますと橋本さんに言ってくれて、橋本さんが45度の角度で最敬礼してくれたもんですよ。それが、そもそものスタートなんですよ」
 「それで1年後に名護に決まったんですよ。こういった私自身も痛みを分かち合ったからこそ、沖縄は理解してくれたんですよ。じゃあ今、辺野古移設反対とはいっても、じゃあだれが責任を持つかというと、だれも言わない。そこに沖縄の皆さん方は不信を持ってきたと思いますよ」
 「あわせて小渕先生がなぜ沖縄にサミットを決めたかというのも、沖縄の皆さん方に少しでもですね、この基地の軽減、負担してきたという、そして第二次の先の大戦での大変な沖縄県民の思いを知るときに、何かしてあげたいという気持ちで、あのときサミットを決めたんですよ。沖縄サミット決めて、いや実は自分がやったんだという人がたくさんいますが、あのとき私が官房副長官として小渕さんからいわれたのは、鈴木君、沖縄でできないかと。どうしたらできるか検討してくれと2月ごろいわれて動き始めたんです。沖縄は閣僚会議一つやってもらっただけでも十分だとは言ってくれたんですけども、小渕首相はやっぱりサミットにこだわったんですよ」
 「同時にこれも皆さん覚えておいてください。小渕首相がサミットを決めた最終決断は、1つのテレビだったんです。そのテレビは、名前を出しますが、NHKの特別番組だったんです。あれは3月22日かな。サミットを決める1年前ですよ。失礼、サミットを決めるときの3月だったと思います。最終的に小渕さんが絶対沖縄だと決めたのは、大田(実)中将の家族の戦後という番組だったんですよ。そこで大田中将、例の沖縄県民かく戦えり、後世の皆さん、沖縄県民に対し、特別のご高配をたまわらんことをという打電をして亡くなる方です」
 「その娘さんがニュージーランドにいるんですよ。たまたまニュージーランドに小渕首相がオークランドAPECで行くことになった。ですから、その年の3月の、サミットの前の年の3月の番組ですよ。その娘さんというのが偶然ですね、ニュージーランドの人と親しくなって結婚する。ニュージーランドに行くんですよ。そこでのインタビューが、父は最後まで沖縄のことを思っていました、と。戦後政府は一生懸命沖縄のことをやってくれましたけれども、さらに何か大きなことをしてくれれば父の思いもかないますね、と娘さんは言うんですね」
 「そのとき娘さんは、旦那は優しかったから私もついてきたけれども、来たら、敵国の花嫁だということで大変な目に遭いましたと。卵を買うのもパンを買うのも大変でしたというコメントがあるんですよ。私もそのテレビを見て涙したもんですよ。小渕さんもそのテレビを見て涙して、どんなことがあっても沖縄だということでの実は沖縄決定だったんですよ」
 「これも、やっぱり基地の軽減、そしてあの危ない普天間をとにかく早く移設するのが大事だという流れの中で、われわれはさまざまな人間関係や知恵を生かして、私なんかも選挙落選するのを覚悟でですね、当時みんな反対したんですから。それでも私は意を決してやってきて、その中でやったもんです」
 「稲嶺知事は政治家で自分の選挙区に沖縄の痛みをもっていってくれたのは鈴木宗男だけだとはっきり言ってくれましたし。敗れましたけども、嘉手納を抱える前の町長の宮城さんなんかは、自民党での講演でも、2、3年前ですか、鈴木宗男さんだけだと。きちっと体で示してくれたのは、と言ってくれるぐらい、やったもんですよ。少なくとも小泉政権後、じゃあ、そこまでやった政治家はいるかといったら、いませんね。この点は沖縄にとって不幸だと思っています」
 「あと一川(保夫防衛相)さんの発言なんかも、私から言わせれば、今の政治家をみておって一つ言えることは、勉強した政治家、偏差値の高い政治家はいるけれども、頭のいい政治家はいないと思ってます。言葉の使い方を知りません。あの答弁でも、婦女暴行事件、知ってますかといったら、十分認識していますと答えればいいんですよ。詳細うんぬんなんていうことは、親切で言ったと思うんですけど、配慮して言ったと思うけども、使い方を間違っていると思いますよ」
 「同時に、中身は、と聞く方に私はお尋ねしたい。被害者も現にいるんです。家族もいるんですよ。国会の場で、どうしてプライバシーだとか人権に関わる話の中身が聞けるんですか。私は逆に、なんという人間味のない話だと私ならば逆にお尋ねしたいですよ」
 「そういう意味で、一川さんだって国立大学を出ているんですよ。農林省に上級職で入っているんです。技術職で。勉強はしているんですよ。ただ、若干私から言えば、頭が良くない。頭が良くないというのは本人をバカにして否定している話じゃないんですよ。私の言う頭とは地頭です。政治家というのは、時には胆力を持ってですね、裂帛(れっぱく)の気合で対峙(たいじ)しなければいけませんよ」
 「菅直人さんが疎いと表現しました。これまた配慮して言ったと思うんですよ。あんときだけ一言、私ならば、まだ情報が入っていないので確かなことが言えないと言えば済む話ですよ。それを親切ぶって言ったと思う。菅さんだって勉強はしているんです。東工大出ているんですから。しかし私は頭がよくないと思いますよ。やり方みると。どうも今の政治家を見ていると、与野党とも勉強している、偏差値は高いけども、ここ一番、国民目線で私は判断したとき、地頭がない」
 「よく田中角栄ありすれば、という話が出るけれども、田中先生、勉強してませんよ。小学校しか出ていないんですから。しかし、間違いなく言えることは国民の目線にあって、当時の政治状況の中で国民第一でやってきたことは事実なんですよ。そういった意味では私は小沢先生が言った国民第一、官僚政治打破というのは、それなりに間違いなく理解している人もいれば、期待しているんではないかと受け止めながら、喜連川社会復帰促進センターで考えてきました」
 −−家族の方とどういう話をしたか
 「家内に私は来てくれるな、と。やっぱり家内が来ると、なんとなく私自身が女々しくなったり、弱気になる面もあるかもしれないので。家内もしかっりしておって、私は絶対に行きませんからと言っておりましたから、それで私はよかったと思っている。娘にも、やっぱり私は娘をみると、涙もろいもんですから。弱気になると思いますから、娘にも来るな、と。お父さん、がんばると言いましたから、待ってませんでしたけども、私は一番に家内と娘に電話をしました」
 「同時に、最初に家内から言われたのは泣くな、といわれました。はい、分かりましたと私は答えました。娘からも女房と同じことをいわれました。お父さん、泣いちゃダメですよ、と。ここは、堂々と背筋を伸ばして、前を見て、国民の皆さんが見ているんだから対応しなさいと言ってくれた。さっきも娘の話をしましたが、娘はいつも、お父さん、自分の歩いた過去は否定しないで自信を持ってくださいと。みんな笑ってくれますからという便りもしょっちゅうありましてですね、一番身近な家族が理解するのが当然といえば当然ですけども、その中にあってもしっかりですね、家族としての絆を私はもらっていたことをありがたく思っています」
 (司会の新党大地・浅野貴博衆院議員が「まだまだ質問があるかと思いますが、これで最後の質問とさせてください」)
 「いや、そこのきれいな女性。じゃあ2人どうぞ」
 (浅野氏「代表、進行に従っていただきたいと思います。お願いします」)
 「ちょっとここは仕切らせてください。1年ぶりにしゃべるものだから、すみません、どーも。あんまり説明が上手でないかもしれませんけど、ご理解いただきたいと思います」
 −−逮捕前はおびただしい検察リークの構図があった。検察が冤罪(えんざい)を作り上げ、マスコミがその先棒を担いで増幅する構図がある限り、冤罪の犠牲者が出ると思うが、そこはどう考えるか
 「私はやっぱり、国策捜査という言葉が定着したが、検察が最初からシナリオ、ストーリーありきで作って、それにまた調書優先主義で、2人の先生はよく分かっていますが、佐藤先生は足利事件の菅谷さんの弁護をした人ですよ。いろんな弁護士さんの話を聞いても、検察官が作った調書通り、同時に私が逮捕された事件でも、やまりんさんでも島田さんも検察の言うとおりに調書しましたというのが大勢ですよ。調書優先で裁判官も、私が正直に賄賂はもらっていませんといったら、判決の文章は反省の情皆無なんです」
 「本来ならば私なんかは執行猶予をもらってもいいと思っても、反省の情皆無で実刑なんですね、結果として。そういうのをみると、やっぱり検察のですよ、やっぱりやり方、私自身は特捜はない方がいいと思っています。特捜というのは何かしら、特権というかエリート意識を持って検察の中の検察だみたいな一種の思い上がり、青年将校化した連中がいると思いますよ。鈴木をあげるのがわれわれの一つの手柄だみたいな、出世コースだみたいな、この思い上がっているというか、勘違いしている価値観を持っている人がいますね。そのためにも私はしっかり政治が検察をチェックすべきだと思う」
 「これも皆さんね、戦後の内閣をみるとき、皆さん、閣議の席順は役所のできた順番なんですよ。閣議前にテレビに映らせているのは、当選回数や閣僚経験の順番で座らしているんです。閣議の中というのは役所ができた年で並んでいるんです。だから法相は絶えず首相の横なんですよ。重い。この順番からいっても」
 「じゃあ、戦後ですよ、法相が本当に与党の中で、議院内閣制は与党が政権を作るわけですから、与党の中で重きをなした人が何人いるかといったら、いないですね。この点もなめられたと思いますよ。やっぱりもっともっと国民の代表たる国会議員がですね、特に首相あたりは、法相は相当大きな影響力や判断力を持っている人をびしっとつけたら、きちっとしますよ」
 「人事権を持っているのは法相なんだから。法務省だけですよ。検事が事務次官になるのは。検察が事務次官になるのが。しかもですよ、各役所は事務次官がトップですね、役所の事務方では。法務省だけが4番手ですね。検事総長がいて、次席がいて、東京高検長で、そして事務次官ですから。こういうバカな組織はないんではないんでしょうか。私もおかしいと思いますよ」
 「私だって途中で妥協すればね、また別の展開があったと思うんですよ。私、検事に言ったんですから。私を取り調べた谷川さんだとかは、あえて名前も言いますけどね、この検事はバッジをはずしなさいとか、先生ね、政治家を辞めたほうがいいですよ、と。そこで手を打てば、私は逆に入ることなかったかなという気もするんですけどね」
 「しかし私も弱気になって妥協しようと思ったけども、このときも女房や子供たちが戦えというから、私もがんばって431日いたんですけどね。結果としてがんばって良かったと思うけども、私の経験からしてもね、冤罪を作っちゃいけませんけど、村木事件が良い例ですよ。佐藤先生は村木事件をみながら、弘中弁護士もそうですけど、鈴木事件も一緒だと、同じ構図だと言ってくれてますよ。日本を代表する弁護士さんがですよ、そういってくれている以上、私はその声にも耳を傾けるのが大事だと思っていますしね、ありがたいことだと思っています」
 「やっぱり、そういった意味では検察のあり方、やっぱり私は可視化を進めてきました。一生懸命署名運動もやってきて、10万人近い署名も集めて法相に渡したりすることもできましたけどね。可視化がまず動き出したことが、われわれの声も通ったと思って、いいんですが、これはもっともっと全面可視化に向けて、特に大事なのは被疑者、容疑者、将来参考人、証人になる人も可視化が必要なんですよ」
 「被疑者なんていうのは、外堀を埋めていきますから、検察は。調書が大事ですから。あなた方は何を言っても罪になりませんよといって、やまりんや島田の関係者に言っているんですよ。そしたら私が捕まってしまったら、みんなメロメロですから。検察が言っているんですね。鈴木はもう復帰はないですよ、もう絶対カムバックはないんですから、といったら、みんなそうかなと思ってなってるんですから」
 「だからみんな誘導されちゃうんですよ。そうした誘導、誤導に負けてしまう。石川さんだって、だれそれさんがこういったからと言われたら、そっちに引きずられちゃいますよ。絶対、全面可視化は必要ですね。証人、参考人、そして将来裁判に出てくる人すべて含めて全面可視化しなければ私は本当の真実は明らかにならない」 「あと私が不思議でならないのが、釈放を申請しますね。未決勾留中のとき。裁判所が判断すればいいんですよ。ところが検察に相談して検察がノーといったら出してくれないですね。だから私は前回、431日おかされましたよ。私がだいたい150日超えたら東京拘置所の刑務官がですよ、先生の事件でこんなにおくのはおかしい、やっぱり検察の嫌がらせだ、と。われわれは先生に同情しますよ、と。逆に刑務官が私に優しくしてくれたんですよ。それが皆さん、実態ですよ」
 「裁判官が判断すればいいんですよ。なんでいちいち、法律事項でも何でもないですよ。それを悪しき慣例で相談するんですよ。同時に私のこの仮釈放にしても、東京地検特捜部にも相談というか、上申しているんですね。何もする必要ない話ですよ。そういう悪しき慣例を断ち切らなければ、すべてにおいていけない。そういった意味でも私は石川代議士にはがんばってもらいたいし、小沢先生にもとことんがんばってもらいたいという気持ちは持っています。あと、どうぞ。あと2人」
 −−再審は考えているか。今後、具体的にどのような形、立場で何をやろうとしているのか
 「佐藤先生がお見えですけど、いま民事で私は裁判をやっております。1つやります。2つめも近々また裁判やって、日本を代表する弁護士さんが、佐藤弁護士、弘中弁護士が取り組んでくれておりますから、この弁護士さんを信頼して、弁護士さんにお任せして進めていきたい。私は再審に向けての最善の取り組みをしてまいりたい。やっぱり真実を明らかにしたいと思っています」
 「ただ一つ言えることは、私は検察が、あるいは裁判官がいかなる判断をしたとしても、少なくとも私に賄賂を持っていったというやまりんさんや島田さんの関係者は、逆にそんな気持ちはなかったし、われわれは純粋なお祝いでしたと。官房副長官のお祝いでした、あるいは政治活動費でした、ポストについたお祝いでしたという話もありますから、私はその全くの真実の声というものもありがいと思って受け止めながら、とにかく再審に向けての努力は最善を尽くしていく」
 「あと、私がどんな活動をするかというのは、新党大地の代表であることに変わりはありませんから。浅野代表代行が辞めろということはいわんと思いますから、あるいは副代表も私の足を引っ張ることはないと思いますから、この点、きちっと相談しながら、私は代表を務めながら、北海道の地域政党でありますけれども、冒頭言ったようにですね、いま全国から私に期待しているという声もありますし、また国会議員の中でもですね、鈴木先生の経験や知恵も借りたい、あるいは一緒に動きたいという人もおりますし」
 「そういう意味ではやっていきたいし、年内にとにかく早い機会にまずは被災地。私は(岩手県の)宮古に行ってですね、(被災者の)昆愛海さんという女の子に会いたい。あるいは田老の野中という町長さん、例の防潮堤を作ったけども、それをまた飛び越えたということ。あるいは吉村(昭)先生の本を読むにつけ、歴史的な津波が周期的に来ているということなどを考えたときに、しっかり経験者のことも踏まえながら、安全や安心はコストがかかるものだと」
 「同時に費用対効果からみれば、あわないかもしれないけれども、命だとか安全、安心を考えたときに、きちっと国民に納得のいく形の中で進めるものは進めるべきだという思いを持ちながら、それを少しでも世論喚起だとか、あるいは被災者の生の声を受け止めて、それを浅野(貴博)代議士なり松木(謙公)さんなり石川(知裕)さんなり徳永(エリ)さんなり橋本(勉)代議士等に伝えて、スクラムを組んでやっていきたい。具体的に活動していきたい」
 「この点、北海道の地域政党ですけども、ちょっとウイングを広げて全国から声がありますから、その声には応えていきたい。少なくとも鈴木宗男の賞味期限は切れたかもしれませんけれども、消費期限は残っていると思っていますから、消費期限がある間はがんばりたいと思ってます」
 −−現在の健康状態や今後検査の予定は
 「とりあえず近々病院に行って検査したいと思います。10年前に逮捕された後、胃がんが出ましたし、去年収監されたとき食道がんが出ましたんでね。私自身、健康には気を使ってきましたけども、しかしこれまた人知を越える面もありますから、1日も早く病院に行って、しっかりチェックを受けて、その結果をみながら鈴木宗男の再起働。再び、起きる、働くだ。なぜにんべんか。人という字がついているからだ。私は人様に助けられて生きていますから、人様の思いというのを忘れない意味でもしっかりそのことを踏まえてやっていきたいなと思っています」
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鈴木宗男氏収監?「これからも権力と闘う」/暴走する検察 東京地検特捜部の惨憺たる内情2010-12-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
鈴木宗男氏収監?/冤罪なのに選挙民が選んだ代議士をこんな簡単に失職させてよいのか2010-12-07 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
 ムネオ日記 2010年12月4日(土) 鈴 木 宗 男
 収監までの限られた時間の中で種々打合せをする。
 昨日昼は私の指南役ともいうべき佐藤優さんと様々なシュミレーションの中で戦略・戦術を話し合う。佐藤さんの分析・先見性にうなずきながら自信がわいてくる。
 夕方、札幌に向かい松山千春さんと私の居ない時・留守の間・選挙になった時を含めて新党大地の立ち位置・対応・細部にわたり相談する。
 松山さんの考えと私の思いは一致し価値観を共有できることは有難いことである。松山さんの人間失ってはいけない「情」「心」「感性」を改めて感じながら凄い「心友」に心から感激した。
 今日も松山さんから電話があり「ムネオさん堂々と胸を張って行って下さい。どんなことがあっても最後迄ムネオさんと一緒ですから。足寄がルーツの2人ですから。何も心配しないで何かあった時には先頭に立ってやりますから」と励ましを受ける。ただただ涙が流れてくる。電話の向でも千春の涙声が伝わってきてお互い言葉が繋がらない。足寄に生まれ育ち、故郷にこだわって生きてきた2人だけにしかわからない価値を確認でき幸せである。私にとって松山千春さんは特別の人である。
 10時から帯広・十勝管内、14時から網走管内、17時から釧路・根室管内の鈴木宗男後援会新党大地支部の拡大役員会。皆さん「待っていますよ。身体に気をつけて」「死ぬ迄鈴木宗男ですから心配しないで」「必ずカンバックして下さい。応援しますから」等々声をかけられる。
 厳しかった昭和58年最初の選挙。有罪判決を受けての平成17年9月、21年8月の選挙を乗り切ってくれた我が後援会は日本一の後援会である。
 人間関係に感謝しながら収監前にお詫びの挨拶が出来ホッとする。8年前逮捕の直前はマスコミにも追いかけられ選挙区に帰ることはままならなかった。
 今、世の中空気は変わり東京・北海道の事務所には激励の山である。判ってくれる人、理解してくれる人が圧倒的に多い。私は意を強くして6日に臨んで行く。
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ムネオ日記 2010年12月5日(日) 鈴 木 宗 男
 昨夜、釧路からの最終便で上京。家に着いたのは23時になった。限られた時間しかないので雑誌の校正とか残された仕事をしたら夜中の3時近くになってしまった。
 9時から日程が入っていたので予定通りこなしながら午後からは事務所で書類整理や留守の間の打合せを事務所の人達とする。9月15日異議申し立て棄却、10月7日食道ガンと言われ26日手術。あっという間の80日だった。
 8年前逮捕される時は検察のリークによるメディアスクラムともいうべきバッシングで身動きが取れなかったが今回は同情や激励ばかりで、メディアの皆さんも冷静に受け止めて下さり。北海道内の後援会はもとより全国の主要な処にも挨拶に行く事ができよかった。
 与えられた宿命の中でしっかり頑張って結果を出したいと改めて決意する。北海道はもとより全国の後援会、仲間、同志の皆さんしばらく留守を致しますがお許し下さい。
 東京も北海道の事務所も従前通り機能しておりますので宜しくお願いします。一日も早くお目にかかれる事を楽しみにしながら行って参ります。
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小沢一郎氏裁判 第7回公判/池田光智元私設秘書 捜査段階の供述調書「検察官に押し切られ署名」

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【小沢被告第7回公判】
経理業務は「私の判断で」 池田元秘書が出廷 
産経ニュース2011.12.7 11:10
 資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる事件で、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で強制起訴された民主党元代表、小沢一郎被告(69)の第7回公判が7日、東京地裁(大善文男裁判長)で開かれた。池田光智元私設秘書(34)=1審有罪、控訴中=が証人出廷し、「経理全般は任されていたので私の判断で行っていた」と述べ、小沢被告の指示はなかったことを強調した。
 検察官役の指定弁護士の尋問に答えた。池田元秘書は、小沢被告からの業務上の指示について、「人に対しての礼儀作法は厳しく、しっかり対応するように言われていた」としつつも、政治資金収支報告書の作成など経理業務は独断で処理していたとした。
 池田元秘書は平成17年から東京・赤坂の事務所で勤務。前任の石川知裕衆院議員(38)=同=からの引き継ぎについては、「すべて教えてもらったわけではなく部分的だった。『過去のものを参考にしてくれ』といわれた」と証言。指定弁護士から、政治資金規正法について勉強したことがあるかを問われると「ありません」と答えた。
 池田元秘書は東京地検の取り調べに、16年の土地購入の支出を17年分の収支報告書に記載することを小沢被告に説明し、「決裁を得た」と述べたとされた。しかし、再聴取では「あいまいな記憶に基づいて話してしまった」と一転して小沢被告の関与を否定。自身の公判でも「長時間の取り調べから逃れたいという思いで虚偽の調書に署名してしまった」と主張した。
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小沢一郎被告裁判 池田光智被告、捜査段階の供述調書「検察官に押し切られ署名」
民主党元代表・小沢一郎被告(69)が強制的に起訴された裁判で、元秘書・池田光智被告(34)が証人として出廷し、捜査段階の供述調書について、「検察官に押し切られて署名した」と述べ、強引な捜査があったと主張した。
小沢被告の資金管理団体「陸山会」の会計事務を担当していた池田被告は、7日の証人尋問で、収支報告書の作成について、「自分の判断でやっていた」と述べた。
また、捜査段階で、収支報告書の内容を小沢被告に報告したとする供述調書に署名したことについては、「『報告した記憶はない』と検察官に話しても、聞いてくれなかった。家に帰らせてもらえず、押し切られて署名した」と、強引な捜査があったとしたうえで、調書の内容を否定した。
捜査段階の供述調書については、これまでの裁判で、石川知裕被告(38)ら元秘書2人も、内容を否定する証言をしており、裁判所の判断が注目される。
(FNN12/07 22:44)
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小沢一郎氏裁判 第6回公判/弁護側反対尋問「ずっと前田検事と過ごしており、マインドコントロールの中に」2011-12-01 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 証人:会計責任者だった、大久保隆規元秘書
小沢一郎氏裁判 第5回公判/「政治資金規正法を皆さん勘違い」=安田弁護士2011-11-30 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
小沢一郎氏裁判 第4回公判 石川知裕証人「調書作らないと帰してもらえない。判断の甘さ、自分の弱さ」2011-11-01 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア 水谷建設からの裏献金「そういう事実はございません」ときっぱり否定

鈴木宗男前衆院議員「議員秘書として永田町に戻る」「私は一貫して小沢氏の立場を支持している」

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仮釈放の鈴木宗男氏、小沢氏と会談
産経ニュース2011.12.9 19:21
 受託収賄などの罪で実刑判決を受けて服役し、6日に仮釈放された新党大地代表の鈴木宗男元衆院議員が9日夕、衆院議員会館で民主党の小沢一郎元代表と約30分間会談した。消費税引き上げを目指す野田佳彦首相の政権運営などについて意見交換した。
 鈴木氏は会談後、記者団に「収監中に激励をいただいたお礼だ」と会談の趣旨を説明。「私は一貫して小沢氏の立場を支持している。信頼関係は変わるものではない」と語り、今後も小沢氏と歩調を合わせていくことを強調した。
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365日ぶりに仮釈放された鈴木宗男前衆院議員の秘策は「議員秘書として永田町に戻る」
現代ビジネス2011年12月10日(土)歳川 隆雄
「今朝8時に1年ぶりに自由な空気を吸うことができました。面白い巡り合わせで、昨年の12月6日に収監され、同じ日に仮釈放されました。宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える鈴木宗男の生き様は、この収監、仮釈放の日にも合っているのかなと、こんな想いをしながら朝8時に、とても気持ちがいい、清々しい空気を外で吸うことができました」---。365日ぶりに仮釈放された鈴木宗男前衆院議員(新党大地代表)の記者会見冒頭の台詞である。
 12月6日午後、東京・永田町の衆院第2議員会館地下1階の第3会議室で開かれた記者会見は、実に「宗さん」らしいものだった。狭い会議室に約70人もの記者が集まった同会見は、鈴木氏元秘書の浅野貴博衆院議員(新党大地代表代行)の司会によって進められたのだが、45分間の予定を大幅にオ−バーし65分間に及んだだけでなく、「1年ぶりに喋るものだから、ここは私に仕切らせてください」と、途中で進行役を奪うほど宗さんのワンマンショーであった。
 その後、会場を参院議員会館1階の講堂に移して開催された「仮釈放を祝う会」は、党派を超えて衆参院議員98人、代理を含めると132人が駆けつけたほど大盛況だった。挨拶に立ったのは、小沢一郎元民主党代表、伊吹文明元自民党幹事長、鳩山由紀夫元首相、福島みずほ社民党党首、原口一博元総務相、そして作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏の6人。
 圧巻だったのは記者会見だ。東日本大震災、東京電力福島第一原発事故、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉参加、消費増税、国会議員歳費・公務員給与削減、小沢一郎・石川知裕両衆院議員の裁判、北方領土返還、沖縄・普天間基地移設、2000年沖縄サミットなど、話題は広範に及び、「宗男節」が炸裂したのだ。翌日の新聞各紙の報道は小さな扱いだったが、ここでは久しぶりの「宗男節」の一端を紹介したい。
 先ずは、宗さんらしさが滲み出ている発言から。
「苦難を乗り越えるには3つ必要だと思いました。一つは自分の信念。もう一つは自分ひとりでは生きていけないということ。家族、友人、仲間が大切だと思いました。幸い、家内や娘や息子が意を強くして(収監される直前に)『天の配剤だと思って、神様が与えてくれた時間だと思って、体に気をつけて頑張れ』と言ってくれまして、これで安心しました。
 同時に、松山千春さんはじめ多くの後援者からも『信じているから頑張れ』という言葉を頂きました。『疾風に勁草を知る』---後漢の初代皇帝・光武帝が自分の配下である王覇を称えた歌ですが、我が後援会は、私の友人・知人や支持者はこの言葉にふさわしいなと思って、これまた意を強くしたものです」
 次は、小沢氏裁判にも絡めての検察批判。
「本来ならば私なんか執行猶予であってよかったんですね。でも、反省の情皆無ということで、結果として実刑だった。こうしたことを見ると、やはり検察です。
 私自身、特捜部はない方がいいと思っています。特捜というのは、どこかエリート意識を持って『検察の中の検察』だみたいな一種の思い上がり、青年将校化した連中がいる。鈴木を挙げるのが我々の一つの手柄だみたいな、出世コースだみたいな、勘違いしている価値観を持っている検事がいます。
 そのためにも私はしっかり政治が検察をチェックすべきだと思う。国民の代表たる国会議員である法務大臣に相当大きな影響力と判断力を持った人を就けたら、もっときちっとしますよ。人事権を持っているのは大臣です。検事が事務次官になるのは法務省だけです。他省庁は事務次官がトップですが、法務省だけが最高検検事総長、同次長検事、東京高検検事長に次ぐ4番手です。私はおかしいと思います」
 ジャーナリストの江川紹子氏の質問に対して「(自らの裁判について)再審請求に向けての努力は最善を尽くす」と答えた鈴木氏は、来年4月の刑の満期から5年間、選挙に立候補できない。それでも、「生涯政治家」を訴えた同氏には秘策がある。かつての「子分」である浅野衆院議員の政策秘書になるというのだ。「秘書」として国会・議員会館を自由に行き来することを担保したうえで政治活動を続けるというのである。これまた宗さんらしい。
 筆者は二木啓孝氏と一緒に逮捕直前までインタビューを続け、2002年7月に刊行した『宗男の言い分』(飛鳥新社)に鈴木氏の「本質」を見ることができる。記者会見時の同氏の顔が、絶頂期だった小渕恵三政権下の官房副長官時代のそれと全く変わっていなかったことに、筆者は安堵した。「宗男節」が再び炸裂するに違いない、消費増税を巡る大政局が間近に迫っている。
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鈴木宗男元衆院議員 仮釈放記者会見/「帰りを祝う会」に小沢一郎・鳩山由紀夫氏ら100人以上の国会議員2011-12-07 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 「あと、石川さんの裁判についてですけども、私もあそこにいて新聞は1紙、全国紙1紙とスポーツ紙1紙です。あとラジオはNHKの夜の7時のニュースしか入らない。面会、あと事務所、浅野貴博代議士などからの情報などできて一番驚いたのは推認という話が出てきたり。推認でやられたら鈴木宗男はもっと重い罰を受けたのではないかなと思うぐらい動転しました」
 「私は石川代議士。ご両親もよく知っているし同郷です。石川代議士の人間性もよく知っています。少なくとも水谷建設から石川さんが5000万円もらっていないことは、私もそれなりの裏付け、私自身、直接聞いた話ですから、グレーゾーンというか分からない部分がある水谷建設さん側でも。本当に真実を明らかにする法廷が真相解明だとかに十分な期間としての人を裁く場所としての役割を果たしているかというとちょっと疑問に思いました」
 「私は石川さんを信じておりますから、石川さんに堂々と最後まで戦っていただきたい。このことは小沢一郎先生にも言えます。法律の専門家、法律に詳しい検察が立件しようと思ってもできなかった事件を、また何となく興味本位で論調している人が多いんですけれども、それはこれまで本当に公正公平かというのが私自身はちょっと首をかしげます」
 「しかし、これは今裁判進行中でありますから、必ず私は裁判の進行の中でだんだんと真実が出てくると、こう思っていますし。同時に私は小沢先生の裁判でも私自身ひとつ感じることがあるんです。私も中川一郎先生の秘書をやっていました、年間大きなお金を私自身預かっていました。田中角栄先生が逮捕されたとき、中川一郎先生はこう言いました。『おれは角さんのようにはならない。俺に何かあったら鈴木が捕まってくれる』と。こう中川先生が言うぐらい私は信頼されてました」
 「私は秘書としてどんなことがあっても親方、中川先生には迷惑をかけない。これが秘書の考えなんです。そしたら、大きなお金は個別に分けてもらったようにするだとか、相手の了解も得ながら、いろいろですね、立場を考えて法律も考えながらその範囲の中で最大の許容量と言いますか、許容限と言いますかですね、許容範囲を考えてやっていくものが秘書の務めなんですよ」
 「私は政治資金の虚偽記載についても、絶対中川先生には迷惑をかけないという思いの中で、その中で精いっぱいのこれならば理解されるんではないか、これならば許されるんではないかという中で書類整理などはやってたわけでありますから。この点もちょっと私は実態、その国会議員の秘書さんが全部書類をつけている話です。直接、議員さんが名簿つけている人が何人いるかと言った場合、いないと思いますけどね。それでも議員が胸に手を当てて、俺は100%間違いない、そう言える議員が何人いるか。逆に私はお目にかかりたいと思うぐらいの気持ちで、あわせて秘書を信頼をしてやっていることも私は事実だと受け止めています」

登石郁郎裁判長の判決文(要旨) この矛盾に満ちた文章がこの国の司法の場で通用することに唖然とする2011-09-28 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
陸山会・西松建設事件判決に見る危うさ 調書主義を転換、裁判官の印象・推認で黒白を決するようになった2011-09-27 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

「安田事件」/“民意”を追い風にした政治的背景/底知れぬ権力犯罪のにおい/繰り返される断罪報道

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安田弁護士:強制執行妨害で有罪確定へ
 経営難に陥った顧問先の不動産会社の資産約2億円を隠したとして強制執行妨害罪に問われた弁護士、安田好弘被告(64)の上告審で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は6日付で、被告と検察双方の上告を棄却する決定を出した。1審無罪を破棄して罰金50万円とした2審・東京高裁判決(08年4月)が確定する。弁護士法は、禁錮以上の刑が確定した場合は弁護士資格を失うと定めているが、安田弁護士のケースは罰金刑にとどまったことで、弁護士資格は維持される。
 裁判官5人中4人の多数意見。田原睦夫裁判官(弁護士出身)は「被告が会社側の犯意を認識していたとする点に、合理的な疑いが払拭(ふっしょく)できない」と述べ、無罪にすべきだとの反対意見を述べた。
 安田弁護士は93年3月〜96年9月、顧問先の不動産会社社長=懲役1年6月、執行猶予3年が確定=らと共謀し、同社所有の賃貸ビル2棟のテナントに対し「賃貸人が代わった」などと装ってテナント料計約2億円をダミー会社2社に振り込ませ、これらの賃料債権への強制執行を妨げたとして起訴された。
 懲役2年の求刑に対し、無罪を言い渡した1審・東京地裁判決(03年12月)は顧問先への助言について違法性はないとして、「アンフェアな捜査だった」と捜査を批判。一方、2審は逆転有罪としつつ、共謀を否定してほう助罪にとどまると判断し、罰金刑を選択。これに被告、検察の双方が上告していた。【石川淳一】
◇松本死刑囚の弁護担当
 安田弁護士は第二東京弁護士会所属。死刑廃止運動のリーダー格として、死刑事件の弁護活動に積極的にかかわることで知られる。
 オウム真理教事件の一連の公判で、松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)の1審主任弁護人を務めていた98年、強制執行妨害容疑で警視庁に逮捕された。自身の刑事裁判の1審では、安田弁護士側は「松本死刑囚の弁護人として、検察側証人らに容赦ない尋問を行ったことへの攻撃」と捜査への疑問を投げかけた。逆転有罪となった2審判決に対し、安田弁護士は「捏造(ねつぞう)された証拠を全面的に採用し、検察のメンツを立てた」と批判を強めていた。
毎日新聞2011年12月8日 13時02分(最終更新12月8日 13時48分)
...........................
「私は無実」と安田弁護士 有罪確定見通しでコメント
 死刑廃止運動のリーダー的存在として知られ、強制執行妨害事件で罰金50万円の有罪判決が確定する見通しとなった弁護士安田好弘被告(64)の弁護団が8日、東京・霞が関の司法記者クラブで会見し「私は無実です」と訴える本人のコメントを読み上げた。
 コメントは、上告を棄却した最高裁の決定を「検察が捏造した証拠を見破ることができず、真実を見極める力がなかったことは残念でならない」と批判。「検察のメンツを立てつつ、私の弁護士資格を奪わない罰金刑で一件落着にするという壮大な妥協」と評した。
2011/12/08 17:23【共同通信】
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安田弁護士事件
西日本新聞(2004年01月22日掲載)

 住宅金融専門会社(住専)の大口貸し付け先だった「スンーズコーポレーション」(東京)が、ビル賃料の差し押さえを免れようと実体のないダミー会社を設立。一九九三年から九六年にかけ、賃貸料約二億千万円を同社の口座に振り込み財産を隠したとして、警視庁は同社社長らを逮捕。その後、隠匿を指示した疑いで顧問弁護士の安田好弘氏を逮捕した。
 だが、安田氏の公判でこの二億千万円は、同社の倒産に備え、従業員四人が無断で横領していた事実が判明した。同社社長らはすでに一、二審とも有罪判決を受け、上告中。
 【深く読む・核心に迫る、追う=揺らぐ検察の「正義」 安田好弘弁護士に無罪 背景にオウム裁判や「国策」の不良債権回収 「判決、まるで告発文」】
 判決というより、裁判所の「告発文」と私には思えた―。強制執行妨害罪に問われ、昨年12月24日、東京地裁から無罪を言い渡された安田好弘弁護士は、私にこう語った。オウム真理教(アレフと改称)の元代表・松本智津夫(麻原彰晃)被告の主任弁護人を務めるほか、死刑廃止運動の先頭に立つ「人権派」の旗手。そんな安田氏の逮捕、起訴、そして無罪判決からみえてくるのは、この国の司法に潜む闇である。(北九州支社・宮崎昌治)
 「あなたが当裁判所に起訴され、本日でちょうど満五年となります」。
 無罪判決を言い渡した後、川口政明裁判長は安田氏に語りかけた。一九九八年十二月六日、安田弁護士は警視庁に逮捕され、同二十五日に東京地検から起訴された。
 裁判長は続けた。
 「審理が少し長引きご迷惑をおかけしました。私は、わたしなりに事件の解明に努力したつもりです。いろいろ話したいこともありますが、中途半端に余計なことを入れるのはやめておきましょう」
 そして「今度、法廷でお会いするときは、今とは違う形でお会いできることを希望します」。こう結ぶと、もう一度「被告人は無罪」と繰り返し、法廷を後にした。
 千二百人を超える大弁護団と検察の威信を賭けた攻防は、安田氏側の全面勝利でその第一幕を閉じた。
  □   ■
 なぜ、安田氏は無罪なのか。
 判決は、検察が有罪を立証しようとした関係者の供述調書作成に「捜査官の強引な誘導があったことが強く疑われる」と指摘。そのうえで、捜査と公判における検察官の立証活動に「より根本的で重大な問題がある」と強く批判している。
 それは何か。
 警視庁と東京地検は、安田氏が顧問を務める不動産会社で、使途不明となっていた二億千万円を「債権回収を妨害するため、安田氏が指示して隠した」と見立てた。
 だが、実はこの金は同社従業員らが横領していた。検察は安田氏の逮捕・起訴前に実は、その事実を知り、見立て違いに気付いていた。だが、既定方針通り安田氏を逮捕・起訴し、公判でも、その事実を隠した。しかも、横領事件の追及を全くしていない。
 このような検察官の態度を判決は「アンフェア」とし、従業員の横領を不問に付した行為を「一種の司法取引のような形で、全面的に捜査機関に迎合する供述を行ったとみられてもやむを得ない」と結論付けた。
 言葉は穏やかだが、捜査、公判における検察の「不正義」を断罪している。弁護団は「判決が検察に対し、捜査段階のみならず、公判での不正義にまで言及したのは過去に例がない」と話す。
  □   ■
 だが、問題はそれだけにとどまらない。
 より「根本的」な問題は、なぜ安田氏が逮捕されたか、ということだ。その理由を重ね併せると、恐るべき権力犯罪のにおいがしてくる。
 当時、麻原裁判での安田氏の強力な弁護活動に検察はてこずっていた。一方で、世間からは遅々として進まぬ裁判への批判が高まっていた。
 さらに、安田氏を告発したのは、不良債権処理という「国策」を遂行していた中坊公平氏率いる旧住管機構である。当時、中坊氏こそが「正義の旗手」であり、中坊氏の債権回収に世間は喝さいを送っていた。
 最後に、安田氏は捜査機関にとって長年、手ごわい「敵」であり、「じゃま」な存在だった。
 “民意”を追い風にした、こうした政治的背景が「安田氏逮捕」に見え隠れする。この事件を検証したジャーナリストの魚住昭氏は著書「特捜検察の闇」(文芸春秋)で「捜査の目的は真実や正義の追究ではない。安田を葬り去ることである」と記している。
 捜査に100%はない。警察も検察も、ときに間違う。だが、それは正義を追究した結果の「過失」であって初めて成り立つ言い訳であり、間違いが「故意」であれば、これほど恐ろしい権力犯罪はない。
 ちなみに、中坊氏は今回の判決の直前、強引な不良債権回収の違法性が指摘され、弁護士廃業に追い込まれた。
 オウム裁判における安田氏の弁護活動は、地下鉄サリン事件で夫を亡くした高橋シズエさんでさえ、私の取材に「黙秘する被告も、安田さんが質問すると返事をする。法廷が終わると、私たちにも『つらかったでしょう』と声を掛ける。相手の心の中に入ってゆける人で、安田さんがいなければオウム裁判は成り立たない」と語っていたことも、つけ加えたい。
  □   ■
 無罪判決後の、安田氏の言葉を紹介する。
 「逮捕直後は、正直言って『やっとこれで弁護士をやめられる』と、ほっとした」
 当時、安田氏はオウム裁判に忙殺され、徹夜も度々という生活で月四回の公判に備えていた。逮捕直前、私が事務所に出向くと、安田氏の机の脇には、寝袋と折り畳み式ベッドがあった。
 「しかし三、四日して体力が回復してくると、激しい怒りが抑えようもなくわき上がり、怒りで目が覚めることも度々でした」 「捜査・公判は事実ではなく、政治的意図に基づいて動いていた。私は警察と検察が敵対するものをつぶすために権力を使ったと、そう思っています。そして、私の身に起こったことは、ほかでも起こっている。これでは戦前の国家警察とどこが違うのか」
 裁判長は何を「いろいろ話したかった」のか。そこに、底知れぬ権力犯罪のにおいを感じとっていたのではないかと、私は思っている。そして、検察の「正義」を疑うことなく、私を含めてメディアはまたも、逮捕・起訴段階で安田氏の「断罪報道」を繰り返してしまった。
 検察は東京高裁に控訴し、審理はなお続く。 安田好弘著『死刑弁護人 生きるという権利』講談社α文庫
p3〜
 まえがき
 いろいろな事件の裁判にかかわって、はっきりと感じることがある。
 なんらかの形で犯罪に遭遇してしまい、結果として事件の加害者や被害者になるのは、たいていが「弱い人」たちなのである。
 他方「強い人」たちは、その可能性が圧倒的に低くなる。
 私のいう「強い人」とは、能力が高く、信頼できる友人がおり、相談相手がいて、決定的な局面に至る前に問題を解決していくことができる人たちである。
 そして「弱い人」とは、その反対の人、である。
 私は、これまでの弁護士経験の中でそうした「弱い人」たちをたくさんみてきたし、そうした人たちの弁護を請けてきた。
 それは、私が無条件に「弱い人」たちに共感を覚えるからだ。「同情」ではなく「思い入れ」と表現するほうがより正確かもしれない。要するに、肩入れせずにはいられないのだ。
 どうしてそうなのか。自分でも正確なところはわからない。
 大きな事件の容疑者として、連行されていく人の姿をみるたび、
「ああ、この人はもう一生娑婆にはでてこられないだろうな・・・」
 と慨嘆する。その瞬間に、私の中で連行されていく人に対する強い共感が発生するのである。オウム真理教の、麻原彰晃さんのときもそうだった。
 それまで私にとって麻原さんは、風貌にせよ、行動にせよ、すべてが嫌悪の対象でしかなかった。宗教家としての言動も怪しげにみえた。胡散臭いし、なにより不遜きわまりない。私自身とは、正反対の世界に住んでいる人だ、と感じていた。
 それが、逮捕・連行の瞬間から変わった。その後、麻原さんの主任弁護人となり、彼と対話を繰り返すうち、麻原さんに対する認識はどんどん変わっていった。その内容は本書をお読みいただきたいし、私が今、あえて「麻原さん」と敬称をつける理由もそこにある。
 麻原さんもやはり「弱い人」の一人であって、好むと好まざるとにかかわらず、犯罪の渦の中に巻き込まれていった。今の麻原さんは「意思」を失った状態だが(これも詳しくは本書をお読みいただきたい)、私には、それが残念でならない。麻原さんをそこまで追い込んでしまった責任の一端が私にある。
 事件は貧困と裕福、安定と不安定、山の手と下町といった、環境の境目で起きることが多い。「強い人」はそうした境目に立ち入らなくてもじゅうぶん生活していくことができるし、そこからしっかり距離をとって生きていくことができるが、「弱い人」は事情がまったく異なる。個人的な不幸だけでなく、さまざまな社会的不幸が重なり合って、犯罪を起こし、あるいは、犯罪に巻き込まれていく。
 ひとりの「極悪人」を指定してその人にすべての罪を着せてしまうだけでは、同じような犯罪が繰り返されるばかりだと思う。犯罪は、それを生み出す社会的・個人的背景に目を凝らさなければ、本当のところはみえてこない。その意味で、一個人を罰する刑罰、とりわけ死刑は、事件を抑止するより、むしろ拡大させていくと思う。
 私はそうした理由などから、死刑という刑罰に反対し、死刑を求刑された被告人の弁護を手がけてきた。死刑事件の弁護人になりたがる弁護士など、そう多くはない。だからこそ、私がという思いもある。
 麻原さんの弁護を経験してから、私自身が謂われなき罪に問われ、逮捕・起訴された。そういう意味では私自身が「弱い」側の人間である。しかし幸い多数の方々の協力もあり、1審では無罪を勝ち取ることができた。裁判所は検察の作り上げた「作文」を採用するのでなく、事実をきちんと読み込み、丁寧な判決文を書いてくれた。
 多くの人が冤罪で苦しんでいる。その意味で、私は僥倖であった。
 この国の司法がどこへ向かっているのか、私は今後も、それを監視しつづけていきたいと思っている。「弱い人」たちに、肩入れしつづけていきたいと思っている。(〜p5)
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『死刑弁護人』/“平和を実現する人々は幸いである。義のために迫害される人々は幸いである”マタイ5章2011-10-12 | 死刑/重刑/生命犯 問題
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国家と死刑と戦争と【2】
*弁護人・被告人の抵抗を潰す「司法改革」
 「司法改革」という言葉を皆さんご存じかと思います。その「司法改革」の要として裁判員制度の導入があると説明されています。この裁判員制度の導入を言いだしたのは、最高裁でも法務省でもありません。それは、内閣に設置されている「司法改革推進本部」---内閣直属の機関が、突然言いだしたわけです。その理由とするところは「広く国民に司法を開放し、国民の司法に対する信頼を獲得する」と法律の冒頭で謳っています。司法の公正を維持するというのではなく、司法の国民的な信頼を維持する、つまり国家的な司法に切り替えるということなんです。簡単に言ってしまえば、国民を総動員する司法をつくり上げようということです。そして裁判員制度の実現のために必要であるとして出てきたのが「公判前整理手続」の導入と「新たな国選弁護人制度」の導入であるるわけです。国民の皆さん方に裁判員になって協力してもらうのだから、なんとしてでも裁判は迅速にしなければならない。裁判員に対し、せいぜい3〜5日くらいの拘束期間で裁判を終わらせなければならない。そのためには、その裁判の前の段階で弁護人と裁判所と検察官が「公判前整理手続」という手続きを行って、下ごしらえする。つまり争点とか証拠の整理をすべて密室で事前に終わらせたうえで裁判にかけるという制度を、彼らは作り上げたのです。談合裁判なんです。公判を数日で終わらせるためには、この公判前整理手続を新設するだけでは間に合わない。それで、さらに拙速裁判(彼らは「裁判の迅速化」と呼んでいますが)、つまり連日開廷、継続審理、主尋問と反対尋問は同日中に行わなければならない、ということを定めたのです。これによって死刑事件はどういうことになっていくのでしょうか。
 皆さん方もおわかりだと思いますが、死刑事件は長い時間と多大の調査、そしてまず本人自身が事件と正面から向き合う、そういう態勢が整って初めて真相が解明されます。長い時間をかけて初めて被告人自身が裁判で当事者として自ら主張し、自らの権利を守っていこうとすることができる、ということは私たちが過去何度も体験してきたことです。しかし、この「公判前整理手続」あるいは「裁判の迅速化」によって、その機会が完全に奪われてしまうわけです。例えば昨年、神戸で行われた裁判では、「公判前整理手続」が行われて、起訴されてからわずか3ヵ月で死刑判決が出ました。公判は数回だったようです。本件は控訴されないまま確定しています。
 それから次に新たな国選弁護人制度の導入です。これは、弁護人が公判前整理手続に出頭しない恐れがある場合、あるいは出頭しても中途で退席する恐れがある場合、あるいは公判についても同じですが、そのような場合には、裁判所は新たな国選弁護人を選任することができるという規定が設けられたのです。ですから例えば大道寺さんたちがやろうとした、弁護人を解任して弁護人不在の状態で、とにかく裁判を進行させないということは、およそできなくなってしまったのです。弁護人が裁判所の不当な訴訟指揮に対して抗議する、その抗議あるいは抵抗の手段として残されていた法廷のボイコットという手法が、完全に封じられてしまった。弁護人が法廷をボイコットすると、直ちに裁判所の言いなりになる国選弁護人をつけられて裁判を終結させられてしまうわけです。
 私たちは麻原彰晃さんの裁判のとき、当時弁護人は12名おりましたが、1度だけですが全員が裁判を欠席したことがありました。ボイコットしたわけです。裁判所は私どもの事務所に電話してきてなんとか出廷してくれと言ってきました。私たちは全員それを拒否して出なかった。これまでならば、彼らはそれ以上のことはできないわけです。結局その日の裁判は取りやめになりました。裁判所はそれに懲りたのか、いくらかは反省して訴訟指揮を緩めてきました。しかし今後はそのようなことはできない。裁判所の権限が強化されて、そういうときは弁護人に出頭命令が出され、それだけでなく在廷命令が出るわけです。そしてそれに従わなければ、直ちに科料という制裁に処せられることになります。(中略)
 どういう場合にそれができるかというと、例えば弁護人が公判前整理手続事実関係について否認するという意思を表明した場合、裁判所がその手続に被告人を呼び出して直接被告人に対して「本当に否認するのか」と問いただす、つまり言外に弁護人の言うことに従わずにさっさと認めたらどうか、と問いただすことができる。当然被告人は裁判官の顔色をうかがって「否認する」とは言い切れない。結局「争いません」と言わざるをえない。裁判所は弁護方針にまで直接介入・干渉することができるわけです。また、こういう場合、裁判所は、弁護人と被告人に対し、連名で書面を出せと要求することができることになりました。結局、弁護人は被告人の意思に従わざるをえず、被告人は裁判所の意向に従わざるをえない。そういう制度に新刑事訴訟を変えてしまった。
 皆さん方は、これまで死刑事件にかかわってこられておわかりと思いますが、事件を起こした人というのは、その起こした瞬間から、すでに自分の命を捨てています。1日も早く処刑されてこの世から消えることを彼自身は願っている。そういう中で、弁護人が一生懸命彼を励まし、一つ一つ事実について検証していこう、検察官が出してくる証拠について確認していこうよと呼びかけても、被告人からは「とにかく裁判を早く終わらせてくれ」と求められるわけです。そういうことを新しい法律が見越して、被告人がそういう状態にいる間に裁判を終わらせてしまおうというのが、この新しい法律の狙いです。
*「裁判員制度」の導入は徴兵制と同じ
 すでに言いましたとおり、裁判は、公判前整理手続や新たな国選弁護人制度の下で完全に争う場面そのものが剥ぎ取られた上で公判が始まります。判決は市井の裁判員6名と裁判官3名の9名の多数決によって決められるので、当然社会の世論がそのまま裁判に反映されることになります。有罪無罪から始まって死刑か無期かに至るまで、多数決、つまり今のc。今の世の中では8割近い人が死刑を容認しています。マスコミの事件報道の氾濫により、殆どの人が治安が悪化していると思い込んでいます。さらに多くの人が犯罪を抑止するためには厳罰が必要だと確信しています。そういうものがそのまま法廷に登場するわけです。それだけでなく、被害者の訴訟参加によって被害者の憎しみと悲しみと怒りがそのまま法廷を支配するのです。法廷が煽情化しないはずがありません。感情ほど強烈なものはありません。感情に対しては反対尋問も成立しません。感情は理性を凌駕します。まさに法廷はリンチの場と化すのです。
 従来キャリア裁判官によって裁判制度は維持されてきました。なぜキャリア裁判官制度を私たちは選択したか。キャリア裁判官でなければ維持できない原則が司法にあるのです。それは、世論に影響されない、政治的な圧力にも影響されない、そして無罪推定の原則の下に事実を認定し、法の下に量刑を判断する---それはアマチュアではだめで、専門的な教育を受け、トレーニングを積んだ職業的な技能と倫理観に支えられた専門家によって初めて公正な裁判が維持できるという制度設計、戦前あるいは過去の裁判制度の弊害を見たうえでの私たちの知恵として、安全弁として職業裁判官制度を選択してきたのです。
 もちろん今の裁判官が高邁な思想や堅固な職業意識で支えられているわけではありません。現在、彼らの意識の中には無罪推定の原則はありません。検察官の言うとおりに事実を認定し、99,9%の事件について有罪判決を出す、チェック機能さえ有していないのが現在の司法裁判官の実態です。彼らは腐敗し堕落しきっているのですが、裁判員制度の導入によって、私たちが従来のキャリア裁判官制度に託した理念や思想さえも破壊してしまおうというわけです。これを単純に言ってしまえば、「司法の規制緩和」以外の何ものでもない。裁判員制度は規制緩和の一環として導入されたと言われています。それは、裁判制度を、商業的あるいは資本主義的な目的のために、有効に活用しようというのです。まさに司法そのものが国家政策を推進するものとしての新しい役割を与えられたわけです。
 ここでぜひ皆さんに考えていただきたいのですが、今の日本の法律の中で、私たち一般市民が国家的な権力行使行為に強制的に駆り出されるという法律は存在しません。強制的に義務を課せられるというはありますが、それはせいぜい徴税の義務とか、もっぱらサービスを提供させられる義務なのです。しかし、今回はサービスの提供ではない。裁判という権力を行使する機関の一員として私たちは義務づけされて国家行為をさせられるのです。参加しなければ10万円という科料を科せられます。これは戦後始まって以来の法律です。よく考えてほしい。死刑判決、それは行政府に対する殺人命令です。つまりそれは銃をかまえてその引き金を引くのと同じことです。それは、敵対する市民に向かって銃の引き金を引くのと同じこと、つまり戦闘行為そのものです。私たちは「判決」という、いかにもスマートな国家行為に参加させられるようにみえて、実はそうではない。敵を拉致して財産を没収する(これが罰金刑です)、捕虜として拘禁して強制労働をさせる(懲役刑の宣告はまさにそれです)、これを私たちは今回の裁判員制度によっていや否応なしにやらされる。これは徴兵制度そのものではないかと私は思うのです。裁判員になる確率は3500人ないし4000人に1人といわれています。しかし現在の自衛隊の規模で、徴兵制を導入するとなると、連れて行かれる人を全人口で割れば数字に大きな差はないだろうと思います。裁判員制度に動員される私たちと徴兵制に駆りだされる私たちと、型は違っても基本的に同じ構造を持っていると思います。
 話は元に戻ります。どうして彼らは、最高裁だけでも毎年16億ものカネをつぎ込んで、談合しマスコミを買収してまでも裁判員制度を実現しようとするのか。私はその裏に21世紀の徴兵制の導入、そしてさらに裁判員制度の導入によって抵抗する被告人・弁護人の排除、そして国民から拍手喝采を受ける刑罰の実現という、彼らが絶対に実現したいものがある。だからこそ、これほどまでに裁判員制度導入についてあからさまな宣伝行為というよりは情宣活動をやっているんだと思います。
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『年報死刑廃止08』【犯罪報道と裁判員制度】ー安田好弘弁護士の話抜粋
 一つ理解していただきたいんですが、裁判員裁判が始まると言われていますが、実はそうではないのです。新しく始まるのは、裁判員・被害者参加裁判なのです。今までの裁判は、検察官、被告人・弁護人、裁判所という3当事者の構造でやってきましたし、建前上は、検察官と被告人・弁護人は対等、裁判所は中立とされてきました。しかし新しくスタートするのは、裁判所に裁判員が加わるだけでなく、検察官のところに独立した当事者として被害者が加わります。裁判員は裁判所の内部の問題ですので力関係に変化をもたらさないのですが、被害者の参加は検察官がダブルになるわけですから検察官の力がより強くなったと言っていいと思います。(中略)
 司法、裁判というのは、いわば統治の中枢であるわけですから、そこに市民が参加していく、その市民が市民を断罪するわけですね、同僚を。そして刑罰を決めるということですから、国家権力の重要な部分、例えば死刑を前提とすると、人を殺すという国家命令を出すという役割を市民が担うことになるわけです。その中身というのは、確かに手で人は殺しませんけれど、死刑判決というのは行政府に対する殺人命令ですから、いわゆる銃の引き金を引くということになるわけです。
 今までは、裁判官というのは応募制でしたから募兵制だったんです。しかも裁判官は何時でも辞めることができるわけです。ところが来年から始まる裁判員というのは、これは拒否権がありませんし、途中で辞めることも認められていません。つまり皆兵制・徴兵制になるわけです。被告人を死刑にしたり懲役にするわけですから、つまるところ、相手を殺し、相手を監禁し、相手に苦役を課すことですから、外国の兵士を殺害し、あるいは捕まえてきて、そして収容所に入れて就役させるということ。これは、軍隊がやることと実質的に同じなわけです。(略)
 裁判員裁判を考える時に、裁く側ではなくて裁かれる側から裁判員裁判をもう一遍捉えてみる必要があると思うんです。被告人にとって裁判員というのは同僚ですね。同僚の前に引きずり出されるわけです。同僚の目で弾劾されるわけです。さらにそこには被害者遺族ないし被害者がいるわけです。そして、被害者遺族、被害者から鋭い目で見られるだけでなく、激しい質問を受けるわけです。そして、被害者遺族から要求つまり刑を突きつけられるわけです。被告人にとっては裁判は大変厳しい場、拷問の場にならざるを得ないわけです。法廷では、おそらく被告人は弁解することもできなくなるだろうと思います。弁解をしようものなら、被害者から厳しい反対尋問を受けるわけです。そして、さらにもっと厳しいことが起こると思います。被害者遺族は、情状証人に対しても尋問できますから、情状証人はおそらく法廷に出てきてくれないだろうと思うんです。ですから、結局被告人は自分一人だけでなおかつ沈黙したままで裁判を迎える。1日や3日で裁判が終わるわけですから、被告人にとって裁判を理解する前に裁判は終わってしまうんだろうと思います。まさに裁判は被告人にとって悪夢であるわけです。おそらく1審でほとんどの被告人は、上訴するつまり控訴することをしなくなるだろうと思います。裁判そのものに絶望し、裁判という苦痛から何としても免れるということになるのではないかと思うわけです。(略)
 つまり、刑事司法は従来、本当は人を生かし、自由を守り、命を守り、そして名誉と財産を守るシステムだったはずのものが、実は人を破壊し、専ら人に苦痛を与える場所というふうになっているわけです。そういうものを防ぐために、少なくとも理性と法で支配される場、少なくとも事実が公正に評価される場、人が人として評価される場でなければならないのですが、ますますそれと逆行していく。その最たるものが裁判員裁判ではないかと思うんです。
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「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法
2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの

 僕も全く同じ考えを持っています。光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
 ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。
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異端の肖像2006「怒り」なき時代に 弁護士安田好弘(58) 【中日新聞2006年5月11日夕刊】
22日に光市事件差し戻し控訴審判決 バッシング渦中の安田好弘弁護士に再び聞く 2008年4月10日中日新聞朝刊記事より抜粋

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