燃料が完全露出、格納容器からも水漏れ 福島原発1号機
中日新聞2011年5月12日 22時42分
福島第1原発の事故で、東京電力は12日、1号機の原子炉圧力容器内で、長さ3・7メートルの燃料全体が水から露出し圧力容器も底部が複数箇所損傷し、合わせて直径数センチ相当の穴があいている可能性があると発表した。容器の温度は100〜120度と低温だが、格納容器から汚染水がタービン建屋などに流出している可能性があることも判明。安定冷却に向けて順調とみられていた1号機だが、作業方針の見直しは必至で、事故収束に向けた全体の工程表に影響しそうだ。
これまでの水位計のデータでは、燃料は上端から約1・7メートルが水から露出した状態とされていた。地震で水位計が壊れている可能性があったため、東電は原子炉建屋内に作業員を入れ、水位計を調整して再測定。高さ20メートルある圧力容器内の水位は最大でも深さ4メートルで、燃料の下にあることが分かった。
東電は、燃料を入れた金属製ラックが地震で下方にずれるか、露出して熱で溶けた燃料が容器の底にたまり、結果的に水で冷やされているため、圧力容器の温度が低温になっているとの見方を示した。
1号機では、格納容器を水で満たし、効率的に冷却する「水棺」作業が続く。
格納容器の容積は7400立方メートルだが、既に1万立方メートル余りの水を入れても、水位が上がらない。建屋の1階では水漏れが確認できていないことから、東電は地下にある圧力抑制室の周辺で漏れていると推測している。
東電が4月17日に公表した工程表では、1、3号機は3カ月程度で格納容器内を燃料上端まで水で満たすとされている。しかし、格納容器の水漏れにより、このままでは水棺は非常に難しく、漏れをふさぐか、新たな冷却方法を探さざるを得ない。日程、作業内容ともに工程に大きな影響を与えそうだ。
水棺作業について、東電の松本純一原子力・立地本部長代理は12日の記者会見で「やり方の再検討が必要」と説明。一方、経済産業省の西山英彦大臣官房審議官は同日の会見で、「冷却系(の装置)を取り付けるまで格納容器に水を入れる基本方針は変わらない」としている。
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〈来栖の独白〉
一体、どうなるのだろう。暗澹たる思いに閉ざされる。容易に人が入れるものでもない。
写真に映し出される福島第1原発の全容が、私には泣いているように見えて仕方がない。人類の留まることを知らぬ欲望に応え続けさせられて、ボロボロになった。
原子炉も建屋も哀れなら、餌がやれないからと本日殺人処分が決まった家畜たちも哀れだ。牛舎ではなく、屋外を走る牛たちの姿。その光景の異様が、私の胸を打つ。
人類は、何ということをしたのだろう。夏も冬も快適な生活を満喫したことの、他動物に強いる犠牲は余りに大きい。
中日新聞2011年5月11日の「夕歩道」に次のようなコラムが載っていた。
〔夕歩道〕
日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士の詩。「原子はいつできたのか/どこでどうしてできたのか/誰も知らない/兎に角そこには原子があった」。題は「原子と人間」。一九四八年の作。
晩年、博士は自分の仕事を「とても小さなものを探すこと」と話していた。行き着いたところは「混沌」だった。この世には割り切れないものがある。事実の前にこうべを垂れる勇気を見せた。
博士の詩は、こう続く。「原子はもっと危険なものだ/原子を征服できたと安心してはならない/人間同志の和解が大切だ/人間自身の向上が必要だ」。賢者の言葉は時代を超えて色あせない。
福島第一原発1号機「メルトダウン」
木曽川・長良川リンチ殺人事件 週刊誌の写真掲載「驚いたが、記事に悪意を感じない」=死刑囚
週刊誌の写真掲載「不服ない」 リンチ殺人死刑囚
2011年5月13日 08時58分
写真週刊誌「フライデー」が名古屋拘置所内で撮影したとする、連続リンチ殺人事件で死刑が確定した大阪府松原市出身の死刑囚(35)の写真を掲載した問題で、死刑囚は12日、弁護人の村上満宏弁護士に「記事の内容に不服はない」との感想を伝えた。拘置所で接見した弁護士が明らかにした。
弁護人によると、死刑囚は12日、刑務官から見せられ、記事を知った。死刑執行に反対する内容だったが、死刑囚は撮影や掲載を事前に知らされていなかったという。
死刑囚は弁護人に「驚いたが、記事に悪意を感じない」と話した。一方、「この件で迷惑をかける人がいるだろうから心配」と戸惑いもみせたという。
名古屋拘置所は一般面会者のカメラや携帯電話などをロッカーに保管させる上、金属探知機でも確認し面会室への持ち込みを認めていない。拘置所は「所持品検査や、面会時の刑務官の立ち会いのあり方を含め調査している」と話している。(中日新聞)
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〈来栖の独白〉
凶悪犯人の実名を知りたい、顔を見て見たいという人びとの卑しい興味がある。それに応えることで出版物をより多く売らんとするジャーナリズムの商魂がある。
本件によって、行刑施設の被収容者への管理は一段と厳しくなるのではないか。これ以上劣悪な処遇を強いられなければよいが。各地の刑務所では面会制限等、処遇の後退がすすんでいる。
◆確定死刑囚の処遇の実際と問題点---新法制定5年後の見直しに向けて 明治大学名誉教授・弁護士菊田幸一『年報 死刑廃止2010』インパクト出版会
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◆「木曽川・長良川 リンチ殺人事件」死刑囚の写真2011-05-12 | 死刑/重刑/生命犯 問題
<連続リンチ殺人>元少年の死刑囚の写真掲載 フライデー
毎日新聞 5月12日(木)19時29分配信
12日発売の写真週刊誌「フライデー」(発行元・講談社)は、94年に大阪、愛知、岐阜の3府県で男性4人が殺害された連続リンチ殺人事件で死刑が確定した元少年(35)を名古屋拘置所で面会した際に撮影したとする写真を掲載した。
記事によると、写真は死刑確定前の3月11日に撮影。面会したジャーナリストの青木理(おさむ)氏の記事とともに、元少年がアクリル板越しに涙をぬぐう様子など3枚を掲載した。フライデー編集部は「報道に意義があると考え、編集部独自の判断で掲載した。撮影方法についてはコメントしない」と話している。
名古屋拘置所によると、面会時の撮影を禁じる法律はないが、拘置所の規定で撮影や録音を禁じている。同拘置所は「面会前にカメラなどはロッカーに預けるよう求めている。拘置所内で本人を撮影したものなのかは確認中だが、もし事実だとすれば遺憾だ」としている。【岡大介】 *記事中のリンクは来栖
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◆木曽川・長良川リンチ殺人事件 償いの言葉響かない
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◆「木曽川・長良川殺人事件」 “「凶悪犯罪」とは何か”「三人の元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決」
加藤幸雄(かとうさちお)日本福祉大学
平川宗信(ひらかわむねのぶ)中京大学
村上満宏(むらかみみちひろ)弁護士
安田好弘(やすだよしひろ)弁護士、FORUM 90
1、3人の元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決
司会 昨2005年10月14日に木曽川・長良川事件という少年による事件の控訴審判決がありました。01年の名古屋地裁判決では1人死刑、2人無期判決だったのが高裁では3人とも死刑判決が出て非常に驚いたのですが、この弁護人だった村上さんからこの事件について話していただけませんか。
村上 名古屋の事件というのは、いわゆる木曽川・長良川事件といわれるリンチ殺傷事件(1994年)で、19歳前後の少年たちが、大阪で1人の若者を死に至らしめ、その後愛知に移って、愛知の木曽川で、1人の若者を死に至らしめ、そして長良川河川敷で2人の若者を死に至らしめた事件であります。
その前に、名古屋では大高緑地アベック殺人事件(1988年)というのがあり、当時、少年または少女たちによる凶悪犯罪として大きく報道され、それに続くものとして、この木曽川・長良川事件が起きましたので、名古屋では相当衝撃的な事件として報道されていたわけです。
この事件は、少年たちが出会って集団になってから20日前後から1ヵ月半程度しか経っていない段階でこの犯罪が起きているというのが特徴的です。
この木曽川・長良川事件は、1審で1人が死刑で、2人が無期となりました。そして、そこで、死刑と無期に分かれた論理は、主犯格か従属的な立場だったかが主な形で区別されたわけです。その後、控訴され、検察官は3人ともに死刑を求刑し、名古屋高裁におきまして3人とも死刑判決が下されたのです。
裁判をやっていくなかで、私が一番感じたことですが、この木曽川・長良川事件以外の他の事件の中で被害者の方の意見陳述という制度が導入されてきまして、被害者感情が裁判にそのまま導入されてきているなぁというイメージがありました。でもそれは、犯罪事実の認定だとかそういうことには影響しないと言っているんですけれども、被害者遺族が被害感情を強く法廷で言うことによって、裁判官は、被告人にとって一番シビアな犯罪事実の認定を選ぶというような効果があるのではないかという危惧感をもっておりました。
当時、この木曽川・長良川事件で自分が担当している被告人に対して死刑判決はないと確信しておりました。証拠調べが終わった最後に、4人の遺族の代表的な方が、被害者意見陳述で痛烈に被告人3人を非難しました。そこでは、死刑という言葉は使われてはいません。ただ、この3人は絶対許せないという形で、法廷にそのままの形で感情が入ってきました。そのときに、この被害者意見陳述が裁判所にどういう影響を与えるんだろうと危惧感を感じました。実際、判決を聞いたときに、被害者意見陳述の内容がそのまま判決の構成になっているというのを感じました。つまりその被害者遺族の方は、1審から2審までずっと法廷を傍聴していて、かたや裁判官は1審と2審で変わりますので、ずっと法廷を傍聴している被害者遺族のおっしゃられることが非常に重いものになる。その状況の中で被害者意見陳述という形でその被害者の方が、この3人は絶対許せない、そしてその根拠を、裁判の中での事実認定を引用しながらお話しをされますと、裁判官の心証に強烈に影響を与えないわけがないと思われるんですね。後から判決を見たときも、ほとんど同じじゃないかというのを感じました。
その後、僕はいろんな大学で学者の先生とお話しする機会がありまして、裁判実務では、被害者の意見陳述というのは死刑にとって大きな影響を与えるんだということを話させていただきました。実務をわかってらっしゃる学者の方はそれはそうだとおっしゃってくれるんですけれど、そうではない学者の方たちは、死刑か無期かという量刑を判断するときに被害者の意見は、量刑を根拠づける理論的なものはそれほどないはずだとおっしゃっていました。でも、いま実務では非常に被害者意見陳述というのは怖い、被害者の感情は怖いと、それを私が肌で体験したのがこの木曽川・長良川事件だったわけです。
2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの
安田 木曽川・長良川事件の1審判決はかなり杜撰だったけれども、事件をそれなりに見ようとする態度が見られたと思います。というのは、木曽川の事件については殺人罪を認定しなかった。裁判所は、子供たちの曖昧模糊とした意思とバラバラな意思疎通の中で、解決策も歯止めもないまま事態だけがどんどん悪い方向に進行していくという事案の実相をそれなりに見ていたんだろうと思うんです。しかし、それにもかかわらず一人だけを死刑にしたというのは、やっぱりあの被害者の数との関係で、ものすごい政策的な辻褄合わせをしたんだろうと思うんです。ですからあの判決はたいへん中途半端な判決で、それが、高裁につけいるスキを与えてしまったんだと思います。検察官にとっては大変批判しやすかったんだと思うんです。
高裁は、それぞれの子供たちが細胞としては別々かも知れないけれど、3つ、4つ集まってからまると1つの生物となるとでも考えたのか、3人をまとめて故意を認定し、それをテコに3人を死刑にしてしまうという、ものすごく荒っぽいことをしてしまいました。あの判決のどこを読んだって、法適用の厳粛さ、つまり3人に死刑を適用しなければならない必然性は出てこない。もちろん、熟慮の痕跡などもまったくない。ましてや教訓的でもない。単なる決算書とほとんど変わらないような中身だったですね。僕は、あれを見てやはり司法の危機というのをすごく感じたわけです。
それに比べ、アベック殺人の高裁のときは、裁判官は悩んだですね。思いっきり悩んで、しかも、子供たちを死刑にするのは自分たちとして、大人たちの社会として許されるだろうかという問いかけがその中にありましたね。苦渋の選択が判決の中から読みとれたけど、今回ははっきり申し上げて何一つなかったわけです。真面目さが欠如していますね。
それは司法そのものが、裁判官も含めてですけれど、思想とか哲学とかそういうものを持ってこなかったことの結果だろうと思います。すでに司法のメルトダウン現象が起こっているんですね。それはどういうことかというと、司法が担うべき役割、その重要な要員である裁判官・弁護士・検察官が、自分たちが果たすべき職責を完全に忘れてしまって、一般世論、あるいはメディアと完全にシンクロしてしまっているんですね。それは、時の権力や勢力に一切支配や影響をうけることなく、超然として、法にのみ支配されてその職責を遂行する、つまり、刑事司法の場面では、違法捜査を抑止し、事実を徹底して解明し、有罪の場合はなぜこのような事件が起こったのかというところまで事案を掘りさげ、公正に刑を量定すると同時に今後、被告人が生きていくすべを指し示す、そういう職責を司法は担っているんですね。ところが、このような職責を全部放棄して、世間相場で物事を見切って事件を処理してきた。司法のメルトダウン現象は、司法全体の怠慢の必然的な結果なんだろうと思います。
木曽川・長良川の事件の判決は光市の事件の判決と軌を一にしていますね。それは、事実解明の努力の欠如と世論への徹底した迎合です。それで、凶悪ということが今日のテーマになっているんですけど、僕は凶悪とは、見る人のイメージがそのまま反映されて凶悪という表現をとっているものであって、結局、自己の価値観というか自己の傾向をそのまま表現したものだと思うんですね。マスコミは、いろいろな事実がある中で、視聴者や読者の凶悪のイメージと合致する事実だけをつまみあげて強調していく。捜査官も検察官もそうだと思うんですよ。数ある事実の中で被告人が有罪だという事実と凶悪だという事実だけを取り上げて事件を構成していく。時には事実をねつ造したりします。そして弁護人も裁判所もまったくそれに汚染されてしまって、何らそれに抗するだけのものを持っていない。ですから、よってたかってみんながこれでもか、これでもかと、被告人に凶悪というイメージを叩きつけていく。叩きつけるのは事実ではなくイメージなんですね。もはや司法はリンチの世界になってしまっていると思いますよ。
有罪・無罪だけでなく、量刑も被告人にとって重大なことです。ましてや、死刑か否かは決定的です。平川先生がいらっしゃるので僕は苦言を呈したいんですけど、被害者感情が刑の重さを決める上でどういう位置を占めるのか、あるいはどういう位置を占めるべきかということについて、刑法学の中で、まったく議論がされてこなかったんですね。犯罪の成立とかそういうことについては、熱心に議論がなされてきた。そして、それが刑が無限定に拡大していくことへの歯止めになってきた。しかし、被害者感情についての議論は皆無なんですね。そういう中にあって、被害者の意見陳述や被害者の訴訟参加など、被害者感情が一気に刑事司法になだれ込んでこようとしている。今のままでは、量刑だけでなく犯罪の成否についても、被害者感情に支配されるという刑事司法の総崩れ現象が起こるのではないかと危惧しています。現に、光市の事件では、最高裁をはじめ、1,2審も、全て量刑の議論だけに終始し、事実の解明がまったくなおざりにされているんです。
本来、司法は冷静で、客観的で、そして理性的でなければならない。司法の誕生は、政治的思惑や私的制裁あるいは被害者感情からの分化の歴史だったと思うんですよ。ところが司法の側にこれを守りきるだけの力がないから、その垣根が総崩れになっている。司法は時の政権におもねり、世論や感情に同調し、もう手がつけられない状態になっている。弁護士、検察、裁判所、司法全体の暴走状態が始まっているという気がするんです。木曽川・長良川の高裁判決、光市の最高裁判決は、そのはしりだと思うんです。
平川 今まで刑法学が量刑の問題をやってきていないではないかというご批判は、その通りだと思います。今までの刑法学は、犯罪成立要件、いわゆる犯罪論のところばかりやってきた。量刑の問題は、刑法学の隅っこで、ほんのわずかしかやられてきていないということは、おっしゃる通りです。そして、量刑の理論的研究と実際の量刑問題が、なかなか結びついてこない。一方でいわゆる量刑相場の分析が行われ、それとは別のところで量刑責任論などの形でまったく理論的な研究がされていて、両者が結びついていない。理論と実際の量刑を結びつけるような量刑理論がなければいけないのですが、実際の量刑の場面で有効性を持つような研究がないことは、おっしゃるとおりです。最近は、量刑研究も徐々に進みつつありますが、まだまだこれからの課題です。そういう意味では、刑法研究者は怠慢だったし、今でも怠慢だろうと思います。
安田 平川先生を非難しているわけじゃなくて(笑)
平川 それから、裁判所が悩まなくなっているということは、最近の判決を見ていると、私もそう感じます。しばらく前までの判決は、それなりに悩んだ形跡がうかがえるようなものが多かったと思います。
永山判決がその後の判決の流れを作っているわけですが、あれも、よく読んでみると、それなりに悩んでいますね。しかし、最近は、永山判決の悩みのようなところもすっ飛ばして、永山判決に挙げられている基準だけを形式的な一覧表にして、それにポコポコあてはめて結論の正当化の理由にしているような判決が少なくないように感じます。中には、永山判決に依拠した場合に本当にこういう結論になるんですか、と言いたくなるようなものもある。今回の光市事件の判決もそうですが、判決文をよく読んでみると、実質的には永山判決の基準の変更になっているのではないか、少なくとも永山判決はそういうことを言っていないのではないかという気がするのです。最高裁は、そこまで来てしまっているということだと思います。
私は、この背後には、裁判員制度が影を落としているように思います。裁判員制度になれば、一般の人たちの処罰感情が量刑にもろに反映していく可能性があるわけです。どうせそうなるのだから、ここで自分たちが頑張ってもはじまらないというような意識が、裁判官の中に生まれはじめているのかなと思うのです。
しかし、むしろ、この際、裁判員制度をにらみながら、量刑はどうあるべきかをもう一度きちんと考えなおして、裁判や判決の中できちんと押さえておくことが必要だと思います。そうでないと、裁判員制度になったら本当に量刑が一般の人の処罰感情に流されていってしまうのではないか、という危惧があります。
村上 裁判員の問題については、確かに一般の人々の感情がもろに裁判に反映されるという部分もありますし、逆に裁判員の市民の方が裁判に参加されることによって、死刑というものを判断することが非常に勇気のいることであり、むしろ市民の人たちも躊躇するかもしれないという見方も一方ではあるわけですね。そういう場合に、今回の光市の判決はある意味では先頭に立って、こういう時はこうするんだというのを国民みんなに知らしめたという役割があるんだとおっしゃる弁護士もいます。
安田 僕も全く同じ考えを持っています。光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。
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◆光市事件 加害者側に焦点 東海テレビが制作「光と影」
中日新聞夕刊 2008/06/04
「ほぼすべての番組が、被害者遺族に共感する内容で感情的だった」。山口県光市の母子殺害事件の差戻し控訴審で、広島高裁が元少年の被告に死刑を下した4月。判決前に放送倫理・番組向上機構(BPO)がテレビ報道に苦言を呈したのは、記憶に新しい。そんな中、唯一、加害者側にアプローチしていた局があった。
東海テレビの報道陣が、「鬼畜」と言われた弁護団に1年近く密着。事件の真実に迫る姿を、ドキュメンタリー「光と影」(7日午後2時)にまとめた。(千万勲)
制作の出発点は、名張毒ぶどう酒事件だった。「もうからない弁護を、なぜやるか」。こんなテーマで準備を始めたところ、弁護士の二人が山口の裁判に携わっていることが分かった。対象を変更。昨年7月に取材を申し込んだ。
*世論に違和感
「悪い奴を弁護するのはけしからん、という世論に、違和感があった」。取材を進めた斉藤潤一ディレクターが振り返るように、すでにバッシングの嵐が吹き荒れていた。
一昨年、最高裁が無期判決を差し戻したため、全国から21人が集まって新弁護団を結成、事件の再調査を始めた。そこへ、被告が「殺意はなかった」と告白する。世論は「死刑回避の荒唐無稽な言い逃れ」と非難。弁護団にまで「鬼畜」「悪魔」の言葉が浴びせられた。
斉藤ディレクターは弁護団の一人、名古屋市の村上満宏弁護士に「違和感」を説明した。
毒ぶどう酒事件で築いた信頼関係もあり、意外に「取材OK」が出た。普通なら冒頭の撮影だけの会議も、カメラを回し続けることができた。
事務所の看板が壊され、脅迫の手紙が届く中、弁護士たちは広島に通った。「被告の言葉が本当なのか、どうか」。被害者の首に残った指の跡から、犯行時の心理を推測する。事件当時の足取りも丹念にたどった。
被告が体験した父親からの虐待と母親の自殺。それにより、精神年齢が幼くして止ったという鑑定。多くの材料を突き合わせ、白熱した議論が続く。荒唐無稽な供述が、実は事件の本質ではないか----。やがて結論に至る様子を、カメラは淡々と追い掛ける。
売名なら中止
阿武野勝彦プロデューサーは「もし、事件を利用して『人権派』の名を売るものだったら、そこで制作をやめるつもりだった」と明かす。「でも、違った。真実を明らかにする姿があった」
当初は番組スタッフにさえ逆風が吹いた。「妻が拒否反応を示した」と斉藤さん。ナレーションを務める女優の寺島しのぶも「初め、お受けしたくないと思った」という。番組を見て「弁護団が、何をしていたのか、初めて知った感じです」。
「憎い」という感情だけで白黒をつけ、真実の解明にふたをする風潮。このまま来年5月に裁判員制度が始まったら、どうなるか。現代日本に、番組は一石を投じている。⇒ http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/kage.htm
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◆木曽川・長良川リンチ殺人事件「少年法が求める配慮の必要性から、中日新聞は3被告を匿名で報道します」2011-03-11 | 死刑/重刑/生命犯 問題
北方領土の軍備強化開始へ--沿岸防衛に対艦ミサイル=ロシア
ロシア軍の動向注視=北方領土の軍備増強報道−統幕長
ロシア軍が北方領土の軍備増強に乗り出すと伝えられたことについて、防衛省の折木良一統合幕僚長は12日の記者会見で、「安全保障に及ぼす影響などを考えながら、(動向を)注視したい」と述べた。
折木統幕長は「北方四島に軍備増強するということは、私自身としては非常に理解しづらい」と述べ、領土問題をめぐり対日攻勢を一時緩めていたロシア側の姿勢転換に疑問を呈した。
インタファクス通信は11日、ロシア軍参謀総長が今年後半から択捉、国後両島で対艦ミサイルシステムを含む新装備を配備すると述べたなどと伝えた。(時事通信2011/05/12-17:14)
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北方領土の軍備強化開始へ=沿岸防衛に対艦ミサイル−ロシア
【モスクワ時事】ロシア軍のマカロフ参謀総長は11日、北方領土の軍備強化のため、今年後半から択捉、国後両島に駐屯する第18機関銃・砲兵師団に新装備の配備を開始すると述べた。インタファクス通信が伝えた。
東日本大震災後、ロシアは北方領土問題をめぐる対日攻勢を一時緩めていたが、再び強硬姿勢に転じた形だ。
マカロフ参謀総長によると、北方領土の軍備強化計画は2014〜15年までに完了する予定。沿岸防衛のため、対艦ミサイル「ヤホント」の発射装置「バスチオン」も配備するとしている。ヤホントは射程300キロの超音速ミサイルで、標的を自動追尾する能力があるとされる。
同参謀総長は「クリール(千島)には陸、海、空の安全保障を確保できる新型兵器を配備する」と述べた。
昨年11月に国後島を訪問したメドベージェフ大統領は今年2月、北方領土はロシアの「不可分の領土」と述べ、セルジュコフ国防相に安保強化を指示。国防省は軍備強化計画を策定し、近く大統領に提出する見通しという。(時事通信2011/05/11-20:55)
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〈来栖の独白〉
正に「生き馬の目を抜く」国際社会。 自分の国は自分で守る決意 / 境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存
◆中国、原子炉新規稼働へ/原発を持つ国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができる/原発保有国の本音2011-05-11 | 中国
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◆北方領土、ロシア側の呼び方「南千島」に / ロシア軍、北方領土にミサイルまで配備するか2011-03-02 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
北方領土が「南千島」に
2011/03/01Tue.中日新聞夕刊「清水美和のアジア観望」
中国メディアに北方領土を「南千島群島(日本名・北方四島)」と呼ぶ報道が目立ってきた。外務省ホームページや人民日報など党機関紙は「北方四島(ロシア名・南千島群島)」と表記している。
「南千島」はロシア側の呼び方「南クリール諸島」の中国語訳。メディアでは北方領土問題でロシア寄りになる傾向がはっきりしてきた。
■「日本の正義の闘い」
「北方領土返還を求める日本人民の正義の闘いを支持する!」。1970年代に中国を訪れると、中国のホストは必ず、こう繰り返した。
中国と旧ソ連は社会主義の路線対立から60年代末には国境で武力紛争を起こすまで関係が悪化した。「第三次世界大戦を起こすのはソ連」と決め付けた中国はソ連の北方領土占領を「拡張主義」の表れとして日本を応援した。
80年代に中ソ関係が正常化に向かうと、中国は北方領土について「日本とソ連(ロシア)の間で歴史的に残された問題で両国が解決すべきだ」(外務省)と語るようになった。しかし、中国で出版されている地図は今でも北方四島に日本と同じ色を付け日本領として扱っている。
■核心的利益を支持
こうした態度が微妙に変化したのは昨年9月末、ロシアのメドベージェフ大統領が訪中し胡錦濤国家主席とともに発表した共同声明で「主権と統一、領土不可分など核心的利益に関わる問題での相互支持」を申し合わせてから。
同時に発表した第二次世界大戦終結65周年の中ロ共同声明では「歴史の改ざんを許さない」と述べ歴史認識の一致を宣言した。これらが第二次大戦の結果として北方領土の占領を正当化するロシアへの中国の同調を意味するかどうかははっきりしない。
しかし、共同声明が尖閣衝突事件で日中が対立する中で発表され、直後にメドベージェフ大統領が北方領土訪問計画を明らかにしたため、中ロが尖閣諸島と北方領土の領有を相互に支持することで合意したとの観測が浮上した。
その後、ロシアは北方領土への中国企業進出を呼びかけた。人民日報系の国際情報紙「環球時報」(2月16日付)には「大胆に南千島群島の開発に参加すべきだ」と応える国際関係研究機関トップの寄稿が掲載された。
しかし、その2日後には同じ新聞に「中国企業が北方四島の開発に参加すべきかどうかは難しい。こうしたビジネスは日本を不必要に緊張させる」と否定的な外交研究者の意見も掲載されている。
実際には日ロ対立で、どちらにつくかをめぐる論争は中国で決着していないようだ。それがメディアに「北方四島」「南千島群島」の表記が混在する現状に表れている。
■機敏な外交が必要
70年代のように、中国に日本への全面的な支持表明を期待できる状況ではない。しかし故周恩来首相が「北方領土をいまだ返還しない」ソ連を糾弾した歴史(党10回大会報告)を中国も否定しにくいはずだ。北方領土の表記がすべて「南千島」に変わるのを阻止する機敏な外交が問われている。
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北方領土 ミサイルまで配備するか
産経ニュース2011.3.3 02:48
ロシア軍が北方領土に対艦巡航ミサイルや新型対空ミサイルを配備する軍備増強計画をまとめ、国防相に提出した。
国後、択捉両島には、すでに3500人の部隊が駐屯している。これに最新兵器を加え、軍事面でも不法占拠を強化しようという狙いだ。
根室から目と鼻の先の日本固有の領土で、主権を侵害する危険極まりない計画は断じて許されない。枝野幸男官房長官は「わが国の立場と相いれず、大変遺憾だ」と述べるにとどまった。日本は強く抗議すべきだ。
また、ロシア軍参謀総長は先月末、フランスから購入予定のミストラル級強襲揚陸艦4隻のうち、少なくとも1隻をロシア太平洋艦隊に配備し、北方領土などの防衛任務にあてる可能性を示した。
この強襲揚陸艦はヘリコプター16機、兵員900人を輸送する能力をもつ。ソ連崩壊後、ロシアが欧米から購入する最大規模の艦艇である。日本政府はロシアに対してだけでなく、フランスにも強く抗議すべきだ。
ロシアは新型原潜を開発したのに続いて、昨秋、核搭載可能な新型弾道ミサイルの原潜からの発射にも成功した。このミサイルは米国のミサイル防衛網を突破する可能性がある。
近く、新型原潜はオホーツク海に配備されるようだが、問題の対空ミサイルなどは、同海の「聖域化」を図る狙いがあろう。北方四島を一切返還する意思がないことを示している。菅直人政権は米国と連携し、この方面での防衛体制を強化すべきだ。
先月末、国後島の農場で、複数の中国人労働者がロシアの労働許可を得て農作物の栽培に従事していることも明らかになった。北方領土でのロシアの管轄権を認めることになる中国人労働者の雇用は、日本として認められない。
先に発表された同島でのナマコ養殖の中露合弁事業を含め、こうした経済活動による不法占拠の既成事実化にも注意を払い、その都度、抗議していく必要がある。
尖閣事件後の昨年9月、中露両国は「主権や領土保全にかかわる核心的利益」での協力をうたった共同声明を発表した。以来、ロシアは不法占拠の固定化に向け露骨な敵対行動を繰り返している。
ロシアの不当な行為を逐一、指摘し、それを国際社会に知らしめていかねばならない。
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◆北方領土 仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが国際法の専門家の意見2011-02-20
日露の病根を除く機会に
ロナルド・ドーア〈英ロンドン大学政治経済学院名誉客員〉
中日新聞2011/02/20Sun.
時どき日本の外務省は、一度採用した外交路線を放棄できずに成り行きに任せ、しまいにはにっちもさっちもいかなくなってしまうことがある。北方領土問題をめぐる対ロシア関係が正にその典型であろう。
日本政府はこれまで、旧総務庁の前に「北方領土が帰る日・平和の日」という大きな石碑を建てたり、国後も択捉もわれわれの島だという国民感情に訴えてきた。
これに対しロシアは、日本の主権を認めるような考えは基本的にしないが、勃興日本の経済力や、少しずつ増大してきた外交力に敬意を表し、日本の国民感情の手前もあって、日本のクレームには一応、真面目に対応してきた。ところが、日本の経済力・外交力の衰退も1つの原因だろうが、最近ではメドベージェフ大統領が国後島入りして以降、ロシア閣僚の訪問が相次ぎ、軍事的な防衛強化も発表するなど、「日本が主張する『主権の問題』は毛頭ない。交渉する意思はもうない」と、きっぱり告げた格好だ。
2カ国外交で日本の主張を唱え続けても、日ロ摩擦の時代が永遠に続くだけだろう。極論になるが、諦めるのも賢明な道で、尊厳ある主権国として面目を失わない諦め方を探さねばならない。
そういう道を国際司法裁判所(ICJ)が与えてくれそうだ。ロシアの北方四島占領は不法だと、日本が訴えればいい。もちろん、ロシアに根回しし、訴えられたら応じるとの確約を取り付けることが前提となる。それに、優秀な外交官の長い努力が必要だろう。小泉純一郎元首相の北朝鮮訪問の準備工作として、田中均氏が北京で交渉し、拉致の事実を認める約束を取り付けたようにだ。
仮に裁判となった場合、日本が負ける確立が高いというのが、国際法の専門家の意見だ。理由は、サンフランシスコ条約で日本ははっきりと主権を放棄してしまったからだ。ただ、日本は裁判に負けてもそのままいれば、世界の目にはロシアにいじめられた国ではなく、平和的国際関係の法的秩序構築に貢献した国として映る。漁業権など実質的な利益を守るのも、逆にやりやすくなるかもしれない。
日本の最近の北方領土問題に関する主張は、歴史的事実に訴えないのでおかしかった。明治8(1875)年の樺太千島交換条約で、樺太はロシア、安政条約で既に認められた国後、択捉2島のほかに、それ以北の千島列島も日本の所属と決まった。日露戦争の戦果として日本領土となったのは樺太の半分だけである。
戦争が終ろうとするときのヤルタ会談で、連合国が「日独には帝国主義的侵略によって得た領土を返還させる」という原則を決めたが、千島列島がそうして得た領土ではないことが当時は分かっていなかった。その間違いはダレス米国務長官によってサンフランシスコ条約に持ち込まれ、吉田茂首相が苦情を言ったが、ダレス長官は「ロシアとの関係が微妙なときにうるさいことを言うな」と抑えてしまった。さらに、日ロ両国の親睦を邪魔しようと横槍を入れ、「沖縄を返すのも危うくなるぞ」と脅した。
その後、日本は「明治8年の条約がある。国後、択捉は戦果ではない。ヤルタ会談での米国の誤解だった」などの論法を展開せず、条約における「千島列島」の定義など、些細な法文解釈に基づいた論法しか続けてこなかったからだ。
いずれにせよ、これを機会に60年間の日ロ関係の病根を国際司法裁判所が取り除いてくれれば、さっぱりするだろう。
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◆自分の国は自分で守る決意/境外を保護するのは法律、正義、自由ではない。国際法も国力の強弱に依存2011-01-12
日本抹殺を目論む中国に備えはあるか?今こそ国家100年の計を立てよ、米国の善意は当てにできない
JB PRESS 2011.01.12(Wed) 森 清勇
今日の国際情勢を見ていると、砲艦外交に逆戻りした感がある。そうした理解の下に、今次の「防衛計画の大綱」(PDF)は作られたのであろうか。「国家の大本」であるべき国防が、直近の政局絡みで軽々に扱われては禍根を千載に残すことになる。
国家が存在し続けるためには国際社会の現実から目をそらしてはならない。日本の安全に直接的に関わる国家は覇権志向の中国、並びに同盟関係にある米国である。両国の国家としての在り様を検証して、国家百年の計を立てることこそ肝要である。
中国は日本抹殺にかかっている
1993年に中国を訪問したポール・キーティング豪首相(当時)に対して、李鵬首相(当時)が「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」と語った言葉が思い出される。
既に17年が経過し、中国は軍事大国としての地位を確立した。日本に残された期間はわずかである。
中国の指導者の発言にはかなりの現実味がある。毛沢東は「人民がズボンをはけなくても、飢え死にしようとも中国は核を持つ」と決意を表明した。
当時の国際社会で信じるものは少なかったが実現した。?小平は「黒猫でも白猫でも、ネズミを捕る猫はいい猫だ」と言って、社会主義市場経済を導入した。
また香港返還交渉では、交渉を有利にするための「一国両制」という奇想天外なノーブルライ(高貴な嘘)で英国を納得させた。
政治指導者ばかりでなく、軍高官も思い切ったことをしばしば発言している。例えば、朱成虎将軍は2005年に次のように発言している。
「現在の軍事バランスでは中国は米国に対する通常兵器での戦争を戦い抜く能力はない。(中略)米国が中国の本土以外で中国軍の航空機や艦艇を通常兵器で攻撃する場合でも、米国本土に対する中国の核攻撃は正当化される」
「(米国による攻撃の結果)中国は西安以東のすべての都市の破壊を覚悟しなければならない。しかし、米国も数百の都市の破壊を覚悟せねばならない」
他人の空言みたいに日本人は無関心であるが、日米同盟に基づく米国の武力発動を牽制して、「核の傘」を機能不全にしようとする普段からの工作であろう。
2008年に訪中した米太平洋軍司令官のティモシー・キーティング海軍大将は米上院軍事委員会公聴会で、中国海軍の高官が「太平洋を分割し、米国がハワイ以東を、中国が同以西の海域を管轄してはどうか」と提案したことを明らかにしている。
先の尖閣諸島における中国漁船の衝突事案がらみでは、人民解放軍・中国軍事科学会副秘書長の要職にある羅援少将が次のように語っている。
「日本が東シナ海の海洋資源を握れば、資源小国から資源大国になってしまう。(中略)中国人民は平和を愛しているが、妥協と譲歩で平和を交換することはあり得ない」と発言し、また「釣魚島の主権を明確にしなければならない時期が来た」
こうした動きに呼応するかのように、中国指導部が2009年に南シナ海ばかりでなく東シナ海の「争う余地のない主権」について「国家の核心的利益」に分類したこと、そして2010年に入り中国政府が尖閣諸島を台湾やチベット問題と同じく「核心的利益」に関わる問題として扱い始めたと、香港の英字紙が報道した。
中国の「平和目的」は表向き
1919(大正8)年、魚釣島付近で福建省の漁民31人が遭難したが、日本人が救助し無事に送還した。それに対して中華民国長崎領事が「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島・・・」と明記した感謝状を出している。
中国が同諸島の領有権を主張し始めたのは国連の海洋調査でエネルギー資源が豊富にあることが判明した1970年代で、領海法を制定して自国領に組み入れたのは1992年であるにもかかわらず、「明確な日本領」を否定するためか、最近は「古来からの中国領土」とも言い出している。
実際、首相が横浜APECで“首脳会談を開けた”だけで安堵している間に、ヘリ2機搭載可能で機銃まで装備していると見られる新鋭漁業監視船を含む2隻が接続水域に出没している。
海保巡視船の警告に対しては「正当に行動している」と返事するのみである。
中国の言う「正当な行動」とは中国の領海法に基づくもので、尖閣諸島に上陸しても正当化されるということにほかならない。現に、石垣市議2人が上陸したことに対し、中国外務省は「中国の領土と主権を著しく侵犯する行為」という談話を発表した。
漁船がさほど見当たらないにもかかわらず漁業監視船が接続水域を彷徨しているのは、日本人の感覚を麻痺させる(あるいは既に上陸しているかもしれない)のを隠蔽する作戦のように思われる。
係争の真っ只中で、そうした行動が取れるはずがないという識者も多いが、「尖閣は後世の判断に任せる」、あるいは「ガス田の協議をする」などの合意を平気で反故にしてきた中国である。何があってもおかしくない。
20年余にわたって2桁台の軍事力増強を図ってきた中国に透明性を求めると、「平和目的」であるとの主張を繰り返す。中国の「平和目的」は異常な軍事力増強の言い逃れであり、露わになってきた覇権確立のカムフラージュでしかない。
軍事力増強と尖閣沖漁船衝突のような異常な行動、さらには北朝鮮の無謀をも擁護する中国の姿勢が日米(韓はオブザーバー)や米韓(日本はオブザーバー)の合同軍事演習の必要性を惹起させたのであるが、中国はあべこべに自国への脅迫であるとクレームをつけている。
現時点では指導部の強権でインターネット規制などをしながら、人民には愛国無罪に捌け口を求めさせることで収拾している。
しかし、矛盾の増大と情報の拡散で人民を抑えきれなくなった時、衣の下に隠された共産党指導部の意図が、ある日突然行動に移されないとは言えない。
米国を頼れる時代は終わりつつある
日本人で米国の「核の傘」の有効性に疑問を呈する者は多い。歴史も伝統も浅い米国は、「国民の国民による国民のための政治」を至上の信条としており、行動の基本は世論にあると言っても過言ではないからである。
フランクリン・ルーズベルトは不戦を掲げて大統領選を戦い、国民はそれを信じて選んだ。しかし、第2次世界大戦が始まるや、友邦英国の苦戦、ウィンストン・チャーチルの奮戦と弁舌巧みな哀願を受けた大統領は、米国民のほとんどが反対する戦争に参加する決心をした。
当初はドイツを挑発して参戦の機会を探るが、多正面作戦を嫌うドイツは挑発に乗らなかった。
そこでルーズベルトは日本を戦争に巻き込むことを決意し、仕かけた罠が「ハル・ノート」を誘い水として真珠湾を攻撃させることであった。
日本の奇襲作戦を「狡猾(トリッキィー)」と喧伝し、米国民には「リメンバー・パールハーバー」と呼びかけて国民を参戦へと決起させたのである。
逆に、世論が政府を動かないようにさせることも当然あり得る。核に関して言うならば、被害の惨状に照らして、国民が政府に「核の傘」を開かせないという事態が大いにあり得る。
虎将軍ら中国軍高官の発言は、普段から米国民にこうした意識を植え付けて、米国が日中間の係争に手を出せないように仕向ける下地つくりとも思われる。
米国初代のジョージ・ワシントン大統領は「外国の純粋な行為を期待するほどの愚はない」と語っている。
日米安保が機能するように努力している現在の日本ではあるが、有事において真に期待できるかどうか、本当のところは分からない。能天気に期待するならば、これほどの愚はないということではないだろうか。
今こそ、日米同盟を重視しながらも、「自分の国は自分で守る」決意を持たないと、国家としての屋台骨がなくなりかねない。
中でも「核」問題が試金石であると見られる。親米派知識人は、「日本の核武装を米国が許すはずがない」の一点張りであるが、あまりにも短絡的思考である。
日本の核論議が日米同盟を深化させ、ひいては米国の戦略を補強するという論理の組み立てをやってはいかがであろうか。
米国が自国の国益のために他国を最大限に利用し、また国家戦略のために9.11にまつわる各種事象を操作(アル・ゴア著『理性の奪還』)したりするように、日本も自立と国益を掲げて行動しないと、米中の狭間に埋没しかねない。
核拡散防止条約(NPT)は高邁な趣旨と違って、保有を認められた5カ国の核兵器削減は停滞しているし、他方で核保有国は増大している。
「唯一の被爆国」を称揚する日本であるゆえに、道義的観点並びに核に関するリアリズムに則った新条約などを提案する第一の有資格者である。
同時に、地下鉄サリン事件の防護で有効に対処できた経験を生かし、核にも有効対処できるように準備する必要がある。
その際、形容矛盾の非核三原則ではなく、バラク・オバマ大統領の言葉ではないが、「日本は核保有国になれるが、保有しない」(Yes, we can, but we don’t)と闡明し、しっかり技術力を高めておくのが国家の使命ではないだろうか。
ヒラリー・クリントン米国務長官は「尖閣には日米安保条約第5条が適用される」と言明した。
しかし、かつて一時的にせよ、ウォルター・モンデール元駐日米大使が「適用されない」と発言したように、政権により、また要人により、すなわちTPO(時・場所・状況)に左右されると見た方がよい。
米国では従軍慰安婦の議会決議に見た通り、チャイナ・ロビーの活躍も盛んである。
ましてや、既述のように決定の最大要因が国民意思であるからには、核兵器の惨害が米国市民数百万から1000万人に及ぶと見られる状況では、「核の傘」は機能しないと見るのが至当ではなかろうか。「有用な虚構」であり続けるのは平時の外交段階だからである。
先人の血の滲む努力を無にするな
日本は明治維新を達成したあと、範を欧米に求めた。新政府の要路にある者にとって自分の地位が確立していたわけでもなく、また意見の相違も目立つようになり内憂を抱えていた。
しかし、それ以上に外患に備えなければ日本の存立そのものが覚束ないという思いを共有していた。そこで、岩倉具視を団長とする米欧使節団を送り出したのである。
一行には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文などもいた。1年10カ月にも及ぶ長期海外視察は、現役政府がそのまま大移動するようなもので、不在間の案件処理を必要最小限に留めるように言い残して日本を後にしたのもゆえなしとしない。
よく言われるように、英国を観ては「40年も遅れている」とは受け取らず、「40年しか遅れていない」と見て、新興国日本の明日への希望を確認した。
また、行く先々で文明の高さや日本と異なる景観に感服するところもあったが、その都度、好奇心を発揮して記憶にとどめ、また瀬戸内海などの素晴らしい景観があるではないかと、「日本」を決して忘れることはなかった。
米国のウエストポイント陸軍士官学校を訪れた時は射撃を展示され、そのオープンさにびっくりするが、日本人ならばもっと命中させると逆に自信の程を高めている。
ことほどさように、初めて外国を視察しているにもかかわらず、その目は沈着で、異国情緒に飲み込まれることもなく、基底に「日本」を据えて比較検証しようとしている。
こうした見識はひとえに、為政者として日本の明日を背負って立たなければならないという確固たる信念がもたらしたと見るほかはない。
代表団が特に関心を抱いたことは、小国の国防についてである。オランダ、ベルギー、デンマーク、さらにはオーストリア、スイスなどを回っては、日本の明日を固める意志と方策を見出そうと懸命である。
もう1つ、国際社会に出ようとする日本が関心を持ったのは万国公法(今日の国際法)についてであった。プロシアの鉄血宰相ビスマルクの話には真剣に耳を傾け、また参謀総長モルトケの議会演説にも強い関心を持った。
概略は次のようなものだった。
「世界各国は親睦礼儀をもって相交わる態度を示しているが、それは表面上のことでしかない。内面では強弱相凌ぎ、大小侮るというのが実情である。万国公法は、列国の権利を保全する不変の法とはいうものの、それは大国の利のあるうちでいったん不利となれば公法に代わる武力をもってする」(ビスマルク)
「政府はただ単に国債を減らし、租税を軽くすることばかりを考えてはならない。国の権勢を境外に振るわすように勤めなければならない。法律、正義、自由などは国内では通用するが、境外を保護するのは兵力がなければ不可能である。万国公法も国力の強弱に依存している」(モルトケ)
このことは、現在にも通用する。しっかり反芻し、記憶することが大切である。
日本は「唯一の被爆国」や「平和憲法」を盾に、国際情勢の激変にもかかわらず官僚的手法の「シーリングありき」で累次の「防衛計画の大綱」を策定してきた。
こうした日本の無頓着で内向的対応が、周辺諸国の軍事力増強を助長した面はないのだろうか。
明治の為政者たちが意識した外国巡視に比較して、今日の政治家の海外視察はしっかりした歴史観も日本観も希薄に思えてならない。
歴史の教訓を生かす時
ここで言う歴史の教訓とは、明治の先人たちが命懸けで体得した「国際社会は力がものをいう」というリアリズムである。今日ではそのことが一段と明確になっている。
アテネはデモクラシー(民主主義)発祥の地であり、ソクラテスやプラトンを輩出したことで知られている。
そのアテネでは人民(デモス)の欲望が際限なく高まり、国家はゆすり、たかりの対象にされ、過剰の民主主義が国力を弱体化させていく。
専制主義国家スパルタとの30年戦争の間にも国民は兵役を嫌い、目の前の享楽に現を抜かし道徳は廃れ、ついに軍門に下る。
その後、経済も復興するが、もっぱら「平和国家」に徹し続け、スパルタに代わって台頭した軍事大国マケドニアに無条件降伏を突きつけられる。一戦を交えるが惨敗して亡国の運命をたどった。
例を外国に求めるまでもない。日本にも元禄時代があった。男性が女性化し、風紀は乱れ、国家の将来が危ぶまれた。この時、出てきたのが「武士道といふは死ぬことと見つけたり」で膾炙している『葉隠』である。
ことあるごとに死んでいたのでは身が幾つあってもたまらないが、真意は「大事をなすに当たっては死の覚悟が必要だ」ということである。
こうした考えが、自分たちのことよりも国家の明日を心配した米欧派遣の壮挙につながった。日本出発から1カ月を要してようやくワシントンに着くが、いざ条約改正交渉という段になって天皇の委任状のないことを指摘され、大久保と井上博文はその準備に帰国する。
往復4カ月をかけて再度米国に着いた時には、軽率に条約改正する不利を悟り代表団が米政府に交渉打ち切りを通告していた。
何と無駄足を運んだかとも思われようが、当時の彼らにとっては、国力の差を思い知らされる第1章と受け取る余裕さえも見せている。
国家を建てる、そして維持することの困難と大切さを身に沁みて知ったがゆえに、華夷秩序に縛られた朝鮮問題で無理難題を吹っかけられても富国強兵ができる明治27(1894)年まで辛抱したのであり、三国干渉の屈辱を受けても臥薪嘗胆して明治37(1904)年までの10年間を耐えたのである。
佐藤栄作政権時代に核装備研究をしていたことが明らかになった。「非核三原則」を打ち出した首相が、こともあろうにという非難もあろう。
しかし、ソ連に中立条約を一夜にして破られた経験を持つ日本を想起するならば、「日本の安全を真剣に考えていた意識」と受け取り、その勇気に拍手喝采することも必要ではないか。
国際社会は複雑怪奇である。スウェーデンもスイスも日本人がうらやむ永世中立国である。その両国が真剣に核装備を検討し、研究開発してきたことを知っている日本人はどれだけいるであろうか。また、こうした事実を知って、どう思うだろうか。
「密約」を暴かずには済まない狭量な政治家に、そんな勇気はないし、けしからんと難詰するのが大方ではないだろうか。しかし、それでは国際社会を生き抜くことはできない。
終わりに
漁船衝突事案では、横浜APECを成功させるために、理不尽な中国の圧力に屈した。日本は戦後65年にわたって、他力本願の防衛で何とか国家を持ちながらえてきた。
しかし、そのために国家の「名誉」も「誇り」も投げ捨てざるを得なかった。今受けている挑戦は、これまでとは比較にならない「国家の存亡」そのものである。
米国から「保護国」呼ばわりされず、中国に「亡失国家」と言われないためには、元寇の勝利は神風ではなく、然るべき防備があったことを真剣に考えるべきである。
そのためにはあてがいぶちの擬似平和憲法から、真の「日本人による日本のための日本国憲法」を整備し、名誉ある独立国家・誇りある伝統国家としての礎を固めることが急務であろう。
〈筆者プロフィール〉
森 清勇 Seiyu Mori星槎大学非常勤講師
防衛大学校卒(6期、陸上)、京都大学大学院修士課程修了(核融合専攻)、米陸軍武器学校上級課程留学、陸幕調査部調査3班長、方面武器隊長(東北方面隊)、北海道地区補給処副処長、平成6年陸将補で退官。その後、(株)日本製鋼所顧問で10年間勤務、現在・星槎大学非常勤講師。また、平成22(2010)年3月までの5年間にわたり、全国防衛協会連合会事務局で機関紙「防衛協会会報」を編集(『会報紹介(リンク)』中の「ニュースの目」「この人に聞く」「内外の動き」「図書紹介」など執筆) 。
著書:『外務省の大罪』(単著)、『「国を守る」とはどういうことか』(共著)
国防 日米安保条約が締結されてから50年目が経ち、いつしか日米安保は空気のような存在となった。そんな折、日本では自民党政権が倒れ、沖縄にある普天間基地の国外・県外への移設を掲げる民主党政権が誕生した。普天間基地の移設問題では早くも日米間できしみが生じるなど、日本の国防が根底から揺らぎそうな雰囲気だ。一方、中国が軍事力、なかんずく海軍力を大幅に増強、北朝鮮からは核ミサイル発射の危険性も現実のものとなり、国を守ることを国民一人ひとりが真剣に考えなければならない時代を迎えている。 *強調(太字・着色)は来栖
原発保有国は潜在的核武装国/保有31カ国の下心/日本の原発による発電量は世界第3位
東西対立の遺物、原発よさらば福島の事故が証明した、効果絶大なるテロの標的
JB PRESS 2011.05.14(Sat)川嶋 諭
たとえ思いつきであろうと、地に落ちた人気をわずかでも回復させたいという政治パフォーマンスであろうと、菅直人首相が中部電力浜岡原子力発電所の運転停止を要請し、政府のエネルギー計画の撤回に踏み切ったことは、全くもって喜ばしい。
原子力発電所は安全だと言い張ってきた政府と電力会社の嘘がばれたいま、福島第一原発の二の舞いは起こり得る。
いったん事故を起こせばこれだけの被害(まだ拡大する)を引き起こす原発を彼らの手に委ねるのは国民の選択肢としてあり得ないからだ。
もし、福島第一原発の後に続く原発事故が日本のどこかで起きれば、もはや完全に取り返しのつかないことになってしまう。
その意味で、瓢箪から駒とはいえ、菅首相の決断は歓迎されるべきものだろう。
実際、5月11日には今回の震災で茨城県にある日本原子力発電の東海第二原発で、あわや大惨事を引き起こしかねない状況だったことが明らかになった。
朝日新聞の報道によると、震災後の停電とその後の高さ5.4メートルの津波の影響で非常用発電機1台と非常用炉心冷却装置1系統が使用不能になって炉心温度が上がり、炉心内で発生した水蒸気を圧力容器に逃がす作業で、何とか急場をしのいだという。
停電と5メートルの津波でも、危機が目の前に来ていたわけである。想定される東海沖地震の震源地付近に建ち、かねて危険が指摘されている浜岡原発の一時停止は、日本国の未来を懸けたリスクマネジメント上、当然の判断と言える。
この菅首相の行動に対し、密室での決定で意思決定のプロセスが明確でない、浜岡を特別視する判断基準が分からないとの批判が相次いでいて、それはその通りだと思う(「密室で決まった浜岡原発の停止要請をどうして賞賛できるのか」)。手続きとしては明らかに間違っている。
しかし、仮に中部地区で夏場に電力が足りない状況になったり電気料金が上がったりしても、万が一の原発事故の大きさに比べたら比較対象とはならない。
5月11日には、神奈川県の南足柄市で栽培されていたお茶畑から政府の基準を上回る放射能(セシウム)が検出されている。また、ある食品メーカーが独自に調査した結果では、福島第一原発から50キロ以上離れた水田の土から、政府が発表している数値よりケタ違いに高い放射線が検出されたという。
*原発から50キロ以上離れた田んぼの土から高濃度のプルトニウム
この食品メーカーによると、現時点でその結果を公表するのは影響が大きすぎるため発表は控えているとのことだが、その田んぼの土からは高い濃度のプルトニウムも検出されたそうだ。
一方、5月12日になって、東京電力は福島第一原発の1号機の原子炉に穴が開いている可能性があると発表した。
それが事実だとすれば、燃料棒を冷やすための水を常に供給し続けなければならず、それが高濃度の放射能に汚染された排水となって海に流れ出続ける危険性がある。
福島第一原発の放射能汚染は、水蒸気爆発以降収まっているように見えるが、実際には汚染を続けている。新たな水蒸気爆発の危険性も高い確率で残っている。
プルサーマル運転をしていた福島第一原発3号機では、燃料に高い比率でプルトニウムを混ぜていたため、チェルノブイリやスリーマイル島の事故とは別に半減期が2万4000年と目が飛び出るほど長いプルトニウムによる汚染が広がる危険性がある。
*半減期が2万4000年の怖い汚染の静かなる広がり
新聞やテレビの解説者によれば、プルトニウムは万が一人体に取り込まれても異物として排除されやすいので心配はいらないという。
しかし、プルトニウムが大気や土壌、そして海水へと撒き散らされ続ければ、再び人体に濃縮された形で取り込まれる危険性は十分にある。何しろ半減期が2万4000年なのである。紙や木が燃えるようにはなくなってくれないのだ。
プルトニウムはα線(陽子2つと中性子2つのヘリウムの原子核)を放出する。α線は紙1枚でも防げるので人体の奥深い組織には悪影響はないとされるが、一方で肺に吸い込むと肺胞の表皮組織を集中的に傷つけて肺ガンを引き起こすとも言われている。
原発は、いったん事故を引き起こせば、地元の住民に、そして日本人全体に甚大な被害をもたらし、また地球を非常に長い期間汚染し続けるリスクを背負っている。
福島第一原発の事故で、目の前に終わりなき大きなリスクをまざまざと見せられたいま、最も不安を感じ始めているのは原発を持たない沖縄電力を除く電力会社の経営陣ではないだろうか。東京電力のようにはなりたくないと考えるのが自然だろう。
*13日の金曜日、浜岡原発が停止
中部電力の水野明久社長が菅総理の要請を受け入れて、5月13日の金曜日に浜岡原発の運転を中止したのには、そんな計算も働いているはずだ。
首相の要請を受け入れるかを議論した取締役会では激論が交わされたと報道されているが、法的根拠のない首相の要請を結局受け入れることにしたのは、明日発生するかもしれない巨大地震への恐怖ではなかったか。
この決断は、水野社長にとって敗軍の将になる危険性がなくなるばかりか、ヒーローになれる絶好の機会と言えるのだ。
産経新聞は中部電力の事実上の創業者で戦後の9電力体制を築いた松永安左エ門を引き合いに出して、菅首相の要請は突っぱねるべきだったと言う(産経抄)。
しかし、死ぬまで勲章の受け取りを拒否し自立と日本のためを行動原理とした松永安左エ門だったら、日本のため世界のために浜岡原発を自ら停止したのではないか。そもそも動機不純の原発は建設しなかったかもしれない。
*菅首相の要請は渡りに船?
中部電力の清水社長にすれば、菅総理からの要請を内心、待ってました、渡りに船だと喜んだとしても全くおかしくないと私は思う。
ほかの電力会社のトップも内心ではそう考えている可能性もある。何しろ、原発は今の日本の環境では電力会社に富をもたらしてくれる宝の山ではなくなってきたからだ。
日本が現在の中国のように高度経済成長の最中にあって電力供給が決定的に足りない状況だった時代は、国策もあって確かに原発への投資は利益を生んだ。しかし、日本の電力需要がピークアウトした今は、設備負担の重い原発は旨みが少なくなっているのだ。
地域独占で料金が認可制の電力会社にとって、巨大な設備投資が必要な原発を建設すれば、その償却分や核燃料の所有額を電気代に加算できたうえに償却後は大きな利益を享受できた。しかし、それは電力消費が右肩上がりであることが前提だ。
現在のように電力需要が下がり始めれば収益モデルは過去のものとなり巨大な設備負担がのしかかる。さらには、稼働から年月が経った原発では、地震以外にも原子炉容器や配管の応力腐食割れなど様々な事故のリスクに怯えなければならない。
*デフレ経済が好きな民主党政権では原発は儲からない
どうしたことかデフレ政策を掲げて実践している今の民主党政権が続けば、経済はますます冷えて電力需要は下がる一方だ。
さらに増税で企業の海外移転も進めばさらに電力消費は減る。日本の経済政策上から見ても原発は電力会社にとって経営リスクなのである。
また、原子力発電のコストは決して安くない。それどころか、福島第一原発の事故で巨額の賠償金が必要になる以前の段階で、最も発電コストの高い方法になっているのだ(「高すぎる原発の発電コスト、LNG火力で代替せよ」)。
この記事によれば、電力会社の業界団体である電気事業連合会などが発表している“粉飾”されたデータではなく、実態に近い発電コストは、1KWh当たり火力発電が9.9円。原子力の場合には12.23円もかかるという。
一方、原子力が環境に優しいという触れ込みにしても、確かに二酸化炭素は出さないものの、大量の熱エネルギーを海水に放出している。何しろ、原発は蒸気機関で発電するので熱効率が悪い。タービンの性能が上がった現在でも30%台そこそこ。
*原発は蒸気機関車時代の技術
原子炉で発生する熱の3分の2は海水に放出されている。二酸化炭素は放出しなくても地球を温めているわけで、決して環境に優しいわけではない。さらに、発電所の立地が消費地から遠いため、高圧線を通るうちに電力の半分近くが熱となって大気中に放出されてしまう。
つまり、核分裂で得たエネルギーで最終消費者が電力消費として回収できているのはわずか6分の1。残りの6分の5は熱エネルギーとして放出している勘定になる。やはりシュッシュポッポ時代の技術でしかない。
一方、火力発電所の方は、ガスタービンを使ったコンバインドサイクルという発電方法によって、日増しに熱効率が上がっている。最高効率のものは60%を超える。また、立地も消費地に近いため、送電ロスは小さい。
ガスタービンというのは、言ってみればジェットエンジンである。燃料に圧力をかけて噴射させて燃やし、燃焼ガスが一気に膨張したその勢いでタービンを回す(ジェット機の場合は推力となる)。燃焼の際の温度を高めれば高めるほど、燃やしたガスの膨張度が高まるので効率が高くなる。
すでに1500度を超える高い温度で使用できるガスタービンが実用化されている。高い温度のガスタービンは廃熱の温度も高くなるので、その廃熱を使って水を沸騰させて蒸気にして蒸気タービンを回せば、さらに効率が高くなる。これがコンバインドサイクルである。
*蒸気機関車VSジェットエンジン
ジェットエンジンのハイブリッドシステムと考えていい。電力を発生させる仕組みそのものでは、シュッシュポッポの蒸気機関車時代の技術である原発に比べ、超音速時代の高効率な技術であり、はるかにハイテクだ。
以前、このコンバインドサイクルを作っている三菱重工業の高砂製作所に取材に行ったことがある。
タービンブレードの耐熱性、軽量化のための材料開発、燃焼ガスの流れを効率的にブレードに伝える空力設計など、日本の技術の粋を集めたものだった。
技術の進歩も目覚ましく、最近では1600度以上のガスタービンも開発されていて、その場合には燃料に水素を使うという。燃焼で二酸化炭素を生まず、熱効率も60%以上となり、極めて環境に優しい発電方式となる。
今の日本が置かれた環境にどういった発電方式が電力会社の経営にふさわしいのかという観点から、株主総会を控えているいま、電力会社の株主の皆さんは経営をチェックした方がいいのではないか。
*原発はテロリスト最大のターゲットに
さて、日本が原発を導入するに当たってはコストや環境以外の動機もあったはずである。国防だ。しかし、日本の再軍備と核武装をこっそり視野に入れていたこの不純な動機も今となっては全くの的外れとなった。
福島第一原発の事故が国防の観点からはっきりと示したのは、テロあるいは仮想敵国から原発に何らかの攻撃がされたら、とんでもない被害をほぼ永遠にもたらすということだろう。
日本を滅ぼすのに原爆は不要。日本中に散らばっている54基の原発をロケットで攻撃すれば、日本全土はたちまち永遠に生物が住めない世界に変わる。カルタゴがローマ帝国に滅ぼされた時、作物が二度と生えないように塩をまかれたどころの騒ぎではない。
中曽根康弘元総理と初代の科学技術庁長官だった正力松太郎・読売新聞社主が1955年に二人三脚でスタートさせた日本の原子力産業育成は、米国のアイゼンハワー大統領による「平和のための核利用:Atoms for peace」という見せかけの看板につられたものだった。
実はソ連に対抗するために核による軍拡のお先棒を担がされたことが明らかだった。それについては有馬哲夫・早稲田大学教授の『原発・正力・CIA』(新潮新書、2008年)に詳しい。若く血気盛んな中曽根元総理と野望ある正力氏は、米国の術中にはまっていく。
*読売新聞が牽引した日本の原発建設
もちろん、米国が正力氏を見込んだのにはわけがある。日本国内だけで1000万部という世界最大部数にまで育てた新聞事業と日本初の民放、日本テレビの影響力だ。結局、それらをフル活用されて日本は原発大国へと大きく歩を進めていく。
米国に招待されて核施設を見に行った中曽根元総理は、自著『自省録』(新潮社、2004年)の中で、次のように書いている。「日本もこの流れに乗らないとたちまち取り残されると、多いに焦燥感に駆られます」
帰国した中曽根元総理は居ても立ってもいられず、当時予算委員会の筆頭理事だった立場を最大限に利用して原子力の調査費を予算計上する。その額は2億3500万円だったという。この数字に具体的な意味はなく、熱中性子を受けて核分裂するウラン235の235をただ取っただけだった。
このようにして日本が米国から原子力技術の供与を受けられるようになる前、米国はすでにアジアでもイラン、イラク、インド、パキスタンなどに原子力技術を供与していた。米国に滅ぼされたイラクを除けば、これらの国は今や原爆保有国である。
原発を持った一国の権力者が原爆を持ちたくなるのは道理。隣国などと紛争を抱えていればなおさらだ。現在、原発を持っている国を調べると、その下心が透けてくる。それをデータで示してくれたのがこの記事(「知らないのは日本人だけ? 世界の原発保有国の語られざる本音」)だ。
*原発を保有している31カ国の下心
「現在、31カ国が原発を所有している。原発による発電量が最も多い国は米国であり、その発電量は石油換算(TOE)で年に2億1800万トンにもなる(2008年)」
「それにフランスの1億1500万トン、日本の6730万トン、ロシアの4280万トン、韓国の3930万トン、ドイツの3870万トン、カナダの2450万トンが続く。日本は世界第3位だが、韓国も第5位につけており、ドイツを上回っている」
「その他を見ると、意外にも旧共産圏に多い。チェルノブイリを抱えるウクライナは今でも原発保有国だ。石油換算で2340万トンもの発電を行っている。その他でも、チェコが694万トン、スロバキアが440万トン、ブルガリアが413万トン、ハンガリーが388万トン、ルーマニアが293万トン、リトアニアが262万トン、スロベニアが164万トン、アルメニアが64万トンとなっている」
「旧共産圏以外では、中国が1780万トン、台湾が1060万トン、インドが383万トン、ブラジルが364万トン、南アフリカが339万トン、メキシコが256万トン、アルゼンチンが191万トン、パキスタンが42万トンである」
「その他では、環境問題に関心が深いとされるスウェーデンが意外にも1670万トンと原発大国になっている。また、スペインが1540万トン、イギリスが1370万トン、ベルギーが1190万トン、スイスが725万トン、フィンランドが598万トン、オランダが109万トンとなっている」
*原爆を作りたいがための原発は最大の弱点に
「ある国が原発を所有する理由を明確に知ることは難しい。その国の人に聞いても、明確な答えは返ってこないと思う。しかし、原発を持っている国名を列記すると、その理由がおぼろげながら見えてくる。原発は国家の安全保障政策に関係している」
「原子力による発電は原子力の平和利用であるが、ウランを燃焼させることにより生じるプルトニウムは原子爆弾の原料になる。また、原発を製造しそれを維持する技術は、原爆を製造する技術につながる。原発を持っている国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができるのである」
日本と同じ愚かな轍を踏んでしまった国が何と多いことだろう。これらの国のいくつに原爆を作れるという下心があるかは分からない。しかし、そのために原発を建設してしまったとすれば、攻めばかり考えて守りを全く考えていないことになる。
日本の現状を見ればそれは明らかだ。日本の原発はテロに対して全くと言っていいほど無防備である。その点はこの記事「北朝鮮が狙う日本海側の原発、守備は万全?」が警鐘を鳴らしている。
「日本の原発の多くは日本海沿岸に集中しています。潜水艦で攻撃されたらひとたまりもないでしょう。今ごろ北朝鮮と仲良くしようとか話し合おうとか言う人には、そろそろ北の正体を思い知れと言いたいです」
*東西対決が終わってみれば、原発はただの遺物に
世界に原発が広がったのは、米国とソ連という東西対立の賜物だった。東西対立が終わったいま、この副産物は国家を守るという意味でも大変危険な存在になっている。地域紛争やテロによる明確なターゲットになるからだ。
建設・運営コストも高く、環境にも優しくなく、国防上からも危険極まる原発は、本来、東西対決の終わりとともに棄てていくのが正しい姿ではないか。できれば一気にすべての原子炉を廃炉にしてほしいところだが、電力供給の事情もあるから簡単にはいかないだろう。
世界の原子力関連市場で、日本の技術や製品はその中核を占めるまでになっているという。地震国の少ない国で原子力の安全利用を進めたい国があるとすれば、そうした国に安全でできるだけコストの安い部品や機器を供給し、原発の安全度を高めるのは、福島第一原発の事故で地球を汚染してしまった国の責任でもある。
また、万が一の場合には、徹底支援するためにも原子力技術から逃れることは許されない。
しかし、世界最大の地震大国である日本では、浜岡原発を皮切りに危険度の高いところから廃止して、コンバインドサイクルや風力、太陽光、燃料電池、地熱発電などに切り替えていくことは、東西対決が終わったいま、明らかな時代の要請である。 *強調(着色・太字)は、来栖
〈筆者プロフィール〉
川嶋 諭 Satoshi Kawashima
・早稲田大学理工学部卒、同大学院修了。日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。1988年に「日経ビジネス」に異動後20年間在籍した。副編集長、米シリコンバレー支局長、編集部長、日経ビジネスオンライン編集長、発行人を務めた後、2008年に日本ビジネスプレス設立。
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◆原発保有国の語られざる本音/多くの国は本音の部分では核兵器を持ちたいと思っているようであり2011-05-10 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
◆「BRICS」を政治利用する中国2011-04-23 | 国際
◆「テロ」との戦い、という「正義の御旗」/米国がビンラディンを追っている間に中国は絶対的な台頭を追求2011-05-06 | 国際
舞鶴 高1女子殺害事件 中勝美被告に、18日 判決言い渡し 京都地裁(笹野明義裁判長)
舞鶴少女殺害18日判決 死刑求刑、被告は無罪主張
2011年5月14日 16時26分
京都府舞鶴市で08年、高校1年の小杉美穂さん=当時(15)=が殺害された事件で、殺人罪などに問われた無職中勝美被告(62)に京都地裁(笹野明義裁判長)は18日、判決を言い渡す。
凶器や指紋など、中被告と事件を結び付ける直接証拠はなく、被告は一貫して無罪を主張。検察側は防犯カメラ画像などの状況証拠に基づき「合理的疑いを差し挟む余地はない」と死刑を求めており、裁判所の判断が注目される。
裁判員裁判制度が施行される直前の09年4月の起訴だったため、昨年12月に始まった公判では裁判官3人が審理した。
検察側が主張する状況証拠の一つが、トラック運転手2人の目撃証言。2人は法廷で「事件直前に中被告によく似た男と若い女性が一緒にいるのを見た」との証言をしたが、弁護側は「目撃者の捜査段階の供述に変遷がある」と証言の信用性を否定した。
もう一つが現場付近の男女が写った防犯カメラ画像。検察側が鑑定を依頼した大学教授は、写っているのが「中被告である可能性が極めて高い」とし、小杉さんの母親(40)も写っている女性が「娘です」と証言。これに対し、弁護側証人として出廷した大学教授は「顔の特徴が判定できない」と疑問を示した。
検察側はさらに、現場で見つかった小杉さんの所持品の色や形を中被告が捜査段階で詳細に供述したことが「秘密の暴露」に当たる、と主張。弁護側はこれについても「捜査官の誘導があった」と反論している。(共同)
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◆舞鶴 高1女子殺害事件 「犯行裏付ける証拠ない」京都地裁 第10回公判2011-03-24 | 社会
◆京都府舞鶴市女子高生殺害事件容疑者逮捕=これは杜撰だ。危うい。和歌山毒カレー事件を想起させる2009-04-08
◆舞鶴高1女子殺害事件・・・早くも、すっかり有罪推定だ。2009-04-09 | 社会
【決断 舞鶴高1女子殺害事件】 (上)乏しい物証 動機も不明
4月7日22時25分配信 産経新聞
「美穂ちゃんも(中勝美容疑者を)よく知っていたはずなのに、何でついて行ってしまったのだろう」
殺害された小杉美穂さんと親しかった女子高校生(16)はつぶやいた。殺人と死体遺棄容疑で逮捕された中容疑者。「変わった人」。近隣住民からはそうした評判が聞こえた。日ごろから通行人に大声を上げるなどの言動が近辺ではよく知られていたという。
舞鶴市出身。関係者などによると、地元の高校を中退後、京都や大阪で自動車整備工や警備員、飲食店員などとして働いていた。職を転々としながら、所帯を持った妻や子とも離別。1人暮らしの自宅には、自転車で近辺を回って集めた大型ゴミが山積みになっていた。
だが、顔見知りなどの前では、別の一面ものぞかせている。
事件当夜、中容疑者が訪れた2軒の飲食店。先に訪れた行きつけの店の女性店主(68)は「本当にあの人なのか、今でも信じられない。店の隅で静かに座っていたし、こんな事件を起こすなんて…」。後に訪れた店の関係者も「女の子とデュエットするなど、気さくで明るい性格。怒ったり暴れたりすることはなかった」と証言する。
粗暴にふるまう半面、人とのかかわりを求めるようなそぶりも見せる。複雑な感情を抱えているとみられる中容疑者は40年近く前、ある事件を起こしていた。
昭和48年9月、当時25歳だった中容疑者は、内縁の女性=当時(26)=との別れ話のもつれから、滋賀県草津市の路上で女性とその兄を刃物で刺して殺害。さらに近くの民家に押し入って住人の女性2人を人質に立てこもった。
ただ、人質となった女性(61)は意外にも「話している最中もずっと包丁を握りしめてやけっぱちな感じだったが、弱いところのある人だとも思った」と振り返る。最初は興奮していた中容疑者は、落ち着いて対応する女性と話すうち、次第に家族のことなど身の上を語り始めたという。
殺人罪などで実刑判決を受け、十数年間の服役後に舞鶴へ戻った。行きつけの店の店主は「店ではヤマモトと名乗っていた。前科があったから隠したかったのかな」と話す。
美穂さん殺害事件では、物証の乏しさのほか、現時点では動機も判然としない。解明は、今後の捜査の大きな焦点の一つでもある。
中容疑者が逮捕された7日は、美穂さんの11回目の月命日だった。
【決断 舞鶴高1女子殺害事件】 (下)更生の見極め 地域に重い課題
2009.4.9 21:14
この春、全国の警察本部に、女性や子供が被害者となる殺人や強姦などの凶悪犯罪を未然に防ぐため、前兆となる公然わいせつやつきまといといった事件を集中的に取り締まる部署が設置された。背景には、昨年9月に千葉県東金市で起きた女児殺害事件や、舞鶴高1女子殺害事件などが念頭にあったとされる。
舞鶴の事件で逮捕された中勝美容疑者は、女性につきまとうなどの行為を繰り返しており、地元では「怖い人」として受け止められていた。「彼が難しい人間としてこの辺りで知られていたのは事実。地域として何とかしなければと思っていた」。地域でボランティア団体を主宰している防犯推進委員の四方筆樹さんは振り返る。
四方さんは約3年前から、中容疑者に対し、ボランティア活動に加わるよう呼びかけるなど地道に接触を続けた。その結果、最近では草むしり活動に参加するなど、徐々に変化を見せ始めていたという。「心を開き始めているように感じていただけに、もし彼が犯人だとするなら、無念というほかない」。四方さんは唇をかんだ。
地域社会が直面するさまざまな問題を研究している「地域安全学会」(東京)の守茂昭さんは「地域にとって難しい人物をどう位置づけるか。互いに常に気を配り『心遣いの連鎖』を築くことが必要だ」と話す。
だが、今回のケースではもう一つ難しい問題が浮かんでいた。重大犯罪で服役後、更生を目指す人とどう向き合うのか。中容疑者は36年前に殺人事件を起こし、十数年の服役後、故郷の舞鶴市に戻った。しかし、平成3年には市内で若い女性に対する傷害事件を引き起こしたこともあった。
「(再犯者による殺人事件の)遺族は怒り心頭だと思う。更生の余地があるのでしょうか」。京都犯罪被害者支援センター(京都市)の宮井久美子事務局長は厳しい言葉を投げかける。
36年前の事件で、仮に中容疑者が無期懲役の刑を受けていれば、法的に出所後は軽微な犯罪でも収監されたことになる。「犯罪者にも人権があることは理解できるが、本当に更生しているかどうかを見極めるのは難しい」。宮井さんは指摘する。
関係者によると、平成3年の傷害事件の被害女性は今も舞鶴市内で暮らしており、昨年ばったり市内で中容疑者と出くわした。女性は「向こうは覚えていないかもしれないが、私は忘れない」と話したという。
「この事件は絶対に解決しなければならない」。府警は難しい捜査の末に、中容疑者逮捕を決断した。しかし、今回の事件は、容疑者逮捕後もなお、社会に重い課題を突き付けている。
.......
〈来栖のつぶやき〉2009-04-09
産経新聞【決断 舞鶴高1女子殺害事件】〈下〉になって、慌てて幕引き、トーンダウンした感じだ。〈上〉では、何とか真相を掘り起こそうとしているのかな、と思ったりしたが。問題の視点もずれてしまっている。人を先入観(色眼鏡)で観る、とりわけ過去のある人に対する偏見に私は強い恐れ・危惧を抱かないではいられない。こんな土壌では人は更生できない。人は、たった一人で更生するのではない。たった一人で生きてゆくのではない。人の中で生きてゆく。人との中で更生する。
“もし彼が犯人だとするなら、無念というほかない」。四方さんは唇をかんだ。”“「地域安全学会」”など、極めて不快だ。
『芹沢一也・少年犯罪を考える〜今でも日本はもっとも安全な国です』
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/business-it.htm
【芹沢】 実際、防犯ボランティアをやっている人たちからは、「いままでバラバラだった地域が治安でまとまった」といった喜びの声が必ず聞かれます。防犯活動は地域住民にやりがいを与えているのです。「子供を犯罪から守るために、こういう効果が実際にある」という科学的な分析のもとになされているわけではありません。治安を守ること自体はもちろん悪くはありません。ただ、不安を打ち消すために防犯活動にいそしみ、治安管理に邁進しているところに問題があるのです。しかも、そのような治安管理の強化こそが、不安をさらに強めてしまっているという悪循環です。
Q.たしかに最近の防犯活動は過剰に感じます。ですが、そうはいっても実際に被害を受ける側となったら、周りにいないでほしいというのが心情だと思うのですが。
【芹沢】 そうした反応は、本書を書いたときにもありました。統計では少年犯罪や精神犯罪は減っているのはわかったけれど、でも「うちの子が殺されたらどうするのか」というロジックは必ず出てきます。
少年犯罪の領域でも、数値的には少年法を改正するだけの現実はなかった。つまり、少年犯罪は凶悪化もしていないし、急増もしていない。統計的な事実としても根拠はないけれども、「少年に殺された私の息子の命はどうなる」という被害者側のロジックです。統計的な数字の議論は現在、命の危険性の前ではまったく説得力を持っていません。
国歌「起立義務付け」へ 橋下徹知事が代表を務める「大阪維新の会」の府議団
〈来栖の独白〉
日本の政治を左右し始めたポピュリズム選挙が、軍靴の音を響かせるようになった。憲法はなんぴとに対しても思想の自由を認めているが、言論統制、思想弾圧という音である。橋下というモンスター知事の憲法無視の姿勢は、光市事件裁判における発言で既に予兆されていた。
各政党はしっかりしなければ、ポピュリズム地域政党に国政も地方政治もいいようにされ、この国は亡んでしまう。議会はチェック機能を果たす存在ではなくなり、知事(の自党)の言いなりになってしまう(条例案を通してしまう)。
国民はしっかり事の深層を見なければ、自分の首を絞めることになる。そうなってからでは遅い。
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国歌「起立義務付け」 大阪府立校など 維新が条例案
産経新聞 5月14日(土)15時33分配信
大阪府の橋下徹知事が代表を務める地域政党「大阪維新の会」(維新)の府議団が、府立学校の入学式や卒業式などで国歌を斉唱する際、教職員に起立を義務づける条例案を5月定例府議会に提出する方針を固めたことが14日、わかった。維新は府議会で過半数を占めており、可決される公算が大きい。府教委によると、教職員の国歌斉唱時の起立を都道府県で条例化したケースはないという。
5月の府議会では、自民が府立高校を含む府施設での国旗の常時掲揚を義務付ける条例案を提案する予定。維新は「反対はしないが、会派の考え方を反映させた修正案を出したい」として、国旗の常時掲揚に加え、府立学校の教職員に対し入学式や卒業式での国歌斉唱時に起立することを義務付ける条例案を検討している。罰則規定は盛り込まない見通し。
一方、自民会派の幹部は「罰則のない条例は有名無実。条例として扱うべきかにも議論の余地がある」と述べ、両会派の条例案の一本化には、否定的な見方を示した。
学校の入学・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱は平成元年の学習指導要領で義務付けられた。府教委は14年以降、府立学校の教員に対し、国歌斉唱時には起立するよう文書で指示している。
条例案について橋下知事は同日、記者団に対し「ルールを守らないごく一部の教員により、ほかの9万人の職員の信頼失墜になるのが残念。条例が制定されれば府として処分の基準を整えたい」と述べた。
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政党政治が崩れる〜問責国会が生む失望感===透けるポピュリズム
論壇時評 金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)
2011/02/23Wed.中日新聞
(前段略)
保坂によれば、「最近の政党が劣化した原因」は「小泉政権による郵政選挙」であり、その原形は「東条内閣は非推薦候補を落とすため、その候補の選挙区に学者、言論人、官僚、軍人OBなどの著名人を『刺客』としてぶつけた」翼賛選挙(昭和17年4月)に求めることができるという。そしてヒトラーを「ワイマール共和国という当時最先端の民主的国家から生まれたモンスター」であるとしたうえで、「大阪の橋下徹知事」が「その気ならモンスターになれる能力と環境があることは否定できない」という。
保坂とは政治的立場が異なると思われる山口二郎も、「国政を担う2大政党があまりにも無力で、国民の期待を裏切っているために、地方政治では既成の政治の破壊だけを売り物にする怪しげなリーダーが出没している。パンとサーカスで大衆を煽動するポピュリズムに、政党政治が自ら道を開く瀬戸際まで来ている。通常国会では、予算や予算関連法案をめぐって与野党の対決が深刻化し、統治がマヒ状態に陥る可能性もある」(「民主党の“失敗” 政党政治の危機をどう乗り越えるか」=『世界』3月号)という。
(中略)
このまま政党政治が期待を裏切っていくと、人々は既存の政党政治を忌避し、わかりやすい言葉でバッシングするようなポピュリズムの政治が広がりかねない。何も問題を解決しないが、少なくとも自分で何かを決定していると実感できるからである。それは、ますます政治を破壊していくだろう。
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◆光市事件 橋下知事に対する「懲戒請求呼びかけ訴訟」 最高裁 6月に口頭弁論2011-03-26 | 光市母子殺害事件
◆光市母子殺害事件弁護団への懲戒請求呼び掛け発言で、橋下知事に2ヵ月弁護士業務停止2010-09-17 | 光市母子殺害事件
米、原発「冬の時代」/原発保有国は潜在的核武装国
米国:原発「冬の時代」 建設計画ほぼ停止 「シェールガス」に注目
【ワシントン斉藤信宏】米エネルギー業界が福島第1原発の事故で大きく揺れている。オバマ米大統領は「原発は風力や太陽光などと並ぶクリーンエネルギーの大きな柱になる」と改めて建設推進の姿勢を示したが、米国内では安全性への懸念から原発の建設・運営コストが増加するとの見方が台頭。ここ数年の技術革新で掘削が容易になった天然ガスの一種、シェールガスの存在もあり、原発建設を巡る情勢は様変わりしている。
「安全性調査は当然避けて通れない。その結果を見て今後の投資方針を決める」。米電力・ガス大手エクセロンのロー最高経営責任者(CEO)は先月下旬、新規の原発建設に慎重な姿勢を示した。エクセロンは原発17基を保有する原発運営の米最大手で、オバマ政権の原発推進政策を受けて39億ドル(約3240億円)超の大規模な投資計画を進めてきた。ところが、福島原発の事故で投資環境は一変。「調査次第では計画の取りやめもありうる」(ローCEO)と消極姿勢に転じた。
実際、進行していた原発建設計画のほとんどが福島第1原発の事故後に停止し、東芝も出資したテキサス州のサウステキサスプロジェクト発電所の計画は、予定していた東京電力の出資見送りで計画自体が頓挫。地元の電力会社との長期電力購入契約に向けた交渉もストップし、19日には事業主の米電力大手NRGエナジーが事実上の撤退方針を発表した。
米国内には、現在31州に計104基の原発があり、電力の約20%を賄っている。79年のスリーマイル島原発事故以来、30年以上も凍結されてきた原発建設だが、オバマ政権の後押しもあり、計24基の計画が進行中だった。ところが、福島原発の事故に加えて、ここ数年、埋蔵量豊富なシェールガスの掘削技術の進化で「電力各社の原発への熱意は急速に冷めている」(米電力業界アナリスト)という。
シェールガスの推定埋蔵量は米国だけで米国内の消費量の30年分を超えると言われている。価格も安価で「短期的には原子力より天然ガス」(ローCEO)とコスト面からも原発への逆風は強まっている。福島第1原発の事故が重なったことで、米国内では「原発事業者にとっては冬の時代に入った」(日系電力会社幹部)との見方も出ている。
◇日本、海外輸出「見直し」
福島第1原発事故は、日本の原発メーカーにも大きな影響を与えている。
東芝は、09年度に約5700億円だった原子力事業を15年度までに1兆円とする目標を掲げていたが、佐々木則夫社長は「各国で安全規制が見直されつつあり、着工が遅れる可能性がある」として計画見直しを表明。日立製作所も30年までに38基の新規受注を目指すとしていたが、「明らかに遅れが出る。計画の見直しは当然」(中西宏明社長)。イスラエル、ベネズエラのような新設計画の断念が続けば、業績への打撃は必至の情勢だ。
実際に変更を迫られた計画も既に出始めている。米テキサス州の計画が頓挫したことに加え、東芝が東京電力と組んで輸出を目指していたトルコでは東電が参加を断念。東芝は東電の代わりに別の電力会社と組んでの受注を目指さざるを得なくなっている。
一方で新設計画続行を表明したベトナムのようなケースもある。ただ、メーカー側は、事故の長期化で原子力への不信感が増大すれば、こうした計画も見直しが迫られかねないと懸念する。仏アレバなど海外の原子力関連企業が相次いで事故収拾に向けた支援を表明しているが、自社の原子力事業への悪影響を食い止めたいとの思惑も見え隠れする。
政府が推進してきた原発の海外輸出にも見直しの動きが出ている。新興国の旺盛な電力需要に加え、「温暖化対策の切り札」(経済産業省幹部)として売り込みを進めてきたが、福島の事故で売り文句だった「安全性」は吹き飛んだ。22日には玄葉光一郎国家戦略担当相が「一度立ち止まらなければいけない」との見解を示すなど、政府関係者から原子力政策見直しの発言が相次いでいる。【弘田恭子、増田博樹】
毎日新聞 2011年4月24日 東京朝刊
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米 原発「冬の時代」
中日新聞2011/5/15記事より抜粋
米電力大手NRGエナジーのデイビッド・クレイン(CED)は4月19日、南部テキサス州での原発増設計画について投資打ち切りを発表。衝撃が走った。
東芝との合併で5年間かけて進めてきた原子炉2基の新設。クレインシ氏は「日本の悲劇的な事故により、新たな原発建設は不透明さを増した」と計画断念の理由を口にした。
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◆原発保有国は潜在的核武装国/保有31カ国の下心/日本の原発による発電量は世界第3位2011-05-14 | 政治〈国防/安全保障/領土〉
東西対立の遺物、原発よさらば福島の事故が証明した、効果絶大なるテロの標的
JB PRESS 2011.05.14(Sat)川嶋 諭
たとえ思いつきであろうと、地に落ちた人気をわずかでも回復させたいという政治パフォーマンスであろうと、菅直人首相が中部電力浜岡原子力発電所の運転停止を要請し、政府のエネルギー計画の撤回に踏み切ったことは、全くもって喜ばしい。
原子力発電所は安全だと言い張ってきた政府と電力会社の嘘がばれたいま、福島第一原発の二の舞いは起こり得る。
いったん事故を起こせばこれだけの被害(まだ拡大する)を引き起こす原発を彼らの手に委ねるのは国民の選択肢としてあり得ないからだ。
もし、福島第一原発の後に続く原発事故が日本のどこかで起きれば、もはや完全に取り返しのつかないことになってしまう。
その意味で、瓢箪から駒とはいえ、菅首相の決断は歓迎されるべきものだろう。
実際、5月11日には今回の震災で茨城県にある日本原子力発電の東海第二原発で、あわや大惨事を引き起こしかねない状況だったことが明らかになった。
朝日新聞の報道によると、震災後の停電とその後の高さ5.4メートルの津波の影響で非常用発電機1台と非常用炉心冷却装置1系統が使用不能になって炉心温度が上がり、炉心内で発生した水蒸気を圧力容器に逃がす作業で、何とか急場をしのいだという。
停電と5メートルの津波でも、危機が目の前に来ていたわけである。想定される東海沖地震の震源地付近に建ち、かねて危険が指摘されている浜岡原発の一時停止は、日本国の未来を懸けたリスクマネジメント上、当然の判断と言える。
この菅首相の行動に対し、密室での決定で意思決定のプロセスが明確でない、浜岡を特別視する判断基準が分からないとの批判が相次いでいて、それはその通りだと思う(「密室で決まった浜岡原発の停止要請をどうして賞賛できるのか」)。手続きとしては明らかに間違っている。
しかし、仮に中部地区で夏場に電力が足りない状況になったり電気料金が上がったりしても、万が一の原発事故の大きさに比べたら比較対象とはならない。
5月11日には、神奈川県の南足柄市で栽培されていたお茶畑から政府の基準を上回る放射能(セシウム)が検出されている。また、ある食品メーカーが独自に調査した結果では、福島第一原発から50キロ以上離れた水田の土から、政府が発表している数値よりケタ違いに高い放射線が検出されたという。
*原発から50キロ以上離れた田んぼの土から高濃度のプルトニウム
この食品メーカーによると、現時点でその結果を公表するのは影響が大きすぎるため発表は控えているとのことだが、その田んぼの土からは高い濃度のプルトニウムも検出されたそうだ。
一方、5月12日になって、東京電力は福島第一原発の1号機の原子炉に穴が開いている可能性があると発表した。
それが事実だとすれば、燃料棒を冷やすための水を常に供給し続けなければならず、それが高濃度の放射能に汚染された排水となって海に流れ出続ける危険性がある。
福島第一原発の放射能汚染は、水蒸気爆発以降収まっているように見えるが、実際には汚染を続けている。新たな水蒸気爆発の危険性も高い確率で残っている。
プルサーマル運転をしていた福島第一原発3号機では、燃料に高い比率でプルトニウムを混ぜていたため、チェルノブイリやスリーマイル島の事故とは別に半減期が2万4000年と目が飛び出るほど長いプルトニウムによる汚染が広がる危険性がある。
*半減期が2万4000年の怖い汚染の静かなる広がり
新聞やテレビの解説者によれば、プルトニウムは万が一人体に取り込まれても異物として排除されやすいので心配はいらないという。
しかし、プルトニウムが大気や土壌、そして海水へと撒き散らされ続ければ、再び人体に濃縮された形で取り込まれる危険性は十分にある。何しろ半減期が2万4000年なのである。紙や木が燃えるようにはなくなってくれないのだ。
プルトニウムはα線(陽子2つと中性子2つのヘリウムの原子核)を放出する。α線は紙1枚でも防げるので人体の奥深い組織には悪影響はないとされるが、一方で肺に吸い込むと肺胞の表皮組織を集中的に傷つけて肺ガンを引き起こすとも言われている。
原発は、いったん事故を引き起こせば、地元の住民に、そして日本人全体に甚大な被害をもたらし、また地球を非常に長い期間汚染し続けるリスクを背負っている。
福島第一原発の事故で、目の前に終わりなき大きなリスクをまざまざと見せられたいま、最も不安を感じ始めているのは原発を持たない沖縄電力を除く電力会社の経営陣ではないだろうか。東京電力のようにはなりたくないと考えるのが自然だろう。
*13日の金曜日、浜岡原発が停止
中部電力の水野明久社長が菅総理の要請を受け入れて、5月13日の金曜日に浜岡原発の運転を中止したのには、そんな計算も働いているはずだ。
首相の要請を受け入れるかを議論した取締役会では激論が交わされたと報道されているが、法的根拠のない首相の要請を結局受け入れることにしたのは、明日発生するかもしれない巨大地震への恐怖ではなかったか。
この決断は、水野社長にとって敗軍の将になる危険性がなくなるばかりか、ヒーローになれる絶好の機会と言えるのだ。
産経新聞は中部電力の事実上の創業者で戦後の9電力体制を築いた松永安左エ門を引き合いに出して、菅首相の要請は突っぱねるべきだったと言う(産経抄)。
しかし、死ぬまで勲章の受け取りを拒否し自立と日本のためを行動原理とした松永安左エ門だったら、日本のため世界のために浜岡原発を自ら停止したのではないか。そもそも動機不純の原発は建設しなかったかもしれない。
*菅首相の要請は渡りに船?
中部電力の清水社長にすれば、菅総理からの要請を内心、待ってました、渡りに船だと喜んだとしても全くおかしくないと私は思う。
ほかの電力会社のトップも内心ではそう考えている可能性もある。何しろ、原発は今の日本の環境では電力会社に富をもたらしてくれる宝の山ではなくなってきたからだ。
日本が現在の中国のように高度経済成長の最中にあって電力供給が決定的に足りない状況だった時代は、国策もあって確かに原発への投資は利益を生んだ。しかし、日本の電力需要がピークアウトした今は、設備負担の重い原発は旨みが少なくなっているのだ。
地域独占で料金が認可制の電力会社にとって、巨大な設備投資が必要な原発を建設すれば、その償却分や核燃料の所有額を電気代に加算できたうえに償却後は大きな利益を享受できた。しかし、それは電力消費が右肩上がりであることが前提だ。
現在のように電力需要が下がり始めれば収益モデルは過去のものとなり巨大な設備負担がのしかかる。さらには、稼働から年月が経った原発では、地震以外にも原子炉容器や配管の応力腐食割れなど様々な事故のリスクに怯えなければならない。
*デフレ経済が好きな民主党政権では原発は儲からない
どうしたことかデフレ政策を掲げて実践している今の民主党政権が続けば、経済はますます冷えて電力需要は下がる一方だ。
さらに増税で企業の海外移転も進めばさらに電力消費は減る。日本の経済政策上から見ても原発は電力会社にとって経営リスクなのである。
また、原子力発電のコストは決して安くない。それどころか、福島第一原発の事故で巨額の賠償金が必要になる以前の段階で、最も発電コストの高い方法になっているのだ(「高すぎる原発の発電コスト、LNG火力で代替せよ」)。
この記事によれば、電力会社の業界団体である電気事業連合会などが発表している“粉飾”されたデータではなく、実態に近い発電コストは、1KWh当たり火力発電が9.9円。原子力の場合には12.23円もかかるという。
一方、原子力が環境に優しいという触れ込みにしても、確かに二酸化炭素は出さないものの、大量の熱エネルギーを海水に放出している。何しろ、原発は蒸気機関で発電するので熱効率が悪い。タービンの性能が上がった現在でも30%台そこそこ。
*原発は蒸気機関車時代の技術
原子炉で発生する熱の3分の2は海水に放出されている。二酸化炭素は放出しなくても地球を温めているわけで、決して環境に優しいわけではない。さらに、発電所の立地が消費地から遠いため、高圧線を通るうちに電力の半分近くが熱となって大気中に放出されてしまう。
つまり、核分裂で得たエネルギーで最終消費者が電力消費として回収できているのはわずか6分の1。残りの6分の5は熱エネルギーとして放出している勘定になる。やはりシュッシュポッポ時代の技術でしかない。
一方、火力発電所の方は、ガスタービンを使ったコンバインドサイクルという発電方法によって、日増しに熱効率が上がっている。最高効率のものは60%を超える。また、立地も消費地に近いため、送電ロスは小さい。
ガスタービンというのは、言ってみればジェットエンジンである。燃料に圧力をかけて噴射させて燃やし、燃焼ガスが一気に膨張したその勢いでタービンを回す(ジェット機の場合は推力となる)。燃焼の際の温度を高めれば高めるほど、燃やしたガスの膨張度が高まるので効率が高くなる。
すでに1500度を超える高い温度で使用できるガスタービンが実用化されている。高い温度のガスタービンは廃熱の温度も高くなるので、その廃熱を使って水を沸騰させて蒸気にして蒸気タービンを回せば、さらに効率が高くなる。これがコンバインドサイクルである。
*蒸気機関車VSジェットエンジン
ジェットエンジンのハイブリッドシステムと考えていい。電力を発生させる仕組みそのものでは、シュッシュポッポの蒸気機関車時代の技術である原発に比べ、超音速時代の高効率な技術であり、はるかにハイテクだ。
以前、このコンバインドサイクルを作っている三菱重工業の高砂製作所に取材に行ったことがある。
タービンブレードの耐熱性、軽量化のための材料開発、燃焼ガスの流れを効率的にブレードに伝える空力設計など、日本の技術の粋を集めたものだった。
技術の進歩も目覚ましく、最近では1600度以上のガスタービンも開発されていて、その場合には燃料に水素を使うという。燃焼で二酸化炭素を生まず、熱効率も60%以上となり、極めて環境に優しい発電方式となる。
今の日本が置かれた環境にどういった発電方式が電力会社の経営にふさわしいのかという観点から、株主総会を控えているいま、電力会社の株主の皆さんは経営をチェックした方がいいのではないか。
*原発はテロリスト最大のターゲットに
さて、日本が原発を導入するに当たってはコストや環境以外の動機もあったはずである。国防だ。しかし、日本の再軍備と核武装をこっそり視野に入れていたこの不純な動機も今となっては全くの的外れとなった。
福島第一原発の事故が国防の観点からはっきりと示したのは、テロあるいは仮想敵国から原発に何らかの攻撃がされたら、とんでもない被害をほぼ永遠にもたらすということだろう。
日本を滅ぼすのに原爆は不要。日本中に散らばっている54基の原発をロケットで攻撃すれば、日本全土はたちまち永遠に生物が住めない世界に変わる。カルタゴがローマ帝国に滅ぼされた時、作物が二度と生えないように塩をまかれたどころの騒ぎではない。
中曽根康弘元総理と初代の科学技術庁長官だった正力松太郎・読売新聞社主が1955年に二人三脚でスタートさせた日本の原子力産業育成は、米国のアイゼンハワー大統領による「平和のための核利用:Atoms for peace」という見せかけの看板につられたものだった。
実はソ連に対抗するために核による軍拡のお先棒を担がされたことが明らかだった。それについては有馬哲夫・早稲田大学教授の『原発・正力・CIA』(新潮新書、2008年)に詳しい。若く血気盛んな中曽根元総理と野望ある正力氏は、米国の術中にはまっていく。
*読売新聞が牽引した日本の原発建設
もちろん、米国が正力氏を見込んだのにはわけがある。日本国内だけで1000万部という世界最大部数にまで育てた新聞事業と日本初の民放、日本テレビの影響力だ。結局、それらをフル活用されて日本は原発大国へと大きく歩を進めていく。
米国に招待されて核施設を見に行った中曽根元総理は、自著『自省録』(新潮社、2004年)の中で、次のように書いている。「日本もこの流れに乗らないとたちまち取り残されると、多いに焦燥感に駆られます」
帰国した中曽根元総理は居ても立ってもいられず、当時予算委員会の筆頭理事だった立場を最大限に利用して原子力の調査費を予算計上する。その額は2億3500万円だったという。この数字に具体的な意味はなく、熱中性子を受けて核分裂するウラン235の235をただ取っただけだった。
このようにして日本が米国から原子力技術の供与を受けられるようになる前、米国はすでにアジアでもイラン、イラク、インド、パキスタンなどに原子力技術を供与していた。米国に滅ぼされたイラクを除けば、これらの国は今や原爆保有国である。
原発を持った一国の権力者が原爆を持ちたくなるのは道理。隣国などと紛争を抱えていればなおさらだ。現在、原発を持っている国を調べると、その下心が透けてくる。それをデータで示してくれたのがこの記事(「知らないのは日本人だけ? 世界の原発保有国の語られざる本音」)だ。
*原発を保有している31カ国の下心
「現在、31カ国が原発を所有している。原発による発電量が最も多い国は米国であり、その発電量は石油換算(TOE)で年に2億1800万トンにもなる(2008年)」
「それにフランスの1億1500万トン、日本の6730万トン、ロシアの4280万トン、韓国の3930万トン、ドイツの3870万トン、カナダの2450万トンが続く。日本は世界第3位だが、韓国も第5位につけており、ドイツを上回っている」
「その他を見ると、意外にも旧共産圏に多い。チェルノブイリを抱えるウクライナは今でも原発保有国だ。石油換算で2340万トンもの発電を行っている。その他でも、チェコが694万トン、スロバキアが440万トン、ブルガリアが413万トン、ハンガリーが388万トン、ルーマニアが293万トン、リトアニアが262万トン、スロベニアが164万トン、アルメニアが64万トンとなっている」
「旧共産圏以外では、中国が1780万トン、台湾が1060万トン、インドが383万トン、ブラジルが364万トン、南アフリカが339万トン、メキシコが256万トン、アルゼンチンが191万トン、パキスタンが42万トンである」
「その他では、環境問題に関心が深いとされるスウェーデンが意外にも1670万トンと原発大国になっている。また、スペインが1540万トン、イギリスが1370万トン、ベルギーが1190万トン、スイスが725万トン、フィンランドが598万トン、オランダが109万トンとなっている」
*原爆を作りたいがための原発は最大の弱点に
「ある国が原発を所有する理由を明確に知ることは難しい。その国の人に聞いても、明確な答えは返ってこないと思う。しかし、原発を持っている国名を列記すると、その理由がおぼろげながら見えてくる。原発は国家の安全保障政策に関係している」
「原子力による発電は原子力の平和利用であるが、ウランを燃焼させることにより生じるプルトニウムは原子爆弾の原料になる。また、原発を製造しそれを維持する技術は、原爆を製造する技術につながる。原発を持っている国は、何かの際に短時間で原爆を作ることができるのである」
日本と同じ愚かな轍を踏んでしまった国が何と多いことだろう。これらの国のいくつに原爆を作れるという下心があるかは分からない。しかし、そのために原発を建設してしまったとすれば、攻めばかり考えて守りを全く考えていないことになる。
日本の現状を見ればそれは明らかだ。日本の原発はテロに対して全くと言っていいほど無防備である。その点はこの記事「北朝鮮が狙う日本海側の原発、守備は万全?」が警鐘を鳴らしている。
「日本の原発の多くは日本海沿岸に集中しています。潜水艦で攻撃されたらひとたまりもないでしょう。今ごろ北朝鮮と仲良くしようとか話し合おうとか言う人には、そろそろ北の正体を思い知れと言いたいです」
*東西対決が終わってみれば、原発はただの遺物に
世界に原発が広がったのは、米国とソ連という東西対立の賜物だった。東西対立が終わったいま、この副産物は国家を守るという意味でも大変危険な存在になっている。地域紛争やテロによる明確なターゲットになるからだ。
建設・運営コストも高く、環境にも優しくなく、国防上からも危険極まる原発は、本来、東西対決の終わりとともに棄てていくのが正しい姿ではないか。できれば一気にすべての原子炉を廃炉にしてほしいところだが、電力供給の事情もあるから簡単にはいかないだろう。
世界の原子力関連市場で、日本の技術や製品はその中核を占めるまでになっているという。地震国の少ない国で原子力の安全利用を進めたい国があるとすれば、そうした国に安全でできるだけコストの安い部品や機器を供給し、原発の安全度を高めるのは、福島第一原発の事故で地球を汚染してしまった国の責任でもある。
また、万が一の場合には、徹底支援するためにも原子力技術から逃れることは許されない。
しかし、世界最大の地震大国である日本では、浜岡原発を皮切りに危険度の高いところから廃止して、コンバインドサイクルや風力、太陽光、燃料電池、地熱発電などに切り替えていくことは、東西対決が終わったいま、明らかな時代の要請である。 *強調(着色・太字)は、来栖
〈筆者プロフィール〉
川嶋 諭 Satoshi Kawashima
・早稲田大学理工学部卒、同大学院修了。日経マグロウヒル社(現日経BP社)入社。1988年に「日経ビジネス」に異動後20年間在籍した。副編集長、米シリコンバレー支局長、編集部長、日経ビジネスオンライン編集長、発行人を務めた後、2008年に日本ビジネスプレス設立。
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「陸山会事件」手提げ紙袋を新幹線で東京支店に運んだ。中身は見ていない
水谷建設元専務「現金5000万円運んだ」 陸山会事件公判
2011/5/16 12:58 日本経済新聞
小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、衆院議員、石川知裕被告(37)ら元秘書の第12回公判が16日、東京地裁(登石郁朗裁判長)であった。中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県)の元専務が証人として出廷し「小沢事務所に持って行く5千万円を本社から東京支店に運んだ」と証言した。
この日の証人尋問で、元専務は水谷功元会長(66)から「小沢事務所にお金を持っていかないといけない」と電話で指示され、2004年10月13日朝、本社で経理担当の元幹部に渡された手提げ紙袋を、新幹線で東京支店の金庫に運んだと証言した。紙袋の中身は見ていないが、渡された際に元幹部から「またお金がたくさんかかって大変やな」と言われ、現金だと認識したという。
検察側は冒頭陳述で、水谷建設からの1億円のヤミ献金が虚偽記入の動機の背景事情と主張。公判では、同社前社長が石川議員と元秘書、大久保隆規被告(49)に「5千万円ずつを手渡した」と検察側主張に沿った証言をしている。一方、石川議員と大久保元秘書は受領を強く否認している。
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水谷建設幹部「現金運んだ」 陸山会虚偽記入の公判
2011年5月16日 12時02分
小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の収支報告書虚偽記入事件の第12回公判は16日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で証人尋問があり、中堅ゼネコン水谷建設(三重県桑名市)の元幹部が「小沢事務所へ持っていく5千万円を本社から東京支店まで運んだ」と証言した。
水谷建設は小沢元代表側に1億円の「裏献金」をしたとされる。証言によると、元幹部は専務だった2004年10月、水谷功元会長(66)の指示を受け、新幹線で現金を運んだ。現金は別の幹部が用意し、この幹部から受け取る際には「またお金がかかるで、大変やな」という話をしたという。
検察側は、胆沢ダム(岩手県奥州市)の下請け工事受注を了承してもらった謝礼として、川村尚前社長(53)が、04年に元秘書の衆院議員石川知裕被告(37)に、05年に元公設第1秘書の大久保隆規被告(49)に5千万円ずつ渡したと指摘。これまでに、川村前社長と、大久保元秘書の受領の場に同席した下請けの会社社長(56)が出廷し、検察側主張に沿う証言をしている。
(共同)
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◆陸山会事件 日本発破技研山本潤社長「検事からヒントを貰って記憶が蘇った」 杜撰、粗末なシナリオ2011-05-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
◆ロッキード事件に酷似 陸山会事件公判 (川村尚)証人が具体的に述べれば述べるほど低下するリアリティ2011-04-28 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
東海、東南海、南海3連動地震の“被害状況”を大胆に予想
「備える 3.11から」 中日新聞2011/5/16Mon.
東海、東南海、南海の3連動地震は、東日本と同じプレート型で想定規模も近い。名古屋大学減災連携研究センターの調査を基に、東日本並みの3連動が襲った場合の、“被害状況”を大胆に予想してみると、千年に一度という東日本をしのぐ恐れが見えてくる。(中村禎一郎)
東海地方にM9.0の大地震。巨大な津波が、豊橋、岡崎、濃尾、伊勢の各平野を中心に広がる沿岸低地を急襲する。浸水面積は愛知約450平方?、三重約300平方?と広大だ。
その地域で暮らす人々は計110万人。東北3県の3倍に近い。常滑沖の中部国際空港では滑走路が水没し、四日市市の石油化学コンビナートには火災の危機が迫るかもしれない。
沿岸低地にある学校・幼稚園は計367校で、小学校の多くは避難所を兼ねる。同センターの福和伸夫教授は「浸水する可能性がある学校が少なくない。危険のある学校は津波から避難する建物として適当か、再検討が必要」と話す。(中略)
沿岸低地の震災は津波だけではない。同センターの護雅史准教授は「低地は地盤が緩く地震の強烈な揺れや液状化の危険性も高い。建物の損壊も激しくなる」と指摘する。
3連動の場合、被災地は関東、関西圏にも広がる。両圏域が被災し、東海道新幹線や東名高速道路の大動脈が寸断されれば、東海地方の孤立は避けられない。自動車産業をはじめ日本の生産拠点の壊滅的な打撃は、国の存亡にもかかわる。(以下略)
20?・250?シーベルト/国民の健康よりも原子力行政優先/「政府官邸へ何を言っても届かない」小佐古敏荘氏
「20ミリシーベルト」に根拠なんかない いい加減な、あまりにいい加減なこの国の安全基準
小佐古内閣参与はなぜ辞表を叩きつけたのか
2011年05月17日(火) 週間現代,岸文子
本当は危険でも、安全と言ってきた原子力村。その住人だった彼までもが逃げ出した。しかも、涙を流して。ということは、どういうことなのか。政府は慌てて、彼の口を封じた。
*彼こそ、放射線防護の第一人者
もう政府の発表など、いっさい信用できない---そう思わせる、突然の内閣官房参与辞任劇だった。
4月29日午後6時、衆院第一議員会館の会議室で会見に臨んだ、小佐古敏荘東京大学大学院教授は、悔しさのあまり涙ぐみ、言葉に詰まりながら科学者としてのプライドを示した。
「この数値(校庭利用基準の年間20ミリシーベルト)を、乳児・幼児・小学生にまで求めることは、学問上の見地からのみならず・・・私は受け入れることができません。
参与というかたちで政府の一員として容認しながら走っていった(基準値引き上げを強行した)と取られたら私は学者として終わりです。それ以前に自分の子どもにそういう目に遭わせるかといったら絶対嫌です」
これまでに政府は、原子力安全委員会などの「権威」を背景に様々な基準値を公表し、国民に対し「この数値以下の被曝であれば安全」とアナウンスしてきた。
ところが、その内閣の一員だったはずの東大教授が、政府に抗議し、参与を辞任するという。小佐古教授が暴露したのは、政府の基準値がいかにご都合主義的に決められているか、という事実だった。乳児、幼児をはじめ国民への健康被害よりも、原子力行政を優先しようという国の姿勢はいまだに変わっていない。
小佐古氏は震災後、菅直人首相が相次いで参与に任命した6名の専門家のうちの1人だ。自身も原子力工学の博士号を持ち、東京大学大学院生時代に小佐古氏に師事した空本誠喜代議士が、細野豪志首相補佐官を通じて参与に推薦した。
専門は放射線安全学。政府が安全基準の参考にしているICRP(国際放射線防護委員会)の委員を'05年まで12年もの間務め、放射線被曝の安全基準値のグローバルスタンダードを決定してきた。
枝野幸男官房長官は小佐古氏の会見の翌日、「小佐古氏は原子炉が主に専門とうかがっている」と弁明していたが、実際には内閣が参考にしている国際基準値を策定してきた張本人であり、日本における放射線防護の第一人者なのである。
「小佐古氏はずっとチェルノブイリ原発事故の研究をしていた人。他の参与には菅さんの母校の東工大関係者が多いのですが、放射線防護の理論では小佐古氏の右に出る人はいないでしょう」(民主党関係者)
ところが、結果的に小佐古氏はほとんど事故対策にかかわることができなかったという。
参与就任以来、小佐古氏と行動をともにしていた空本代議士は、本誌に分厚い報告書を示した。
「福島第一発電所事故に対する対策について」と題された、A4用紙100枚にも及ぶその冊子。小佐古氏が、原子力災害を避けるため、3月16日の参与就任からおよそ1ヵ月半かけて寝る間も惜しんでまとめた渾身の報告書だ。
しかし、この小佐古報告書にあるような提言を、官邸はことごとくないがしろにしてきた。
その上、菅首相は、自身がブレーンとして任命したにもかかわらず参与就任の際に顔を合わせた程度で、小佐古氏と原発事故についてまともに意見交換することは一度もなかった。
小佐古氏も手をこまねいていたわけではない。あらゆる手段で、提言実現のために動いていた。
プラントに関する提言は細野氏に、放射線被曝に関する提言は福山哲郎官房副長官に上げることになっていた。もともと参与就任にも関与していた細野氏に伝えた意見は採用されることもあったが、福山氏に上げた内容はまるで聞き入れられなかった。
それでも別ルートで、原子力安全委員会にも助言を続けたが、これもほとんど無視された。最終手段として、面識のあった班目春樹・原子力安全委員会委員長に直訴したが、にべもなかったという。
*どんどん基準値が甘くなる
そうしている間にも、安全基準値の上限は、ご都合主義的にどんどん引き上げられていった。
現在、福島原発で復旧に当たっている作業員たちの被曝限度は、緊急時において年間100ミリシーベルトと震災前から決められていた。被曝線量が100ミリシーベルトを超えると、線量に応じて、がん発症率が直線的に増えることが、広島と長崎の原爆被爆者の追跡調査から明らかになっている。つまり、線量が2倍になればがん発症率も2倍になる。
その上限数値を厚労省と経産省は3月15日、40年から50年前の、原爆被害の経験を生かせていない時代の考えに基づく、250ミリシーベルトという数値に急遽引き上げた。
福島原発における作業は、現場経験のある者でないと困難で、人員の確保が難しい。完全に行政側の都合による数値の引き上げである。
文科省の放射線規制室が設置する放射線審議会が「妥当」と答申した数値ではあるが、その放射線審議会は限度策定にあたって一度も会議を招集せず、メールのやりとりのみで意見を集約し、その数値がそのまま決定事項となった。
さらに、それでも人手が足りなくなったため、今度は500ミリシーベルトに再引き上げしようという審議も始まっている。
明確なビジョンがなく、国際基準も見ず、ただ問題が起きたらそれに対応するだけ。小佐古氏が「モグラたたき的」と批判するのもうなずけよう。
元日本原子力学会会長で、小佐古氏と親交の深い田中俊一氏はこう小佐古氏の当時の心境を明かす。
「小佐古氏とは昔からの友人で、参与になってからも3月末頃に一度電話しました。そのときすでに彼は、『(政府が)全然言うことを聞いてくれない。何を言っても届かない』と嘆いていました。私は『首相の一番近くにいるんだからしっかりやれよ』と言ったんですけどね。
彼は昔から歯に衣を着せないで話す人。広島出身で放射線対策への思い入れも強いし、相当のプレッシャーと責任を感じていたんじゃないでしょうか」
小佐古氏の参与就任に関わった空本代議士も辞任の経緯をこう話す。
「小佐古氏は徒労感を抱いており、実は4月に入った頃から『もう辞めたい』と相談を受け、具体的に検討を始めていました。結局4月27日に官邸に『30日付で内閣官房参与を辞任したい』と辞意を伝えに行きました」
岡本健司秘書官には慰留されたが、その日は菅首相と会って話すという約束だけして帰った。
しかし首相サイドからはその後も一向に連絡がない。仕方なく期日が翌日に迫った29日、辞任届を官邸に提出し、辞意表明会見を開くに至った。
今回の事故以前は、小佐古氏はいわゆる?原子力村?の住人と見られていた。
「小佐古氏は私が原告側の証人に立った原爆症認定集団訴訟において、国側の証人として裁判に何度も出廷していました。
裁判の過程でわかったことですが、彼は電力会社に頼まれ、原発の安全性についてこれまで何度も講演してきていました」(沢田昭二・名古屋大学名誉教授)
実際'02年の5月16日、原子力安全・保安院が後援する「原子力安全エネルギー月間」のため、福島第一原発で所員を相手に特別講演を行っている。
そんな人物が100枚もの報告書を叩きつけ、涙の辞任をした。原子力村の住人でさえ黙っていられないほど、政府の放射線被害対策はお粗末だということだろう。
しかも、小佐古氏が辞任後、記者を呼んで勉強会を開こうとすると、官邸から電話で、
「老婆心ながら、一般の公務員と同じく、守秘義務がございますので」
と横槍を入れられ、中止を余儀なくされた。現在も「守秘義務の範囲がわからない」という理由で小佐古氏はメディア露出を控えている。
*成人でも危険な数値なのに
そもそも、小佐古氏が学者生命を賭して否定した、「校庭での放射線被曝量年間上限20ミリシーベルト」という数値は、はたして妥当なのだろうか。
ICRPの'07年勧告では、「非常状況での避難参考レベル」として1~20ミリシーベルトという範囲が示されている。安全基準は通常この幅の中で、できるだけ低く設定するが、今回はこの範囲内の最高値。つまり、非常状況を前提にしても最も高い数値なのだ。
小佐古氏は会見で、「年間20ミリシーベルト近い被曝をする人は、約8万4000人の原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。10ミリシーベルトでさえウラン鉱山の残土処分場の中の覆土上でもなかなか見ることのできない数値」とし、成人でもそうそうない被曝量であり、それを子どもに求めるのは許しがたい、とこの数値の非常識さを説明した。
社団法人日本医学放射線学会の発表によれば、小学生くらいまでの子どもは大人に比べて、放射線から受ける影響が2~3倍高い。さらに晩発性の影響を合わせればより危険性は高い。
「政府の20ミリシーベルトという基準は、内部被曝を考慮していません。
外部被曝というのは、ガンマ線によるもの。内部被曝はガンマ線より影響範囲は小さいがずっとエネルギーの高いベータ線やアルファ線によるもので、外部被曝より影響は深刻です。私の試算では、内部被曝の影響は外部被曝の5倍に達する恐れがある。もし外部被曝が20ミリシーベルトなら、内部被曝は100ミリシーベルトに達するかもしれない。
小佐古さんは、原爆症認定訴訟ではずいぶん教条的な人という印象を持っていましたが、今回は内部被曝を問題にしていて、驚きました。裁判などを経て、彼も認識を改めたのかもしれません」(矢ヶ崎克馬・琉球大学名誉教授)
政府が決定した、「20ミリシーベルト基準」が、内部被曝や子どもの将来に対する影響を精密に考慮したものでないことは、もはや明白だ。
ご都合主義の、あまりにいい加減な基準で国民を欺くのは、もういい加減にしてほしい。
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◆「原発に近い地域の子供たちをいかにして放射性物質から守るか」小出裕章京都大学原子炉実験所助教2011-04-23 | 地震/原発
◆水爆『ブラボー』/「死の灰を無力化する技術はなく〜子どもたちに被曝を強いる政府」小出裕章2011-04-23 | 地震/原発
◆チェルノブイリの8倍酷い福島 こんなに長期間に亘って放射性物質が外に出続けるのは人類史上例がない2011-04-25 | 地震/原発
原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ/巨額の「反原発」対策費が政・官・財・学・メディア・地元に
原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ この国は電力会社に丸ごと買収されていた
2011年05月16日(月)週刊現代
なぜ原発がこの地震列島に54基も作られたのか。巨額の「反原発」対策費が政・官・財・学・メディア・地元に投下され、「持ちつ持たれつ」「あご足つき」で骨抜きにされていった過程を暴く
*永田町は原発推進派だらけ
政府の原子力関連予算が、1年間で約4556億円。
主に原子力関係の促進・研究などに使われる電源開発促進税の税収が、年間およそ3500億円。
福島第一原発がある福島県に、1974年から2002年までに支払われた交付金の累計が、約1887億円。
敦賀原発と高速増殖炉「もんじゅ」がある福井県に出された交付金は約3246億円(1974~2009年)・・・。
現在、日本国内で稼動している原子炉は、54基に及ぶ。国=歴代政権、官僚機構と電力会社は、一体となって「原子力は日本に必要不可欠だ」とのキャンペーンを数十年にわたって繰り返し、世界で第3位の「原発大国」を作り上げてきた。
ちなみに、原子力安全委員会の委員長・委員らの年俸は約1785万円。学者たちを多く輩出してきた東京大学には、東京電力から「寄付講座」として計6億円の寄付金が支払われている。
これまで「原子力」のため、いったいどれほどのカネが費やされてきたのか。マネーの奔流は「利権」となり、「原子力絶対主義」に繋がり、関係者たちの正気を失わせてきた。そして、その結果起きたのが、福島第一原発における、破滅的な大事故である。
当事者の一人として原発問題と向き合ってきた、前福島県知事の佐藤栄佐久氏は、こう語る。
「日本の原子力政策は、次のようなロジックで成り立っています。『原子力発電は、絶対に必要である』『だから原子力発電は、絶対に安全だということにしなければならない』。
これは怖い理屈です。危ないから注意しろと言っただけで、危険人物とみなされてしまう。リスクをまともに計量する姿勢は踏み潰され、事実を隠したり、見て見ぬふりをしたりすることが、あたかも正義であるかのような、倒錯した価値観ができてしまう」
政府と東電は現在、数兆円以上に及ぶ賠償金を捻出するため、なんと電気料金の大幅アップを画策している。これも国民の意思から乖離した?倒錯?だ。
この国はいったい、どこでおかしくなったのか。周期的に必ず巨大地震や大津波が襲ってくることを知りながら、なぜ54基もの原発を作ってしまったのか。そもそもレールを最初に敷いたのは、言うまでもなく「政治」である。
自らが原発誘致にも関わったことがある自民党の長老議員は、その?発端?についてこう語る。
「原発というと、初代原子力委員会委員長の正力松太郎氏(元読売新聞社主)と、その盟友の中曽根康弘元首相の名が挙がる。ただその背景には、かつての米ソ冷戦構造下における『日本の核武装化』への布石があった。それが'70年代のオイルショックを経て、『資源のない日本における原子力の平和利用』と大義名分がすり替わり、政官民が一体となって原発を推進した」
1基あたりの建設費用が5000億円以上とされる原発の建設は、政治家にとっては巨大な公共事業であり、利権となってきた。
「原発を地元に誘致すれば、交付金はじゃぶじゃぶ入って来るし、選挙も安泰になります。東京電力の役員が個人名で自民党に献金をしていたことが発覚しましたが、一方で民主党も、労組側、つまり電力総連の支持を受けた議員がいる。そうやって原発は、これまで60年以上も乳母日傘で国の厚い庇護を受けてきたわけです」(社民党・福島瑞穂党首)
昨年1年間に、電力各社が会長・社長ら役員の個人名義で自民党の政治団体「国民政治協会」に行った献金の総額は、およそ3500万円に上る。
原発利権を、いわゆる土建屋的な見地で利用したのが田中角栄元首相だ。地元の新潟に柏崎刈羽原発を誘致する際、田中氏は土地取引で4億円の利益を上げたことが知られている(『原発と地震—柏崎刈羽「震度7」の警告』新潟日報社特別取材班・講談社刊)。
原発立地の地元にカネを落として住民を懐柔する、電源三法(電源開発促進税法、特別会計に関する法律、発電用施設周辺地域整備法)交付金の仕組みを作ったのも、自民党の有力者だった田中氏である。
「原発建設はゼネコンや地元の土建業者に大きな利益をもたらし、それがそのまま選挙における票田になる。選挙の際には、電力会社やメーカー、建設会社の下請けや孫請けの業者が、マシーンとして作用してきた。そういう田中氏の手法を引き継いだのが、その弟子である竹下登元首相らであり、さらに渡部恒三元衆院副議長や、小沢一郎元民主党代表らに受け継がれていった」(自民党閣僚経験者)
原発推進に関して言えば、政界には右も左も、大物議員もそうでない議員も、まったく区別がない。中曽根氏の直弟子で日本原子力発電出身の与謝野馨経財相。身内の警備会社が原発警備を請け負っている亀井静香・国民新党代表。日立製作所で原発プラントの設計に携わり、日立労組や電力総連から絶大な支持がある大畠章宏国交相・・・。
ちなみに菅首相にしても、有力ブレーンの笹森清元連合会長は元東京電力労組委員長だ。仙谷由人内閣官房副長官や前原誠司前外相も、原発プラントの輸出を進めてきた経緯があり、原発推進派に数えられる。社民党や共産党を除き、政界で原発の危険性を訴えてきた政治家は、数えるほどに過ぎない。
*マネーに「感電」していく
国策決定に大きな責任がある政治家がここまで一色に染まっているのだから、日本が容易に原発推進の渦から抜け出せないのも当然だ。一方で、そんな政治家と結びつき、ある時には無知な政治家たちを操ってきたのが官僚機構である。
「政治と電力会社を結びつけ、橋渡し役をしていたのが官僚です。官僚にしても、どっぷり?原発マネー?に漬かっているんですよ」
そう語るのは、経産省キャリアの一人だ。
「たとえば自民党の電源立地調査会というのがあるのですが、経産省内では調査会の議員を原発推進への貢献度に応じ、A~Cにランク分けをしていました。
選挙の際にはランクに応じて、Aの議員なら50万円、Bなら20万円という具合に、電力会社から?政治資金収支報告書に載せなくていいカネ?を届けさせる。そういうことをする官僚は電力会社の接待漬け。完全に?あっち側?に行ってしまい、有力議員に頼まれ、その息子のパリ旅行に際して、電事連(電気事業連合会)のパリ事務所にアテンドさせたりしていました」
一方で電力会社のほうも、常に官僚の動きをウォッチして、対策に余念がない。別の経産省元キャリアはこう証言する。
「役人が少しでもおかしな動き、例えば電力のライバルであるガス会社に有利なことを発言したら、電力会社の担当者がすっ飛んできて『ご説明を』となる。その際には、説明資料にビール券が挟まれたりしています。省内では、それらを集めて年末の忘年会や課内旅行の資金にしていました。
他にも生まれ年のワインをもらったり、子どもの誕生日に豪華プレゼントをもらったり・・・。仲間内では、接待漬けで電力会社寄りになった奴を『感電した』、逆にガス会社寄りの奴を『ガス中毒になった』と言って区別していたくらいです」
経産省と電力会社の癒着の象徴が、5月2日に明らかになった「電力会社への天下りリスト」だ。経産省の発表によれば、過去50年に68人の官僚が電力会社に天下りしていた。東京電力に天下った石田徹前資源エネルギー庁長官は4月末に辞任を余儀なくされたが、現在も13人が役員や顧問として電力会社に在籍している。
「石田氏などはエネ庁長官時代に電事連の意を受け、再生可能エネルギーでなく原発を推進するエネルギー基本計画を立てた張本人です。彼らは、いったん政府系銀行などに天下り、そこをクッションにして電力会社に再就職する。そして東電副社長などの?指定席?に収まるのです」(天下り問題を国会で提起した共産党の塩川鉄也代議士)
官僚と電力会社が?ズブズブ?だったのは、何も経産省だけではない。原子力関連予算4556億円のうち、資源エネルギー庁や原子力安全・保安院を抱える経産省の取り分は1898億円だが、日本原子力研究開発機構を管轄する文部科学省は2571億円、原子力安全委員会が所属する内閣府には17億円の予算が計上されている。
いま政府は、福島県内の子どもの被曝量の許容値を年間1ミリSvから20ミリSvに引き上げるなど、「放射能は危険がない」との正気を疑うキャンペーンを張っているが、原発を監視し、安全性を確保すべき立場の監督官庁が電力会社と一蓮托生なのだから、政府内でのまともな議論など、ハナから望むべくもないわけだ。
そして、この政官財一体となった原発推進キャンペーンに、資金や研究環境の便宜供与を受けて加担しているのが、いわゆる?御用学者?たちだ。
事故発生後、「原発は絶対に爆発しません」と菅首相に吹き込んでいた原子力安全委員会の班目春樹委員長(元東大工学部教授)を筆頭に、空疎な?安全神話?を唱える学者たちの存在が表面化した。端から見たら非常識としか思えない、こうした御用学者が居並ぶ理由を、元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二氏はこう説明する。
「電機や機械と違い、原子力の場合は研究におカネがかかり過ぎるのです。国や電力会社がカネを出さなければ研究ができない異質の分野が原子力なのです。だから研究の裾野が広がらず、異なる価値観が共存することもない。したがって原子力村には相互批判がなく、いつでも『原発は安全』になってしまう」
原子力村では、准教授になった途端に国から声がかかり、各種委員会など原子力関連の政府組織に名を連ねることができるようになる。すると、より詳しい研究資料の入手もできるようになり、学生の指導もしやすくなる。電力会社から多額の謝礼で講演の依頼なども入るようになり、定年後には各社が運営する研究所所長などのポストも用意されるという。
しかし、正直に原発や放射線の危険性を指摘して、?ムラ?に反逆したと判定されてしまうと、御用学者とは正反対の恵まれない学究生活が待ち受けているのだ。東京大学工学部原子力工学科の1期生で、立命館大学名誉教授の安斎育郎氏はこう語る。
しかし、正直に原発や放射線の危険性を指摘して、?ムラ?に反逆したと判定されてしまうと、御用学者とは正反対の恵まれない学究生活が待ち受けているのだ。東京大学工学部原子力工学科の1期生で、立命館大学名誉教授の安斎育郎氏はこう語る。
「大学院生だった1960年代後半、日本科学者会議などの場で原子力行政を批判したところ、たちまち学内で干されました。その後、米国製軽水炉の欠陥を指摘したり、原発予定地の住民の相談に乗って反対運動に加わると、『反原発を扇動している』などと言われるようになり、各電力会社に?安斎番?の社員まで置かれるようになりました」
その当時、安斎氏が講演すると、必ずそうした?番?の社員が内容チェックにやってきて、彼らや公安関係の刑事から尾行されることもあったという。
「東電の社員から、『3年くらい海外に行ってくれないか。カネは用意するから』と言われたこともあります。もちろん断りましたが、私に消えてほしかったのでしょうね。東大には17年間勤務しましたが、最後まで助手のままで、その間、補助金はほとんどもらえませんでした」(安斎氏)
原発は絶対に安全だという?宗教?を信じない者は、「偏ったイデオロギーの持ち主」などと言って、研究費も与えずパージしてしまう。それが、官僚と電力会社の手口だ。そして、自分たちに都合のいい学者を出世させて権威として持ち上げ、原子力安全委員長などの重要ポストに据える。
本来、委員長は「原子力行政に絶大な権力を持っていて、原子炉メーカーが視察を受ける際、かつては工場の入り口に赤じゅうたんを敷いたほど」(大手電機メーカー社員)の存在だという。だが、委員長を指名するのはスポンサーである役所。産官学が同じ「原子力推進」で染まってしまっているのだから、そこには批判や反省が存在する余地はまったくない。
*「クスリ」はすぐ切れる
国策として巨額の国費=税金を投入し、原発建設を推し進めてきた政治家と官僚機構。彼らの庇護を受け、原発運用で巨額の利益を上げ続けてきた電力会社と関連企業。そして、そこに「安全だから」とお墨付きを与えてきた学者たち---。
この渦の中で、原発マネーに翻弄されてきたのが、原発を誘致してきた「地元」である。
冒頭で触れたように、原発が稼動する地域では、住民懐柔の手段あるいは?迷惑料?として、国費から多額のカネが交付されてきた。福島県の場合、電源三法による交付金は'08年度で約140億円に達しており、そのうち56億円が、福島第一原発、第二原発が立地する浜通りの4町(双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町)の収入になっている。
これらの町の周辺には、原発マネー由来の健康施設や、運動公園、野球場が立ち並ぶ。東電が出資して運営し、現在は事故対策の現地本部が置かれているスポーツ施設「Jヴィレッジ」(楢葉町)もその一つだ。
原発マネーにより、こうした地域の一部の人々は、確かに恩恵を受けてきた。双葉町議を8期務めた、丸添富二氏がこう話す。
「第一原発ができた当時は、ほとんど皆もろ手を挙げて賛成していましたね。政府や県、東電は、明るい未来・安全な原発を喧伝した。歴代の町長は地元で建設会社や水道工事会社、商店などを経営していましたから、原発の恩恵をずいぶん受けたはずです。一般住民も、漁業関係者で1億円もらったような人もいた」
カネが落ちるとともに地域には雇用が生まれた。学校では子どもたちが原発の素晴らしさを教え込まれ、「なぜ原発を批判する人がいるのか信じられません」などと、作文に記した。
だが実際には、町々は事故の以前から、原発マネーによる?バブル?の後遺症に苦しんでいたのだった。
「最初は大きなおカネが落ちても、10年も経つと交付金の額も下がってきて、今度は作りすぎたハコモノ施設の維持費でクビが回らなくなってしまった。クスリの効果が切れるようなものです。よその人から見たら相当のおカネで潤ったように見えるのでしょうが、実際には当初いた原発長者の大半が消滅したのですよ」(富岡町の元郵便局員で原発問題に40年取り組んできた石丸小四郎氏)
原発が落とすカネで、過疎地だった町はしばらくの間、賑わったように見えた。だが、やがて原発の出入り業者の決定が入札制に変わり、地元業者は弾き出されるようになった。夢の町になるはずだった双葉町は、'08年度には原発のある町で全国唯一、財政の早期健全化団体に転落している。
結果的に、これらの町の住民の多くが、原発の事故によって帰る家と土地すら失いつつある。関係のない人々が「カネをもらったクセに」と批判するのは簡単だが、そう仕向けて地元を骨抜きにしたのは国であり、電力会社なのだ。住民の信頼を裏切り、「想定外」という言葉の連発で責任逃れをする者たちの罪は、あまりに大きい。
環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は、「産官学が一体化した原子力村を解体しなければならない」として、こう語る。
「原発推進によって利益を得るごく一部の人間たちのために、消費者も世界一高い電気料金を払わされているのが現状です。今後は原子力安全委員会など、官僚と電力会社にとって都合のいい人たちだけのクローズド・コミュニティを解き、第三者や市民の目が行き届く組織に変えていかなければなりません」
前出の佐藤氏もこう語る。
「私はいまある原発をすべて止めてしまえ、とは言いません。しかし、有名無実化している原子力安全委員会を独立した存在にするなど、信頼できる組織に作り直す必要があります。安心とは、信頼です。そうしないと、日本は世界からの信用も失うでしょう。すでに失って三流国になりつつあるかもしれないのに、四流国へと成り下がってしまうかもしれません」
福島第一原発の爆発は、原子力村が作り上げて来た虚構を同時に吹き飛ばした。日本の未来にとって、原発は必要なのか否か。いま国民全体が問われている。〈太字は、来栖〉
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〈来栖の独白〉
嗤ってしまった。嗤うしかないだろう。これが、私の姿なのだから。原発を受け入れた住民も含めて、これが人間の姿なのだ。それでも、こういった人間の実相を指して親鸞は言う、「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」。親鸞は「どんな人間でも念仏一つで救われる。往生できる」と説いた。
が、私は、震災以降こんなにも無気力、虚脱してしまった私は、人類の絶滅をこそ願いたいほどの気分だ。昨年の口蹄疫に懸かる牛や豚、今回の原発事故により殺人処分と決定され処分場へ搬送された牛たち。やさしい穢れない目に、哀しみを湛えていた。処分されるべきは人類ではないのか。
東電幹部も為政者もムラの学者も、彼らの所業は、この私と何一つ変わらない。生活の快適さや利益優先、そういった根本的な欲望のために無辜の命を奪い続けてきた。化粧品開発のため、物言えぬ動物を延々として実験材料として殺めてきた。
もうよい。他の生きとし生けるものたちに、この地球を、豊かで美しい地球を還すときだ。原発推進派も脱原発派も、同じだ。
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◆宮崎牛、口蹄疫 「人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ」2010-05-17 | 社会
・五木寛之著『人間の運命』(東京書籍)より
私たち人間は、地上における最も兇暴な食欲をもつ生物だ。1年間に地上で食用として殺される動物の数は、天文学的な数字だろう。
狂牛病や鳥インフルエンザ、豚インフルエンザなどがさわがれるたびに、「天罰」という古い言葉を思いださないわけにはいかない。
私たち人間は、おそろしく強力な文明をつくりあげた。その力でもって地上のあらゆる生命を消費しながら生きている。
人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。
私はこれを人間の大きな「宿業」のひとつと考える。人間が過去のつみ重ねてきた行為によってせおわされる運命のことだ。
私たちは、この数十年間に、繰り返し異様な病気の出現におどろかされてきた。
狂牛病しかり。鳥インフルエンザしかり。そして最近は豚インフルエンザで大騒ぎしている。
これをこそ「宿業」と言わずして何と言うべきだろうか。そのうち蟹インフルエンザが登場しても少しもおかしくないのだ。
大豆も、トウモロコシも、野菜も、すべてそのように大量に加工処理されて人間の命を支えているのである。
生きているものは、すべてなんらかの形で他の生命を犠牲にして生きる。そのことを生命の循環と言ってしまえば、なんとなく口当たりがいい。
それが自然の摂理なのだ、となんとなく納得できるような気がするからだ。
しかし、生命の循環、などという表現を現実にあてはめてみると、実際には言葉につくせないほどの凄惨なドラマがある。
砂漠やジャングルでの、動物の殺しあいにはじまって、ことごとくが目をおおわずにはいられない厳しいドラマにみちている。
しかし私たちは、ふだんその生命の消費を、ほとんど苦痛には感じてはいない。
以前は料理屋などで、さかんに「活け作り」「生け作り」などというメニューがもてはやされていた。
コイやタイなどの魚を、生きてピクピク動いたままで刺身にして出す料理である。いまでも私たちは、鉄板焼きの店などで、生きたエビや、動くアワビなどの料理を楽しむ。
よくよく考えてみると、生命というものの実感が、自分たち人間だけの世界で尊重され、他の生命などまったく無視されていることがわかる。
しかし、生きるということは、そういうことなのだ、と居直るならば、われわれ人類は、すべて悪のなかに生きている、と言ってもいいだろう。
命の尊重というのは、すべての生命が平等に重く感じられてこそなのだ。人間の命だけが、特別に尊いわけではあるまい。
・五木寛之著『天命』幻冬舎文庫より
p64〜
ある東北の大きな農場でのことです。
かつてある少女の父親から聞いた話です。そこに行くまで、その牧場については牧歌的でロマンティックなイメージを持っていました。
ところが実際に見てみると、牛たちは電流の通った柵で囲まれ、排泄場所も狭い区域に限られていました。水を流すためにそうしているのでしょう。決まった時刻になると、牛たちは狭い中庭にある運動場へ連れて行かれ、遊動円木のような、唐傘の骨を巨大にしたような機械の下につながれる。機械から延びた枝のようなものの先に鉄の金輪があり、それを牛の鼻に結びつける。機械のスウィッチをいれると、その唐傘が回転を始めます。牛はそれに引っ張られてぐるぐると歩き回る。機械が動いている間じゅう歩くわけです。牛の運動のためでしょうね。周りには広大な草原があるのですから自由に歩かせればいいと思うのですが、おそらく経済効率のためにそうしているのでしょう。牛は死ぬまでそれをくり返させられます。
その父親が言うには、それを見て以来、少女はいっさい牛肉を口にしなくなってしまったそうです。牛をそうして人間が無残に扱っているという罪悪感からでしょうか。少女は、人間が生きていくために、こんなふうに生き物を虐待し、その肉を食べておいしいなどと喜んでいる。自分の抱えている罪深さにおびえたのではないかと私は思います。
そうしたことはどこにいても体験できることでしょう。養鶏にしても、工場のように無理やり飼料を食べさせ卵をとり、使い捨てのように扱っていることはよく知られたことです。牛に骨肉粉を食べさせるのは、共食いをさせているようなものです。大量生産、経済効率のためにそこまでやるということを知ったとき、人間の欲の深さを思わずにはいられません。
これは動物を虐げた場合だけではありません。どんなに家畜を慈しんで育てたとしても、結局はそれを人間は食べてしまう。生産者の問題ではなく、人間は誰でも本来そうして他の生きものの生命を摂取することでしか生きられないという自明の理です。
ただ自分の罪の深さを感じるのは個性のひとつであり、それをまったく感じない人ももちろん多いのです。(中略)
生きるために、われわれは「悪人」であらざるをえない。しかし親鸞は、たとえそうであっても、救われ、浄土へ往けると言ったのです。
親鸞のいう「悪人」とはなんでしょうか。悪人とは、誠実な人間を踏み台にして生きてきた人間そのもです。「悪」というより、その自分の姿を恥じ、内心で「悲しんでいる人」と私はとらえています。(中略)
我々は、いずれにしろ、どんなかたちであれ、生き延びるということは、他人を犠牲にし、その上で生きていることに変わりはありません。先ほども書いたように、単純な話、他の生命を食べることでしか、生きられないのですから。考えてみれば恐ろしいことです。
そうした悲しさという感情がない人にとっては意味はないかもしれません。「善人」というのは「悲しい」と思ってない人です。お布施をし、立派なおこないをしていると言って胸を張っている人たちです。自信に満ちた人。自分の生きている価値になんの疑いも持たない人。自分はこれだけいいことをしているのだから、死後はかならず浄土へ往けると確信し、安心している人。
親鸞が言っている悪人というのは、悪人であることの悲しみをこころのなかにたたえた人のことなのです。悪人として威張っている人ではありません。
私も弟と妹を抱えて生き残っていくためには、悪人にならざるをえなかった。その人間の抱えている悲しみをわかってくれるのは、この「悪人正機」の思想しかないんじゃないかという気がしました。(中略)
攻撃するでもなく、怒るでもなく、歎くということ。現実に対しての、深いため息が、行間にはあります。『歎異抄』を読むということは、親鸞の大きな悲しみにふれることではないでしょうか。
・五木寛之著『いまを生きるちから』(角川文庫〉より
いま、牛や鳥や魚や、色んな形で食品に問題が起っています。それは私たち人間が、あまりにも他の生物に対して傲慢でありすぎたからだ、という意見もようやく出てきました。
私たちは決して地球のただひとりの主人公ではない。他のすべての生物と共にこの地上に生きる存在である。その「共生」という感覚をこそ「アニミズム」という言葉で呼びなおしてみたらどうでしょうか。
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◆化粧品開発のための動物実験規制
◆「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた」担当者ら、悲痛〜心のケアを2010-05-26 | 社会
◆わが子を死なせる思い。これまで豚に食わせてもらってきた。処分前に せめて最高の餌を
◆電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、聞いたことのない悲鳴のような鳴き声を上げた」
◆ハイチの“マザーテレサ”須藤昭子医師(クリストロア宣教修道女会)に聞いてみたい、牛や豚のこと。
◆「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろう」処分用薬剤を140頭もの牛に注射し続けた獣医師
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◆20?・250?シーベルト/国民の健康よりも原子力行政優先/「政府官邸へ何を言っても届かない」小佐古敏荘氏2011-05-17 | 地震/原発
◆「10基もの原発を有する原発銀座 福島県〜佐藤栄佐久氏〜水谷建設〜検察」(〜小沢一郎氏)2011-03-16 | 地震/原発
◆佐藤栄佐久氏、ずっと前から指摘「国と東電が安全神話を拡散、事故発生しても先ず隠蔽」2011-04-14 | 地震/原発
◆原発の「ごみ」行き場なく/「核半島」六ヶ所村再処理工場/東通原発/大間原発/核燃料 中間貯蔵施設2011-04-28 | 地震/原発
◆原発20?圏に家畜65万匹超、置き去りか 餓死か/牛に「ごめん」牛を解き放とうと悩んだが、近所迷惑と考え2011-04-22 | 地震/原発
「君が代起立」条例案 橋下・大阪府知事、不起立教員「辞めてもらう」
大阪維新の会:「君が代起立」条例案 橋下・大阪府知事、不起立教員「辞めてもらう」
首長政党「大阪維新の会」大阪府議団は16日、君が代斉唱時に起立を義務付ける条例案について、府立学校だけでなく、府内の政令市を除く市町村立小中学校の教員も対象にする方針を固めた。5月定例府議会に提案し、可決される見通し。
橋下徹知事は16日、「政令市も含め、府議会が決めたルールに従うべきだ」として、大阪、堺両市の教員も対象にするよう求めた。また、同条例案には罰則がないが、「国旗・国歌を否定するなら、公務員を辞めればよい。自分の職場環境だけでしかバカな主義主張を貫けない教員はとっとと辞めてもらう。辞めさせるルールを考える」と述べ、そのための仕組みを検討する意向を示した。
毎日新聞 2011年5月17日 東京夕刊
...........
〈来栖の独白〉
本件は、幾つかの点について考えねばならないと思う。
?君が代斉唱時に起立を義務付ける
?国旗・国歌を否定するなら
?教員はとっとと辞めてもらう。辞めさせるルール
?首長政党「大阪維新の会」大阪府議団
まず、府知事が首長政党「大阪維新の会」の代表ということだ。これでは、府政は、知事の思い通りである。議会がチェック機能を果たす場とならない。幾らでも、条例が作られるだろう。そしてそれに従わないものは追放される。思想、信条の自由は保障されない。これでは、ファッショに陥る危険性を排除できない。
◆大阪府立校など、国歌「起立義務付け」へ ルールを守らない教員は、処分も|2011-05-15 | 政治
ところで、私は、橋下徹という人物について、殆ど知らないで今日まできた。唯一、光市事件において「『被告人の弁護士を懲戒請求しよう』と言い出した人」程度しか知らずにきた。そこで、少し橋下氏についてベンキョウしてみる。
橋下徹
生い立ち
東京都渋谷区幡ヶ谷出身。父親は大阪府八尾市出身である。
2008年1月の大阪府知事選挙の時、八尾市内の街頭2カ所で演説した橋下は、「私は(同和地区の)○○に住んでいました。」と声を張り上げ、自らが地元と近しい関係にあることを最大限アピールした。
実父は実弟と共に土木・水道工事の仕事をしていたと伝えられるが、橋下の幼時期に家庭から離れ、八尾市の同和改良住宅に住み、橋下が小学校2年生の時に死去。普通の死に方ではなく、ガス爆発だったという。父親は現在、同和地区住民のために建設された八尾市営の○○墓地に眠っている。父親の死について、地元八尾では、自殺説も流れている。
母子家庭で、母親が苦労して家計を支え、小学5年で妹とともに大阪府吹田市に引っ越し、1年後に大阪市東淀川区の同和地区[6]に移り住んだ。いずれも、手狭な府営住宅から地元の公立学校に通った。
弁護士・タレントとして
大学を卒業した1994年に司法試験に合格。2年間の司法修習で法曹資格を得、1997年に大阪弁護士会に弁護士登録。大阪市内にある樺島法律事務所に1年間勤務。
弁護士2年目の1998年、大阪市内に「橋下綜合法律事務所」を設立し、示談交渉による解決を看板にする。飛び込み営業なども行い顧客を集め、年間400〜500もの案件を手がける。弁護士としての主な担当業務は企業コンプライアンス、M&A、エンターテイメント法、スポーツビジネスなど。2008年2月6日の大阪府知事に就任後は、事務所を法人化し別の弁護士が運営する。
芸能事務所タイタンと業務提携し、自身のタレントとしてのマネージメントを委託していた。また、同社の顧問弁護士も務めていた。
政治家として
2007年12月12日、大阪府知事選挙に出馬することを表明。2008年1月27日投開票の大阪府知事選挙で183万2857票を獲得し当選。同年2月6日に大阪府知事に就任。
2009年に、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leadersの1人に選出された。
思想
2008年10月23日、私立助成減額をめぐる高校生との懇談の場で、「今の世の中は、自己責任がまず原則ですよ。誰も救ってくれない」と強調している。この対談では、私立高校に通い補助を依頼する高校生に「どうして公立に行かないの?公立で一生懸命勉強すればいい」等と述べている。また『行列の出来る法律相談所』では、母子家庭で貧しく進学できそうにないという学生の相談に「厳しいだろうけど、頑張って欲しい」とエールを送っている。
合法でさえあれば道徳にしばられず競争すべきだとしている。例えば、著書の中では「ルールをかいくぐるアイディアを絞り出すことこそ、いまの日本にとって一番必要なんじゃないか!」「明確なルールのみが行動の基準であって、明確なルールによる規制がない限りは何をやっても構わない」ルールの隙を突いた者が賞賛されるような日本にならないと、これからの国際社会は乗り切れない」などと述べている。そのため、ニートに対しても厳しい姿勢を見せており、『たかじんのそこまで言って委員会』において、ニート対策については「拘留の上、労役を課す」と発言した。
「競争の土俵に上がれる者」に対しては徹底的に競争を促す一方で、競争の土俵に上がれない者に対しては特に手厚い支援を推進するという一面も持つ。「障害者雇用日本一を目指したい」と述べて、障害者の法定雇用率1.8%に満たない企業に対して雇い入れ計画の提出を義務づける障害者雇用促進条例を全国で初めて制定したり、障害者支援学校の増設やスクールバスの拡充をするなど、障害者支援政策に積極的に取り組んでいる。
交渉術、処世術
「合法的な脅し」と「仮装の利益」を交渉術の基本の一つとしている。これは、まず合法的に脅し、その脅した内容を回避する事から得られる偽りの利益(「仮装の利益」)を与える事で相手を納得させる手法である。
ウソをつく事も交渉術の一つとしている。たとえば、「交渉において非常に重要なのが、こちらが一度はオーケーした内容を、ノーへとひっくり返していく過程ではないだろうか」と述べ、具体的手法として「自分が言ったことに前提条件を無理やりつける」「『AをオーケーしたのはBという条件が必要だったのですよ』と後から付け足す」とその手法を紹介している。
中高生向けの著書で、「力関係をにらみながら、まずは強い者につくというのは、人間関係の鉄則です。」と述べ、生きていく(いじめられない・孤立しない)ための一つの方法として、周囲を見回しジャイアンのような強い人を見付け、彼の下につく(共生する)ことで我が身を守る(成長させていく)スネ夫的生き方を勧めている。これは、大阪府知事に就任後、麻生内閣の期間は麻生太郎元内閣総理大臣を支持をする発言を繰り返す一方、民主党が政権を取ると、民主党の小沢一郎幹事長を持ち上げる発言をするなど、時の政権との距離の取り方に表れている。ただし、権力に無批判に追従するわけではなく、しばしば民主党政権に対しても厳しく批判しているが、ただ単に日和見であるとの批判もある。
舞鶴 高1女子殺害事件 中勝美被告に無期懲役判決/関連:和歌山毒物カレー事件・鹿児島夫婦殺害事件
舞鶴・女子高生殺害:京都地裁が無期判決
京都府舞鶴市で08年に府立高校1年の小杉美穂さん(当時15歳)が殺害された事件で、殺人と強制わいせつ致死の罪に問われた中勝美(なかかつみ)被告(62)に対し、京都地裁は18日、無期懲役(求刑・死刑)を言い渡した。笹野明義裁判長は「被告が被害者の遺留品の特徴を知っていたことから犯人であることが強く推認される」とし、「犯行態様は冷酷残虐だが、周到に計画したり、ことさらに残忍な殺害方法を選択した事案とは異なり、死刑の選択がやむを得ないとまでは言い難い」と量刑理由を述べた。被告側は控訴する。
公判で被告側は一貫して無罪を主張。被告と事件を結びつける直接証拠がない中、防犯ビデオの画像鑑定や目撃証言など、検察側が積み重ねた状況証拠をいかに評価するかが最大の焦点となった。
判決は、現場に至る道路で被告と被害者を見たとする目撃者2人の証言の信用性を認め、道路沿いの3カ所にある防犯ビデオの画像も目撃証言と合わせて検討し、「映っている男は被告であり、犯行現場近くに犯行時刻に近接した時間、被害者と一緒にいた」と認定した。一方、検察側の画像鑑定は「単なる印象に基づくものが多い」として証拠能力を認めなかった。
続いて被害者の遺留品を詳細に説明した被告の供述について検討。「自発的にされたと認められ、供述を求めた捜査官に違法なものはない」としたうえで、「非公表の特徴と合致する具体的な供述で、知る機会があるのは犯人の他にはほとんど考えられない」と検察側の立証に沿う判断をした。
量刑について笹野裁判長は「経緯、動機に酌むべき点はない」と指弾したが、「同種前科の刑期終了後は暴力的犯罪を行っておらず、偶発的な面もある」などとして死刑回避の理由を述べた。
事件は裁判員制度の施行約1カ月前に起訴され、裁判官3人が審理した。【古屋敷尚子】
◇状況証拠での判断 厳密な説明必要
京都地裁は状況証拠の積み重ねによる立証を認め、無期懲役を言い渡した。和歌山毒物カレー事件(98年)や仙台・筋弛緩(しかん)剤混入点滴事件(00年)と同様、直接証拠がない中で有罪を導いた。
状況証拠による立証について最高裁は昨年4月、「犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が必要」との基準を示した。同年12月、鹿児島夫婦殺害事件(09年)の裁判員裁判はこの基準を踏襲し、現場から被告の指紋が出ていたが無罪(求刑・死刑)を言い渡した。
今回の判決では、防犯ビデオの画像と目撃証言を合わせ、検察側が主張する被告と被害者の事件前の足取りを認定し、被害者の遺留品に関する被告の供述調書も「自発的なもの」と認めた。しかし、ビデオ画像が不鮮明だったことには言及せず、別人物が犯行に及んだ可能性については「想像し難い」と説明しただけで、最高裁基準を厳密に検討した形跡は見られない。
今回の公判が裁判員裁判なら裁判員は相当悩むだろう。取り調べが可視化されていない中、捜査機関と裁判所には状況証拠に基づく判断について厳密で丁寧な説明が求められる。【古屋敷尚子】
毎日新聞 2011年5月18日 21時05分(最終更新 5月18日 21時13分)
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◆舞鶴 高1女子殺害事件 「犯行裏付ける証拠ない」京都地裁 第10回公判2011-03-24 | 社会
◆京都府舞鶴市女子高生殺害事件容疑者逮捕=これは杜撰だ。危うい。和歌山毒カレー事件を想起させる2009-04-08
◆舞鶴高1女子殺害事件・・・早くも、すっかり有罪推定だ。2009-04-09 | 社会
【決断 舞鶴高1女子殺害事件】 (上)乏しい物証 動機も不明
4月7日22時25分配信 産経新聞
「美穂ちゃんも(中勝美容疑者を)よく知っていたはずなのに、何でついて行ってしまったのだろう」
殺害された小杉美穂さんと親しかった女子高校生(16)はつぶやいた。殺人と死体遺棄容疑で逮捕された中容疑者。「変わった人」。近隣住民からはそうした評判が聞こえた。日ごろから通行人に大声を上げるなどの言動が近辺ではよく知られていたという。
舞鶴市出身。関係者などによると、地元の高校を中退後、京都や大阪で自動車整備工や警備員、飲食店員などとして働いていた。職を転々としながら、所帯を持った妻や子とも離別。1人暮らしの自宅には、自転車で近辺を回って集めた大型ゴミが山積みになっていた。
だが、顔見知りなどの前では、別の一面ものぞかせている。
事件当夜、中容疑者が訪れた2軒の飲食店。先に訪れた行きつけの店の女性店主(68)は「本当にあの人なのか、今でも信じられない。店の隅で静かに座っていたし、こんな事件を起こすなんて…」。後に訪れた店の関係者も「女の子とデュエットするなど、気さくで明るい性格。怒ったり暴れたりすることはなかった」と証言する。
粗暴にふるまう半面、人とのかかわりを求めるようなそぶりも見せる。複雑な感情を抱えているとみられる中容疑者は40年近く前、ある事件を起こしていた。
昭和48年9月、当時25歳だった中容疑者は、内縁の女性=当時(26)=との別れ話のもつれから、滋賀県草津市の路上で女性とその兄を刃物で刺して殺害。さらに近くの民家に押し入って住人の女性2人を人質に立てこもった。
ただ、人質となった女性(61)は意外にも「話している最中もずっと包丁を握りしめてやけっぱちな感じだったが、弱いところのある人だとも思った」と振り返る。最初は興奮していた中容疑者は、落ち着いて対応する女性と話すうち、次第に家族のことなど身の上を語り始めたという。
殺人罪などで実刑判決を受け、十数年間の服役後に舞鶴へ戻った。行きつけの店の店主は「店ではヤマモトと名乗っていた。前科があったから隠したかったのかな」と話す。
美穂さん殺害事件では、物証の乏しさのほか、現時点では動機も判然としない。解明は、今後の捜査の大きな焦点の一つでもある。
中容疑者が逮捕された7日は、美穂さんの11回目の月命日だった。
【決断 舞鶴高1女子殺害事件】 (下)更生の見極め 地域に重い課題
2009.4.9 21:14
この春、全国の警察本部に、女性や子供が被害者となる殺人や強姦などの凶悪犯罪を未然に防ぐため、前兆となる公然わいせつやつきまといといった事件を集中的に取り締まる部署が設置された。背景には、昨年9月に千葉県東金市で起きた女児殺害事件や、舞鶴高1女子殺害事件などが念頭にあったとされる。
舞鶴の事件で逮捕された中勝美容疑者は、女性につきまとうなどの行為を繰り返しており、地元では「怖い人」として受け止められていた。「彼が難しい人間としてこの辺りで知られていたのは事実。地域として何とかしなければと思っていた」。地域でボランティア団体を主宰している防犯推進委員の四方筆樹さんは振り返る。
四方さんは約3年前から、中容疑者に対し、ボランティア活動に加わるよう呼びかけるなど地道に接触を続けた。その結果、最近では草むしり活動に参加するなど、徐々に変化を見せ始めていたという。「心を開き始めているように感じていただけに、もし彼が犯人だとするなら、無念というほかない」。四方さんは唇をかんだ。
地域社会が直面するさまざまな問題を研究している「地域安全学会」(東京)の守茂昭さんは「地域にとって難しい人物をどう位置づけるか。互いに常に気を配り『心遣いの連鎖』を築くことが必要だ」と話す。
だが、今回のケースではもう一つ難しい問題が浮かんでいた。重大犯罪で服役後、更生を目指す人とどう向き合うのか。中容疑者は36年前に殺人事件を起こし、十数年の服役後、故郷の舞鶴市に戻った。しかし、平成3年には市内で若い女性に対する傷害事件を引き起こしたこともあった。
「(再犯者による殺人事件の)遺族は怒り心頭だと思う。更生の余地があるのでしょうか」。京都犯罪被害者支援センター(京都市)の宮井久美子事務局長は厳しい言葉を投げかける。
36年前の事件で、仮に中容疑者が無期懲役の刑を受けていれば、法的に出所後は軽微な犯罪でも収監されたことになる。「犯罪者にも人権があることは理解できるが、本当に更生しているかどうかを見極めるのは難しい」。宮井さんは指摘する。
関係者によると、平成3年の傷害事件の被害女性は今も舞鶴市内で暮らしており、昨年ばったり市内で中容疑者と出くわした。女性は「向こうは覚えていないかもしれないが、私は忘れない」と話したという。
「この事件は絶対に解決しなければならない」。府警は難しい捜査の末に、中容疑者逮捕を決断した。しかし、今回の事件は、容疑者逮捕後もなお、社会に重い課題を突き付けている。
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◆死刑求刑の被告に無罪判決 鹿児島夫婦強殺事件/10人の真犯人を逃すとも1人の無辜を罰するなかれ2010-12-10 | 被害者参加・裁判員裁判 / 検察審査会
◆犯人は逃すともの精神「疑わしきは罰せず」「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜を罰するなかれ」2006-12-17 | 司法改革/被害者・裁判員参加/検察審査会
週のはじめに考える
実施まで三年を切ったというのに、なお、だれが、何のためにの声が聞こえるほど国民の裁判員制度への理解は深まっていません。国民の司法参加の大義は−。 来年一月二十日から一般公開される周防正行監督・脚本の映画「それでもボクはやってない」に感心しました。
通算八年余の司法記者生活の経験がありますが、ズブの素人がその間に知り、考えさせられた日本の刑事裁判への疑問が二時間二十三分のドラマに凝縮されていたからです。
映画は通勤電車内の痴漢で被害者の女子中学生に現行犯逮捕されてしまった青年の物語。周防監督は取材に三年かけたそうですが、映画でも現実でもしばしば、容疑を全面否認するところから悲劇は始まります。
無辜を罰していないか
警察や検察の取り調べで無実の主張に耳は傾けられず、犯行を自供するまで、証拠隠滅や逃亡の恐れを理由に身柄を拘束されてしまいます。
警視庁管内でことし六月、友人たちの奔走でアリバイが証明されるまで十カ月も勾留(こうりゅう)されるひき逃げ冤罪(えんざい)事件が発覚しました。そんな悪名高い「人質司法」は珍しくなく、捜査機関に釈明の余地はありません。
日本の刑事裁判は「調書裁判」「検察司法」とも評されます。法廷より捜査段階での自白調書が決定的証拠とされ、裁判は検察の主張を追認するだけのシステムとの批判です。
検察立証に1%でも合理的疑いが生じれば無罪のはずですが、有罪率99%、日本の数字は異様です。
「疑わしきは罰せず」や「十人の真犯人を逃すとも一人の無辜(むこ)を罰するなかれ」の刑事裁判の原則がなぜ適用されないのか。映画のテーマですが、さらに深刻な問題提起が周防監督のコメントの中にあります。「(裁判は)今現実に日本に生きている多くの人たちの気持ちの反映かもしれません」「『疑わしきは捕まえといて』の方が本音に近いのかもしれません」−。
同じ裁判映画として名高いヘンリー・フォンダ主演の「十二人の怒れる男」が「犯罪者を釈放しようとしているかもしれないが、有罪を確信できない場合は無罪だ」と米・陪審制度の精神を語って感動を誘うのとは対照的です。
市民が刑事裁判を変える
刑事裁判への裁判員制度導入は、職業裁判官に独占されている事実認定や有罪・無罪の判断、刑の宣告に市民が加わる点で画期的です。
職業裁判官三人、市民裁判員六人構成で、痴漢ではなく、殺人や強盗など重大事件を審理します。普通の市民に理解してもらうために検察側も弁護側も、難解な専門用語は避け分かりやすい言葉で、迅速で的確な立証が必要です。
全員一致の陪審制度と違って裁判員制度は多数決。市民の参加で刑事裁判が大きく変わるとの期待の半面で「職業裁判官主導で市民裁判員が追認するだけにならないか」「実体的真実究明の場から遠くなる」の危惧(きぐ)も出ています。
一人の無辜を罰しないために真犯人を逃してしまうことに耐えられるかどうか−。厳格を求める日本人の秩序感覚を変えられるかどうかが最大のカギといえそうです。
裁判員制度の難問は、国民が司法参加の意義を認めながら、裁判への参加を望んでいないことです。内閣府や最高裁の調査で60−70%の人が参加を躊躇(ちゅうちょ)し、それも「有罪・無罪の判断が難しそう」「人を裁きたくない」の軽くない理由です。
刑事裁判取材で最も衝撃的で、今なお内部で折り合いがつかない事件があります。永山則夫元被告の四人連続射殺事件で一九八一年の東京高裁の控訴審判決でした。
「被告人に贖罪(しょくざい)の道を歩ませるべきだ」。一審の死刑判決を破棄、無期懲役に減軽した判決に、永山被告自身が、一瞬、戸惑ったようにみえました。
死刑制度の否定ではない。犯行時十九歳、悲惨な成育歴、獄中結婚、印税での遺族への弁償、情状をくむ判決文には被告を救いだすための苦心が歴然としていました。世論の反発を恐れて、弁護士の一人が「報道を止めることはできないか」と訴えたことも覚えています。
永遠に分からぬことが−
永山元被告の無期は最高裁で破棄され、九〇年五月の死刑確定、九七年八月の刑執行となっていきますが、生かす選択は本当になかったのか。今もわかりません。いや永遠になのかも。裁きは神の領域と思えることがあるのです。
裁判員は選挙人名簿から抽選で選ばれ、生涯を通じると十三人に一人が裁判員になるとの試算もあるそうですから人ごとではありません。
裁判員制度の狙いは司法や社会への市民の積極参加と社会構成員としての自覚。「統治の客体」から「統治の主体」への国民の意識変革が究極の目的ともされます。
そうであるなら、義務より権利。裁判員制度は、国民の理解はもちろん、進んで参加してもらえる緩やかな制度にすべきです。(中日新聞 社説 2006年12月17日)
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◆横浜・電動のこぎり切断事件、鹿児島・夫婦強殺事件 死刑が国民と親しく同居する風景=裁判員制度2010-11-19 | 被害者参加・裁判員裁判 / 検察審査会
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◆和歌山毒カレー事件
原発と離婚できない福島住民/立ち入り禁止区域で働いているんですか/原発は安定しているから「いい仕事」
原発と離婚できない福島住民の生活とあまりにも深く絡み合った原発産業
JB PRESS 2011.05.19(Thu)烏賀陽弘道
福島県南相馬市からの報告を続ける。
福島第一原発から20キロの立ち入り禁止ゾーン境界線に行ってみた時のことだ。幹線道路である国道6号線が田んぼの真ん中で封鎖され、検問ができていた。見慣れた電光掲示板に「災害対策基本法により 立ち入り禁止」という文字が流れ、10人ほどの警察官が立って車を止めている。
「ここから先は行けないんですか? 報道記者なんですが」
私も聞いてみた。
「申し訳ないのですが、ダメです」
「京都府警」(応援だろう)の文字がヘルメットに読める若い警官がそう言った。
検問の風景を写真に撮ることにした。ちょうど夕方6時ごろだった。西の稜線に日が沈む。野桜が満開だ。あたりが茜色に染まって美しい。
*立ち入り禁止地域から出てくる土木作業服の若者たち
検問の周りを1時間くらいうろうろしていて、不思議なことに気付いた。無人地帯になっているはずの20キロラインの内側から、自動車が次々に現れたのだ。
白いワンボックスカーに若者が数人乗っている。望遠レンズで覗くと、土木作業服を着ていた。靴を脱ぎ、足をダッシュボードに投げ出してたばこを吸っている。
続いて、白いトラック。ボディに「××工務店」の名前が見える。白い軽ワゴン車。ダンプ。どんどん出てくる。
警官がそのたびに止め、何か書類をチェックしている。誰も防護服など着ていない。
ふと見ると、警官が私の方に駆け寄ってくる。
「すみません、写真はやめてもらえますか」
「どうしたんですか?」
警官は車の方を振り返った。
「何だか、ダメらしいです」
私はカメラを降ろした。前を通る車から、運転席の若者がこちらをにらみつけていた。何だかピリピリした雰囲気だ。
1台だけ、白い防護服を着た2人組の乗った軽ワゴン車が通った。検問を出たとたん、道路わきの駐車場に車を入れ、外に出て防護服を脱いだ。そして走り去った。
道路脇の食堂から、男性が出てきた。店を閉めて家に帰るところだった。何で立ち入り禁止区域から次々に人が出てくるのか、尋ねてみた。
「ああ、あれ? あれはね、原発の後片付けや何かで働いている人」
私は仰天した。
「立ち入り禁止区域で働いているんですか?」
「うん。原発に通勤している人が多いからね。仙台あたりからもね、来るから」
ここらへんじゃ別に珍しいことじゃないよ、と男性は笑った。3.11以前はそういうドライバーを相手に商売していたのだという。
つまり私が見たのは、放射線が高い立ち入り禁止区域を通って原発で働く人たちの「帰宅風景」だったのだ。
*原発は安定しているから「いい仕事」
南相馬市では、原発関係の仕事をする人を見つけるのは実に簡単だった。
私が泊まった市内のビジネスホテルで、去年まで福島第一原発で働いていた男性と偶然出会った。
宿に帰って、フロント前のソファで、地元紙を読んでいた時だ。白髪で日に焼けたメガネの男性が向かいに座った。
南相馬市の北西にある飯舘村の放射線量が4.0マイクロシーベルト/時に達して、避難しなくてはならない。逆に、30キロ圏内の内側にある南相馬市海岸部は、0.53(同)と低いのに矛盾している。そんな雑談になった。
「私の職場では、マイクロシーベルトなんて話題にならなかったんですがね」
その男性はにやにや笑いながら言った。私はぎょっとした。
「3.5マイクロシーベルトというと、私にとっては毎日の普通の作業環境でしたよ。そもそも線量計が10マイクロシーベルトからしか分からなかったし」
私はどきどきしながら聞いた。
「そんなお仕事というと、原発ですか?」
男性はうなずいた。あの事故のあった福島第一原発の建屋の中で働いていた。そう言うではないか。
建屋の中で水や汚れをふいた布や、工事のために敷設したモーターにかぶせたビニールシートなどは「放射性廃棄物」として原発の敷地内から持ち出せない。法令でそういうことになっている。だから施設内で焼却する。そんな仕事だそうだ。
毎日「カバーオール」と呼ばれる防護服を着る。線量計も着装する。
「原発はね、安定しているからいい仕事なんですよ」
安定しているってどういうことですか、と私は尋ねた。男性はミスコピー紙を取り出し、ペンでさらさらとメモを書いた。原子炉の定期点検のスケジュール表だった。
「原子炉は法律で1年に3カ月くらいは定期点検せねばならんのです。まあ、長過ぎると電力会社が苦情を言ったのでしょうね。突然法律が変わって、今は38日でいいことになりましたがね」
男性はにやりと笑った。
「だから1号炉、2号炉、3号炉と、どれかの炉がいつも点検中なんです。だから仕事が安定しているんです」
6〜8月の電力需要期を除いて、いつもどれかの炉が点検に入る。すると点検作業のために建設関係の会社に仕事が回ってくる。
「定期点検のために、1年でのべ5000人は雇われるんです。安定しているでしょ?」
男性は「5000人」と数字を具体的に言った。南相馬市だけじゃなくて相馬市(北隣)やいわき市からも働きに行っていますからねえ。ここらへんじゃ普通ですよ。男性はそう言った。
なるほど、私が20キロ検問で見た「不思議な通勤者たち」はこの男性のような人たちなのだ。
*東電や原発の話題に口を閉ざす住民たち
南相馬市で20キロラインと30キロラインに挟まれた中間地帯で苦痛に満ちた生活を強いられる人たちに取材していると、あちこちで東京電力や原子力発電所の存在がちらついてくる。
20キロラインのぎりぎり外側で暮らすおばあさんに話を聞く段取りをした時のことだ。紹介者を通じて、いったん「いつでもうちに来て」という返事が来た。「話し好きな人だからいろいろ面白いですよ」と紹介者も言うので、楽しみにしていた。
ところが、一夜明けて、約束の時間の5分前に電話がかかってきた。
「やっぱりやめておく」
そう言うのだ。こちらは理由を聞く。向こうは口ごもる。「あの後、息子さんが帰ってきて、マスコミなんかやめておけ、と言われたらしく、急に態度が変わった」と申し訳なさそうに紹介者が言う。
そういう時は、
「親戚や家族がお世話になっているので、原発や東電の悪口は言わない」
「マスコミやよそ者にそういう話をしない」
「マスコミによくないことを言うと、地域で仲間外れにされる」
「言うと、どこでどんな後難があるか分からない」
そういう含みだということが次第に分かってきた。それから何件も取材を断られたからだ。
別に原発や東京電力の批判をしてほしいわけではない、中間地帯で暮らしの何が不便か教えてほしいだけだ、と説明してもダメなのだ。「どこで何があるか分からない」と、誰もが「見えない何か」を恐れているのだ。
原発事故で故郷が放射能汚染されてしまった。そんな最悪の段階に至っても、東京電力や原発の話題はタブーなのだ。
ある地元企業の経営者に話を聞かせてもらおうと、東京から連絡をして会いに行った。しかし「マスコミは何を書くか、分からないから」と断られた。会社まで直に行ってもまた社員が出てきて断られた。
「せめて挨拶だけでも」と菓子折りを持ってもう一度行ったら、気の毒がってくれたのか、ようやく入れてくれた。
「本当に、周囲で(東京電力や原発関連企業に)雇われている人がとても多いんです」
私は応接間のソファでその人物と向かい合った。取材に神経質だった。記事にするなら内容を事前に知りたい、という。それは検閲ですからダメですと私は断った。なので匿名にする。
*原発に反対すると「おかしい人」に見られてしまう
「家族と従業員5人くらいで細々とやっている会社がこのへんにはたくさんあります。そんな会社が仕事をもらって、いろいろな人が関係している。裏話も聞こえてくる。生活に密着すればするほど、声を上げにくいのです」
──もう少し具体的に話してもらえますか。
「ここでは『東電』ではなく『東電のAさん』『Bさん』と具体的な人物なんです。一人ひとりがそんなふうに関係がある。そして東電の現場の社員には誰も悪い人はいません。個人として地域住民にとけ込んで、理解と信頼を得ています」
──寄付金や交付金といった原発関連のお金は身近にありますか。
「お金ももちろんあります。住民の了解を取るために、すごいお金を使っている。みんな寄付とかをもらって、すごくお世話になっています。東電は安全を信じ込ませたいですから」
──批判しにくいですか。
「だって(お金を)もらってっぺ? 片棒担いでいるようなもんだ(笑)。産業がないところに原発が来ると急に豊かになるんですよ。それも、普通の発電所よりずっと異常な金額が落ちる。うすうす気付いてますよ」
──それでも原発に異議を唱える人はいるのですか。
「『特殊な人が反対している』『反対している人はおかしい』ということになってしまいましたね。そうなるとみんな黙ってしまうんです」
「原発ができた40年前は、核シェルターを作ろうとした人もいました。それも考え過ぎだったなあ、なんて思い始めたところに今度の事故が起きました」
──原発ができて生活は豊かになりましたか。
「『都会的』で『文化的』な生活になったと、みんな思いました。朝も夜も関係なくお湯が出て。ホールができて。千住真理子とか有名人が来てコンサートにお芝居に公演に・・・。東電は補助金を出して地域住民は安く招待してくれるんです。『Jビレッジ』だって東電のお金ですよね。街全体が総がかりで東電に頼る。そうなると原発に反対したことも、だんだん忘れていくんですよ。いや、反対どころか『古い原子炉が止まると仕事がなくなる』と新しい原子炉をつくってくれ、と地元の町長や市長が陳情するくらいですから」
その人物は苦笑いをした。
「本当に悔しい」、それでも批判できない
話を3時間以上聞いた。南相馬市の流通は止まり、事実上のゴーストタウンになった。この人が経営する会社も、ほぼ操業停止状態に追い込まれている。
「ここの自然が好きでここに住んでいる。こんな形で自然が破壊されて、本当に悔しい」
それでも東電や原子力発電への批判をぐっとのみ込んでいる。それくらい、地元民の生活と原発は深く絡み合っている。
「私、実は大熊町に家があったんです」
先ほどの原発で働いていた男性の言葉だ。
大熊町は福島第一原発がある町のことだ。もちろん、今は立ち入り禁止区域である。男性は3月11日以来、自宅に帰っていない。仕方なくアパートを借りている。
「除染したって放射能が強すぎるらしいです。水で洗ったら、今度は放射能が下水に流れ込むっていうし。壁の表面を塗り替えても放射能は残るし・・・」
言葉が途切れた。言葉にしながら、可能性を探っているようだった。
「10年は帰れないかもなあ・・・もうダメかもなあ・・・」
このまま、福島の人たちは、沈黙のうちに原子力発電所に道連れにされるのだろうか。私は暗澹とした気持になった。
〈筆者プロフィール〉
烏賀陽 弘道 Hiromichi Ugaya
1963年、京都市生まれ。1986年京都大学経済学部卒業。同年、朝日新聞社に入社。三重県津支局、愛知県岡崎支局、名古屋本社社会部を経て91年から2001年まで『アエラ』編集部記者。92年にコロンビア大学修士課程に自費留学。国際安全保障論(核戦略)で修士課程を修了。2003年に退社しフリーランスに。主な著書に『「朝日」ともあろうものが。』『カラオケ秘史』『Jポップとは何か』『Jポップの心象風景』などがある。
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◆原発マネーに群がった政治家・学者・マスコミ/巨額の「反原発」対策費が政・官・財・学・メディア・地元に2011-05-17 | 地震/原発
◆原発の「ごみ」行き場なく/「核半島」六ヶ所村再処理工場/東通原発/大間原発/核燃料 中間貯蔵施設2011-04-28 | 地震/原発
橋下徹大阪府知事 国歌起立条例案 これが民主主義だ
ツイッターに「これが民主主義だ」 橋下知事、国歌起立条例で攻勢へ
産経ニュース2011.5.19 12:58
19日開会の大阪府議会。橋下徹知事が率いる地域政党「大阪維新の会」は、府内の公立学校の教員に対し、式典での国歌斉唱時の起立を義務づける条例案を提出する方針だ。過半数を占める維新が提案すれば、可決は確実。
教職員組合などは「公教育への介入、教職員への思想統制」と反発を強めるが、橋下知事は「公務員が国歌斉唱時に起立するのは当たり前」と、議員提案で一気に可決に持ち込む構えだ。
政令市含めた戦略
「これは君が代問題ではない。教員は職務命令を無視できるのか?の問題」。19日午前3時すぎ、橋下知事は自身の簡易ブログ「Twitter(ツイッター)」にこう書き込んだ。この日午前、橋下知事と意見交換した府教委幹部は、府教委から全教職員に、起立を求める職務命令を出す方針を示した。
国歌斉唱時の起立義務化の対象は、大阪市などの政令市を含む府内全ての公立小中高校など、計1701校の教員計約5万5500人となる見込み。条例では府施設での国旗の常時掲揚も義務付ける。
橋下知事は、この条例とは別に、職務命令に繰り返し違反した場合、懲戒免職も含めた処分基準を定めた条例を9月府議会に提案する方針で、違反者の実名や所属校の公表も検討する。
「(起立義務化の)条例を作らなければならないこと自体が恥ずかしい」と述べる橋下知事が、条例化を決めた直接のきっかけは、維新が府議選で過半数を獲得した後の今月6日、不起立を理由に府立高校の教職員2人を府教委が戒告処分したことだったという。
入学・卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱は平成元年の学習指導要領で義務づけられ、11年には国旗は日章旗、国歌は君が代とする国旗国歌法が施行された。府教委は14年に府立学校の教員に国歌斉唱時に起立するよう文書で指示。これを根拠に不起立教員について懲戒処分を行ってきたが最も軽い戒告に止めてきた。
不起立の教員は減少傾向にあるというが、22年度の府立高校の卒業式で39校84人、23年度入学式で27校38人が起立しなかった。
橋下知事は「指示から9年経っても従わない教職員がいる。マネジメントができていない」と指摘。「起立は府民感覚として当たり前。国旗、国歌を否定するなら公務員を辞めればいい」と述べる。
さらに条例の対象に政令市の教員を含めることに、大阪都構想への布石との意味合いをにじませる。
教員の人事や予算の権限を巡り、国や都道府県、政令市、市町村の役割や責任分担が複雑に入り組む現行の教育委員会制度を批判し「小中学校も条例の対象にし、政令市も含めることで責任が明確になる」と述べた。
19日未明の自身のツイッターには「これが民主主義だ。大阪維新の会は大阪都構想を実現するために、1年半かけてカネも労力もかけて選挙を戦った。そして一定の民意を得て、今物事を進めようとしている」と書き込んだ。
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〈来栖の独白〉
こんなモノが民主主義か。ポピュリズムの力。「条例を作らなければならないこと自体が恥ずかしい」と述べる橋下知事だが・・・。独特の「恥」文化のような。
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◆「君が代起立」条例案 橋下・大阪府知事、不起立教員「辞めてもらう」2011-05-18 | 政治
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「君が代」条例案に反対
2011年5月18日(水)「しんぶん赤旗」
大阪府議会で過半数を占める「大阪維新の会」府議団が、「君が代」斉唱の際に教職員に起立を義務づける条例案を19日開会の5月定例府議会に提出しようとしている問題で、大阪教職員組合や市民団体でつくる「子どもと教育・文化を守る府民会議」(代表・藤木邦顕弁護士)は17日、府庁を訪れ、憲法違反だとして反対するよう各会派に要請しました。
同条例案は、府立の学校や市町村立の府内の小中学校の入学式や卒業式で「君が代」を斉唱する際に、教職員に起立を義務付けるもの。これまでは府教委が文書で指示し、市町村立の小中学校も同様の内容で指導していました。可決されれば都道府県で初の条例となります。橋下徹知事は16日、「国歌国旗を否定するなら公務員を辞めればいい」と発言。条例に違反すれば辞めさせるルールを考えるとしています。
要請書は、「国旗国歌法」成立の際の国会での論議や答弁で国民への義務づけや強制はしないと確認していると指摘。各都道府県や市町村、現行学習指導要領でも斉唱の際の方法は記しておらず、各学校での判断とされ、日本国憲法の国民主権(1条)、基本的人権の尊重(11条)、個人の尊重(13条)、思想および良心の自由(19条)に明らかに反すると批判しています。
日本共産党への要請で府民会議側は「府民の議論もないまま数の力で押し切るのは許せない」と強調。朽原亮党府議団幹事長は「条例化すべきでない。頑張りたい」と述べました。
舞鶴 高1女子殺害事件/大阪母子殺害放火事件/鹿児島夫婦強殺事件
舞鶴事件の無期判決 状況証拠だけで十分か 状況証拠を積み上げたとはいえ、本当に冤罪ではないと言い切れるのだろうか。
中国新聞 '11/5/19
京都府舞鶴市の高1少女殺害事件で京都地裁はきのう、殺人と強制わいせつ致死の罪に問われた無職中勝美被告(62)に無期懲役(求刑は死刑)を言い渡した。
凶器や指紋など、被告と犯行を直接結び付ける証拠は見つからなかった。被告は捜査段階から全面否認を続け、公判では一貫して無罪を主張していた。
逮捕、起訴した警察、検察が目撃証言や防犯カメラ画像などの状況証拠をどれだけ丹念に積み重ねることができたか。こうした状況証拠の評価が裁判の最大の焦点だったといえる。
判決は「防犯カメラの画像は被害者と一緒にいたことを示す証拠と認められ、目撃者の証言も信用できる」と評価。検察側の主張を採用し、被告の訴えを退けた。
「被告は犯人でしか知り得ない遺留品の特徴を知っており、犯人であることに疑いを抱かせる事情は存在しない」とも述べている。
これに対し弁護側は公判の中で「捜査官の誘導があった」としてきた。判決はそうした主張には根拠がないと判断したようだ。
それにしても痛ましい事件である。2008年5月8日朝、行方が分からなくなっていた小杉美穂さん=当時(15)=が、市内の雑木林で遺体で見つかった。
全身に土と枯れ葉がかけられ、着衣は近くに捨てられていた。死因は頭や顔を鈍器で殴られたことによる失血死。母親(40)から前夜、捜索願が出されていた。
事件の捜査も異例の展開をたどる。警察は現場近くに住む中被告を窃盗容疑で拘束。別件逮捕との批判も出た。殺人などの罪で逮捕したのは被告が窃盗罪で実刑判決を受け、服役中のことだ。
窃盗罪で起訴した直後、弁護士立ち会いの下で6日間にわたり自宅を捜索しても、凶器などの物証は発見できなかった。
状況証拠だけで起訴されたケースとして大阪の母子殺害放火事件がある。最高裁は昨年4月、無期懲役の一審判決、死刑の二審判決をいずれも破棄して審理を大阪地裁に差し戻した。
その際に「被告が犯人でなければ説明できない事実が証拠の中に含まれることが必要」との判断基準を示している。
この基準が適用されたのが昨年12月の鹿児島地裁の裁判員裁判だ。夫婦強盗殺人事件の被告に無罪が言い渡された。
今回の裁判では、遺留品についての供述が最高裁基準に当てはまるとして、有罪判決に踏み切ったようにみえる。だが密室での取り調べだけに、供述自体が押しつけられた可能性も否定できない。
中被告が起訴されたのは裁判員裁判の施行直前だった。分かりやすさが要求される新制度を回避したとの指摘もある。審理はプロの裁判官だけで進められた。
弁護側は控訴する意向を示している。立証は十分だったのか。高裁であらためて問われるべきだ。
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◆「大阪母子殺害事件」事実認定の点で抑制的と言われていた最高裁は変わっても、依然変わらぬ検察2011-01-28 | 死刑/重刑/生命犯 問題
検察、有罪「決め手」実験で補強 大阪の母子殺害事件
大阪の母子殺害放火事件で殺人と放火の罪に問われた大阪刑務所刑務官森健充被告(53)=休職中=の差し戻し審で、検察側が、有罪の決め手の証拠としていたたばこの吸い殻について「事件当日、現場に捨てられた可能性がある」とする実験結果を大阪地裁に証拠請求したことが28日、検察関係者への取材で分かった。
昨年4月の最高裁判決は二審の死刑判決を「事実誤認の疑いがある」と破棄しており、差し戻し審は無罪となる可能性がある。検察側は実験結果を補強材料に、再び吸い殻を有罪立証の「柱」として巻き返しを図る方針だが、最高裁は、状況証拠での立証は困難としており、ハードルは高そうだ。
検察側はこれまで、現場マンションの灰皿で見つかった吸い殻に付着した唾液のDNA型が森被告と一致したとして、「森被告が当日現場を訪れた」と主張。一、二審では認められたが、最高裁判決は「フィルターが茶色に変色し、かなり以前に捨てられた可能性がある。最も重要な証拠なのに審理が不十分」として退けた。
このため検察側は、同種のたばこの吸い殻を自然に捨てる実験で変色の状況を調査。「当日でも同様に変色する」との結果を得て、公判前整理手続きで証拠請求した。2011/01/28 08:22 共同通信
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<大阪母子殺害>被告側「無罪判決に向け全力」(毎日新聞 2010年4月27日)
「『疑わしきは被告の利益に』という刑事裁判の原則にかなった判決。差し戻し審では無罪判決に向け全力で頑張りたい」。大阪市の母子殺害事件で殺人罪などに問われた刑務官、森健充(たけみつ)被告(52)の死刑判決を破棄した27日の最高裁判決について、弁護側は高く評価した。今後、大阪地裁で審理がやり直されるが、判決は改めて直接証拠がない事件捜査の難しさを示した。
午後3時、最高裁第3小法廷。藤田宙靖(ときやす)裁判長の退官により、堀籠幸男裁判官が判決主文を代読すると、後藤貞人弁護士はじっと前を見つめ、弁護活動の実務を担った陳愛弁護士は、うっすらと涙を浮かべた。
1、2審とも有罪とされた森被告だが、陳弁護士らの接見に、いつも「裁判所は分かってくれる」と語り、無罪判決しか頭にない様子だったという。後藤弁護士は法廷を出ると事務所に電話し、森被告に判決を伝える電報を打つよう指示した。
その後、後藤弁護士は「最高裁はこれまで事実誤認の主張に扉を閉ざしてきたが、最近は痴漢冤罪(えんざい)や再審など変化が見られる。裁判員制度開始の影響が大きい」と興奮を隠せない様子で語った。大阪府警の捜査については「あまりに早い段階で容疑者を絞り、必要な捜査を怠った。無理な取り調べもあった」と批判。「検証のため取り調べの可視化が必要」と語気を強めた。【伊藤直孝】
◇事件の経緯◇
02年4月14日夜、大阪市平野区のマンション一室から出火し、焼け跡から主婦の森まゆみさん(当時28歳)と長男瞳真(とうま)ちゃん(同1歳)の他殺体が見つかった。まゆみさんは森被告の妻の連れ子と結婚して暮らしており、検察側は、まゆみさんに恋愛感情を募らせた森被告が思いを拒まれるなどしたため憤って絞殺し、瞳真ちゃんを浴槽につけて水死させたうえ、室内に放火したとして、殺人、現住建造物等放火罪で起訴した。1審・大阪地裁は05年8月、状況証拠から有罪認定して無期懲役を言い渡し、2審・大阪高裁(06年12月)も有罪として「被告は反省しておらず、更生の可能性はない」と死刑を言い渡した。
◇解説…状況証拠評価、裁判官も割れる
死刑判決を破棄した最高裁判決だが、裁判官5人の見解は割れた。小法廷の考え方となる多数意見は3人にとどまり、那須弘平裁判官は「有罪の余地あり」と意見を述べ、堀籠幸男裁判官は「被告の関与は十分立証されている」と反対意見で1、2審の有罪認定を支持した。裁判員制度導入で市民が死刑判決に関与するかもしれない中、状況証拠のみで有罪・無罪を判断する困難さが改めて浮き彫りになった。
判決は「直接証拠がある事件でも、状況証拠のみの事件でも有罪認定の基準は変わらない」とした07年の最高裁判例を引用し、状況証拠のみの事件では「被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実関係が必要」と基準を示した。そのうえで現場に残された吸い殻を立証の柱とした検察側の主張について、捜査の不十分さを指摘し「有罪認定のレベルに達していない」と批判した。裁判員制度を念頭に慎重な捜査、審理を促したと言える。
しかし堀籠裁判官は、国民の健全な良識を刑事裁判に反映させることが裁判員制度の目的として「今回の基準は不明確。裁判官の認定手法を裁判員に求めることは避けるべきだ」と指摘した。一方、藤田宙靖裁判長は「手放しで『国民の健全な良識』を求めることが制度の趣旨と言えるかは疑問。基準を明示することは法律家の責務」と反論。基準に対する見解も分かれた。
和歌山毒物カレー事件(98年)や仙台・筋弛緩(しかん)剤混入点滴事件(00年)でも状況証拠による立証が争われたが、被告の有罪が確定した。今後、直接証拠がないとされる埼玉・千葉と鳥取の連続不審死事件などが裁判員裁判で審理される。裁判員が判断に迷う場面が予想され、捜査当局は従来以上に十分な証拠集めと説得力のある立証活動が求められ、裁判官も評議の工夫を迫られている。【伊藤一郎】(毎日新聞 2010年4月27日 22時1分)
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◆死刑求刑の被告に無罪判決 鹿児島夫婦強殺事件/10人の真犯人を逃すとも1人の無辜を罰するなかれ2010-12-10 | 被害者参加・裁判員裁判 / 検察審査会
◆舞鶴 高1女子殺害事件 中勝美被告に無期懲役判決/関連:和歌山毒物カレー事件・鹿児島夫婦殺害事件2011-05-18
◆和歌山毒カレー事件
情報隠蔽で世界の孤児になりつつある日本/世界各地で福島原発事故由来の放射性物質の飛来を観測
情報隠蔽で世界の孤児になりつつある日本。もはやチェルノブイリ当時のソ連以下かもしれない
DIAMOND online 『週刊 上杉隆』【第175回】2011年5月19日 上杉隆
3月の福島第一原発の事故以来、世界が日本の「敵」になりはじめている。とくに本コラムで指摘した通り、海洋への汚染水放出を行なった4月以降は特に顕著だ。
5月17日、WHO総会に出席している大塚耕平厚生労働副大臣は、日本政府代表として次のように謝罪した。
「大気・海洋中に大量の放射性物質を放出したことを、国際社会の一員としておわびしたい」
世界各地で福島原発事故由来の放射性物質の飛来を観測
大気中に飛び散った放射性物質はすでに地球規模で広がっている。ハワイで環境基準の43倍ものセシウムが検出されているのをはじめ、米国本土、欧州、南半球などでも福島第一原発事故による放射性物質の飛来が確認されている。
同じ日、BBCのドキュメンタリー映画の取材で来日しているダニエル・リード記者との会話の中で、その点について触れると、こう答えた。
「私自身、これで三回目の被曝になる。最初は生まれた年に行なわれたビキニ岩礁の水爆実験だった。そのときはもちろん意識はない。二回目はモスクワに住んでいた時に被曝したチェルノブイリ原発事故、そして今回の福島が三回目となる」
記者クラブによって情報統制のされている日本では国民の意識が薄いが、放射能事故に関する世界の見方は一貫して厳しい。リード記者が話すように、一見、過剰とも思える反応を示すことが多いのだ。
同じ17日夜には、次のようなニュースも流れた。
「枝野幸男官房長官は17日午後の記者会見で、東京電力福島第1原発事故に関する国際原子力機関(IAEA)調査団を24日から6月2日までの間、受け入れると発表した。調査団はIAEAの専門家ら約20人で構成される。第1原発を訪れるほか政府や東電関係者から聞き取り調査を行い、6月20日からウィーンで開かれるIAEA閣僚級会議で報告する」(産経新聞WEB版)
実はこの2ヵ月間、日本政府はIAEAの「勧告」をずっと断ってきた経緯がある。
IAEA、WHO、グリーンピース… 勧告や忠告、要請を断り続けた日本
たとえば3月22日、福島での放射能環境基準値が高まり、IAEAが住民への「避難勧告」を伝えたときも、日本政府は「情報を精査している」という詭弁を弄して、事実上、無視し続けている。それはIAEAとWHOがともに指摘した飯舘村の状況でも同じだった。
地形の関係で高い放射性物質の飛来が認められると3月にIAEAが指摘すれば、WHOも、乳幼児と妊娠している可能性のある女性だけでも優先的に避難させてはどうかと打診している。
にもかかわらず、日本政府はこの二ヵ月間、国際機関のそうした「忠告」を無視し続けたのだった。過去、IAEAの「査察」を断ったのは北朝鮮、リビア、イランくらいではないだろうか。
日本政府はそうした国々と同列で扱われる条件を自ら世界中に提示してしまっているのである。
さらに先週の本コラムで触れたが、国際環境団体グリーンピースによる海洋調査の「妨害」がある。
国連の組織ではないものの、グリーンピースによる海洋調査は、国連でも認められたもので、少なくとも日本政府によるお手盛りの調査よりは数段、信頼度も高い。
5月1日、自由報道協会はそのグリーンピースを呼んで記者会見を開いた。その際、佐藤潤一GPジャパン事務局長は次のように語っている。
GPの海洋調査“完全拒否”の国は いまのところ世界中で日本だけ
「過去にグリーンピースの海洋調査を断ったのは、私の把握している限り、インドネシア一ヵ国だけです。ただ、その際、インドネシアのメディアがグリーンピースの調査を断った政府に対して批判的な報道を開始し、調査をさせろという世論が沸き起こり、一ヵ月後にはインドネシア政府も撤回して、最終的には調査ができました。だから、完全に拒否となると世界で日本が初めてということになるかもしれません」
先週、日本政府はグリーンピースの海洋調査を断っている。すでにグリーンピースの調査船は日本を離れた。政府はまたしても情報公開のチャンスを逃したのだ。
その代わりに日本政府は、魚の「頭」と「内臓」と「骨」を除くという世界でも類を見ない奇妙な調査方法の結果を示して、安全性をアピールしている。
過去、インドネシアで起きた世論のうねりを日本で期待することはあまりに馬鹿げている。なにしろ本来ならば、情報公開を求める側のメディア自身が隠蔽に加担し、グリーンピースの調査活動を無視してきたからである。
また、日本政府によるその種の国際社会のルール無視は、WHO、IAEAでも当てはまる傾向だ。
原発事故情報の“鉄のカーテン”は もはや旧ソ連以上かもしれない
この2ヵ月間、日本では、政府とメディアが一体となって情報隠蔽を繰り返したため、世界中が不信感を表明することに至った。いや、そもそも地震発生直後から、クリントン米国務長官やメルケル独首相らに隠蔽体質を批判されている。
〈ドイツでは、福島第一原発の爆発や火災などに関する日本政府の対応について、不信感を強調する報道が目立っている。
被災地で救援活動を行っていた民間団体「フメディカ」の救援チーム5人は14日、急きょ帰国した。同機関の広報担当者シュテフェン・リヒター氏は地元メディアに対し、「日本政府は事実を隠蔽し、過小評価している。チェルノブイリ(原発事故)を思い出させる」と早期帰国の 理由を語った。
メルケル首相も記者会見で「日本からの情報は矛盾している」と繰り返した。ザイベルト政府報道官は、「大変な事態に直面していることは理解している。日本政府を批判しているわけではない」と定例記者会見で釈明したが、ドイツ政府が日本政府の対応にいらだちを強めていることは間違いない〉(2011年3月16日17時48分 読売新聞)
少なくともこの2ヵ月間で、日本政府は、WHO、IAEA、グリーンピースという3つの国際的な機関と団体を排除し続けてきた。それは世界からみれば、情報隠蔽以外の何ものでもない。
日本が世界の孤児となりはじめている現実を、政府もメディアも国民も直視しなければならない。もはや日本は1986年当時のソ連を笑えなくなっている。
少なくとも、当時のソビエト政府は、事故発生一ヵ月後には住民の強制移住を完了させ、国際機関の査察を受け入れている。
情報公開に関して、現在の日本は、東西冷戦時代の共産国家のそれよりも酷いのかもしれない。
堀江貴文氏への重すぎる実刑確定と、それでも止まらない大手メディアの“社会的リンチ”
堀江貴文氏への重すぎる実刑確定と、それでも止まらない大手メディアの“社会的リンチ”
DIAMOND online『週刊 上杉 隆』【第173回】2011年4月28日上杉 隆
証券取引法違反事件における堀江貴文氏の上告棄却が決まった。これで収監が確実となり、2年6ヵ月の実刑が確定する。
筆者がそのニュースを知ったのは堀江氏のツイッターからであった。そこで、すぐに次のようにリツイートした。
〈【速報】 RT @takapon_jp: 棄却された。。。〉
この後も、堀江氏のつぶやきをいくつか拾って、リツイートを繰り返した。
〈いやあしかし凄いタイミングで出してくれたもんだ。丁度5年前の4/27が東京拘置所から保釈された日〉
〈とりあえず異議申し立ては出しますが、たぶん一ヵ月くらいで入ります。大体2年4ヵ月かな。。。〉
そして、マネージャーに電話を入れた後、堀江氏の携帯電話も鳴らしたのだった。
「どうすんの、ゴルフ? せっかくいい季節がやってきたのに……」
なぜ上告棄却当日に急遽、記者会見を開こうと思ったのか
堀江氏が刑務所に入る前に、少しでも日本社会に広まった彼に対する「誤解」を解くことが、自分自身にできる最低限のことだと思った。
悪法もまた法である。それに逆らうつもりはない。しかし、大手メディアの行なってきた検察広報としての堀江バッシングは明らかに度を超していた。
そのおかげで、大手メディアからの情報提供しか受けられない大半の日本国民は、間違った印象のもと洗脳されていたのだった。せめて、それを修正しようと考えたのだ。
〈「場」を提供しましょう(*・。・)ノ @fpaj RT @hazuma: お力になれることがあったらなんでもお知らせください。RT @namatahara どこで出来るか懸命に考えます RT @hazuma: みんなでほりえさんの話聞く、超前向きで遠大な朝生やりましょうよ!〉
評論家の東浩紀氏、ジャーナリストの田原総一朗氏のつぶやきに加わる形で、私は自由報道協会の記者会見を想定しながらこうつぶやいた。
すると、堀江氏の方からすぐに反応があった。
〈 @takapon_jp: 既に自宅に向けて突撃報道記者が殺到している様子。騒動を抑える為に早めに記者会見できると嬉しいです。 QT @uesugitakashi 「場」を提供しましょう(*・。・)ノ @fpaj〉
会見開始まで3時間! 自由報道協会のメンバーが奔走
このツイートを受けて、すぐに、自由報道協会主催の記者会見場を探す作業に入った。何人ものメンバーが場所取りに動く。時間はない。なにしろ予定した会見時間まで、すでに3時間を切っていたのだ。
たまたまその時刻は、ニコニコ本社(原宿)で自由報道協会主催の河野太郎衆議院議員の原発事故会見を行っていたこともあって、準備に対応できる人間が限られていた。
自由報道協会のメンバーだけだったら、そのままニコニコ本社を使わせてもらうか、あるいはUstreamスタジオを借りることで対応できる。だが、多くの大手メディアも来ることを考えればそうもいかない。
最低、100人規模の会場が必要になる。だが、いきなり数時間後にというのはかなり難しい。
開始2時間前、ようやくのことで会場を抑えることができた。会員のご厚意によってきわめて特別に、国際文化会館のホールを借りることができたのだ(もちろん有料)。
相変わらずお行儀の悪い大手メディアの記者たち
すぐに手配と会場設営を行なう。押し寄せる大手メディアの社員たち。館内ルールに従って、携帯電話のホールでの使用禁止と指定場所以外での禁煙をあらかじめお願いしていたが、そんなことはお構いなしだ。
こちらの苦労などつゆ知らず、相変わらず我が物顔で、場所取りを始める。
しかしじきにおとなしくなるだろう。会見が始まれば大手メディアの記者は質問しないのが常なのだ。スタジオや、紙面や、番組では勇ましい。だが、当事者の前に出ると、つるし上げる時以外は、きわめておとなしい記者たちばかりなのだ。
それが大手メディアの記者たちの実態であり、案の定、この日も、筆者が「大手メディアの記者の方も質問してください」と2回にわたって促すまでは、手すら上がらなかった。
さて、午後5時、こうしてやっとの思いで会見を始めることができたのだ。
多くの国民が知らないライブドア事件の実態
そもそも、ライブドア事件とはなにか。果たしてこの事件は堀江氏を執行猶予も与えず、刑務所にぶちこむほどの重いものなのか。
多くの国民はその実態を知らない。なにしろ、大手メディアのキャスターや解説委員、記者たちですら、時代の空気に流されてしまい、事件の中身すら理解していないのが現状だからだ。
ちょうど2年前、堀江氏が上告した時の趣意書の冒頭にはこう書かれている。
〈堀江貴文氏に係る証券取引法違反被告事件 上告趣意書の要旨
2009年4月23日
主任弁護人 弘中惇一郎
1.はじめに
裁判は法と証拠に基づいて行われなけれればならない。しかし、メディアが醸成する異常な雰囲気が社会を覆い尽くすような場合には、それが困難になる場合がある。本件当時、メディアは、ライブドアや被告人のすべてが悪いかのような誤解を振りまき、被告人に対してフレンジー(狂乱、逆上)な状況が作り出され、一審判決及び原判決はこれに影響されてしまった。最高裁判所は、司法の最後の砦として、法と証拠に基づき冷静に判断していただきたいと切に願う〉
http://ameblo.jp/takapon-jp/entry-10248198738.html#main
以下は省くが、いかにこの事件が恣意的で、見せしめ的な「実刑」だということが、全文を読んでいただければ理解できるはずだ。
たとえば、次の事例からも、同じような粉飾決算事件で、実刑判決を受けた被告が誰一人いないことからも明らかだろう。少し長いが同じ上告趣意書から引いてみる。
近年の有名な粉飾決算事件で実刑判決はあったか
〈(2)原判決も、「粉飾金額を確認して比較する限りは、本件の金額は少ないと言ってよかろう」(原判決48頁)と認めているところである。しかし、刑事事件として起訴された過去の粉飾決算事例は「(本件より)多少多い」などといったレベルではない。
たとえば
?山一證券事件は、平成7年〜9年にわたり合計 約7428億円の粉飾決算事件であったが、東京高裁は、平成13年10月25日に元社長に対して、原審を破棄して懲役3年、執行猶予5年の判決を言い渡した。
?日本債券信用銀行事件は平成10年の約1592億円の粉飾決算事件であったが、東京地方裁判所は、平成16年5月28日に、元会長に、「懲役1年4月、執行猶予3年」の判決を言い渡し、東京高等裁判所は、平成19年3月14日にこの結論を維持する判決を下した。
?カネボウ事件は平成14年の粉飾決算事件であり、粉飾額は連結純利益で約58億円、連結純資産で約753億円に上ったが、東京地方裁判所は、平成18年3月27日に、元社長に対して、「懲役2年、執行猶予3年」の判決を言い渡した。
?フットワークエクスプレス事件は、証券取引法違反(虚偽の有価証券報告書の提出)に問われた事件であるが、その粉飾金額は、経常利益で274億円、当期未 処分利益で約1340億円にも上った。これについて、大阪地方裁判所は、平成14年10月8日に、元社長に対して、懲役2年、執行猶予3年の判決を言い渡した。
?アイペック事件は、約80億円の粉飾決算事件であったが、東京高等裁判所は、平成15年11月18日に元社長に対して、懲役1年8月執行猶予4年の判決を言い渡した。
仮に、本件が粉飾決算であったとしても、その総額は約53億円である。しかるに、7千数百億という、金額において、被告人の百数十倍に達する場合も含め て、すべて先例では執行猶予の判決が下されているのに、わずか53億円の、また1期限りの粉飾決算で、直ちに実刑に処するというのは、誰が見ても公平では ない。あまりにも、不公平であり、正義に反する、と言うべきである〉
検察主導の空気を蔓延させ“嘘報”まで流す大手メディア
あたかも社会的なリンチに等しい。当時、それは、検察によって主導された空気であるのは確かだ。だが、いまは違う。そうした空気を引きずり、社会的リンチを続けているのは大手メディアにおいて他にいない。
〈また、「検察が捜査するまでは、健全で世の中に貢献している会社だった」などと主張し、反省や謝罪の言葉はなく、検察の捜査について批判を繰り返した〉
自由報道協会の会見直後の日本テレビが流したニュース番組である。これは明らかに虚報である。誤報ではなく、虚報である。
仮にネット上でこんな虚報が流れたら、すぐにデマ認定され、削除対象になるだろう。さらに、その夜の番組でも、日本テレビ解説委員の粕谷賢之氏が「謝罪の言葉が一切なかった」と断罪している。いったい彼は何を聞き、日テレは何を取材していたのか。
これはひとり日テレだけではない。どのメディアも多かれ少なかれ行なっている「リンチ」だ。
堀江氏は、民事での和解金としてすでにLDH(旧ライブドア)に208億円を支払っている。さらにこの日の自由報道協会の会見でも「ライブドアの株主の皆様には申し訳ないことをした」「自分の説明が足りなかったと思うのは反省している」と謝罪を繰り返している。
大手メディアの誤報、というよりも虚報はあまりに酷い。それはジャーナリストとしてよりも、社会人として失格ではないか。
フェアな報道が日本に根付くのはいったいいつのことだろうか。果たして、堀江氏が社会に戻ってくる2年半後に、日本のマスコミは変わっているのだろうか。
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検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)
p35〜 村上ファンドには政界のアングラマネーが---田中
ライブドア事件や村上世彰(よしあき)事件に関しては、僕は田原さんとちょっと違う見方なのです。
確かにホリエモンの粉飾決算は、たいした罪じゃない。少なくともあれほど大袈裟に逮捕するほどの罪を犯しているとは思えない。
そこから、マスコミは「カネ儲けするためなら、なんでもやっていいという風潮を正すために、ホリエモンを生贄にした」なんていう論調でしたが、検察がそんな迂遠な動機で、立件するとは考えられません。
ニッポン放送の乗っ取り、ひいてはフジテレビへの影響力を行使しようとした。あれが検察にやる気を出させたのです。放送局は体制の一翼を担っている。ホリエモンのようなうろんな輩に天下の放送局を渡すわけにはいかないと、検察の上層部は判断したのでしょう。
結局、表には出てこなかったけれど、ホリエモンや村上が裏社会とのつながりがあったことも否定できない。ホリエモンの側近であった野口英昭が沖縄で怪死したこともあって、一時、裏社会との関係が取りざたされた。野口の死は自殺だと思いますが、だからといって、ライブドアが裏社会とは関係なかったというわけではありません。
ライブドアの幹部たちが、ある組織の現役幹部と接点を持っていたことを僕は知っている。怪情報が流れるだけの根拠はちゃんとあった。
ホリエモンや村上のやり方を見ていると、バブル時代の仕手筋の手口とひとつも変わらない。とくに村上は。「兜町最強の仕手集団」と言われた誠備グループの加藤?(あきら)や、「兜町の帝王」と呼ばれた小谷光浩の手法と、何から何まで一緒です。
仕手戦をしかける場合、カリスマ相場師を中心とするグループが形成される。そのメンバーには世に知られる経済人や政治家も混じっている。各人が資金を出し合って、株価を吊り上げていくわけです。
彼らが狙うのは、市場であまり知られていない、株価の安いボロ株。安定株主がいて、浮動株が少ない銘柄です。市場で出回っている株が少なければ、市場で取引されている株数が読めるし、オーナー企業なら会社を死守しようと、株を買い戻しにくる。オーナー企業のボロ株なら、どう転んでも儲かります。
これがバブル期の仕手筋の典型的なやり方です。村上も同じですよ。
しかし村上が動かしていたカネは、バブル時代の仕手筋よりはるかに巨大です。バブル時代の仕手グループの資金総額は、せいぜい300億〜500億円と言われている。村上ファンドが動かしたのは、その約10倍にあたる4000億円を超える巨額とされている。
まとまったカネを用立てられるのは、アングラマネーしかありません。政治家や裏社会のアングラマネーが、村上ファンドに流れこんでいたのは間違いない。
氷山の一角として日銀の福井俊彦総裁の小遣い稼ぎが露呈したけれど、あんなものじゃない。アングラマネーを使って、比べものにならないくらい大もうけしている連中がいるわけです。でも、検察はそこまでは斬り込んでいない。
引っ張って濡れ衣を着せるのも悪いけれど、肝心なやつは見逃す。検察の国策捜査の一番の問題点はやっぱりここにあると思います。
まだ終わっていない日本の原子力信奉/輸入化石燃料への依存を減らすためには原子力に頼るしかない
日本の原子力信奉はまだ終わっていない
JB PRESS 2011.05.20(Fri)Financial Times(2011年5月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
過去25年間で世界最悪の原子力事故による放射性のちりが降り積もり続ける中、日本と原子力エネルギーとの恋愛関係が正式に終わったことは容易に想像がつくだろう。
確かに、両者の関係からロマンスは消えた。3月の地震と津波の後に起きた福島第一原子力発電所の機能不全は、安全を約束した政府の言葉に対する信頼を打ち砕いた。
2カ月経っても作業員たちはまだ、不可欠な冷却システムを復旧させ、放射能漏れを食い止めるために奮闘している。
何万人もの避難者が一時的な施設で散り散りになっている。苦境に喘ぐ農家と漁師からは、補償を求める要求が洪水のように押し寄せている。東京電力の将来は実に不確かだ。
菅直人首相が先週、2030年までに総電力に占める原子力の割合を50%以上にするという従来の日本のエネルギー基本計画を放棄すると発表した時には、反原発運動家たちの胸が少しときめいた。計画は「白紙の状態から」議論される必要がある、と菅首相は述べた。
*菅首相は「白紙の状態」から議論すると言うが・・・
しかし、これまでのところ、福島第一原発の危機が日本政府の長期的な政策に対して与えた影響は、遠く離れたドイツに与えた影響ほどには大きくないように見える。ドイツは地質学的に日本より安定しているにもかかわらず、政府は今、原発の段階的閉鎖を2036年まで先延ばしする計画を覆そうとしている。
一部の観測筋は、計画中または建設中の14基の新たな原子炉すべてを停止する合図だとして菅首相の発言に飛びついたが、首相は、個別のプロジェクトや原子力全般の運命については何の決定も下されていないと主張している。
エネルギー消費の大幅削減と再生可能エネルギーの「最大限」の利用に依存していた2030年までのエネルギー基本計画の放棄も、かなり見掛け倒しだ。この計画を達成するために必要となる原子炉建設計画には、福島第一原発での2基新設も含まれていた。今となっては、これは明らかに不可能だろう。
東京にあるテンプル大学現代アジア研究所の日本のエネルギー政策に関する専門家、ポール・スカリーズ氏は、当初の計画でさえ、恐らく50%という目標を達成するには十分でなかっただろうと話す。
菅首相は5月18日、原子力が引き続きエネルギー政策の「柱」になることに変わりはないとの立場を明確にした。民主党の有力議員は既に、新たな原子炉を計画通り稼働させるよう強く求めている。
民主党の岡田克也幹事長は、青森県北部のある原子力発電所を訪れた後、その原子炉がわずか2年後に稼働できる状態になると指摘し、「これほど完成間近のものが廃棄されるべきだとは思わない」と述べた。
*浜岡原発一時停止の狙い
東京の南にある浜岡原発の一時停止を求めた菅首相の要請も、必ずしも大がかりな方針変更を示唆するものではない。浜岡原発は断層に近い場所にある。
方針決定に関与した一部の政府当局者は、浜岡原発の運転停止の1つの目的は、政府が安全を優先している姿を示すことで、他の比較的損傷を受けにくい原子炉に対する国民の信頼を高めることだとほのめかしている。
実際、浜岡原発の運転停止は支持されたことが判明し、原子力に対する国民の信頼は福島原発の危機によって明らかに揺らいでいるが、原子力業界に対する、制止できないほどの国民の反発が起きているようにはまだ見えない。
世論調査によれば、すべての原子炉の廃棄を支持する有権者は15%にも満たず、政府当局者は、それよりはるかに大きな割合を占める、原子力の利用削減に賛成する有権者の多くを、安全を高めるという約束によって味方に引き入れることができると考えている。
政府当局者と政策立案者に関する限り、彼らは当然のように、資源に乏しい日本の輸入化石燃料への依存を減らすためには原子力に頼る以外に選択肢はないと考えている。彼らは、原子力の基本的な発電コストは依然として、太陽や風といった再生可能エネルギーよりもまだはるかに安いと言う。
*行動によって言葉を裏づければ、原子力信奉の終わりの始まりも
現在の危機は、そうした計算を変える一助になる可能性がある。
日本は長らく、ソーラーパネルや風力タービンに使われる主要技術で他国をリードしてきたが、実際の利用では、ドイツなど他の先進国に後れを取ってきた。
菅首相は先週、再生可能エネルギーの積極的な開発を約束した。
もし菅首相が、政府が手厚く支援する大規模な電力買取制度という形で、実際の行動によって自らの言葉を裏づければ(そして、そうした制度が、再生可能エネルギーが原子力に代わる実際的な代替エネルギーとして有効であると証明されることにつながれば)、福島第一原発の惨事もやがて、日本の原子力信奉の終わりの始まりになるかもしれない。
By Mure Dickie in Tokyo
与謝野大臣、原発事故を「神様の仕業」/日本の少女「神様とお話ができる法王、教えて下さい」
〈来栖の独白〉
与謝野馨経済財政担当相が福島第1原発事故を「神様の仕業としか説明できない」と述べてみたり、先ごろは「神様とお話ができる法王」さんが日本の少女の問いに答えてみたり。
大臣とか宗教界のトップとか、原発じゃないが、「権威」など「安全」だの、神話はもうやめよう。偉大な人もいなければ、偉業も叡智もない。過つは、人の常。原発の事故は、原発のもたらすマネーに、産も学も政も官も地方も・・・ありとあらゆる欲望が参集し、ひれ伏した。宗教界も、何ら変わらない。
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福島原発事故は「神の仕業」=東電の責任否定―与謝野経財相
時事通信 5月20日(金)11時12分配信
与謝野馨経済財政担当相は20日の閣議後会見で、東京電力福島第1原発事故は「神様の仕業としか説明できない」と述べた。同原発の津波対策に関しても「人間としては最高の知恵を働かせたと思っている」と語り、東電に事故の賠償責任を負わせるのは不当だとの考えを重ねて強調した。
今回の原発事故をめぐっては、安全対策の不備や人災だとの指摘が国内外から出ている。「最高の人知」や「神による異常な自然現象」という論理で東電を徹底擁護する主張には、「原発は安全」と説明されてきた地元住民らからも批判が出そうだ。
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法王は4月22日に放送されたイタリアの国営イタリア放送協会のカトリック教徒向けのテレビ番組で、東日本大震災に関する千葉県の7歳の少女の「なぜ子どもたちがこんなに悲しまなければならないのですか」という質問に、「答えはないかもしれませんが、大切なのは神があなた方のそばにいるということです」と答えた。
法王がテレビで一般の視聴者からの質問に答えるという、初の試み。質問者は約3000人の応募の中から7人の質問者が選ばれ、そのうちの1人が日本人の少女だった。
関係者によると、千葉県千葉市美浜区在住の松木エレナさん。父親がイタリア人で母親が日本人という。
少女は地震発生時、マンション10階の自宅に母親と一緒にいて、強い揺れを経験し、自宅近くが液状化の被害を受けた。
その後、地震や津波で同年代の子どもがたくさん亡くなったことを知り、自宅マンションのベランダで撮った日本語のビデオレターで法王に質問した。
エレナさんはビデオレターの中で、
「私は日本人で7歳です。私はとても怖い思いをしています。大丈夫だと思っていた家がとても揺れ、同じ年頃の子どもがたくさん亡くなったり、外の公園に遊びに行けないからです。なぜこんなに悲しいことになるのか、神様とお話ができる法王、教えてください」と日本語で質問した。
法王は、「私も同じように『なぜ』と自問しています。いつの日かその理由が分かり、神があなたを愛し、そばにいることを知るでしょう。私たちは苦しんでいる全ての日本の子どもたちと共にあり、祈ります」などと回答した。